(回顧録最終回)
10月、三木総理公邸で結団式を終え、私達の「短期北米班」は、麹町近くのホテルで2泊3日の最後の研修を行った。
10月のまだ暖かい #羽田国際空港 から我々団員を乗せたJALDC8機は、午前10時過ぎにアンカレッジ空港経由ワシントンへと飛び立った。
羽田空港から #アンカレッジ国際空港 迄の所用時間は約6時間。
羽田を飛び立ち三時間もすると日付変更線を超えるので時計の針を修正して下さい、、との機内アナウンス。
そして、豪華な夕食の機内食。
分厚いステーキにワインを一杯配られ上空1万メートルの機内食を堪能した。
現地時間午前0時頃、アンカレッジ国際空港に近づくにつれ #北極のオーロラが出現し見入り写真撮影をするも、乱気流に巻き込まれ 飛行機はストーンと約300メートルエアーポケットで急降下。
手に持っていたカメラは空中に浮き上がり 怖さで心臓はパクパク。
羽田を出て約6時間後、飛行機はアンカレッジ空港に到着。給油中、入国審査の為機外へと誘導された。
気温は何と0度。半日のうちに秋と真冬を体験した。
アンカレッジ空港からはワシントンまで約13時間の飛行。
アンカレッジ空港から離陸し暫くすると朝食が出た。そしてワシントン郊外の空港に到着すると
現地時間のお昼。 時差ボケか頭がボーとする。
近くの食堂でランチを取り、ホテルに投宿。
早速親善訪問のスケジュール通りの、領事館ご挨拶などをこなした。
夕方は、ホテル近くのレストランで分厚いステーキ。結局、東京で朝食、機内で夕食と朝食、ワシントンで昼食と夕食。
1日に5食も食べている。
■アメリカのベッドは広かった
アメリカでは、高校生らとの親善交流、ニューヨーク マンハッタン、スラム街、世界の金融を動かすウオール街、ジョージワシントン記念館やアメリカ議会議事堂、ボランテァ団体との交流、ナイアガラの滝、当時世界一のビルと言われた、エンパイヤステートビル、貿易センタービルや自由の女神、国連ビルなどを案内してもらった。
(航空機テロで無くなったツインタワー)
又、ホームステイの体験も行わせてもらった。
当時日本ではまだ原子力発電が国民に知れ渡っていない頃で、アメリカの原子力発電研究所で原子力発電の仕組みなども教えてもらった
■アポロ11号(実物)
アメリカの次の訪問地はカナダ。
カナダでは、オタワ、トロントなどを中心に大学生などとの交流や日本の領事館訪問などが中心。
(カナダの大学生活との交流会)
(カナダ議会議事堂視察)
(アメリカとカナダにまたがる、ナイアガラの滝)
カナダの大学生との英会話がうまく出来ず コミュニケーションが取れなかったことが今でも残念である。もう少し学校で英語を勉強しておけば さらに楽しい会話になっただろうに、、と。
当時世界一のタワーと言われた、#トロントCNタワー (555.33メートル)の展望台は透明のガラス張りになっており下を見下ろすのも足がガクガクであった。
カナダから、ロスアンゼルスに一泊し、ジャンボ機でハワイ ホノルル空港経由で羽田空港に無事帰国。
■カナダ訪問記念にと自宅に電話をしたら何と
1分千円以上も。
帰国翌日は、皇太子皇太子妃殿下様に帰国のご挨拶。
短期北米班長が皇太子殿下に 米国カナダ訪問のご報告を行い皇太子殿下、同妃殿下は笑顔でうなづきつつ耳を傾けていらっしゃいました。
その後は、一人一人の団員にお言葉を述べられ感想をお聞き下さいました。
いよいよ、明日 その当時の皇太子殿下同妃殿下が、天皇皇后両陛下として、沖永良部島を御訪問なされる。
皇太子時代を含めると、平成15年の奄美群島日本復帰50周年記念式典、そして今回の行幸啓を合わせて3回も拝顔出来ることをとても幸せに思います。
皇太子殿下御成婚が昭和34年とすれば、既に #金婚 を超え約58年も連れ添われていらっしゃる計算。
どうぞ これからもお身体に気をつけられて 元気でご長命をご祈念申し上げ、拙い回顧録を閉めさせていただきます。
皇太子殿下同妃殿下の御成婚あればこそ国際親善派遣団として総理公邸、米国、カナダなど親善訪問など貴重な体験を得ることが出来ました。
合わせて感謝申し上げます。
(拙い回顧録を長々と書きましたがお読み下さいました皆様 ありがとうございます。
【追記】
沖永良部島から、事業名称は変わっても青年海外派遣事業や海外協力隊などに参加してきた方は沢山いらっしゃいます。
その方の体験談も必ず興味を覚える事でしょう。