拝 啓
北の大地は、春の盛りを迎えました。
それぞれの草花は素敵な色香を競い、
周りの野山は、
木々が若葉を育んだ柔らかい緑で膨らんできました。
毎年のことですが、
大自然が春に織りなす、こんな鮮やかさに、
今年も、私の心は奪われています。
いつものことながら、貴兄には、
筆無精のままで、失礼を重ねております。
どうぞご容赦頂けますようにと付すと
「またまたそんな甘いことを。」
と、きっと笑止されることでしょう。
さて、5年前の11月末のことを思い出しました。
毎年グループ展の案内をいただいでおりましたが、
その年だけは「何としてでも」の思いで、
銀座の画廊へ足を運びました。
想像以上に若々しい貴兄の姿に、
一瞬声をかけるのをためらいました。
貴兄は、どことなくよそよそしい私を見るなり、
10年ぶりの再会など吹き飛ばしてしまうような、
明るい表情に親しみを込め、歓迎してくれました。
近況を語り合うこともなく、よく顔を合わせ、
言葉を交わし合っている者同士のような、
そんな振る舞い方で応じてくれました。
貴兄は、自作の数点と仲間たちの作品に、
ちょっとしたコメントを加えながら、
案内役をしてくださいました。
変わらない切れ味のよい雄弁さに、
心地よささえ感じました。
自作の彫刻の前に、再び戻った貴兄は、
思うように進まない創作をなげき、
こんな驚きの言葉を付け加えました。
「彫刻を志した学生時代から今日まで、
ずっとスランプなんだ。今も、脱出できないままさ。」
長い創作活動の歩みに対する強烈な自己評価に、
私は返す言葉がありませんでした。
しかし、「スランプ」の言葉から、創作に対する歯がゆさや、
追い求めるものの難しさ、
自己の能力や才能に対する高いプライドが、
伝わってきました。
そして、貴兄らしい物言いに、
なつかしさと共に、新鮮な感性に触れた思いがしました。
実は、あの時、私はすでに伊達への移住を決めていました。
これが、貴兄とお会いする最後の機会と思っていました。
それを伝えるタイミングを探りながらの場と時間でした。。
私の40年におよぶ教職生活。
その歩み中で、最も強い力で私を引きつけ、
遂には貴兄の数々を、私の目指すものにし、今に至っているのです。
素直にそのお礼も言いたかった。
機会は、ようやく別れ際に訪れました。
しかし、万感の想いは、お礼どころか、
私の求めに応じてくださった握手に、
力を込めるのが精一杯でした。
画廊からの帰り、華やかな銀座の夜道を歩きながら、
貴兄に出会った頃の瑞々しい驚きを思い出しました。
新米教師だった私は、職員室で初めて見た貴兄の、
あのスッとした立ち姿とセンスのいい服装に、
『都会の人』のオーラを感じたのです。
素敵だと見とれました。
ちょっとハスに構えたようなものの言い方、
教師でありながら、彫刻に情熱を注ぐ日々、
大人の洒落た気配りができる何気ない立ち振る舞い、
貴兄のそんな一つ一つに、私は憧れました。
「いつかは私もああなりたい。」
と、思ったのです。
さらに、「ロダンだ」「ブールデルだ」「マイヨールだ」
と名を上げ、彫刻や芸術を説き、
創作の魅力と自己表現の大切さを、熱く語ってくれました。
全く知らなかった世界観に、
私は、ただただうっとりと彷徨うばかりでした。
そう、あの頃から、
何かを創り出すこと、
何かを表現すること、
そしてその元となる、私自身を探し求めることに、
興味を持つようになったのです。
そんな師とも言える貴兄と、久しぶりに再会し、
「ずっとスランプ。」とおっしゃった。
私にはなかった評価の物差しでした。新鮮でした。
しかし、あれからずっと、
その言葉の周りを、ウロウロしている私です。
「いや、もっとできる。」
「決して、こんなもんじゃない。」
「必ず大きく開花する時がくる。」
そんな思いが、その人をさらに高い場所に導く、
その原動力になるのは確かです。
しかし、それはスランプからの脱出とは違います。
愚鈍な私は、新美南吉のこんな詩に行き着きました。
どうか、長文の引用をお許し下さい。
『 寓 話
新美南吉
うん、よし。話をしてやろう。
昔、旅人が旅をしていた。
なんというさびしいことだろう。
