3月9日は、レミオロメンの名曲(2004年、メンバー3人の共通の友人の結婚を祝う楽曲)
今日10日は「東京大空襲」、そして明日、11日は「東日本大震災」から4年・・・
「東京」は、1944年(昭和19年)11月14日以降、106回もの空襲を受けた
その中でも、死者数が10万人以上と著しく多い1945年(昭和20年)3月10日は特別、
この日だけでも罹災者は100万人を超えたと云われている。その日から70年が経った
それから66年後の2011年(平成23年)3月11日午後14時46分
宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの太平洋の海底を震源とする大きな地震が発生した
その地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0、観測史上最大の地震だった
2015年1月9日時点で、この震災による死者・行方不明者は18,483人
また、建築物の全壊・半壊は合わせて401,567戸という
さらに、昨年末時点の避難者等の数は233,512人・・・避難が長期化していることが判る
近代、我が国は幾度も「大きな危機」に直面してきた
東日本大震災における〝原発問題〝は別として、数々の危機を乗り越え、復興を遂げてきた
これを可能とした精神こそが「もののふ」だと思う
もののふ・・・とは、モモクロの熱狂的なファン「モノノフ」ではない
武士には、「ぶし・もののふ」という2つの読み方がある
つまり「もののふ」とは、武士を意味する大和言葉であり、主君に使える雄者というより、
武士として守らなければならない道・武士道といった意味をもつ
「自分の値打ちは自分で決めろ」
「最後は自分の命で責任を取れ」
「死ぬ気になれば大抵のことはやれる」
こうした価値観こそが「もののふ」の典型的な思想であり、日本人の精神(大和魂)だ
つまり、「もののふ」とは道徳的な作法であり、成文化されたものではない
江戸しぐさのように、親兄弟から、隣近所の頑固オヤジたちから、そして先輩から・・と、
長い年月を経て、口伝で伝えられてきた「日本人としてあるべき姿」だ
諸外国では「宗教教育」を通じて道徳的な考え方が指導されているという
我が国にはこうした特定の「宗教教育」などない
しかし、世界中のなかで「日本人の道徳感」が高く評価されているのはなぜか
それは「もののふ」の精神であり、多くの場合「躾(しつけ)」として叩き込まれてきた
躾とは、時に体罰も必要あり、口頭で叱る!など当たり前
こうした厳しさ(痛さ)がなけりゃ人は反省などするわけがない!
ただ、断っておくが、「躾」と「虐待」を混同しちゃいけない
子供に、「良し悪しの判別」をつけさせるのは親の責任であり、社会の責任でもある
昔はおせっかいな連中がやたら多かったような気がする
また、街(町内)には、ガキ大将がいて、善いことも悪いことも教えてくれた
スマホの時代に「もののふ」とは時代錯誤も甚だしい話かもしれない
しかし、「もののふの精神」が我が国の発展に貢献してきたことは間違いない
無免許を自撮りして逮捕されるやつ。簡単に人殺しするやつ・・・
信じられない、言葉も出ないようなバカげた犯罪があまりにも多い・・なにかが狂ってる
いま日本人に一番欠けているのは「躾」・・・そう、オイラは強く思う
遡ること115年前、同じような危機感をもった人がいる。5千円札の新渡戸稲造だ
彼は、「武士道」を著して世界に日本の侍の生き様と考え方を紹介した
「花は桜木、人は武士」
日本人の美的感覚に訴えるものの代表に「桜」がある
桜を愛でる心は、西洋人がバラの花を愛でる心と通い合えるところはほとんどない
まず、バラには桜が持つ純真さが欠けている。さらに、甘美さの裏にトゲを隠している
桜はその裏にトゲを隠し持っているようなことはない
そして、バラは散ることなく茎についたまま枯れ果てる。それはあたかも生に執着し、
死を恐れるかのようである
しかし、桜の花は散る。自然のおもむくままに、散る準備ができている
その淡い色合は華美とは言えないが、そのほのかな香りには飽きることがない
このように美しく、はかなげで、風で散ってしまう桜・・・
こうした感性が育った土地で、武士道が育まれたのもごく自然なことだった・・・
時代は変わっても「日本人の精神」は変えちゃいけない・・そうオイラは思う
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