ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

年の瀬恒例 50回

2023-12-16 13:11:20 | 思い
 ① 6月に結婚式をした。
広さ3Kの新築賃貸団地で暮らし始めた。
 12月、年賀状は連名で出すことにした。
既製のものより、オリジナルなものがいいとなった。

 相談を重ねた結果、
私が文面を考え、
それを家内が手書きすることにした。
 印刷と宛名書きは共同作業でと・・・。

 1年目と2年目は、試行錯誤が続き、
3年目に、現在と同じようなスタイルになった。
 私は文面を詩の形式にし、
家内は詩にあった書体にした。

 それが、思いのほか好評だった。
詩に対しも書体に対しも、嬉しい声が届き、
意を強くした。

 とうとう今の今まで、
「代わり映えしないと思われても構わない」と、
そのままのスタイルを貫き通してきた。

 ② スタイルは同じでも、変わったことがあった。
4、5年すると『プリントゴッコ』が発売になった。
 自宅で年賀状の印刷ができるようになった。

 それまでは、休日に学校の謄写版を借用し、
印刷していた。
 それだけでなく、『プリントゴッコ』は実に便利だった。
一大改革であった。

 今まで、家内はろう原紙に鉄筆で原版を書いていたが、
紙面の文字をそのまま印刷できるようになった。
 その上、自宅の居間ででもどこででも、
何枚でも印刷できるのだ。

 だが、謄写版同様、
印刷は1枚1枚の手作業に変わりはなかった。
 ところが、我が家ではその手作業も変化していった。
2人の子どもは、年齢と共に手助けするようになった。
 
 プリントゴッコの印刷台に年賀はがきを置く人、
プリントゴッコの原版枠を台に押しつけて印刷する人、  
 印刷が終わった年賀状を台から取り出す人、
最後は、できた年賀状を並べて乾かす人。
 4人が手分けをして、流れ作業で印刷した。

 それは、子どもが小学生になる前から始まり、
高校生になってからも、我が家の恒例行事になった。

 やがて、長男も二男も自立していった。
時を同じくするように、パソコンが普及した。
 年賀状印刷に、人手も『プリントゴッコ』も不要になった。

 家内が書いた原版は、そのままパソコンに取り込むことができた。
後は、プリンター任せ。
 時々、年賀はがきの補給をするだけ。
印刷の人手は、私だけで十分になてしまった。 

 ③ 印刷作業の変化の他に、
もう1つ変わったことがあった。

 当地で暮らし始めて、3,4年が過ぎた頃だった。 
郵政の民営化が段階的に進んでいた。

 年賀はがきが発売になる直前だった。
インターホンが鳴った。
 初めて見る郵便局員さんだった。
年賀はがきの予約販売をしていると言う。
 「何枚でもいいですから、
予約注文をしてほしいのですが・・・」
 頭が低くく、人当たりのいい方だった。
 
 民営化で、こんな営業努力までするように
なったのかと驚いた。
 わざわざ郵便局まで行かなくて済むのならと、
購入枚数の予約をした。

 喜び顔で帰った彼は約束の日に、
注文した年賀はがきとサービス品のティッシュゥ等を持ってきた。

 それから毎年、
彼はその時期になるとインターホンを押した。
 我が家の年賀はがきは、
買いに行くものから、
届けてもらうものに変わり、定着した。

 ところがある年、民営化に伴い従業員には、
過剰なノルマが課せられていたと報道があった。
 ノルマに対する彼の努力だったと知った。

 その報道を機に、ノルマは改善されたと言う。
だからもう彼は現れないと思った。
 なのに、その後も彼はインターホンを押し、
忙しい年は、郵送で注文枚数を尋ねてきた。
 
 そして、必ず発売日初日に、
変わらない人当たりのいい顔で、
年賀はがきを届けてくれている。

 今年、私は玄関に顔を出さなかった。
すると、家内に「ご主人によろしく」と言って帰っていった。
 
 ④ さて、今年も年の瀬である。
指を折って、この我が家の恒例を数えてみた。
 なんと、50回目だと気づいた。

 驚きと共にここまで継続できた幸運を、
しっかり噛みしめたいと思った。
 エンドレスなどあり得ないと知りつつも、
1年また1年と、今後も回を重さねて行きたいと強く思った。

 50の節目に特段の企画は思いつかない。
遊び心・いたずら半分で、年賀状の詩ベスト3を記す。


 ≪1991年≫
       うねりのそばで

   晩春の急斜面を走る雪崩のように
   東西ドイツが統一国家を形成した
   燎原の火のように
   東欧諸国が次々と一党独裁を放棄した
   一つの神話がくずれていく
   人類の歴史が新しいページを
   作ろうとしている

   しかし 今 ここでは
   石油ストーブのファンの音を聞きながら
   真四角のテーブルに四人がむかう
   今日こそはと腕まくりする中一と
   時計を気にしながら
   それでもマイペースの母と
   音もれするヘッドホーンをあてて
   余裕の高一と
   今までの成績に一応目を通し
   うなずく父と
   慌ただしい日と慌ただしい日の合間
   つかのまの団らん
   ”ポン“ ”チー“ ”リーチ“の
   声がとびかう
   歴史の大きなうねりをよそに
   今年の正月は
   きっと これで過ぎてしまうであろう
   それがいい それでいいと
   言いあいながら   


 ≪2006年≫
       海と風と凧と

   ある日 二人の息子と
   浜辺まで 凧上げに   
   微風の中で海は
   わずかに波立っていた
   凧は風をつかみ
   高く舞い上がり
   凧糸が上空の風を
   私の手に伝えてくれた
   「ほら しっかり握って」と
   息子に凧をわたす
   「パパ 風は見えないけど
   こうして伝わってくるんだね」
   下の子も凧糸をつかみ
   大きくうなずく

   もう20数年も前のこと
   でも海と風と凧と
   それは昨日のことのように
   新鮮で今も驚き
   見えなくても感じる
   そんな大切なことを
   これからも心して過ごしたい

 
 ≪2019年≫
       色 彩 豊 富
  
   赤や黄 青色の風船を膨らませたい
   その風船が誰かに届くといい
    だから 
   八雲の放牧牛が見ているマラソン道を
   ひとり淡々と走っていた
    月数回だがキーボードと向き合い
    足もとに想いを載せて綴ってみた
   突然 この街で出逢った人々との
   小さな物語を語る機会に恵まれた
    なので
   やがて来る衰えなど   無関心
   無理しないでの声など  完全無視
   まして老いの手解きなど 無礼千万
    そして 今年も
   ピンクや黄緑 真っ白な風船を
   いっぱい膨らませ空へ 遠くへ




     大型遊具の完成  ~歴史の杜公園
                       ※次回のブログ更新予定は12月30日(土)です

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