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少数民族の悲愁 1 台湾

2009年10月09日 01時38分00秒 | 愛すべき台湾
少数民族の悲愁、世界に何百と存在する少数民族、自然と共に生きて来た歴史、独自の文化習慣宗教儀式を持ち、他を侵略する事もせず、静かにその場所でひっそりと貧しくとも先祖伝来の地で、生活するのがごく自然で当然のように生きて来た民族。
侵略者は
これまでの平穏な生活をしていた民族に静かに後ろから来て、その民族全体を投網で捕らえるように制圧し、文明の武器で強制的に侵略者側のスタンダードを押し付ける。
歴史の史実として、昔、力弱き、武器を持たない民族に対し、侵略者は時に奪略のかぎりを尽したり、反抗する者は殺戮抹殺し、その抵抗力を根こそぎ奪い、奴隷化し、すべてを奪った。
近代に入っても
後進国の国や少数民族の地に金目のモノが有ったりすると、ナダメ、スカシ、最後に騙し取る。
薬物でその国を骨抜きにしたり、謀略をかぎりを尽くし、恫喝で不平等条約を結ぶ、挙句は戦争に持ち込んで、領土を奪い、賠償金をせしめる。
現代でもまだまだ世界中で虐待を受け、民族の歴史を捨てさせられ、言語さえ奪われ、習慣も捨てさせされ、その宗教さえ捨てさせられる少数民族がいる、
大国の横暴は今でも続いている、
中国のチベット族壊滅は日進月歩進んでおり、新疆ウイグル地区も同じ憂き目に遭っている、もう60年位続けられている満州自治区でも同じような事が行われている、
中国には確か50位の少数民族が存在する。
中国共産党は表向きは少数民族の独自性は大切にするとか何とか美辞麗句は並べるが、
実際は民族の歴史は抹殺され、言語使用は禁止され、不平等の扱い受ける、
中国国内は今、日々、暴動、騒動の無い日は無い、
一つの国家には適正な大きさと云うモノが有る。
『国家が巨大だとそれを統制するに物凄いエネルギーを要する。』とは誰の言葉だったか?
その民族の慣性を強制的に変えようとすると、必ず、摩擦が起きる、
大国は文明の普遍性を強制的に少数民族の上に押し付ける、
それがその少数民族にとって良き事なのか悪い事なのかを議論すればそれは問題が多岐に渡る。
史実や現代の大国の占領政策をみると、その殆どは虐待虐殺、強奪暴行、弱者への虐めで有る。
しかし、ここにひとつの現実的歴史の事実として、
台湾の日本占領政策をみるとどうも当時の列強の占領政策とは180度違う事を感じる。
その立役者が児玉源太郎と江藤新平で有る。
彼らは確かに違った、
台湾は日清戦争で日本が勝った賠償として、下関条約で日本が受け取った領土で有る。
当時、台湾は中国本土からは渡る島ではなかった、風土病伝染病の巣窟で、『化外の地』と呼ばれていた、
中国側代表、李鴻章は日本側の伊藤博文に対し、台湾を譲る事は惜しくもなにもなかった、
日本が台湾を統治出来る筈がないと確信していた、
台湾は中国からみると、
マラリヤ、天然痘、赤痢、ぺスト等の伝染病のメッカで有り、
今日はここまで、
写真は先日 台湾少数民族パイワン族来日の時の記念写真、
記念写真を撮る予定ではなかったのでカメラがデジカメしかない、
全面二段目の大きい人が衛藤せいいちさん(国会議員)その前の4人の方々がパイワンNHK提訴団代表 その中の一番右が『華阿財』さん、その右後ろに小生、華阿財さんの肩揉んだあげました。(御苦労様です)
参加者全員、北朝鮮拉致問題の会員さんやら、李登輝友の会、草奔全国議員会の先生の方々。
ビデオ

