先週のことだ。
3年ぶりに児童文化の研究大会があった。
歴代の先輩顧問さんらが、次々と他界し、
とうとう私が、最古参の顧問になってしまった。
大会開催のために頑張った先生方に、
ねぎらいのひと言がかけたくて、
会場校となった東京都品川区の小学校まで行ってきた。
公開した6つのどの授業も、3年前までと変わらず、
「児童文化手法」を有効活用していた。
コロナ禍で子ども達の様子が気になっていたが、
どの学級も雰囲気がよく、
伸び伸びと授業参加している姿が印象的だった。
嬉しくなった。
また、現職の頃、一緒に研究会を盛り上げた仲間達とも再会できた。
退職後、町議に立候補し今や地元町議会議員になった者、
地域からの推薦を受け民生委員を務めている者、
エッセイ集を出版した者などがいた。
それぞれがいろいろな場で活躍していた。
大会の翌日、沢山の刺激をお土産に、
羽田を飛び立ち、白銀の地へ舞い戻った。
それから数日後だ。
久しぶりに書店へ出かけた。
新刊本をペラペラ開きながら、
素敵な本との出会いを期待した。
めったに立ち止まらない書架のコーナーに、
何冊かの詩集が並んでいた。
その1冊の装丁に異色感があった。
私が詩集『海と風と凧と』を出す時、
出版社のスタッフの1人が、
「詩集は売れないんですよね」
と呟いた渋い顔を思い出しながら、
手にとってみた。
表紙は、藍色の地に林立する杉木立のイラスト。
金文字と白文字でタイトルが書いてあった。
やや厚みがあり、A5版より小ぶりながらも、
重みを感じた。
急に購買欲が湧いた。
払い済ませ、帰宅を急いだ。
目次前の最初のページに、
詩人、川口晴美さん〔監修〕の『はじめに』があった。
その書き出しで、彼女は言う。
『昨日と同じように続く今日、
ドラマチックなことなど起こらないありきたりな毎日。
たとえそう思って過ごしていても、
何かのきっかけでふいに感覚がざわめき、
感情が揺らぎ、
日常からあふれこぼれる瞬間はあります。
私たちは生きているから。』
そして、10数行の『はじめに』をこう結んでいた。
『ここにおさめられた詩を読むうちに、
あなたのなかに秘められた何気ない感覚や感情が
あたらしい輝きを帯びながら動き始めるかもしれません。
その読書体験がきっと、
あなたをほんの少しだけ今日とは違う明日へ
連れて行くでしょう。』と・・・。
購買欲に続いて読書欲を揺さぶられた。
ゆっくりとページをめくってみた。
『甘酸っぱい初めての恋。
夏の日の花火のように
煌めき燃え尽きた儚い愛。
家族になる人へのやさしい愛。
今はいないあの人へ
目には見えない「愛」を捧げます。』
と言葉を添えた、第1章「愛」。
そこには17の詩が載っていた。
あの日私を熱くしてくれた詩があった。
「あいたくて/工藤直子」
「初恋/島崎藤村」
「祝婚歌/吉野弘」
『生命と人生の歓びや
切なさや覚悟を
ひとり噛みしめて流れた涙。
生きるということは
魂を震わせながら歩むこと。
尊い命が果てるまで。』
と語りかける 第2章「生」。
そこには16の詩があった。
今もそうっと私を支えている詩があった。
「生きる/谷川俊太郎」
「雨ニモマケズ/宮沢賢治」
「わたしが一番きれいだったとき/茨木のり子」
「一個の人間/武者小路実篤」
『失ったあとも決して消えない
何かを思う痛み。
人を傷つけたとき、
心に渦巻く後悔や嘆き。
悲しい気持ちをことばに寄せて
そっと心をあたためましょう。』
と励ます 第3章「嘆」。
そこには13の詩が並んでいた。
切なさに共感し胸が一杯になった詩があった。
「自分の感受性くらい/茨木のり子」
「貝殻/新美南吉」
『ただ楽しいということの
不思議なかけがいのなさ
うれしい気持ちを
音の響きを
ただ楽しむのもいい。
自由な心で‥。』
とウキウキさせる 第4章「愉」。
そこには17の詩があった。
苦境のとき力むなと気づかせてくれた詩があった。
「からたちの花/北原白秋」
「こだまでせうか/金子みすゞ」
「風景/山村暮鳥」
そして、最後の第5章は「歌」だった。
添えてあった言葉は・・・。
『時代を越える名曲は
文字を通すだけで
景色が、匂いが、感情が、
立ち上ってきます。
頭に音が鳴ったら
ボリュームを下げて
歌詞をじっくり楽しんで、』
と、第4章までとは随分トーンが違った。
選ばれた8つの詩の最後が、
「川の流れのように/秋元康」にも驚いた。
他の7つは、どれも知らない曲ばかり。
でも、作詞者はいつかテレビで見た気がする。
あいみょん、尾崎世界観、星野源、堀込泰行、
志村正彦、崎山蒼志、優里、松本隆。
残念なことに、「頭に音が鳴った』りしない。
そして、くり返し読んでも、
『景色も匂いも感情も立ち上』らいのだ。

厳 寒 の 日 の 出
