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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

気 候 変 動 を 憂 う

2023-09-30 11:29:07 | 思い
  ①
 15年以上も前になるだろうか。
毎日のようにテレビに出ていた気象予報士のH氏が、
保護者の紹介で、特別ゲストとして6年生の理科授業を行った。

 授業で彼は、天気予報の役割や重要性を、
明解に語り、どの子もその話に真剣な表情を浮かべていた。

 授業を終えた彼に私は、
「時間があれば」と校長室へ誘った。
 「夕方5時からテレビのレギュラーがあります。
でも、まだ少々時間があるでの・・」
と、私が淹れたお茶に付き合ってくれた。

 そこでのやり取りで知ったが、
彼は、学生時代に気象予報士か教職の道かで迷ったと言う。
 教育実習の経験もあり教員免許も取得していた。
だから、あんなに子どもを引き付けた授業が、
できたのだと納得した。

 そんなことが契機となり、彼を講師に招いて、
S区内小学校長の研修会を聞くことができた。

 実は、今日までに演題などの記録を探せなかったが、
確か「気象予報士として学校教育へ期待すること」、
そのような内容でお話を頂いたと思う。

 彼は、スクリーンに様々な画像を映し出し、
世界各地の気象異変を紹介した。
 そして、気候に関する様々なのデーターを示し、
近年の移り変わる地球環境の有り様を解説した。

 すでに『地球温暖化』の言葉は、聞きなれていた。
しかし、その危機感は今ほどではなかった。
 「そんな脅威がやがてやってくるかも・・」。
私だけでなく、
多くの方がそう思っていたに違いない時代だった。
 
 そんな楽観を、彼は次々と否定した。
「脅威は、もう目の前まできています。
その危機を共有し、学校でも警鐘を鳴らしてほしいのです」。
 彼は、そんな願いで講演を結んだ。

 これが、地球温暖化による気候変動を、
私が身近なものに感じる第一歩だった。


  ②
 H氏の講演から、1,2年が過ぎた。
熱中症によって救急搬送される事件が都内でたびたび発生した。
 それがあったからだろう。
翌年度、区内小中学校の全教室を冷房化する計画が、
突然発表になった。

 各校長は、学校敷地内のどこに、
エアコンの室外機を設置するか頭を痛めた。
 言うまでもないことだが、
校舎の冷房化を想定して学校は建てられていない。
 その上、区内公立学校は、
限られた土地に効率よく作られていた。

 しかも、私のS区は都市ガスによる室外機での設置計画だった。
1台1台が大きく、重量の関係もあり屋上設置ができなかった。
 
 私の学校は、運がよかった。
近隣住宅との間に若干のスペースがあった。
 運転音などによる苦情の心配もなかった。
6月下旬、計画通り使用することができた。 

 その夏は、ひと際厳しい暑さだった。
冷房化はタイムリーであった。
 教委の英断に感謝した。
しかし、当時はまだ命の危険を感じる暑さなんて、
想像もできなかった。

 ところが、4年前になる。
研修会があり、都内の小学校を訪問した。
 体育館まで冷房化されていた。

 驚きの顔をした私に校長先生は、
「真夏は、プール以外屋外で運動できる日など
ほとんどありません。
 最近の猛暑は、命だって危なくなりますから・・。
体育館にクーラーをつけてもらったので、
やっと体育の授業も全校朝会もできるようになりました」。

 暑さが、以前よりはるかに過酷さを増していると、
実感したのだった。


  ③ つい先日、2か月ぶりに理髪店へ行った。
ハサミを動かしながら、
店主が「暑い夏でしたね」と話しかけてきた。
 そして、
「クーラーがないと夜も眠れませんでしたね」
と、私に同意を求めた。

 「実は私の家、クーラーがないんですよ」。
「そうでしたか。
よく、大丈夫でしたね。熱中症!?」。
「あ! はい」。

 店主の話は続く。
「この辺のご近所でも、熱中症のような症状で、
何人も救急車で運ばれたみたいです。
 クーラーはあったんですが、
つけてなかったみたいです」。
 「そうでしたか。それは大変でしたね」。
「クーラーがないと命に関わります。
 こんなこと、今年が初めてです・・」。

 「来年は、我が家もクーラーをつけないとダメかも」。
「そうですよ。
ついに、伊達もクーラーが生活必需品になったみたいですね」。

 さて、そんな話題に終始し、
散髪を終えての帰り道でのことだ。
 広い庭のあるご近所さん宅にさしかかった。
珍しく奥さんが太い柿の木を見上げていた。
 素通りすることもできず、
「こんにちは!」と声をかけた。

 私を見て、奥さんは不思議そうな顔で近づいてきた。
「ねえ、この柿の木なんだけど、1つも実をつけてないの。
暑かったからなのかしら」。

 伊達は柿の木の北限だと言われている。
毎年、ここの柿の木に限らず、
秋本番には市内のいたる所で、
柿は実りの時を迎える。

 今は、枝に小さな青い実をつけるはずである。
まさかと見上げた木には、
確かに1つの実も見当たらなかった。
 
 翌日、散歩がてら柿の木が街路樹になっている通りへ、
足を運んでみた。
 つややかな葉におおわれた柿の枝枝に、
あっていいはずの小さな実が1つとしてなかった。
 どの街路樹も同様だった。

 暑さが原因なのか気候変動の性なのか、
私には分からない。

 どうやら異変は柿に限らないようだ。
地元農家さんの畑では、収穫を迎えるはずのブロッコリーに
実が付かないとローカルニュースが伝えていた。

 私たちの知らないところで、
想像もつかない事態がどんどん進行しているのではないだろうか。
 気候変動と言う魔物に、
無知な私はただ不安だけが増殖している。 




      中秋の風にコスモス
コメント
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