李登輝物語 2

2009年10月08日 14時18分04秒 | 愛すべき台湾
蒋経国は父、蒋介石の秘密警察を担当していた、父の私物を守る役割で有る。
1975年4月、蒋介石が88歳で亡くなって
1978年総統を相続した。
その頃から蒋経国は少しずつ変わってゆく、
国際環境も徐々に厳しくなって行く、国内の本省人は経済にのみを専念し、政治には興味を示さなかった。
台湾の経済は向上しはじめ、
内外の環境は蒋経国政権にとり厳しくなっていく一方、
1984年、蒋経国は穏やかな学者で有る李登輝氏を副総裁に据えた、
国内の不満のガス抜きに本島人を大抜擢した。
その後、李登輝氏は何を蒋経国に囁き続けたのだろうか?
1985年12月、
蒋経国は驚くべき事を公言した。
『蒋家の者が権力を承継する事はない』と発表した。
これは北朝鮮の金日正が後継者を金家からは出さない、と発表するようなモノ、
1987年、ついには『台湾はやがて本島人達のモノになる』と発言し、
その後、40年近く続いた厳戒令を解除し、ついには『私も台湾人だ』とさせ公言した。
その翌年1988年1月、蒋経国は亡くなった。
李登輝は憲法の規定により、新総統となった。
台湾の民衆が一挙に穏やかな表情になり、自由な空気が吹き込んで来た。
以後、台湾は李登輝総統の元、民主化を進めた。
李登輝氏は現在、毎月日本から届く書籍を愉しみにして老後を楽しんでいるように見えるが、
その見識の高さは日本人政治家が学ばなければいけない。
また、今度、


李登輝物語 1

2009年10月07日 23時12分46秒 | 愛すべき台湾
李登輝』氏について、
日本でも馴染みの人物かと思えば、そうでもない事に気がついた、
昨日、Hさん(自転車転倒事件)の人に至っては年齢が年上なのに名前も知らない、
まさか、新聞読まない人??
まあ、世の中、知らない事が有る事が悪い事ではない、
チョイと李登輝先生についてのお話、奇跡の人と私は常々思う人物、
まだ生きている東アジア最大の巨星、巨人とさえ言える人物、
1988年1月 台湾総統に就任した、本省人(台湾人)として初めて総督になった人物、
その後、台湾の民主化に大成功を収め、当時台湾を日本と並ぶ外貨準備高を持つ国と成長させた。
その中心的役割、この李登輝先生がいなければ台湾の急上昇はなかったとも言える。
さて、
この李登輝先生確か、戦争当時、日本の京大農学部?で学んだ人、終戦前に召集され、陸軍歩兵部隊に配属された、
この李登輝先生、何度も命を落としかけた。
知りうる限りでは、何処から入るか??余りにも話題の多い人物、またまだ歴史上の人物ではないのでその話題にも事欠かない。
『奇跡の人の軌跡』
1、昭和18年、神戸港から台湾に戻る船、船に乗る為の学徒生が一人足りない、
それでその船に乗れず、次の船に乗船、予定は船は敵の魚雷攻撃で沈んだ、
運が良かった。神の御加護か。
2、二度目に船中の奇跡、戦後、日本から帰る時の船でも、悲惨な目に遭った、
下田から船は出た。
唐津港で船中に天然痘の病人が出た、その病人は唐津港で降ろされらが、
台湾の基隆港についたが、唐津の検疫所から基隆港に電報が届いていて、患者が天然痘であったとの知らせ、
その為、全員、下船禁止の憂き目に遭い、目の前の台湾の山々を眺めながら不快な船中で20間を過ごす事になる、
この時、『何既明』さんと李登輝氏が初めて出会う。
船中はまるで戦中の様相になった、食糧が乏しい、この船に乗っていたのは留学生だけは無く、
厚木の海軍関係の工場に徴用されていた人々がいた、船中おのずから2派に分かれた、
工員達が勿論元気がよく、工員達は船内で暴動を起こし、炊事場と食糧を独占した。
学生達は飢えて騒いだが、どうにもならない、
その時、騒ぎにも加わらず、大仏のようにいつも正座し、本を読んでいた青年が李登輝氏で有る、
『何既明』さんは、この時の李登輝氏に何を見たのだろう、
何さんは工員達に微妙な好意につけいり、一人分だけの食糧を手に入れ、李登輝氏に食べさせた、
無事、天然痘にもならず、ならず者の餌食にもならず、無事下船出来た。
二人は台湾の地を踏んでどう思ったのだろう、是非、聞いてみたい。
この時から李登輝氏と何既明氏の付き合いが始まる。
全く対照的な二人で有る、
李登輝氏はコンテでくっきりと線を引いたような秀才顔、
何既明氏は消しゴムで顔全体を消したようなぼやけ顔、
二人の接点を書き出すと長くなるので割愛、(カナダ長老派教会&地元繋がり)
3、台湾の戦後、
極悪非道政権、蒋介石の国民党は元々、中国国内でアメリカやイギリス等の資金物質戦略的支援を受けながら中国国内では奪略の限りを尽くし、
全く民衆の支持がない政党になっていた、私物化の権化の政党その為に民衆は日本軍が撤退した後は共産党支持になるしかなかった。
大陸を中国共産党が抑えた為、大陸で居場所を失った略奪政党の国民党は
敗退し台湾に大挙大波のように押し寄せ、台湾の民衆の上に武器を持って覆いかぶさり、占領した格好になった。
台湾の民衆にしてみればたまったものではない、
当初は同胞と思いきや、全く、私利私欲の暴力的集団、極悪非道のシナ人が大挙押し寄せ、言論統制、略奪暴行は当然、
知識人はことごとく捕らえられ、簡単に処刑、
若い李登輝氏も追われる立場になった、その危機を救ったのが『何既明』氏で有る。
戦後から1年半後に起きた2.19事件の時、
『これや、李さんも危ない、のんびり屋の世間知らずの李さんだ、何処にも逃げていないだろう、こりゃ、オイラが助けんきゃ、ならん』
と、多分、日本語で考えた、
若い頃の何既明氏はひとつ年上の李登輝氏の身を心配し、自宅の蔵の中に隠し、これまた食事を与え、粛清の嵐が収まるのを待った。
まさか、この時も何既明氏は李登輝氏が後に総統になるとは思いもよらなかっただろう。

