おきのえらぶ島 なんでも情報

鹿児島県沖永良部島の情報を思いつくまで備忘録として発信しています。多くのフォローをお願い致します。

#ふるさと納税返礼品事業者

まるとよ農産は【和泊町ふるさと納税返礼品事業者】 まるとよ農産2号店もよろしく! https://store.shopping.yahoo.co.jp/gurume-marutoyo/

キャベツの植え付け #キャベツ#自給野菜

2017-11-30 15:43:30 | 日記


今日はジャガイモ管理作業は一休み。


キャベツの苗植えをすることに。



種まきからポット苗の育苗まで自前で作った苗。




10月初め蒔いたタネは、台風21号被害で全滅。


予備に蒔いてあったタネも台風22号の倒木などで 今年のキャベツづくりを諦めていた。





倒木を除去し管理の甲斐あってポットに移植、畑に定植する迄に育ってくれた。





■定植前に牛糞堆肥と化成肥料を施肥した後、ジョロで水分をたっぷりかけ、鍬で土をよくかき混ぜる。(苗が肥料焼けしないように)





■ポットから苗を取り出し定植。(後日、追肥と土寄せが出来るように、窪みの中に植える)



早く植え付けしてくれ!と言わんばかりに、根っこがかなり伸びている。




■苗は虫もつかず良い苗が出来た。



■定植で気をつけたのは、根腐れしないよう ポットの土ギリギリで覆土をしました。



■最後に軽く苗周りの土を手で押し固める。



■最後にもう一度ジョロで水撒き。




午前中で約50本植え付けしました。

昨年よりかなり遅い苗植えになりましたが、1月下旬ごろから 新鮮キャベツが食べられるのが楽しみですねー


地元新聞は両陛下御訪問ニュース一色 #天皇御訪問#行幸啓

2017-11-17 17:46:40 | 日記


昨日初めて沖永良部島に来島された、天皇皇后両陛下様。



昨夕からテレビ報道、そして本日の地元新聞やテレビニュースも #天皇皇后両陛下御来訪 一色!







あいにく本日は 悪天候となり、与論島から約1時間早い沖永良部島帰りとなりましたが、車中から手を振られる両陛下様を拝顔する列は多かった。






昨夕、今朝、今夕と三度の奉迎をした方は 明日も小旗を振り拝顔したいとのことでした。




明日の天候回復を願います。

天皇皇后陛下様ご来島ありがとうございます。

2017-11-16 19:54:34 | 日記


午後3時半頃から 天皇皇后両陛下様の車列が通過する道路脇で車列通過を待った。




町からの字常会では、写真撮影禁止との伝達があり諦めてせめて最前列でお顔を拝顔したいと並んでいたら、応援の福岡県警のお巡りさんから「地元での説明で、写真撮影は禁止だと言われた方は手を上げてください、、」と言われ挙手した。



ところが、同警察官いわく、「これまで福岡でもご訪問があったが 撮影禁止は出ていなかった。
今回も我々には撮影禁止の指示は出ていないので撮影して下さい。

ただし、鹿児島県警が撮影禁止と指示すれば鹿児島県警に従ってください。これまで天皇皇后両陛下のご訪問で撮影禁止は一度も無かったと思う」

とのお言葉で みんなスマホを構えて 記録写真を撮り始めた。




どうして、国民の象徴天皇を撮影してはいけないのか、疑問符だらけでしたが もしかしたらカメラに見立てた銃などを警戒してのことかなぁと撮影を諦めていたが 福岡県警の頼もしい警察官の話術などで 小旗振りがリラックス出来た。




車列が通過した時の 町のひとびとの感激の声が今でも忘れられない。




天皇皇后両陛下御訪問を前に~終~#日付変更線#ツインタワー

2017-11-15 14:49:02 | 日記


(回顧録最終回)

10月、三木総理公邸で結団式を終え、私達の「短期北米班」は、麹町近くのホテルで2泊3日の最後の研修を行った。



10月のまだ暖かい #羽田国際空港 から我々団員を乗せたJALDC8機は、午前10時過ぎにアンカレッジ空港経由ワシントンへと飛び立った。




羽田空港から #アンカレッジ国際空港 迄の所用時間は約6時間。


羽田を飛び立ち三時間もすると日付変更線を超えるので時計の針を修正して下さい、、との機内アナウンス。


そして、豪華な夕食の機内食。
分厚いステーキにワインを一杯配られ上空1万メートルの機内食を堪能した。




現地時間午前0時頃、アンカレッジ国際空港に近づくにつれ #北極のオーロラが出現し見入り写真撮影をするも、乱気流に巻き込まれ 飛行機はストーンと約300メートルエアーポケットで急降下。

