ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

「いたわり」 「やさしさ」を根付かせ

2024-03-16 11:37:36 | 思い
 最初に、今年の年賀状に載せた自作の『詩』を載せる。

    真っ盛り

 北の春はまだ光が弱いから
 新芽は緑になれない
 芽吹いた葉は赤のまま
 車の前景に映る山々に
 丸みをおびた深紅の春もみじだ
 稀に見るパノラマは「山笑う・春」

 季節が逆戻りしたように
 綿雪色の残雪が
 カート道の横に広がるワンシーン
 噴火後にいち早く生えるパイオニアツリー
 芝生に舞うドロノキの綿毛だ
 有珠山のすそ野は「山茂る・夏」

 久しぶりに東京で朝散歩
 一本通りを入ると全てが穏やか
 閑静な街並みに清々しい風が流れ
 甘く柔和な香りがふわっと
 常緑の長い生垣に芳醇な金木犀だ
 光る橙黄色の小花は「山粧う・秋」

 そして 今は「山眠る・冬」
 危うい嵐の中
 私たちは新しい春を待つ


 続いて、1月号『自治会だより』に、
寄稿した自治会長としての年頭の挨拶を記す。

 『 皆様方におかれましては、
新春を晴々しい気持ちでお迎えのこととお喜び申し上げます。
 日頃より、自治会の諸事業につきましては格別のご理解とご協力を賜り、
厚く御礼申し上げます。
 令和6年も引き続きどうぞよろしくお願い致します。

「分断と対立」がより一層深刻化し、
気候変動による災害が顕著になっています。
 私たちの足下では物価の高騰が止まりません。
「子ども達にこのまま未来のバトンを渡す訳にいかない」。
そう思うのは私だけではないと思います。

 沿革によりますと、本自治会は1954年に
『西在第3区自治会』として世帯数37戸で結成されました。
 今年は70周年の節目にあたります。
この間、本地域は発展をとげ、
今では世帯数820戸と市内で有数の大規模自治会になりました。

 引き続き、会員の皆様のニーズをくみ取り、
暮らしやすい地域の実現にむけ、取り組んでまいりたいと思います。
 それが、きっと子ども達に渡す本当のバトンにつながると
私は思っています。』


 年度末を迎えている。
1年間を振り返ると、いつも脳裏から離れなかったのは、
ウクライナやパレスチナの戦渦であった。

 テレビに映る悲惨な映像の数々が、日常化している。
大人がそれに慣れること以上に、
子どもへの計り知れない影響に恐怖を感じている。

 年賀状では詩の最後のフレーズを
『今は「山眠る・冬」
 危うい嵐の中
 私たちは新しい春を待つ』
とした。
 深まる世界の「分断と対立」の悲劇を
『危うい嵐』の表現に込めた。

 また、自治会の年頭挨拶では、
気候変動や物価高と共に、
「分断と対立」のバトンを、
子ども達へ渡す訳には行かないと訴えた。

 さて、地元の老人クラブから
約2年ぶりに講話の依頼があった。
 休憩を入れて、1時間半の話は、
体力的にもきつくなった。
「多少短くてもいいから」
とまで言われ、断れなかった。
 
 先週日曜日に、32人の同世代と向き合い、
経験談に笑いを交えながら、
日頃の想いを話してきた。

 講話の結びに、
どうしても『分断と対立』に触れたかった。
 用意したのは、
令和2年2月に室蘭民報に載った私の随筆だった。

 *     *     *     *     *
  
     感情を表す言葉を

 『21世紀がどんな社会か是非見てみたいが、
それはかなわない。
 だからその時代を生き、その社会を築き上げる君たちに言いたい。』
と、小説家・司馬遼太郎氏は小論文を残し、熱い想いを語っています。

 司馬氏は、21世紀を生きる人間の条件の1つに
「いたわり」「やさしさ」をあげ、
それは決して本能ではない。
 だから訓練が必要だと説いています。

 その訓練とはいたって簡単なことで、
例えば、人がころぶ、その時「ああ痛かっただろうなあ。」
という感情をその都度持つこと。
 そしてそんな感情を自分の中に、いくつも積み重ねていくことで、
「いたわり」や「やさしさ」は心に根付くと言うのです。

 私は、誰でもみんな、そんな訓練を是非するべきだと、強く思っています。
          ≪中 略≫
 だから、『できた・できない』『いい・悪い』『早い・遅い』。
そんな言葉の中でつい忘れがちな
『うれしい、楽しい、悲しい、つらい、淋しい』等、
感情を表す言葉を大事にする。
 それが司馬氏の想いに応えることでは。

  *     *     *     *     * 

 私は、司馬さんが21世紀に生きる人間の条件として
「いたわり」や「やさしさ」の感情をあげたことを、
くり返し強調した。
 その上で、私達もそれを根付かせる訓練をしましょう。
目に飛び込む様々なことに、
心を動かしましょうと呼びかけた。

 そして、次のようなことを続けた。

 ▼「分断と対立」は、自分との違いを認めない。
あるいは許さないところから生まれているように思えること。

 ▼どんな違いを認めないのか、許さないのか。
それなりの立派な言い分が双方にはあること。
 そこを互いに問いただすのは、必要なことなのだろうけど、
それが「分断と対立」をさらに激化させているように思えること。

 ▼それよりも、違いは違いとして互いに認め合いたい。
向き合う相手の正義や価値観が、
自分と違うことを受け入れたい。
 それは国家と国家、民族と民族であろうと、
私と向かいに座る貴方であろうと変わりないこと。

 ▼向かいの貴方の違いを受け入れることや、
隣国の考え方・文化を認めることの根っこにあるのは、
司馬さんが言う「いたわり」「やさしさ」であること。

 ▼世界をリードすることとは無縁だが、
せめて私達の周りだけでも、
「いたわり」「やさしさ」を根付かせ、
次の世代へそのバトンを渡したいこと。

 あれから1週間が過ぎた。
私の想いをどう受け止められたかは、未知数だ。
 しかし、それを聞いてもらえる機会に恵まれた。
感謝している。


  

   お気に入りの散歩道5 春のにおい 

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