濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

孤高のひと

2014年11月19日 | ひとりごと・・

孤高とは、ある種の信念や美学に基づき、群れることなく、他者と離れることで
必要以上の苦労を1人で負うようなひと・・・

「高倉健さん急逝」
昨日、駅の売店に置かれたタブロイド紙の見出しを見てとても驚いた
オイラ、健さんってーひとは「病気」とか、「死」という言葉とは無縁なひとだと、
勝手にそう思い込んでいたから

健さんは、比叡山で千日回峰を成し遂げた酒井雄哉大阿闍梨を尊敬していたという
酒井大阿闍梨は、仏門に入る以前、横浜港で港湾人として働いていた時期がある
そのため、とっても身近な存在であり、オイラも師を尊敬している

さて、健さんは、大阿闍梨のお言葉を座右の銘としていたそうだ
「行く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

これだけを見ていると健さんが一方的に大阿闍梨を尊敬していたかのように感じるが、
実は、大阿闍梨も健さんのことを大いに尊敬されていた

お互いに命をかけ、物事をなし遂げたひとだけに相通じるなにか・・・
酒井師は、健さんの随想『旅の途中で』に、「健さんのこと」という一文を寄稿されている

その一部を紹介する

「健さんのこと」
       比叡山飯室谷不動堂 大阿闍梨 酒井雄哉

独りで生きることができる人が、最終的に強いんやないかな
そういう人には、何とも言えへん人間としての温かみもあるんやね
そういう人はじぶんが善行を積んでも、これこれをしました、
なんてことをごちゃごちゃ言わない
そんなこともあったかいな、という顔をする

陰徳というものは、そうして積まれてくるもんやね
ある時、何気なしにすーっと現れ、ある時すーっと姿を消していく
何かをしても、結果や報酬を期待しない
健さんはまさにそういう人やね

「俺は高倉健だ」
とか一言も言わず、仕事が済めば外国へ出かけてしまう
健さんのそういう生き方を観せてもらうようになって、あの人はお侍さんやと思う
どんな仕事でも命を賭けてやっている

軽く流すことは絶対にしない
普通の人なら、来た仕事は一応全部引き受けて、こちらは軽くいきましょう、
こちらは大事やからしっかりやりましょう、そんな計算が働くけどね

そういうことが大嫌いな人やと思う
すべてに命懸けで、いつも刃の上を歩いているような、そんなお人やと思う
周りの現象に流されず、折目正しく生きている。それは座った姿にも出ておる

誰しも人間やったら、老いていくことへの不安はある
しかし、「一日一生」
今日の自分は今日で終わり。明日は新たな自分が生まれてくる



今日、いろんなできごとやいざこざがあっても、
明日はまた新しいものとして生まれる
こだわりを捨て、同じような過ちを修正しておけばええ

最終的には息を引き取る時が、 人生の勝負やないかな
何があろうとなかろうと、 独りきりで旅立っていくんやから・・

生まれた時と同じ。 何も持たずに旅立って行くわけやね
赤ん坊か、くしゃくしゃの年寄りかの違いだけやね。自分に課せられた人生

仏様からいただいた人生を、
「これだけ燃えつきました」
高倉健はそう言って逝ける、 数少ないお人やと思います

2000年12月・比叡山にて



酒井大阿闍梨、健さんより一足早く、昨年9月、87歳で生涯を閉じた

最新の画像もっと見る

コメントを投稿