濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

祝!!ユネスコ無形文化遺産登録

2016年12月02日 | ひとりごと・・
暗いニュースが多いなかで、山・鉾(ほこ)・屋台の巡行を中心とした各地の祭礼行事が、
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されることが決定した

いずれも、地域社会の安泰や災厄防除を願って執り行われる重要な祭礼行事であり、
その主役となる山・鉾・屋台は、各地域の文化の粋を凝らした華やかな飾り付けが特徴だ

こうした山・鉾・屋台は、木工や金工、漆、染織など、伝統的な工芸技術もさることながら、
その祭礼に向け、地域の人々は年間を通じて準備や練習に取り組んでいる

ユネスコは、このように「山・鉾・屋台行事」が、日本各地域で世代を超えた多くの
人々の対話と交流を促進し、コミュニティーを結び付ける重要な役割を果たしている!
そう高評価し、この決定に至ったと聞き、ユネスコも粋なことするね~~と感心しきり

今回登録されたのは「京都祇園祭の山鉾(やまほこ)行事」や「博多祇園山笠」など33件
なかでも、博多祇園山笠と密接な係わりがあるオイラにとって本当に嬉しいこと!!
そこで、京都祇園祭と博多祇園山笠について少しだけ触れてみたい・・・



京都祇園祭
863年(貞観5年)、都で疫病の流行を治める御霊会が執り行われた
6年後の869年(貞観11年)、全国の国の数を表す66本の矛(鉾)を立て、
神輿3基が巡行した。この年の御霊会が祇園祭の起源とされている



博多祇園山笠
一方、博多祇園山笠の起源には諸説がある。櫛田神社の社伝によると、祭神のひとつである
祇園大神(素盞嗚命)を勧請したのが天慶四(941)年。前述したように、すでに都では、
祇園祭につながる御霊会が行われており、勧請間もなく始まったという説である

しかし、博多祇園山笠振興会は、一般に広く知られている聖一国師が仁治二(1241)年、
疫病除去のため施餓鬼棚に乗って甘露水をまいたのが始まりという説を取っている

こうしたことから、2016年「博多祇園山笠」は、「775回目」の山笠。2018年(平成30年)、
ちょうど“777(トリプルセブン)”という節目!?の年であり、2018年、栄えある
一番山笠は「西流」がその重責を務めることになる

さて、京都、そして、博多に共通するワードがある。それは「祇園」ということば
地元では、それぞれ「お祇園さん」で親しまれている「祇園」とは・・・
素盞嗚命(すさのおのみこと)を祭神とする(祀る)神社のことである

すさのお・・とは、伊勢神宮に祀られる天照大神の弟神であり、天照命・月読命とともに
最高に貴い神として三貴神と称される“偉い神様”なのである

素盞(すさ)は荒(すさ)ぶなどというスサで、今風にいえばかなりのヤンチャを意味する
その荒々しい振舞から付加された神名であり、あまりにも行儀が悪く、姉の天照大神が怒り、
やがて、「天の岩戸」に隠れられた話はよく知られている

それが災いして、“すさ”は高天原から追放され、出雲国に下られる
出雲に下ってからの“すさ”は人が変わったように更生、人々に福祉を授ける神とされ、
農耕・疫病除けの善神として神徳を発揮されたそうだ



また、素盞嗚命は、神話にでてくる「ヤマタノオロチ」を退治した英雄でもある
この英雄の“御魂鎮めの御社”が出雲(島根県)にある「須佐神社」
須佐神社は、スピリチュアルな江原さん曰く「日本一!!最強のパワースポット」である



こうした神徳から、本来は「素盞嗚命」であったが、更生後!?は「須佐之男命」と改名、
ありがたい神様として崇められている。しかし、元々はといえばバリバリのヤンキー!!
神様とはいえ、こうした反抗期を経ているわけで、オイラの生い立ちとたいして変わらない