軌跡は続く、
李登輝氏の強運、天は彼をして、台湾の民主化の為に生きながらえさせたのではないかとすら思えなくもない。
その後の李登輝氏はアメリカ留学や台湾の大学教授などを歴任し、その後、台湾の農業復興の専門家として、蒋介石の息子の蒋経国の知遇を得る。
1978年蒋経国より、台北市長に任命される。
何故、蒋経国は李登輝氏を台北市長に任命したのか?
憶測では有るが、私心のない、敬虔キリスト教徒、真面目で読書家、真剣に台湾の民衆の為に仕事に邁進するその一環した言動が蒋経国の警戒心を和らげたのだろう、
蒋経国は『まあ、こいつに任せとけば、いいようにやってくれるし、横領の心配もない、少し生真面目で説法臭いところ有るがそこは少し辛抱すればいい、少しは内省人も使わねばならんし、』
その容貌、目が嘘を言わない目、邪心のなさが蒋経国を安心させたとも言える。
また、当時、政権への反発も民衆から出ていて、暗殺未遂の目にも遭っていた事も有り、蒋経国は内省人を政府内で使い内省人を懐柔しなければならないと考えたのだろう、
奇跡への道筋が開いたと言える。
蒋経国は蒋介石の息子で、蒋介石から秘密警察等を担当し、陰湿な仕事をして来た人物で有る。
分かり易く言えば、言い方は悪いが、北朝鮮の金日成の息子で後継者の金正日みたいなモノで有ると言えば分り易い、
さて、この極悪政権の蒋一家の国民党の総統、蒋経国は徐々に変わっていった、何故、変わったのか?
また明日へ、、。

NHK捏造報道の不思議 1

2009年10月07日 12時11分29秒 | 愛すべき台湾
台湾少数民族の非愁、 NHKの傲慢、
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/091006/biz0910061742023-n1.htm
嘘の報道して、謝罪もしない、NHK。
ワールドニュースのコピー
Nスペ歪曲報道、台湾のパイワン族37人が集団提訴
「なぜパイワン族の尊厳を傷つける」
代表4人が記者会見
【東京】日本の台湾統治を扱ったNHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー」の第1回「アジアの“一等国”」(4月5日放映)の内容が取材実態に基づかない歪曲報道だとして台湾のパイワン族37人が6日、NHKを相手取り東京地裁に集団提訴した。また(株)日本文化チャンネル桜(水島総代表取締役)も同日、この問題でNHKを名誉棄損と営業妨害で東京地裁に提訴した。

