2月14日、文科省は、小中学校の学習指導要領と
幼稚園教育要領の改訂案を発表した。
まだその全文には触れていないが、
新聞等の報道を通して、そのおおよそを知ることができた。
時代のニーズに応じた新たな学校教育の始まりである。
そこに大きな期待を寄せるのは、私だけではないと思う。
さて、改訂案は、
『ゆとり・・!?、いや、学力向上・・!?』といった観点を超え、
学びの「質」と「量」の両者を求めているようである。
そして、何よりも目を引いたのは、
次の2つの文言である。
1つは、最近よく耳にしていた、
議論や討論を中心にした授業形態である
「アクティブ・ラーニング」(AL)に代わって記述された、
『主体的・対話的で深い学び』である。
そしてもう1つは、
教育の「質」や学校の教育力の向上を図る
組織的で計画的な『カリキュラム・マネージメント』に、
取り組むことである。
この2つの文言について、
中央教育審議会教育課程部会長の無藤隆さんは、
朝日新聞に以下を寄稿し、説明している。
私には、理解しやすい一文だった。
『今回の改訂に向けた中教審の議論の出発点は
「劇的に変化する社会の中で、
子どもたちに必要とされている力とは何か。
学校はその力を育てるために、
どんな教えを実践しなければいけないのか」
ということだった。
少子高齢化が進み、多くの外国人が来日し、
人工知能に代表される
科学技術の進化のスピードはさらに加速していく。
5年後、10年後さえ予測できない社会を
私たちは生きている。
若い世代には、そんな「未知の課題」に向き合い、
未来を切り開く力が必要だ。
そのために、学校教育は何をすればいいのか。
それが今回「主体的・対話的で深い学び」という言葉で
表現される授業の実践だ。
受け身の授業ではなく、議論や体験学習を通じて、
子どもたちに「自ら学ぶ方法」を教えることが
重要になってくる。
「深い学び」の授業には、教員の創意工夫が欠かせない。
「これ以上学校に求められたらパンクする」
という現場の声を踏まえ、
ポイントとなるのが「カリキュラム・マネージメント」だ。
教員が個々で取り組むのではなく、
連携し、学校全体の教育力を高めるというイメージだ。
学校が引き受けてきた慣例を一度整理し、
地域や家庭が得意なことはお願いする。
メリハリと重点化が必要だ。』
まず「主体的・対話的で深い学び」である。
無藤さんは、その授業のねらいを、
『子どもたちに「自ら学ぶ方法」を教えること』と言う。
かつて私は、本ブログに『学力は学ぶ力』を記した。
その中で、こう述べた。
『次々と進む技術革新と、それに伴う様々な変化を吸収し、
多種多彩な新しさを獲得する資質や能力を、
私は今日の「学力」と捉える。
それは変化に対応する一人一人の「学ぶ力」と言ってもいい。』
無藤さんの「自ら学ぶ方法」と、私の「学ぶ力」は同義と言えよう。
そのための「主体的・対話的で深い学び」の授業である。
その実現に、大いに期待したい。
すでに、それにむかった授業改善が、
全国各地の各校でスタートしているのだろう。
しかし、明治大学教授の齋藤孝さんは、
『教員支援 成否を左右』と題するコメントで、
その授業づくりの難しさを、こう述べている。
『討論などの対話的な学びを活性化させるには、
教師のセンスや技術が必要だ。
教室という場を動かすリーダーシップや
機転の利いた問いの立て方、
雰囲気がたるんだ時にどう対処すべきかといった
処方箋も求められる。
形式をまねただけでは効果は出ず、
逆に学力低下の可能性もある。』
次に、「カリキュラム・マネージメント」についてだ。
どうやら、そのねらいは、
教科横断的な視点とPDCAサイクルの確立、
そして、人的物的な地域の外部資源の活用等による、
学校独自の教育課程の確立にあるようだ。
そのことは、総合的な学習の時間を導入した際に
盛んに強調されたことに酷似しているように思えてならない。
そんな感想よりも、いずれにしても学校には、
知恵を絞り合い、地域性や独自性を織り込んだ、
合理的な教育課程の編成が求めれる。
加えて、5、6年では、教科化される外国語科によって、
授業時間数が増加になる。
その時間をどう生み出すのか。
「カリキュラム・マネージメント」としてどう対応するのか。
各校には、大きな宿題だろう。