手に持っていたカメラは空中に浮き上がり 怖さで心臓はパクパク。




羽田を出て約6時間後、飛行機はアンカレッジ空港に到着。給油中、入国審査の為機外へと誘導された。
気温は何と0度。半日のうちに秋と真冬を体験した。



アンカレッジ空港からはワシントンまで約13時間の飛行。

アンカレッジ空港から離陸し暫くすると朝食が出た。そしてワシントン郊外の空港に到着すると
現地時間のお昼。 時差ボケか頭がボーとする。

近くの食堂でランチを取り、ホテルに投宿。



早速親善訪問のスケジュール通りの、領事館ご挨拶などをこなした。






夕方は、ホテル近くのレストランで分厚いステーキ。結局、東京で朝食、機内で夕食と朝食、ワシントンで昼食と夕食。



1日に5食も食べている。

■アメリカのベッドは広かった


アメリカでは、高校生らとの親善交流、ニューヨーク マンハッタン、スラム街、世界の金融を動かすウオール街、ジョージワシントン記念館やアメリカ議会議事堂、ボランテァ団体との交流、ナイアガラの滝、当時世界一のビルと言われた、エンパイヤステートビル、貿易センタービルや自由の女神、国連ビルなどを案内してもらった。






(航空機テロで無くなったツインタワー)


又、ホームステイの体験も行わせてもらった。





当時日本ではまだ原子力発電が国民に知れ渡っていない頃で、アメリカの原子力発電研究所で原子力発電の仕組みなども教えてもらった



■アポロ11号(実物)







アメリカの次の訪問地はカナダ。


カナダでは、オタワ、トロントなどを中心に大学生などとの交流や日本の領事館訪問などが中心。


(カナダの大学生活との交流会)


(カナダ議会議事堂視察)


(アメリカとカナダにまたがる、ナイアガラの滝)

カナダの大学生との英会話がうまく出来ず コミュニケーションが取れなかったことが今でも残念である。もう少し学校で英語を勉強しておけば さらに楽しい会話になっただろうに、、と。



当時世界一のタワーと言われた、#トロントCNタワー (555.33メートル)の展望台は透明のガラス張りになっており下を見下ろすのも足がガクガクであった。




カナダから、ロスアンゼルスに一泊し、ジャンボ機でハワイ ホノルル空港経由で羽田空港に無事帰国。






■カナダ訪問記念にと自宅に電話をしたら何と
1分千円以上も。




帰国翌日は、皇太子皇太子妃殿下様に帰国のご挨拶。

短期北米班長が皇太子殿下に 米国カナダ訪問のご報告を行い皇太子殿下、同妃殿下は笑顔でうなづきつつ耳を傾けていらっしゃいました。






その後は、一人一人の団員にお言葉を述べられ感想をお聞き下さいました。





いよいよ、明日 その当時の皇太子殿下同妃殿下が、天皇皇后両陛下として、沖永良部島を御訪問なされる。


皇太子時代を含めると、平成15年の奄美群島日本復帰50周年記念式典、そして今回の行幸啓を合わせて3回も拝顔出来ることをとても幸せに思います。



皇太子殿下御成婚が昭和34年とすれば、既に #金婚 を超え約58年も連れ添われていらっしゃる計算。


どうぞ これからもお身体に気をつけられて 元気でご長命をご祈念申し上げ、拙い回顧録を閉めさせていただきます。

皇太子殿下同妃殿下の御成婚あればこそ国際親善派遣団として総理公邸、米国、カナダなど親善訪問など貴重な体験を得ることが出来ました。

合わせて感謝申し上げます。

(拙い回顧録を長々と書きましたがお読み下さいました皆様 ありがとうございます。

【追記】

沖永良部島から、事業名称は変わっても青年海外派遣事業や海外協力隊などに参加してきた方は沢山いらっしゃいます。
その方の体験談も必ず興味を覚える事でしょう。

天皇皇后両陛下様御来訪を前に③ #虎ノ門#三木総理#総理公邸

2017-11-14 15:01:35 | 日記

(回顧録)