 パイワン族の代表団4人は同日、司法記者クラブで記者会見し、華阿財・元牡丹郷郷長(71)が「1910年の日英博覧会でパイワン族は誇りを持って参加したが、それをNHKは人間動物園だとして辱めた」と述べ、事実に基づかない報道姿勢を批判した。また母方の父が日英博覧会に出席したという李新輝・前春日郷郷長(71)は「では博覧会主席者を喜んで迎えた経緯がある」とし、NHKに謝罪と名誉回復を求めた。

 高士村およびその他のパイワン族住居地区は8月、台風8号による深刻な災害に見舞われた。その救済と再建業務で息つく暇もない環境の中、華阿財氏ら4人はパイワン族の尊厳を守り祖先の英霊が辱めを受けることがないように、パイワン族を代表して今回の集団訴訟のため訪日した。

 なおNHKはこの問題で6月下旬、小田村四郎・元拓殖大学総長のほか台湾人140人を含む視聴者ら8400人によって東京地裁に第1次集団提訴されている。さらに「アジアの“一等国”」で取材を受けたパイワン族ら3人を含む第2次集団訴訟原告団1946人を含めると原告団は1万人を突破、賠償請求金額は総額で1億1000万円となった。
2009/10/7 0:24

華阿財さん、もう70歳過ぎているが、とても若々しい、
日本の統治時代があったればこそ現在の台湾経済が有る、
台湾は1945年に日本から解放されたとなっているが、
その後の蒋介石政府は戒厳令を敷き、徹底した日本排斥運動を起こした、
日本的な物の排除、
当時、蒋介石の先発隊の司令官、小陳儀は台湾を私物化し、絞れるだけ絞り取る行動に出た、
奪略と謀殺を生み多くの知識人を処刑する。
解放と称した1945年8月から1年半後の1947年2月、闇市で老婆が米国たばこを売っていた、それを見たシナ人警官が老婆に暴行を加えた、
それが台湾人の怒りをかい、暴動に発展、
小陳儀は当初、懐柔的態度だったが、大陸から蒋介石の本隊がやってきたトタン、大粛清が始まり、多くの台湾人が殺された、2.28事件で有る。
因みにこの時、李登輝氏も追われていたが、
『何さん』が自宅も米蔵に何日間も李登輝氏を匿った、
『何さん』もまさか李登輝がその後台湾総統になるとは思いもよらなかっただろう、
さて、
今は中国共産党の圧力に息がつまりそうな台湾の社会情勢。
華阿財さん、
今度は台湾で会いましょう、と何度もニコニコして、熱い握手、
その熱い握手 昔の日本人を感じた、
台湾の少数民族に昔の日本人の薫りを感じたのは私だけではないだろうな、
因みに写真中央が『華阿財』代表。
来年、上等な日本酒土産に、クスクス村で一杯、




NHK捏造報道の不思議

2009年10月06日 08時26分30秒 | 愛すべき台湾
台湾少数民族「パイワン族」代表団来日!
パイワン族独自でNHK集団訴訟へ!
台湾の先住民族「パイワン族」がついに立ち上がった!
民族差別・人権無視の歪曲・捏造番組「NHK『JAPAN』デビュー」に対し、部族の名誉と誇りをかけて6名のNHK訴訟代表団が緊急来日。
NHK集団提訴後の司法記者クラブでの記者会見報告会をかねて、共にNHKと闘う日本の皆様との交流会に参加されます。
また、この日、株式会社日本文化桜チャンネルもNHKを名誉棄損と営業妨害で提訴を行う。
NHK特報番組『ジャパンデビュー』、あれはいったい、誰がなんの為に作ったのか???
長々と書くより、参考として、
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-884.html
さて本日10.6「パイワン族NHK集団提訴記者会見報告会」「日本文化チャンネル桜NHK提訴報告」及び「日台歓迎交流の夕べ」
NHKの上層部に左翼が鎮座しているのが原因