遂に、学校の常識であった午前は4時間を、
5時間にする時がやって来たのではなかろうか。
「毎週、火、木、金の午前は5時間」も現実味を帯びてきたようだ。
さらに、かつて私は、授業づくりの教師の役割を、
①プランナー(立案者)、②プロデューサー(作成者)、
③コーディネーター(調整者)の3つと強調した。
授業のすべてを教師が担うのではない。
必要に応じて、有効な人材を授業で活用するのである。
そのために、教師は①活用する人材を生かす授業を立案し、
②その人材をその時々、教室に招き、
③授業では、どの場面で活用するか調整を図る。
「カリキュラム・マネージメント」では、
教師に、その力が強く求められているように思う。
さて、最後に、改訂案の大きな課題についてである。
神奈川大の特別招聘教授の安彦忠彦さんは言う。
『各教科ごとの「主体的・対話的で深い学び」や
カリキュラム・マネージメントは大切だが、
その効果を生む人的、時間的な余裕が
今の学校現場にあるだろうか。』
そして、熊本市立向山小教頭の前田康裕先生も言う。
『授業時間の確保▽教材研究
▽英語やプログラミングなど新しい学習のためのスキルアップ
▽カリキュラム・マネージメントのための教員同士の合意形成
▽学校間や地域との連携ーー。
どれも重要だが、「時間」の確保が大きな課題だ。
……時間の問題は、学校だけで解決するには限界がある。』
そして、朝日新聞編集委員の氏岡真弓さんは、
こんな警鐘を鳴らす。
『ただでさえ教員の多忙が指摘される中、
学校現場が担いきれなければ、
(改訂案は)「絵に描いた餅」になる懸念もある。』
その上、学校の実態を、『かつて大量採用されたベテランが次々退職し、
若手へ代替わりする過渡期でもある。
…中堅の教員が少なく、授業法の伝承さえ危ぶまれている』と。
まさしくパンク寸前とまで言われ、
多忙を極め、底力を失った学校現場での改訂である。
齋藤孝さんのコメント通り、『教員支援 成否を左右』している。
その教員支援だが、
はてさて、この私にできうることが、何かあるだろうか。
思い悩む、ここ数日が続いている。

まだ2月中旬 なのにこんなに雪解け
幼稚園教育要領の改訂案を発表した。
まだその全文には触れていないが、
新聞等の報道を通して、そのおおよそを知ることができた。
時代のニーズに応じた新たな学校教育の始まりである。
そこに大きな期待を寄せるのは、私だけではないと思う。
さて、改訂案は、
『ゆとり・・!?、いや、学力向上・・!?』といった観点を超え、
学びの「質」と「量」の両者を求めているようである。
そして、何よりも目を引いたのは、
次の2つの文言である。
1つは、最近よく耳にしていた、
議論や討論を中心にした授業形態である
「アクティブ・ラーニング」(AL)に代わって記述された、
『主体的・対話的で深い学び』である。
そしてもう1つは、
教育の「質」や学校の教育力の向上を図る
組織的で計画的な『カリキュラム・マネージメント』に、
取り組むことである。
この2つの文言について、
中央教育審議会教育課程部会長の無藤隆さんは、
朝日新聞に以下を寄稿し、説明している。
私には、理解しやすい一文だった。
『今回の改訂に向けた中教審の議論の出発点は
「劇的に変化する社会の中で、
子どもたちに必要とされている力とは何か。
学校はその力を育てるために、
どんな教えを実践しなければいけないのか」
ということだった。
少子高齢化が進み、多くの外国人が来日し、
人工知能に代表される
科学技術の進化のスピードはさらに加速していく。
5年後、10年後さえ予測できない社会を
私たちは生きている。
若い世代には、そんな「未知の課題」に向き合い、
未来を切り開く力が必要だ。
そのために、学校教育は何をすればいいのか。
それが今回「主体的・対話的で深い学び」という言葉で
表現される授業の実践だ。
受け身の授業ではなく、議論や体験学習を通じて、
子どもたちに「自ら学ぶ方法」を教えることが
重要になってくる。
「深い学び」の授業には、教員の創意工夫が欠かせない。
「これ以上学校に求められたらパンクする」
という現場の声を踏まえ、
ポイントとなるのが「カリキュラム・マネージメント」だ。
教員が個々で取り組むのではなく、