英会話が得意でも無い私が、少しの機転を利かし面接に臨んだ結果が 県代表内定へと繋がった。


(このことは、後々私が臆すること無く何にでもチャレンジする気持ちになれた良いきっかけにもなったのは言うまでもありません。)

(学問が優っている事より、その場の雰囲気を読み取る機転が人生を左右する大きな要素になり得る事もあり、社会生活や就職活動などでは、その場の空気を読み取る力を備えることは大切だと思います。)


さて、当時の皇太子殿下御成婚を記念した、海外派遣のコースは数種類ありました。

私達のように短期間の派遣コースは飛行機。
約1ヶ月かけて南米やヨーロッパ、東南アジアなどを研修するコースは船の旅。

そのような全派遣団を一堂に集めて、2次選考を兼ねて行われたのが #国立中央青少年交流の家 での約1週間の研修でした。





ここでは、各班ごとに分かれて実際に海外訪問時の役割分担を決めて毎日想定実践や、コミュニケーション作り、政府や大学講師による訪問国の経済 内政 人権問題などの講義を受けた。



研修最終日の夜は、全派遣団グループが集まりアトラクションで楽しい夜を迎え いよいよアメリカ カナダへの道が近づいた事を皆で喜び合ったものだ。




そんな、楽しい時間を過ごしている中、私宛ての電話があり、事務室で受話器を受け取ると 島で寝たきり療養中の祖父の死の知らせだった。

父は、電話の向こうから「心配しないでいいから最後まで研修を受けて来なさい」との事。

結局、祖父の葬儀にも参列する事なく富士山の山麓の国立中央青少年交流の家での研修を無事に済ませ帰島した。



その後、東京虎ノ門で最終選考を兼ねた研修会があり参加した。

残念ながら全派遣団の中から、2名の脱落者が出た。

団員から外された理由は、国立中央青少年交流の家で、禁じられていた歩行禁煙が見つかり注意したところ、ポケットから簡易灰皿を持ち出し「灰皿は持参しています」の一言。禁止行為をする事は団体行動者として不適格であり 団員内定を取り消した、、との事でした。その他の内定者は全員晴れて、国代表の親善団員として認定された。


そして10月

三木総理大臣公邸で、結団式が行われ各班に団旗が渡され記念写真ラッシュに喜びが大きく膨らんだ。








(右上赤のネクタイが管理人)



(続く)
閲覧者で当時の団員がいらしたら、ご連絡お待ちしています。





天皇皇后両陛下様御来訪を前に②#英会話面接#国立中央青少年交流の家

2017-11-13 11:01:54 | 日記




■前回投稿の続き。(拙い回顧録です。)


私が応募した、「短期北米班」には、県庁職員 市役所職員そして学校教員など約50名が一名枠に応募しており 面接会場で 彼ら彼女らの経歴を知り「やはり選考されるのは無理だな!」と 事前審査を前に諦めが先行した。




選考面接会場は、当時の県庁前にあった「自治会館」


面接には、①一般面接 ②英会話面接の二つ。

総合面接では約10名近くの審査面接官が並び、応募の動機や現在の地域青年団活動やボランティア活動への参加状況を始め、海外の若者に日本のどのような所をアピールしたり、帰国後の地域活動とどのように関わっていきたいか、、などなど。


面接官の一人に、町連合青年団活動の一環として
県主催の青少年研修センター(正式名称は忘れましたが)に参加した時、私の受け持ちの先生がいらっしゃり、その時の講義の内容に似通った質問を多く出された事が 面接回答に大いに役立ったと当時思ったものだ。


一般面接が終わり、いよいよ英会話面接。


幸いにも私の順番は30数番

先に英会話面接を受けた県庁職員や学校教員が「面接の途中で返された!」と 最後まで面接をしてもらえなかった事などと周りに話しているのが聞こえた。

次の方も「面接途中で、面接官の質問内容が不明瞭な部分があり、日本語で再度お願いします!と言った途端に、面接は終わった お帰りください」と言われてしまった、、


その時私の頭をかすめたのが「英会話面接だから、入室から退室まで全て英語を使う必要があるんだ、わからない時は片言でもいいから英語で尋ねよう」と英会話面接に臨んだ。


ドキドキしながらの片言英語での面接室へのノック。そして 面接官のプリーズシットダウン。私、サンキュー。


質問が始まり、片言ながら対応していた時、「質問内容は私の応募書類を見ているんだ!」と気づき、次の質問も提出した応募書類の順番どおりだったので シメタ!と思い 何とか最後まで面接をしてもらう事が出来たのです。

