杉浦茂峰
(1923年11月9日 - 1944年10月12日)
大正12年生まれ
青年飛行士『杉浦茂峰』
当時まだ、20歳
戦争終盤の1944年10月12日
午前、
台湾南部、
台南上空におびただしい米軍機が襲来、
直ぐに零戦が数機応戦に出撃、
圧倒的な敵機の数、
零戦の隊員は熟練した者も少なく、
若い隊員ばかり、
次々に撃墜される
杉浦の乗った零戦も尾翼に敵弾を受け降下、
墜落する方向に集落が有る、
杉浦は懸命に一度機首上げ
、
集落から外れたところまで飛んで
落下傘で脱出、
機体は空中爆発、
杉浦は、グラマン戦闘機の機銃掃射を受けた。
地上の村人はそれを眺めていた。
「なんて酷い事をするアメリカ軍」
村人達は遺体に駆け寄った。
飛行士は既に死んでいた。
その軍靴に「杉浦」の名が記されてた。
後に、
その後、第201海軍航空隊分隊長の森山敏夫大尉の協力で、
この飛行士が「杉浦茂峰」と判明した。
戦後、
村人が幽霊を見るようになる。
夢にも現れる
、
白い軍服、白い帽子の若い海軍軍人、
何人も同じ夢を見、枕元に現れる。、
村人は寄り合い、
もしや、
これはあの集落を戦禍から守り抜いた若い飛行隊員の霊ではないかと
考え出した、
村人は相談し、杉浦の祠を建てた。
杉浦の無念と集落を守ってくれた恩を永遠に忘れないために、
「飛虎将軍」
村を守った勇士、
「お心鎮め、村人を安心させる」
為に「鎮安堂」
と命名された。
今でも立派なお堂として、
管理されている。
朝には「君が代」、
夕方には「海ゆかば」
が流される。
台南駅からバス
なあ~んとも台湾風な
たばこを備えてる。、
なんとも凜々しい、
杉浦茂峰
台湾で神になった二十歳の若者、
ご冥福を心よりお祈り申し上げる次第、
杉浦茂峰さんの気持ち、
凄く分かる
志願兵として航空兵
弱冠二十歳にして、
気持ちは、
「死して日本を守る」
しかし、
操縦の未熟さで、
天皇陛下より預かった零戦(愛機)を
なくした、
(忸怩たる思い)
そして、
敵兵の無残な機銃掃討の餌食
(悔しさ)
撃墜した隊員を
無残に殺すなんて、
日本の航空隊員なら
絶対しない、
負けた相手をそれ以上攻撃しない武士道
アメリカは違う。
悔しかっただろう、
情けない気持ちだったろう、
しかし、この青年航空隊員は
集落に飛行機を落とすのをしなかった、
(偉い)
そこに落とし、
自分も真っ先に脱出したら、
アメリカの機銃掃討にも
さらされず、
命は助かった、
それにして、
その動きを見ていた
台湾の方々、
有り難い
それに比べ、
アメリカ兵
鬼畜の如き所業
単なる、人殺し、
台湾行ったら、
是非、お参り、
たばこをお供え、
深くお祈りせねば、
日本人万歳~