連携し、学校全体の教育力を高めるというイメージだ。
学校が引き受けてきた慣例を一度整理し、
地域や家庭が得意なことはお願いする。
メリハリと重点化が必要だ。』
まず「主体的・対話的で深い学び」である。
無藤さんは、その授業のねらいを、
『子どもたちに「自ら学ぶ方法」を教えること』と言う。
かつて私は、本ブログに『学力は学ぶ力』を記した。
その中で、こう述べた。
『次々と進む技術革新と、それに伴う様々な変化を吸収し、
多種多彩な新しさを獲得する資質や能力を、
私は今日の「学力」と捉える。
それは変化に対応する一人一人の「学ぶ力」と言ってもいい。』
無藤さんの「自ら学ぶ方法」と、私の「学ぶ力」は同義と言えよう。
そのための「主体的・対話的で深い学び」の授業である。
その実現に、大いに期待したい。
すでに、それにむかった授業改善が、
全国各地の各校でスタートしているのだろう。
しかし、明治大学教授の齋藤孝さんは、
『教員支援 成否を左右』と題するコメントで、
その授業づくりの難しさを、こう述べている。
『討論などの対話的な学びを活性化させるには、
教師のセンスや技術が必要だ。
教室という場を動かすリーダーシップや
機転の利いた問いの立て方、
雰囲気がたるんだ時にどう対処すべきかといった
処方箋も求められる。
形式をまねただけでは効果は出ず、
逆に学力低下の可能性もある。』
次に、「カリキュラム・マネージメント」についてだ。
どうやら、そのねらいは、
教科横断的な視点とPDCAサイクルの確立、
そして、人的物的な地域の外部資源の活用等による、
学校独自の教育課程の確立にあるようだ。
そのことは、総合的な学習の時間を導入した際に
盛んに強調されたことに酷似しているように思えてならない。
そんな感想よりも、いずれにしても学校には、
知恵を絞り合い、地域性や独自性を織り込んだ、
合理的な教育課程の編成が求めれる。
加えて、5、6年では、教科化される外国語科によって、
授業時間数が増加になる。
その時間をどう生み出すのか。
「カリキュラム・マネージメント」としてどう対応するのか。
各校には、大きな宿題だろう。
遂に、学校の常識であった午前は4時間を、
5時間にする時がやって来たのではなかろうか。
「毎週、火、木、金の午前は5時間」も現実味を帯びてきたようだ。
さらに、かつて私は、授業づくりの教師の役割を、
①プランナー(立案者)、②プロデューサー(作成者)、
③コーディネーター(調整者)の3つと強調した。
授業のすべてを教師が担うのではない。
必要に応じて、有効な人材を授業で活用するのである。
そのために、教師は①活用する人材を生かす授業を立案し、
②その人材をその時々、教室に招き、
③授業では、どの場面で活用するか調整を図る。
「カリキュラム・マネージメント」では、
教師に、その力が強く求められているように思う。
さて、最後に、改訂案の大きな課題についてである。
神奈川大の特別招聘教授の安彦忠彦さんは言う。
『各教科ごとの「主体的・対話的で深い学び」や
カリキュラム・マネージメントは大切だが、
その効果を生む人的、時間的な余裕が
今の学校現場にあるだろうか。』
そして、熊本市立向山小教頭の前田康裕先生も言う。
『授業時間の確保▽教材研究
▽英語やプログラミングなど新しい学習のためのスキルアップ
▽カリキュラム・マネージメントのための教員同士の合意形成
▽学校間や地域との連携ーー。
どれも重要だが、「時間」の確保が大きな課題だ。
……時間の問題は、学校だけで解決するには限界がある。』
そして、朝日新聞編集委員の氏岡真弓さんは、
こんな警鐘を鳴らす。
『ただでさえ教員の多忙が指摘される中、
学校現場が担いきれなければ、
(改訂案は)「絵に描いた餅」になる懸念もある。』
その上、学校の実態を、『かつて大量採用されたベテランが次々退職し、
若手へ代替わりする過渡期でもある。
…中堅の教員が少なく、授業法の伝承さえ危ぶまれている』と。
まさしくパンク寸前とまで言われ、
多忙を極め、底力を失った学校現場での改訂である。
齋藤孝さんのコメント通り、『教員支援 成否を左右』している。
その教員支援だが、
はてさて、この私にできうることが、何かあるだろうか。
思い悩む、ここ数日が続いている。

まだ2月中旬 なのにこんなに雪解け