続 李登輝講演

2009年09月06日 03時52分19秒 | 愛すべき台湾
本人は、今日、中西さんが来てないとボヤイていた。
中西さんとは京大教授、中西輝政氏の事で、李登輝が好きな論客の一人で有る。
桜井よし子さん、相変わらず、お綺麗で、『桜井さ~ん』と声を掛けたら、ニコっとして、軽く頭を下げるあたりは流石、
小林よしのりはグラマー(ぽっちり)な秘書を従え、むっつりしてる。
渡部昇一先生が来てらっしゃらない、見つけきれなかったのか?
子息も?(昨日の夜会ったのだろうが)
政治家の先生方が一番聞かなければいけない講演の筈、
特に若手はどんどん来なければいけないのになぁ~~
李登輝の功績の中に、議会解散が有る。
1991年 それまで台湾の国会は42年間も改選される事なく、大陸系で固められた国会議員は税金を貪り、惰眠状態であった。
それを時間をかけ、どのように説得したのか?全員を引退させた、
老獪で陰湿で私利私欲、権利の権化の化石達をどのようにして口説いたのか?
今後の台湾の在り方を切々と真摯無私の言葉で、牧師のような感じで説得したのだろうと想像される。
李登輝、その講演、声は凛として、言語明瞭、チョイと熊本弁的なところは総入れ歯のせいかも?
次は来年、是非、台湾で会いたい。
それまで生きていて下さい、大巨人。




李登輝講演 善意の塊

2009年09月05日 22時12分02秒 | 愛すべき台湾
1時間半前に到着、もうすでに長蛇の列、
『なんと有難い』
李登輝は台湾の李登輝と自己紹介をした、しかし、自分は日本人であると今でも感じている節が有る。
86歳にしてまだまだ元気、その元気の源は、日本への篤い想いではないか?
戦後の日本、驚異的復興に、やはり日本人は、日本は凄い、と感じ、自分の事のように喜んだ頃、また今まさに打ちひしがれ行先、方向性をみい出せず、枝垂れたままの日本、それに嘆いている事が良くわかった。
今の日本人に言いたい事多々有り、そのメッセージは常に篤い想いが込められている。
司馬遼太郎は李登輝の事を評して『善意の塊の巨人』と言った。
そこには私心が無い、自分の為では無く、隣国、日本の失われつつある文化や精神を今一度取り戻せと言っている。
最後に日本への提言は、隣国の友人として心からの提言で有るとして、日本は歴史的に見て世界でも稀な文化を持っている、精神文化、精神美、それは素晴らしいモノで有る。その精神の美しさが失われつつある事に嘆いている、日本人は誇りを持って進む事が肝要、土下座外交、ヘツライ外交を止め、堂々と正論を貫く事こそ肝要で有る。
いつまでも米国追随ばかりするのではなく、いつまでも中国等に遠慮ばかりするような外交は国家衰退の道で有る。
対談は、相手が下手、自分の話を難しくして質問するあたりは、自意識が強過ぎ、
もっと分かり易く、順序立てて質問しなければ、いけない。
この後、高知~熊本を回って帰るそうです。高知でも講演する。
次も、是非、機会が有れば、講演を聞きに行きたい。
こんな良い講演、メディアは小さく報道、大きく報道したり、いい講演などとニュースになったら、意地悪ばあさんみたいな隣国が悋気を起こす、
よってクレームに弱い大手メディアは小さくしか報道しない。残念、
メディアに良心良識、愛国心はない。

李登輝氏 来日

2009年09月05日 00時23分39秒 | 愛すべき台湾
李登輝氏 来日

86歳にしては壮健な感じ、念願の来日、

中国政府の妨害もなくよく来れたぁ~~、感謝、
東アジア最後の巨星、農業経済学者、台北市長、台湾総督時は台湾の民主化に成功、経済成長を成し遂げた、

哲学者で有り、思想家でも有る、読書家で有り、日本文化をこよなく愛し、自分は喉元まで日本人として教え込まれた事が詰まっていると自分で云う。
まるで最後の侍と言えなくもない