さて、平家物語「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり・・」この一説は誰もが知っている
ところが、祇園精舎・・・!?となるとイマイチ説明ができない輩が多い・・・
その祇園精舎の「祇園」と「お祇園さん」とは深い関係にある



祇園精舎は、インドにあった寺院であり、釈迦が説法を行った場所として知られている
いわゆる、仏教徒にとって“聖地”なのである

この祇園精舎の守護神は「牛頭天王(ごずてんのう)」である
実は、日本には、古来から「牛頭天皇」と「須佐之男命」同一説ってーのが存在する
そのため、須佐之男命は牛頭天皇の“本地”とされている

本地とは、正確には本地垂迹(ほんじすいじゃく)といい、これは、日本独自の考え方だ
仏教が一般的にも受け入れられたころ、日本には「神仏習合思想」というのが生まれた
つまり、日本の八百万の神々、実は、様々な仏さまの化身である・・という考え方である

日本には神話があり、これから八百万の神々が誕生する。その後、仏教が伝来、新たに、
仏様という信仰対象が加わり、どちらも同じ!という考え方が「神仏習合思想」である

こうしたなかで、その生い立ちに多くの共通性がある祇園精舎の守護神「牛頭天王」は、
「須佐之男命」の化身であるという信仰が生まれた。これが「お祇園さま」のはじまり



その代表格が京都の祇園社(八坂神社)であり、祭神は「牛頭天王・スサノオ」である
つまり、前述したとおり、牛頭天王が祇園精舎の守護神であるから「祇園社」なのである
ちなみに、祇園社となる以前、その昔は「牛頭天王社」と呼んでいたそうだ



こうした「牛頭天王・スサノオ」を祭神とする祇園信仰の神社は西日本を中心に多い
博多祇園山笠を祭事とする櫛田神社の祭神も「祇園大神(素盞嗚命・スサノオ)」だ

また、それぞれの「祇園神社(お祇園さん)」に共通しているのが“夏祭り”である
祭りには、絢爛豪華な「山」や「鉾」が必ず登場するという、派手な祭りが特色!!
こうしたことから「祭り」といえば“夏”、「祭り」は“夏の季語”にもなっている

さて、須佐之男命に関しては、つい最近のこと、NHKで大きく取り上げられ話題となった
番組は、「ロスト北斎 The Lost Hokusai・・・幻の巨大絵に挑む男たち」というタイトル
浮世絵師・葛飾は、代表作「冨嶽三十六景」などの作品で知られる天才浮世絵師
元祖クールジャパンとして、世界にその名を知られる日本人の一人である

荒波が強烈な印象を与える「神奈川沖波裏」は”Great Wave”と呼ばれ、
ヨーロッパでは、あの!「モナリザ」に次いで知られる絵画として高い評価を受けている
かつて、この北斎が最晩年の86歳で手がけた、巨大な作品が存在した

幅3メートルもある大画面に、須佐之男命が十数名の疫病神を退治する様子を描いた作品
これは版画ではなく、大胆な筆遣いで描かれたという肉筆の大群像画だった

まさに北斎版の「ゲルニカ」とも言える大作だ。江戸・向島の牛嶋神社に奉納されたが、
関東大震災で焼失。その姿を知る手がかりは、明治末に写された、一枚のモノクロ写真だけ

先日、東京・墨田区に開館した「すみだ北斎美術館」には、その写真を元に復元された
“幻の巨大絵”が原寸大で展示されている



オイラもこの番組を見たが、最新技術を駆使して、写真の明暗差の解析から、当初の色を
導き出す技術に驚愕!!また、単なる色の再現にとどまらず、北斎が生きた時代の染料や、
彼独特の筆遣いを「絵画修復の専門家」が分析、これを忠実に再現している

さらに、北斎の膨大な作品を研究してきた美術史家も加わって「失われた大作」を復元した
必ず再放送されると思うが、まさに、須佐之男命が十数名の疫病神を退治する姿は圧巻!!
素盞嗚命→須佐之男命=牛頭天王=お祇園さん・・って、本当のヒーローだったんだね


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