中国貴州省とそこで暮らしている苗族トン族等の少数民族を紹介しています。

日本人には余り馴染みのない中国貴州省と、今私が一時滞在中の雲南省や大理白族自治州大理古城について

餌塊・餌絲について

2016年03月02日 | 少数民族の食べ物

中国語で「餌絲」或は「餌塊」とは、米(うるち米)を加工して作った食べ物です。現代漢語大詞典には、「餌塊」は載ってますが、「餌絲」と云う語彙は有りません。現代漢語大詞典には、餌塊とは「蒸した米を搗いた食べ物、または、機械などで加工した餅」との説明があります。尚、現代漢語詞典では、「餅とは、小麦粉、米粉等を使って薄く丸くした食べ物」と説明してあります。「餌塊」は雲南省の特産で、炒めたり、煮たり、焼いたり、油で揚げたりして食べる」と説明してあります。この煮たりと云うのは湯麺にして食べる事を指すと思われます。湯とは中国語ではスープの事ですので、つまりスープ麺として食べる事を指していると思います。

中日事典(小学館・北京商務印書館編)では、「餌塊」と云う単語は載っていませんが、「餌絲」と云う言葉は載せてあります。それに拠れば、「雲南省大理の有名な食べ物、ついた米を細く麺状にしたもので、スープにしても炒めてよい」との説明があります。また、中日大事典(大修館書店・愛知大学編増訂第二版)には、「餌絲」及び「餌塊」と云う語彙は両方とも掲載されていません。確か、この中日大事典は、今は第三版が出ているので、今は掲載されているかも知れませんが、私が持っているのは増訂第二版ですので、これには載っていません。また、私が時々利用するネット辞書、中日辞書北辞郎には、「餌塊」とは「米を蒸して潰し、捏ねて成形した食べ物(備考)米でできた」とあり、「餌絲」とは、「餌塊」を細切りにした食べ物」と説明されています。

「餌塊」の食べ方はとしては、炒めたり、煮たり、焼いたり、油で揚げたりして食べる」と云う説明は当たっている様に思います。 中日事典では、餌絲の食べ方として「スープにしても」とありますが、これは所謂「湯麺」として食べる事を指すと思われます。

先ず、中日辞書の雲南省大理の有名な食べ物と云う説明は、必ずしも適当とは云えない様です。雲南省大理州では巍山県の「扒肉餌絲」は特に有名ですが、負けず劣らず保山市腾冲の餌絲も有名です。何でも腾冲の餌絲は、中国の検索エンジン「百度」で検索をかけると、ここの餌絲は400年近い歴史があるとの記述もあります。

現代漢語大詞典には「餌塊」は、「雲南省の特産で」との記述がありますが、貴州省貴陽市等でも良く餌塊を見かけます。貴陽では鍋等を食べる時には、日本の餅の様に鍋に入れて食べる事も多く、私も良く食べていました。また、炒めても食べます。只、貴州省では餌絲は、余り見かける事は無かった様に思います。特に、麺状にした餌絲は少なく、貴州省は何方かと云えば、米線や米粉が多い印象があります。貴州で見かける餌絲は中日辞書北辞郎の説明にあるように、麺状の物よりは、餌塊を「細切り」にした物が多かった様に思います。

保山市腾冲の餌絲はかなり細い、麺状になっています。日本で見かける素麺の様な細さですので、拉麺の様にして食べる(湯麺)、或は炒めて食べるのが主流の様です。

 

保山市腾冲の餌絲は、この様にかなり細く、日本の素麺程の細さです。巍山県の餌絲はこの2、3倍位太いです。この様に細いのは他では余り見かけません。

 

日本の素麺位の細さで、これ程細いのは他にはない様です。中国語では、この様な物を一般に湯麺と云う様でスープと一緒にして食べる麺を云う。中国では、麺は、一般的には湯麺としての食べ方以外には、炒めたり、冷たいタレを掛けると云う食べ方がある様です。

 

保山市腾冲の餌絲。小椀が8元。保山市に行った時に泊まった宿の近くに偶々美味しい餌絲の店があり毎日通っていました。以前は巍山県の「扒肉餌絲」はとても美味しいと思っていたのですが、腾冲市で餌絲を食べてからは、私は腾冲の餌絲の方が好きになりました。大理古城にも巍山県の「扒肉餌絲」専門店は沢山ありますが、巍山は矢張り一根麺が美味しいです。

 

但し、腾冲の餌絲には、この様にかなり幅の広い餌絲もあります。この様な餌絲は保山市腾冲以外では余り見かけません。

 

値段は同じですが、人によりこの様な幅広の餌絲を頼む人も居ますが、私は細い方が美味しいと思いました。


どの店もそうですが、漬物や刻んだネギ、唐辛子等が置いてあるので自分の好みの味にして食します。

 

保山市腾冲は第二次大戦の末期に中国遠征軍と日本軍との間で激戦が交わされた所として有名です。また、ミャンマー等と国境を接している事もあり、新中国成立後も、日本人を初めとして外国人の立ち入りは出来ませんでした。長い間に亘り、現在の保山市は所謂未開放地区だったのです。

元大理州の外弁で働いていた中国人から、聞いた話では、旧日本軍の生き残りが、保山市で戦死者の弔いを希望したもの、政府の許可が下りず、大理から先には行けなかったとの事です。それで止む無く大理州大理市で、保山市の方に向かい慰霊祭を行ったそうですが、当然一般の旅行者は、より一層厳しく保山市への立ち入りは制限されていた様です。

その様な背景、経緯もあり、保山市の餌絲は日本人には余り馴染みがなく、日本の辞書にも詳しく載っていないのかも知れませんが、私としては、大理州大理では有名巍山県の「扒肉餌絲」よりは腾冲餌絲の方が旨いと思います。現時点では、大理州大理市内には、保山市腾冲の餌絲を売りにする店は、残念ながらありません。

 

 

 

 

 



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