奇跡の人とも言える。
何度も命を落とす場面に遭遇している、

我々部外者が知る限りでも2~3度ではない、
生きて、未だに日本を愛し、日本人に喝を入れに来日、
しかし、メディアは小さくしか報道しない、
何故??、、中国がすぐに腹立てて、抗議して来るからです。
抗議に弱いのは政治家ばかりではない、
国会議員も
日本のメディアも事なかれ主義、


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これぞ最後の侍 李登輝

2009年09月03日 17時41分50秒 | 愛すべき台湾
明日、李登輝氏来日、出迎え!
5日に東京青年会議所の設立60周年を記念し、日比谷公会堂において講演を行う。
講演のテーマは坂本龍馬の「船中八策」。
今度は明治維新の礎をつくった坂本龍馬の「船中八策」から見た現在の台湾と日本の政治体制について講演するという。若い世代の日本人に向けて訴えられることをとても楽しみにしている様子で、「日本の若者に誇りを持たせなきゃいかん」と云う李登輝氏、

16日付の産経新聞で山本勲・台北支局長が李元総統の今回の訪日や指導者の育成などについて、伺った記事を紹介。
【8月16日 産経新聞「東亜春秋」】  李登輝時代の輝き再び  産経新聞台北支局長 山本 勲
台湾の李登輝元総統が来月4日から1週間にわたり訪日する。春に風邪をこじらせ5月に予定された訪日は繰り延べたが、すでに健康もすっかり回復し談論風発の“李登輝節"が全面復活した。このところ日台関係がぎくしゃくし、台湾では50年ぶりの台風災害への政府対応が混乱し、李登輝総統時代の評価がさらに上昇している。東アジアのたぐいまれな哲人政治家、李登輝元総統のいっそうの活躍に期待したいところだ。
今年3月に台北支局長として赴任した台湾は、数年前の陳水扁政権や十数年前の李登輝政権時代とは、かなり異なっていた。「本省人」と言われる、日本統治時代以前から台湾に住む大多数の台湾人の親日観、日本人に対する暖かさ、優しさはなんら変わらない。
しかし昨年5月に発足した馬英九・国民党政権の進める対中接近策のもとで、台湾における中国の存在感が随分大きくなり、その分だけ日米の影が薄くなった。

 日台関係は昨年6月の尖閣諸島沖での台湾遊漁船と日本の巡視船の衝突事件で険悪化した。馬英九政権はその後、対日関係重視を打ち出して関係修復に動いた。しかし今年5月、齋藤正樹・日本交流協会台北事務所代表が講演で「台湾の地位未定」発言を行って馬政権が強く反発するなど、なおぎくしゃくした状態が続いている。

 内政面では陳水扁前総統の公金横領疑惑をめぐる公判が延々と続き、民進党支持者をはじめとした台湾人の意気を阻喪させている。対中経済関係の拡大を通じて経済浮揚をめざす馬政権と、経済一体化が中国による台湾併呑(へいどん)を招くことを警戒する台湾独立派・本土派の対立は激化する一方だ。

 加えて台風8号(台湾名、莫拉克)の、史上最大ともされる災害への馬政権の不手際な対応に住民の批判が高まっている。台湾社会は内外政策をめぐってまっぷたつに割れ、フラストレーションばかりが高じる困った状態にある。

 それだけに台湾が最も輝いていた1990年代の李登輝時代に人々の思いが集まる。李政権は高度成長を維持し、中華圏初の民主化を実現、日米と緊密に連携しつつ強大化する中国と対等に渡り合った。日台の相互信頼も深まった。

 99年9月21日未明に台湾中部を襲った大地震では李総統(当時)の命令一下、直ちに政府と軍の救援体制が始動。李総統は非常事態宣言に相当する「緊急命令」を発令して復興に全力をあげ、日本をはじめ各国が支援に駆けつけた。台湾メディアはいまこぞって「李登輝政権の経験に学べ」と馬政権を叱咤(しった)している。

