何日ぶりのブログでしょうか?先週末から4月6日まで更新を休ませてもらって、凄くゆっくりでき、今は再び体調も全快といった感じ。こちらの時間で夜中にラジオ番組に出演していたんだが、今日から日本時間の朝の番組にシフトチェンジし、ワシントンでラジオの仕事をするようになってから初めて、外がまだ明るいうちに仕事を終えることができた。これって、ささやかな感動すら覚えるほどで、ようやく一般社会に戻ってきた気持ちにすらなる。でも、前の番組でお世話になった9ヶ月間って、自分にとって本当に充実したものだったので、またいつか一緒に仕事ができればと思っているんだけど。とにかく、今日から新しい気持ちでスタートっす。
3月末にメキシコシティにあるアステカ・スタジアムでサッカーW杯予選が行われ、メキシコがアメリカを2-1で下しているんだが、サッカーの試合以上に面白いエピソードがあったようで、ここに紹介することにする。今だから笑える話なんだけど、一歩間違えればという事もあったので、話を聞いた僕は最後まで苦笑するしかなかったんだけど…。数週間前のブログで、僕はワシントンのサッカーファンがグループでメキシコシティにワールドカップ予選を観戦しに行くと書いたが、このツアーグループには僕の友人も何人か含まれていた。メキシコへの旅支度を済ませた友人らは、「スタジアムではトラブルに巻き込まれないように気をつけないと」と語っていたんだが、トラブルはスタジアムの外で発生したんです。
知る人ぞ知る酒豪のジェームズ、試合後に他のツアー仲間とメキシコシティにあるクラブに行って酒を浴びるほど飲んだらしく、それからすぐに猛スピードでやってきた睡魔にギブアップし、深夜に1人でホテルに歩いて帰りはじめた。酔っていたため、途中で道に迷ったらしく、近くの子供に片言のスペイン語で道を尋ねた。子供と話していると、すぐに複数の警察官がやってきたそうで、職務質問が始まった。気がつけば子供の姿は無く、ジェームズは何の説明もできないまま挙動不審で逮捕されたのだ(実話)。パトカーまで連行され、ボディチェックを受けたジェームズは警察官の言葉を聞いてビックリ。ATM機で現金を引きおろせというもので、ヤバイと思ったジェームズは、警察官らの隙を突いて、そこから一目散に逃げた。そして、しばらく走ったところで、身を屈めて隠れることにした。
元軍人の直感からか、隠れるという選択をしたジェームズだったが、運悪いことにイースターのために通りには人がほとんどおらず、同じ警察官に再び捕まってしまった。パトカーには先程の子供も乗っており、警官らは彼に「子供にいたずらしようとしただろう」と迫ってくる。ここでキレてしまったジェームズ、「どうせカネがほしいんだろ?」と財布の中にあった80ドルを警官の1人に差し出した。80ドルを受け取った警官は厚かましくも、「少し足りない」と言い出した。ジェームズはパトカーで自分のホテルまで行き、ツアーで来ていた僕の別の友人らから40ドルを借りて、部屋の外で待っていた警官に渡したそうだ。この警官は「グラッシャス」と一言残して、その場から消えたそうで、数日後にジェームズは無事にワシントンに帰ってきている。「運が悪かった」と言うジェームズ、昨日もいい飲みっぷりだった。
バチカンは6日に新法王の選出会議(コンクラーベ)を4月18日に実施すると発表したが、アメリカ人のカトリック観を表す興味深い数字が存在する。AP通信が先週末に全米の1000人を対象に行った世論調査では、カトリック教徒を含む回答者の多くが、現在のバチカンに改革が必要と感じており、死去したヨハネ・パウロ2世の後任に任命される新法王に改革を期待していることが明らかになった。アメリカ国内では数年前より全国のカトリック教会において、司祭が児童に対して行った性的虐待スキャンダルが続々と判明しており、その影響からか69パーセントの回答者(カトリックだけに限れば60パーセント)がバチカンが司祭の結婚を認めるべきと回答している。
また、回答者の64パーセント(カトリック教徒では60パーセント)が女性の司祭誕生をバチカンが認めるべきと回答しており、この2つの点でアメリカとバチカンの温度差が浮き彫りとなった格好だ。全世界のカトリック教徒は推定で10億人程度といわれ、アメリカ国内の信者数は約6500万人とされているが、アメリカ人のカトリック観の大きな変化に国内の学識者らは注目している。調査では、37パーセントの回答者(カトリックでは41パーセント)が次の法王はヨーロッパから選出されるべきと答えているものの、36パーセント(カトリックでは43パーセント)はカトリック人口の増加が著しい中南米やアフリカから選ばれるべきと答えた。