かれはわけもなく旅をしていた。
あるいは北にゆき、あるいは西にゆき、
大きな道や、小さい道をとおっていった。
行っても行っても、
かれはとどまらなかった。
ふっても照っても、かれはひとりだった。
とある夕暮れのさびしさに
たえられなくなった。
あたりは暗くなり、
だれもかれによびかけなかった。
そうだ、そのとき、
行くてに一つの灯を見つけた。
竹むらのむこうにちらほらしていた。
旅人は、やれ、うれしや、
あそこに行けば人がいる。
なにかやさしいものが待っていそうだ。
これでたすかると、
その灯めあてにいそいそいった。
胸がおどっていた。
さびしさもわすれてしまった。
だが、旅人は なににむかえられたとみんなは想う。
なるほど、そこにはやさしいひとびとがいた。
灯のもとで旅人は、
たのしいひとときをすごした。
だが、外の面をふく風の音を聞いたとき、
旅人は思った。
私のいるのはここじゃない。
私のこころは、もうここにいない。
さびしい野山をあるいている。
旅人はそそくさとわらじをはいて、
自分のこころを追いかけるように、その家をあとにした。
旅人はまた旅をしていった。
また別の灯の見えるまで。
なんとさびしいことだろう。
かれはとどまることもなく旅をしていった。
この旅人はだれだと思う。
かれは今でもそこらじゅうにいる。
そこらじゅうに、いっぱいいる。
きみたちも大きくなると、
ひとりひとりが旅をしなきゃならない。
旅人にならなきゃならない。』
私は、この詩に共感します。
いつだって、旅人なのです。
ようやくたどり着いたそこに、安住しないのです。
次の何かを求め、再び立ち上がるのです。
それが、人のすることだと思います。
芸術と言う困難な旅も、
私のような愚者の旅も、
同じように旅は旅。
そして、いつまでも続くのです。
その旅は、やり方、迫り方はそれぞれでも
その先は、自分探しなのではないでしょうか。
そう考えるのは、愚かなことでしょうか。
いつか再びお会いする機会に恵まれたら、
美酒を交え、そんな談論風発はいかがですか。
これから猛暑へ向かいます。
どうぞ、お身体を大切にお過ごし下さい。
敬 具

クロユリをみつけた (好まれない花のようだ)
北の大地は、春の盛りを迎えました。
それぞれの草花は素敵な色香を競い、
周りの野山は、
木々が若葉を育んだ柔らかい緑で膨らんできました。
毎年のことですが、
大自然が春に織りなす、こんな鮮やかさに、
今年も、私の心は奪われています。
いつものことながら、貴兄には、
筆無精のままで、失礼を重ねております。
どうぞご容赦頂けますようにと付すと
「またまたそんな甘いことを。」
と、きっと笑止されることでしょう。
さて、5年前の11月末のことを思い出しました。
毎年グループ展の案内をいただいでおりましたが、
その年だけは「何としてでも」の思いで、
銀座の画廊へ足を運びました。
想像以上に若々しい貴兄の姿に、
一瞬声をかけるのをためらいました。
貴兄は、どことなくよそよそしい私を見るなり、
10年ぶりの再会など吹き飛ばしてしまうような、
明るい表情に親しみを込め、歓迎してくれました。
近況を語り合うこともなく、よく顔を合わせ、
言葉を交わし合っている者同士のような、
そんな振る舞い方で応じてくれました。
貴兄は、自作の数点と仲間たちの作品に、
ちょっとしたコメントを加えながら、
案内役をしてくださいました。
変わらない切れ味のよい雄弁さに、
心地よささえ感じました。
自作の彫刻の前に、再び戻った貴兄は、
思うように進まない創作をなげき、
こんな驚きの言葉を付け加えました。
「彫刻を志した学生時代から今日まで、
ずっとスランプなんだ。今も、脱出できないままさ。」
長い創作活動の歩みに対する強烈な自己評価に、
私は返す言葉がありませんでした。
しかし、「スランプ」の言葉から、創作に対する歯がゆさや、
追い求めるものの難しさ、
自己の能力や才能に対する高いプライドが、
伝わってきました。
そして、貴兄らしい物言いに、
なつかしさと共に、新鮮な感性に触れた思いがしました。
実は、あの時、私はすでに伊達への移住を決めていました。
これが、貴兄とお会いする最後の機会と思っていました。
