平家物語の冒頭、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし・・・
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ
無常といえば、先の『平家物語』の冒頭、若しくは、アンルイスの「あゝ無情」が頭に
浮かんでくるが、桜と日本人の心・・については、多くの学者が「諸行無常」と重ねあわせ、
センチメンタル、かつ、マイナス的なものとして、捉えがちである
つまり、「生あるものは必ず死ぬ」「形あるものは必ず壊れる」という解釈
しかし、本来、諸行無常とは、その事実を受け入れて、なおかつ前向きに生きていこう!
ということだとオイラは感じている
これは、博多の祇園山笠をはじめ、全国各地で執り行われる「祭事」にも似ている
祭りのために1年をかけて準備をする。そして、祭りが終わった瞬間の達成感、そして、
それ以上の虚脱感・・・
しかし、翌日から次の祭りのカウントダウンが始まる「祭りまであと364日!」みたいな
これを毎年繰り返している。桜に対する日本人の思い入れもこれによく似ている
次に対する期待感と言うより、なんとも表現しにくいワクワク感!
なぜこんなに日本人は桜を好むんだろうか?
まずは、何と言っても満開の見事さにあると思う。祇園山笠で言えば「動」にあたる
櫛田入り。とにかく豪華で迫力がある!
次に、散り方の見事さ!散る様を花吹雪と呼ぶのは、けっして大げさな形容ではない
大木の桜花が、一陣の風に吹かれて散るときに立ち会うと、それが納得できる
山笠で言えば「静」にあたる鎮めの能にあたる。動から静へ
花期が短く、一斉に散る!これは桜独特だ。桜の花の短命さは昔から意識されてきた
博多の山笠も、午前4時59分に1番山が櫛田入りを開始、それから間もなしてく空が
明るくなってくる。7つの山が博多の町を駆け抜け、ゴール地点へ
余韻に浸る間もなく、それぞれの山は流れの山小屋へと帰っていき、西流れのように、
その流れによってはすぐさま山の解体(取り壊し)が行われる
そして、朝の出勤時間を迎えるころには祭りの跡形などどこにも存在しない
あの喧騒が嘘のように。シーンと静まり返っている・・幕切れに対するこの潔さ
古来より、紀友則、在原業平、西行など、平安時代の歌人がみな桜の短命さを嘆いてきた
それも、桜の花が見事であればあるほどに・・・
しかし、桜の短命さが日本人の国民性に合っている。それは、短期に咲いて汚れないうちに
散るという感覚が、「水に流す」ことを是とする日本人の感覚にとても合うからだ
近年、桜をタイトルにした楽曲もたくさんあるが、その曲の多くが「散るサクラ」がテーマ
コブクロは、♪桜の花びら 散るたびに 届かぬ思いがまたひとつ・・・
2015年、できれば青空のもとで桜吹雪を見たかった・・
しかし、気まぐれな天気だけにオイラの思いだけではコントロールのしようがない!
寒の戻り、そして、雨にうたれて散っていく桜・・・
どんな状況であれ、見方を変えれば桜の花の在り方は、日本人の感性に美しく映る
仮に、隣家に桜の花びらが舞い込んだとして、だれも文句などいわない
昨日、久しぶりにアクセス数が急増した!!
これも散った桜の美しさがわかる!こうした粋なひとが沢山いるからと感謝している
日本人だけが持っている美意識、感性・・・大事にしたい
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