第2回景観セミナでは、高岡氏の「景観には意図的な観点も
含まれることがあるので注意が必要だ」という意見から
始まった大切な議論があった。
中村氏・槙林氏が解題した“From Landscape Research to
Landscape Planning –Aspects of Integration, Education and Application”
の第3章と第4章では、政策決定として景観を如何に
プランニングしていくかも内容にあがっていた。
その場合、景観を認識する主体があり、
それが能動的に景観評価さることが学術的に問題となった。
これ自体は、都市計画や景観プランニングの
世界で必要な理論や方法論である。
しかし、景観形成史学を行う場合には、まず「景観」に予め、
ある評価が存在していいのだろうか。
この点は、学問として非常に重要な指摘であると私も思う。
対象とする過去の景観に、いいか悪いかを論じてしまう方向性ではよくない。
どんな景観があり、それがどのように形成されたのか。
どのような形成過程をたどってその景観にいたったのか。
これをいろんな視点から解明していくことが私たちの視座であろう。
その視点、つまり学問領域が多様であるからこそ、
新石器化と現代化という画期を鍵にして、
多角的に論じる方法をより明確にしていく必要があろう。
そのための糸口を、この景観研究会で見いだせればと思う。(makiba)
含まれることがあるので注意が必要だ」という意見から
始まった大切な議論があった。
中村氏・槙林氏が解題した“From Landscape Research to
Landscape Planning –Aspects of Integration, Education and Application”
の第3章と第4章では、政策決定として景観を如何に
プランニングしていくかも内容にあがっていた。
その場合、景観を認識する主体があり、
それが能動的に景観評価さることが学術的に問題となった。
これ自体は、都市計画や景観プランニングの
世界で必要な理論や方法論である。
しかし、景観形成史学を行う場合には、まず「景観」に予め、
ある評価が存在していいのだろうか。
この点は、学問として非常に重要な指摘であると私も思う。
対象とする過去の景観に、いいか悪いかを論じてしまう方向性ではよくない。
どんな景観があり、それがどのように形成されたのか。
どのような形成過程をたどってその景観にいたったのか。
これをいろんな視点から解明していくことが私たちの視座であろう。
その視点、つまり学問領域が多様であるからこそ、
新石器化と現代化という画期を鍵にして、
多角的に論じる方法をより明確にしていく必要があろう。
そのための糸口を、この景観研究会で見いだせればと思う。(makiba)