ヨハネ・パウロ2世について、U2のボノが月曜日にUSAトゥディ紙のインタビューに答えている。年々悪化するアフリカ諸国の債務取り消しを求めていたボノやハーバード大学のジェフリー・サックス教授(経済学)らは、1999年にクインシー・ジョーンズらと共に、1999年夏に法王が避暑地として使うイタリアのカステルガンドルフォを訪れている。法王を前にして、ボノらは子供のように興奮を隠せない状態だったそうだが、貧富の差が広がる現状に心を痛める法王の話を聞いた瞬間、すべての訪問者が涙したそうだ。法王は隣に座っていたボノのサングラスに興味を示し、それをボノ本人から手渡されると、実際にサングラスをかけて嬉しそうな笑みを浮かべたのだという。知られざる御茶目なエピソードもあったヨハネ・パウロ2世、どうか安らかにお眠りください。
マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディア研究所創設者であるニコラス・ネグロポンテ氏とエレーン夫人によって設立された財団は、開発国の児童向けに100ドルのノートパソコンを開発・製造する計画だ。開発はほぼ最終段階に入っており、すでに幾つかの国で試験運用が開始されている。電力がほとんど使えない状態にあるカンボジア農村部では、子供に渡されたノートパソコンから発せられる光が蛍光灯代わりにも使われているが、最終的には100ドルのノートパソコンで開発国児童の学力や可能性を引き出せればと財団では考えている。
100万台以上の大量生産が可能な段階に達したのち、ノートパソコンは各国政府に1台100ドルで販売される予定だ。同様の低価格ノートパソコンは2001年にインドでも開発されており、価格は220ドルに設定されたが、現在までの売り上げは散々たるものだ。しかし、ネグロポンテ氏らによる「一人の子供に1台のノートパソコン計画」に賛同する企業もあらわれ、メディア王ルパート・マードック氏やグーグル社などが開発費として200万ドルを出資している。ディスク容量や処理能力で新型のノートパソコンに全く及ばないものの、MITではすでに100ドルでノートパソコンが大量生産できる段階にまで達しており、計画はこれから最終段階に入るんだとか。
ボストン時代に御世話になった報道カメラマンの高橋邦典さんから久方ぶりのメール。現在はシカゴ・トリビューン紙のカメラマンとして文字通り世界中を飛び回っているクニさんだけど、初めて会ったのが2000年の秋だから、もう5年近く前のことだ。ワシントン・ポスト紙がウェブ上で2003年からイラク取材に携わっているカメラマン10人の作品を一斉に公開しており、スライド形式で画面上に現れる数々の写真にくわえて、各カメラマンの肉声コメントを聞くこともできる(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/photo/world/G1227-2005Mar25.html)。ボストン・ヘラルド時代に従軍取材でイラク戦争をカバーしたクニさんは、『ぼくの見たイラク戦争』という写真集も出しているが、久しぶりに見た彼のイラクでの写真に、僕は凄い衝撃を受けた。
3月末にメキシコシティにあるアステカ・スタジアムでサッカーW杯予選が行われ、メキシコがアメリカを2-1で下しているんだが、サッカーの試合以上に面白いエピソードがあったようで、ここに紹介することにする。今だから笑える話なんだけど、一歩間違えればという事もあったので、話を聞いた僕は最後まで苦笑するしかなかったんだけど…。数週間前のブログで、僕はワシントンのサッカーファンがグループでメキシコシティにワールドカップ予選を観戦しに行くと書いたが、このツアーグループには僕の友人も何人か含まれていた。メキシコへの旅支度を済ませた友人らは、「スタジアムではトラブルに巻き込まれないように気をつけないと」と語っていたんだが、トラブルはスタジアムの外で発生したんです。
知る人ぞ知る酒豪のジェームズ、試合後に他のツアー仲間とメキシコシティにあるクラブに行って酒を浴びるほど飲んだらしく、それからすぐに猛スピードでやってきた睡魔にギブアップし、深夜に1人でホテルに歩いて帰りはじめた。酔っていたため、途中で道に迷ったらしく、近くの子供に片言のスペイン語で道を尋ねた。子供と話していると、すぐに複数の警察官がやってきたそうで、職務質問が始まった。気がつけば子供の姿は無く、ジェームズは何の説明もできないまま挙動不審で逮捕されたのだ(実話)。パトカーまで連行され、ボディチェックを受けたジェームズは警察官の言葉を聞いてビックリ。ATM機で現金を引きおろせというもので、ヤバイと思ったジェームズは、警察官らの隙を突いて、そこから一目散に逃げた。そして、しばらく走ったところで、身を屈めて隠れることにした。
元軍人の直感からか、隠れるという選択をしたジェームズだったが、運悪いことにイースターのために通りには人がほとんどおらず、同じ警察官に再び捕まってしまった。パトカーには先程の子供も乗っており、警官らは彼に「子供にいたずらしようとしただろう」と迫ってくる。ここでキレてしまったジェームズ、「どうせカネがほしいんだろ?」と財布の中にあった80ドルを警官の1人に差し出した。80ドルを受け取った警官は厚かましくも、「少し足りない」と言い出した。ジェームズはパトカーで自分のホテルまで行き、ツアーで来ていた僕の別の友人らから40ドルを借りて、部屋の外で待っていた警官に渡したそうだ。この警官は「グラッシャス」と一言残して、その場から消えたそうで、数日後にジェームズは無事にワシントンに帰ってきている。「運が悪かった」と言うジェームズ、昨日もいい飲みっぷりだった。