 現在の台湾を取り巻く窮状を打開するにはもう一度、李登輝元総統の卓越した知恵と経験に学ぶ必要がありそうだ。総統退任後5回目となる今回の訪日では、5日に東京青年会議所などが日比谷公会堂で開くイベントで講演する。

 明治維新と開国近代化の道を方向付けた坂本龍馬の「船中八策」をもとに、日本再生のための李登輝版「新船中八策」を提起してもらえるそうだ。日台関係再強化のために、これまでに培った広範な人脈を駆使して新たな取り組みを始める計画もある。

 台湾の将来の指導者を養成するために、30歳前後の若手を少数選抜して私塾を開く準備も進めている。老いてますます盛んな李登輝さんだが、なにぶん86歳の高齢だ。日本側関係者には歓迎熱が上がり過ぎて健康を損なわないようくれぐれも気をつけてほしい。

李登輝来日

2009年08月21日 17時03分57秒 | 愛すべき台湾
侍『李登輝』来日、 
以前は来日を希望しても、日本政府からピザが発行されなく、何度も断念した李登輝、
今年は来日出来る、中国政府も今はガミガミ言わないから日本政府もピザを発給、

李登輝、東アジアの英雄、巨人、巨星、偉大なる哲学者、台湾発展の父、
李氏の高齢を考えれば、体力的に今回が最後の訪日となる可能性も否定出来ず。

良き旅行を過ごされることを願うと同時に、同氏を敬愛する多くの日本国民にとり、相互の心に残る訪日であることを願う。
李氏を台湾独立勢力とみなす「中国」の騒音がやかましい。
アジアで今、唯一の侵略国家『中国』モンゴル、新疆ウィグル地区、チベットは超圧的政治と軍事力で抑圧され、その他の少数民族も悲惨な状態に有る。
さて、李登輝、齢80歳を過ぎてやっと日本に来れるようになった、

氏は新渡戸稲造の武士道の影響を深く受けている。
台湾前総統で旧制の日本教育を受けた著者は「日本の良いところや、精神的価値観の重要性を人一倍よく知っている」と言う。
新渡戸稲造が100年余り前に著した『武士道』を解説しながら、日本人が忘れかけている高い精神性を取り戻そうと訴える。

 新渡戸は「義」を重んじ、「忠」を尊び、「誠」をもって率先垂範するといった武士道が、民族固有の歴史や風俗、仏教や儒教、神道などと深く関わっていることを記した。

著者は1000年もの長い間、日本に浸透し、世界に誇るべき精神的支柱だった武士道や「大和魂」を、戦後、日本が意識的に踏みつけてきたことを批判する。
日本再生を期す今こそ、武士道の規範を徹底的に再検討し、実践に移すべきだと熱く説いている。(日経ビジネス 2003年5月5日 日経BP企画の書評より)
台湾が急速に発展出来た要因は日本占領期のインフラ整備、教育と人材はその後の台湾にとって最も重要なものであった、
それは賠償以上の価値の有るものであったし、戦後、共産党の侵入を塞げたのも日本軍人が台湾に残り、国民党の軍隊を教育した影響が有る。
氏の素直な慧眼、心より心服、今の日本の政治家に一人でも李登輝のような人物がいればいいのだが、
『日本人よ、自信を持て』と心から叫んでいる李登輝その情熱。8月5日、日本公演、是非、行って直接聞いて頂きたい。




台湾の台風被害

2009年08月16日 05時00分28秒 | 愛すべき台湾
或るニュース 「これほどすさまじいなんて」-。
被災状況を目の当たりにした家族は泣き崩れ、レスキュー隊は立ち尽くした。台風8号に伴う豪雨で土砂崩れが発生し、三百人以上の住民がのみ込まれた高雄県小林村への道路が災害発生以来六日ぶりに開通し、家族や救援隊が十四日、続々と村に入った。しかし「消えた村」の惨状を前に、誰もが言葉を失った。
 わずか四日間で年間平均降水量を上回った台湾南部。村では九日早朝、集落東側の山の斜面が約百ヘクタールにわたって崩れ落ち、当局の調べで三百九十八人が生き埋めになった。