おまけに、面接官から 「この場合は、この単語よりこの単語の方がよりいいですよ」とアドバイスまでいただいた。


応募者が待ってる待合室では、「アンタ長かったね 途中で返されなかった?」と不思議がられたのが今でも脳裏に焼き付いている。


さ〜て、面接は全て終わったし 落選だろうから鹿児島でユックリ遊んで帰ろう。と姉夫婦の自宅を訪ね3泊後に帰島。


我が家に着いた途端、両親から 役場から何度も連絡があったのですぐに連絡しなさい!との事。

教育委員会の担当職員に連絡をしたら「北米班の県代表に内定したから、名瀬の総合病院で健康診断を直ぐに受けて診断書を提出するよう」と指示され 帰島の日に又健康診断を受ける為 上りの船に乗ることになった。



そして、全国各地から集まった内定者らと富士山麓にある #国立中央青少年交流の家 で1週間の合宿研修に参加することになった。


(前列のしゃがんでるのが私)





(短期北米班メンバー)


(国立中央青少年の家は、昭和34年、現在の天皇陛下が皇太子殿下時代、美智子様との御成婚を記念して設置された 我が国では初めての国立の青少年教育施設)



(続く)
当時同じ班だった方が本ブログを閲覧していたらご連絡お待ちしています。





天王皇后両陛下様御来訪を前に①#皇太子#東宮御所#短期北米班

2017-11-11 22:20:27 | 日記


天皇皇后両陛下様の行幸啓によるご来訪まであと数日、、



タンスで眠っていた、40数年前のアルバムを探したら 見つかった。





私が、本土からUターンし間もなく青年団活動をしている頃、地区のおじさんから「アメリカに行ける研修があるが試験を受けてみないか?」と言われた。


そのおじさんは、町の区長会経由 字常会での伝達事項を教えてくれたのだ。


興味があったので、役場の主管課だった #社会教育課 公民館担当に詳しく話を聞きに行った。


本研修は、皇太子様のご成婚を記念して設けられたもので、海外の青年達と日本の若者が交流を通して #親善 を行いお互いの国を理解し、帰国後は地区のリーダーと活躍する事、、などが主な目的となっていた。


私が参加した、飛行機による米国カナダを2週間で訪問する「短期北米班」は 北陸関東以南の各県から1名の狭き枠であった。

役場の担当者からは、「英会話Dレベルが必要」と言われ諦めることにし帰ろうとしたら、担当者曰く「落ちて元々、受けてみたら今後の人生に役立つかもよ」の一言で 鹿児島旅行を楽しむつもりで受験することにした。


■当時の皇太子ご夫妻を囲んで(東宮御所)

右下の後ろ姿が私です






(明日に続く)

行幸啓が近づいてきました #行幸#行幸啓#還幸啓

2017-11-09 07:55:46 | 日記

おはようございます。久々の投稿となります。

天皇皇后陛下様の 鹿児島県内への行幸啓日程が近づいてきました。

沖永良部島でも警備や訓練・交通規制などのお知らせが毎日のように防災無線で

伝えられています。

 

天皇皇后陛下の、ご在位中の沖永良部・与論島などへの行幸啓はおそらく最後となるでしょう

ご来島の11月16日から18日の #沖永良部空港御発 まで沿道で歓迎の一員として

拝顔できたら・・と楽しみにしています。

 

さて、行幸啓とは・・・・ に関する意味を調べてみました。

「行幸」とは、皇后皇太后皇太子皇太子妃の外出を行啓(ぎょうけい)と呼び

単に「行幸啓」といった場合は、天皇と皇后が一緒に外出することを指す場合が多いとのこと。

行幸啓した皇族が外出先から帰ることを還幸(かんこう)、還啓(かんけい)、還幸啓(かんこうけい)との

ことらしいですね。 またひとつ勉強になりました。

(参照 ウィキペディア 等)

 

テレビニュースなどによると、今回の行幸啓でお立ち寄りになられる島々は

#屋久島 #沖永良部島 #与論島・・・ とのこと。

天候に恵まれ、各地で熱烈歓迎を受けられることをご祈念申し上げます。