nekomitu日記

ポンコツ日記

人の本質

2016-05-17 22:07:12 | 日記



4月16日は私にとって忘れられない日になった。

熊本を突然襲った震度7強の地震…深夜地面からドドド…っと地鳴りと共にいきなりドーンと突き上げられた次の瞬間…眠っていたベットから、身体は跳ね上げられ、立っていられないいほどの激しい横揺れ…

家中の物が音をたてて倒れる…割れる…TVと携帯の警報がけたたましく鳴り響く…

同時に停電で真っ暗に…暗闇の中、硝子の破片の上を、「早く外へ逃げなさい!荷物はお母さんが持ってくるから!」と手元に用意していた貴重品だけを探し必死で外へ逃げ出す…何が起こっているのか?まるでパニツク映画を見ているかのような現実離れした状況下に声を失った…

生後3ヶ月の赤ちゃんを抱いて娘は泣き叫び震えパニック状態…とにかく車に乗せ、一人暮らしの母親を助けに向かい、近くの避難所へ逃げた…。私たちは被災したんだ…と冷静にわかったのは、車中泊2日目の早朝の事だった…。

車中泊していたのは大きな病院の駐車場…そこに全国各地からドクターカーや災害救助隊が続々と入ってくる…上空をドクターヘリが何度も飛ぶ…。救急車のサイレンが鳴り響く…度々襲ってくる余震…

ライフラインは止まり水さえない…食料も…このままどうなるのか…生きていけるのか?目の前は真っ暗だったが、日々送られる来る励ましのメールや電話…そして、孫のミルクやオムツを心配してくださる方々…心の中で

「絶対に負けない…」そう思った時、不思議と力が湧き回りの事が見えるようになった…依然怯え続ける娘…守べき小さな命があるからです…。

傍らで小さな命は何も分からず笑っているのです…

私自身も口には出さなかったが、持病が悪化し身体中に痛みが走る…車中泊が続き心身ともに限界に来ていたが、私たちよりもっと最悪な状況下で頑張っている人達がたくさんいる…そう思ったら「生き抜く」という事にがむしゃらになっていた。

一人しかいない娘と孫の命を、私の命に代えても守る…と覚悟を決めた時、自分がやるべき事が見えてきた…。

私は娘や孫、母親が少しでも安心できるように、冷静に行動し、そして何より笑って励まさなければならない…強く構えなければ…そう思った…。不思議と心は穏やかだった…。

そんな折、自身も被災者であるのに、私たちのために必死にボランティアをしてくださる学生の姿、医療関係者の方々…自衛隊の方々の姿を見て手を合わせて感謝の念でいっぱいになった…

一方で、そんなボランティアの方々に不満をぶつけたり…怒鳴ったり…我先にと人を押し退けたり…かと思うと、ありがとうございます…と頭を下げ言葉をかける人、私たちは大丈夫だから他の方へ回してください…と譲る人…手を合わせて感謝するご老人…

人の本質を目の当たりにする局面がたくさんありました。


皆不安と絶望的な状況下で、当たり前だと思っていた事が何一つ出来ない…

選択を迫られる時…パニックに陥ったとき…色んな局面がありましたが、

そういう局面で、その人の本質が見事に現れるものです…。

普段の態度や素行からは窺い知れない…本当の姿を目にすることがあるのです…。

あんなに普段は優しくて親切な人が、追いつめられた状況に陥ると
冷酷で、自分さえ良ければという欲深い本質を見せたり…

いつもは明るく、面倒見の良い人が、パニックに陥ると不機嫌な顔で、人を見下したような言い方で相手を怒鳴ったり…。

普段は責任感のある言動やリーダーシップを発揮している人が
トラブルや困難な状況に陥ると保身に走り、人のせいにして、知らんふりして逃げ出してしまったり…などなど

きっと本人でさえ
その本質に気づいてないと思います。

その人の本質って、追いつめられたり、困難な状況、局面で初めて現れてくるのです…。

実は、私も決して例外ではありません。精神的に追い詰められた状況や局面で出てくる自分の本質に
愕然としたことすらあります…。

人の本質を目の当たりにし、自分の本質に愕然とした…そんな経験から、私は一つの習慣を身につけました。
それは…


最悪の状況や局面に陥った時、
もう一人の私が自分自身に問いかけるのです。

そうする事によって、自分の本質は本質として受け容れた上で
冷静に物事を捉え、考え、対処することが出来るようになったのです。

自身の本質を受け容れ、冷静に対処できるか?それこそが、本当に人として問われるところではないかと思ったからです。

そして、新たな自分の本質を形成するために、とても必要なことだと思っています。

追いつめられた状況や困難な局面に陥り、自分の本質に気づかされた時こそ自身にこう問いかけています。

「この判断は人として正しいのか?」

「この行動は自分本意ではないか?自己満足ではないか?」

「自分の利益だけを考えてないか?」

「今の言動は感情的で冷静さを欠いていなかったか?」

「問題の本質から目を逸らしてないか?」

「逃げてないか?」「誤魔化してないか?」

「いい人に思われたいと思ってないか?」

全てに正しい答えがある訳ではありませんが、もしも本質が露呈してしまったときは、自分を責めたり後悔するのではなく、あぁ…又やってしまった…と認め、そして改める、又は謝る、そして、善処する…といった事を繰り返せばよいと思っています。

そしてもうひとつ…

例えその人の本質が見えて愕然としたとしても、その事を批判しないその人を否定しない…罵倒しない事を心がけていますが、一方で

あまりにも度を越えた自分本意な言動が見えたり、自分の大切にしている人を傷つけたりするような行為に対しては、見てみないふりをしたり、無かったことにすることは出来ない…妙な真っ直ぐさも自分の本質として弁えています。

いずれにしても、今回の震災で、改めて自分自身の本質、想い、大切な人が誰なのか?大切な事は何なのか?誇りって何なのか?思いやりって何なのか?絆って何なのか?わかったような気がします。

如何に人に迷惑をかけず、頼らず自分達に出来ることは、自分達でやる…自分達が力になることがあるならば率先して力になる…最低限の物で慎ましく生活する…

最悪と思える状況下でも、何らかの希望や光を見いだす…できるだけ明るく笑顔でいること…今日生かされていることに感謝する…そう家族で話した時間がありました…。

車中泊の一週間そして、余震や警報に怯え夜を過ごす…早く夜が明けてほしいと願いながら、大切な人と大切なことを話す尊い時間でした…。