 大量の土砂に埋まった集落は、わずか二棟の家屋が残るのみ。住宅のほか、役場や小学校なども跡形もない。平らになった土砂の上に巨大な流木が点々と横たわるだけだ。

 この日を待って家族やレスキュー隊、重機を積んだトラックなどが次々と村に入ったが、想像を超える被害になすすべもない。

 高雄市から駆け付けた徐仙鳳さん(53)は息子(31)が行方不明になっている。「全部埋まった。何もない。息子も姉の五人家族も、義理の兄も…」と泣き崩れ、持って来た息子の茶色いシャツを抱きしめた。

 高雄県レスキュー隊の十人は、現場に接して立ちすくんだ。林華上さん(28)は「こんなのは見たことがない」。施鐸訓さん(37)は、二千人以上が死亡した台湾大地震(一九九九年)と比較して「あの時は建物が壊れ、遺体のにおいもしたが、何とか被災者を救おうとわれわれも奮い立った。ここではそんな感情もわかない。完全に破壊されており、どこから手を付けたらいいか分からない」と肩を落とした。
 村のわきを流れる川は「釣りができる」(レスキュー隊員)という清流だが、台風上陸から一週間過ぎた今もどす黒く濁っていた。
麻生君、いち早く動けばよかったのに。
台湾は日本にとって大切な国家

台湾 台風被害 日本の対応

2009年08月11日 13時37分04秒 | 愛すべき台湾
日本の兵庫県も被害が甚大だが、台湾は未だ生き埋めが数百人、
もしも、こんな話になったら!!
11日(火)早朝5:30。このニュースを知り、麻生君は即座に、自衛隊に緊急出動の準備を命じ、矢継ぎ早に次々と手を打った。
1,台湾の総統、国民党の『馬英九』(マーちゃん)に連絡し、日本から1000人以上の自衛隊派遣を申し出る、
2、防衛大臣に緊急食糧、救助犬、被災者救出の為の機材を運ぶ手筈を命令、
医療班、通信班も編成し、続々と送り込む手筈を指示。
3、次にアメリカペンタゴンとアメリカ大統領のホットラインを遣い、台湾台風被災者の救済の為の協力を要請、
4、次に驚きの行動に出る。田母神俊雄前航空幕僚長に連絡をし、台湾台風被災者救援本部長就任を要請。
  田母神氏は、黙って聞いていたが、何度も、貴殿しかいないとの言葉に、承諾し、即座に現在予定の講演等の中止を秘書に依頼し、即座に動いた、
医療班、通信班も編成し、続々と送り込む手筈を指示。
最高責任者の動きが早ければ、下の者も動きが早い、
午後、13:00には大分の陸上自衛隊は緊急チャーター機で台湾へ、
もっと早かったのは西部航空方面隊から救援資材を積んだ、輸送機C-1が隊列を組み、台湾の空に向かったのは午前中、その命令を下し、田母神氏は横田米軍基地からF-15ファントム戦闘機で台湾空軍基地へ向かい、
午後2時前には現地到着、
背は低いが作業用の服にヘルメット、サングラスをかけた田母神氏の命令は的確で素早い、
次から次へ、段取りから具体的な処置まで、最後に、すべての機材物資にも国旗の日の丸を大きく、貼る事を忘れなかった。
後日、救済された人々や同胞の台湾人はニュースに出る日の丸に、やはり日本人は凄い、日の丸はいい、との事が再認識されるきっかけになった。
何よりも喜んだのは老骨に鞭打つように出てきた『李登輝』
日の丸に涙を流し、日本はこうでなくてはならない。と頷きながら語った。
特に70代以上の日本語を話せる台湾の人々には特に感慨深いモノがあった。
日本人として誇りを持って語られる話題となり、
日本人の目を醒ます事例になれば良いと考えます・・・・田母神談!
こんな話になれば、麻生君は総選挙圧勝とまではいかなくても、民主には絶対負けない。
阿呆な首相が動くわけないな~~、 台湾の台風被害のニュース見ても麻生さんだから『あ~そうか』ぐらいだわ、だから『阿呆首相』と呼ばれる所以。

目黒 学芸大学駅 パブスナックj

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