3年ぶりに児童文化の研究大会があった。
歴代の先輩顧問さんらが、次々と他界し、
とうとう私が、最古参の顧問になってしまった。
大会開催のために頑張った先生方に、
ねぎらいのひと言がかけたくて、
会場校となった東京都品川区の小学校まで行ってきた。
公開した6つのどの授業も、3年前までと変わらず、
「児童文化手法」を有効活用していた。
コロナ禍で子ども達の様子が気になっていたが、
どの学級も雰囲気がよく、
伸び伸びと授業参加している姿が印象的だった。
嬉しくなった。
また、現職の頃、一緒に研究会を盛り上げた仲間達とも再会できた。
退職後、町議に立候補し今や地元町議会議員になった者、
地域からの推薦を受け民生委員を務めている者、
エッセイ集を出版した者などがいた。
それぞれがいろいろな場で活躍していた。
大会の翌日、沢山の刺激をお土産に、
羽田を飛び立ち、白銀の地へ舞い戻った。
それから数日後だ。
久しぶりに書店へ出かけた。
新刊本をペラペラ開きながら、
素敵な本との出会いを期待した。
めったに立ち止まらない書架のコーナーに、
何冊かの詩集が並んでいた。
その1冊の装丁に異色感があった。
私が詩集『海と風と凧と』を出す時、
出版社のスタッフの1人が、
「詩集は売れないんですよね」
と呟いた渋い顔を思い出しながら、
手にとってみた。
表紙は、藍色の地に林立する杉木立のイラスト。
金文字と白文字でタイトルが書いてあった。
やや厚みがあり、A5版より小ぶりながらも、
重みを感じた。
急に購買欲が湧いた。
払い済ませ、帰宅を急いだ。
目次前の最初のページに、
詩人、川口晴美さん〔監修〕の『はじめに』があった。
その書き出しで、彼女は言う。
『昨日と同じように続く今日、
ドラマチックなことなど起こらないありきたりな毎日。
たとえそう思って過ごしていても、
何かのきっかけでふいに感覚がざわめき、
感情が揺らぎ、
日常からあふれこぼれる瞬間はあります。
私たちは生きているから。』
そして、10数行の『はじめに』をこう結んでいた。
『ここにおさめられた詩を読むうちに、
あなたのなかに秘められた何気ない感覚や感情が
あたらしい輝きを帯びながら動き始めるかもしれません。
その読書体験がきっと、
あなたをほんの少しだけ今日とは違う明日へ
連れて行くでしょう。』と・・・。
購買欲に続いて読書欲を揺さぶられた。
ゆっくりとページをめくってみた。
『甘酸っぱい初めての恋。
夏の日の花火のように
煌めき燃え尽きた儚い愛。
家族になる人へのやさしい愛。
今はいないあの人へ
目には見えない「愛」を捧げます。』
と言葉を添えた、第1章「愛」。
そこには17の詩が載っていた。
あの日私を熱くしてくれた詩があった。
「あいたくて/工藤直子」
「初恋/島崎藤村」
「祝婚歌/吉野弘」
『生命と人生の歓びや
切なさや覚悟を
ひとり噛みしめて流れた涙。
生きるということは
魂を震わせながら歩むこと。
尊い命が果てるまで。』
と語りかける 第2章「生」。
そこには16の詩があった。
今もそうっと私を支えている詩があった。
「生きる/谷川俊太郎」
「雨ニモマケズ/宮沢賢治」
「わたしが一番きれいだったとき/茨木のり子」
「一個の人間/武者小路実篤」
『失ったあとも決して消えない
何かを思う痛み。
人を傷つけたとき、
心に渦巻く後悔や嘆き。
悲しい気持ちをことばに寄せて
そっと心をあたためましょう。』
と励ます 第3章「嘆」。
そこには13の詩が並んでいた。
切なさに共感し胸が一杯になった詩があった。
「自分の感受性くらい/茨木のり子」
「貝殻/新美南吉」
『ただ楽しいということの
不思議なかけがいのなさ
うれしい気持ちを
音の響きを
ただ楽しむのもいい。
自由な心で‥。』
とウキウキさせる 第4章「愉」。
そこには17の詩があった。
苦境のとき力むなと気づかせてくれた詩があった。
「からたちの花/北原白秋」
「こだまでせうか/金子みすゞ」
「風景/山村暮鳥」
そして、最後の第5章は「歌」だった。
添えてあった言葉は・・・。
『時代を越える名曲は
文字を通すだけで
景色が、匂いが、感情が、
立ち上ってきます。
頭に音が鳴ったら
ボリュームを下げて
歌詞をじっくり楽しんで、』
と、第4章までとは随分トーンが違った。
選ばれた8つの詩の最後が、
「川の流れのように/秋元康」にも驚いた。
他の7つは、どれも知らない曲ばかり。
でも、作詞者はいつかテレビで見た気がする。
あいみょん、尾崎世界観、星野源、堀込泰行、
志村正彦、崎山蒼志、優里、松本隆。
残念なことに、「頭に音が鳴った』りしない。
そして、くり返し読んでも、
『景色も匂いも感情も立ち上』らいのだ。

厳 寒 の 日 の 出