バチカンは6日に新法王の選出会議(コンクラーベ)を4月18日に実施すると発表したが、アメリカ人のカトリック観を表す興味深い数字が存在する。AP通信が先週末に全米の1000人を対象に行った世論調査では、カトリック教徒を含む回答者の多くが、現在のバチカンに改革が必要と感じており、死去したヨハネ・パウロ2世の後任に任命される新法王に改革を期待していることが明らかになった。アメリカ国内では数年前より全国のカトリック教会において、司祭が児童に対して行った性的虐待スキャンダルが続々と判明しており、その影響からか69パーセントの回答者(カトリックだけに限れば60パーセント)がバチカンが司祭の結婚を認めるべきと回答している。
また、回答者の64パーセント(カトリック教徒では60パーセント)が女性の司祭誕生をバチカンが認めるべきと回答しており、この2つの点でアメリカとバチカンの温度差が浮き彫りとなった格好だ。全世界のカトリック教徒は推定で10億人程度といわれ、アメリカ国内の信者数は約6500万人とされているが、アメリカ人のカトリック観の大きな変化に国内の学識者らは注目している。調査では、37パーセントの回答者(カトリックでは41パーセント)が次の法王はヨーロッパから選出されるべきと答えているものの、36パーセント(カトリックでは43パーセント)はカトリック人口の増加が著しい中南米やアフリカから選ばれるべきと答えた。
ヨハネ・パウロ2世について、U2のボノが月曜日にUSAトゥディ紙のインタビューに答えている。年々悪化するアフリカ諸国の債務取り消しを求めていたボノやハーバード大学のジェフリー・サックス教授(経済学)らは、1999年にクインシー・ジョーンズらと共に、1999年夏に法王が避暑地として使うイタリアのカステルガンドルフォを訪れている。法王を前にして、ボノらは子供のように興奮を隠せない状態だったそうだが、貧富の差が広がる現状に心を痛める法王の話を聞いた瞬間、すべての訪問者が涙したそうだ。法王は隣に座っていたボノのサングラスに興味を示し、それをボノ本人から手渡されると、実際にサングラスをかけて嬉しそうな笑みを浮かべたのだという。知られざる御茶目なエピソードもあったヨハネ・パウロ2世、どうか安らかにお眠りください。
マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディア研究所創設者であるニコラス・ネグロポンテ氏とエレーン夫人によって設立された財団は、開発国の児童向けに100ドルのノートパソコンを開発・製造する計画だ。開発はほぼ最終段階に入っており、すでに幾つかの国で試験運用が開始されている。電力がほとんど使えない状態にあるカンボジア農村部では、子供に渡されたノートパソコンから発せられる光が蛍光灯代わりにも使われているが、最終的には100ドルのノートパソコンで開発国児童の学力や可能性を引き出せればと財団では考えている。
100万台以上の大量生産が可能な段階に達したのち、ノートパソコンは各国政府に1台100ドルで販売される予定だ。同様の低価格ノートパソコンは2001年にインドでも開発されており、価格は220ドルに設定されたが、現在までの売り上げは散々たるものだ。しかし、ネグロポンテ氏らによる「一人の子供に1台のノートパソコン計画」に賛同する企業もあらわれ、メディア王ルパート・マードック氏やグーグル社などが開発費として200万ドルを出資している。ディスク容量や処理能力で新型のノートパソコンに全く及ばないものの、MITではすでに100ドルでノートパソコンが大量生産できる段階にまで達しており、計画はこれから最終段階に入るんだとか。
ボストン時代に御世話になった報道カメラマンの高橋邦典さんから久方ぶりのメール。現在はシカゴ・トリビューン紙のカメラマンとして文字通り世界中を飛び回っているクニさんだけど、初めて会ったのが2000年の秋だから、もう5年近く前のことだ。ワシントン・ポスト紙がウェブ上で2003年からイラク取材に携わっているカメラマン10人の作品を一斉に公開しており、スライド形式で画面上に現れる数々の写真にくわえて、各カメラマンの肉声コメントを聞くこともできる(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/photo/world/G1227-2005Mar25.html)。ボストン・ヘラルド時代に従軍取材でイラク戦争をカバーしたクニさんは、『ぼくの見たイラク戦争』という写真集も出しているが、久しぶりに見た彼のイラクでの写真に、僕は凄い衝撃を受けた。