それを伝えるタイミングを探りながらの場と時間でした。。
私の40年におよぶ教職生活。
その歩み中で、最も強い力で私を引きつけ、
遂には貴兄の数々を、私の目指すものにし、今に至っているのです。
素直にそのお礼も言いたかった。
機会は、ようやく別れ際に訪れました。
しかし、万感の想いは、お礼どころか、
私の求めに応じてくださった握手に、
力を込めるのが精一杯でした。
画廊からの帰り、華やかな銀座の夜道を歩きながら、
貴兄に出会った頃の瑞々しい驚きを思い出しました。
新米教師だった私は、職員室で初めて見た貴兄の、
あのスッとした立ち姿とセンスのいい服装に、
『都会の人』のオーラを感じたのです。
素敵だと見とれました。
ちょっとハスに構えたようなものの言い方、
教師でありながら、彫刻に情熱を注ぐ日々、
大人の洒落た気配りができる何気ない立ち振る舞い、
貴兄のそんな一つ一つに、私は憧れました。
「いつかは私もああなりたい。」
と、思ったのです。
さらに、「ロダンだ」「ブールデルだ」「マイヨールだ」
と名を上げ、彫刻や芸術を説き、
創作の魅力と自己表現の大切さを、熱く語ってくれました。
全く知らなかった世界観に、
私は、ただただうっとりと彷徨うばかりでした。
そう、あの頃から、
何かを創り出すこと、
何かを表現すること、
そしてその元となる、私自身を探し求めることに、
興味を持つようになったのです。
そんな師とも言える貴兄と、久しぶりに再会し、
「ずっとスランプ。」とおっしゃった。
私にはなかった評価の物差しでした。新鮮でした。
しかし、あれからずっと、
その言葉の周りを、ウロウロしている私です。
「いや、もっとできる。」
「決して、こんなもんじゃない。」
「必ず大きく開花する時がくる。」
そんな思いが、その人をさらに高い場所に導く、
その原動力になるのは確かです。
しかし、それはスランプからの脱出とは違います。
愚鈍な私は、新美南吉のこんな詩に行き着きました。
どうか、長文の引用をお許し下さい。
『 寓 話
新美南吉
うん、よし。話をしてやろう。
昔、旅人が旅をしていた。
なんというさびしいことだろう。
かれはわけもなく旅をしていた。
あるいは北にゆき、あるいは西にゆき、
大きな道や、小さい道をとおっていった。
行っても行っても、
かれはとどまらなかった。
ふっても照っても、かれはひとりだった。
とある夕暮れのさびしさに
たえられなくなった。
あたりは暗くなり、
だれもかれによびかけなかった。
そうだ、そのとき、
行くてに一つの灯を見つけた。
竹むらのむこうにちらほらしていた。
旅人は、やれ、うれしや、
あそこに行けば人がいる。
なにかやさしいものが待っていそうだ。
これでたすかると、
その灯めあてにいそいそいった。
胸がおどっていた。
さびしさもわすれてしまった。
だが、旅人は なににむかえられたとみんなは想う。
なるほど、そこにはやさしいひとびとがいた。
灯のもとで旅人は、
たのしいひとときをすごした。
だが、外の面をふく風の音を聞いたとき、
旅人は思った。
私のいるのはここじゃない。
私のこころは、もうここにいない。
さびしい野山をあるいている。
旅人はそそくさとわらじをはいて、
自分のこころを追いかけるように、その家をあとにした。
旅人はまた旅をしていった。
また別の灯の見えるまで。
なんとさびしいことだろう。
かれはとどまることもなく旅をしていった。
この旅人はだれだと思う。
かれは今でもそこらじゅうにいる。
そこらじゅうに、いっぱいいる。
きみたちも大きくなると、
ひとりひとりが旅をしなきゃならない。
旅人にならなきゃならない。』
私は、この詩に共感します。
いつだって、旅人なのです。
ようやくたどり着いたそこに、安住しないのです。
次の何かを求め、再び立ち上がるのです。
それが、人のすることだと思います。
芸術と言う困難な旅も、
私のような愚者の旅も、
同じように旅は旅。
そして、いつまでも続くのです。
その旅は、やり方、迫り方はそれぞれでも
その先は、自分探しなのではないでしょうか。
そう考えるのは、愚かなことでしょうか。
いつか再びお会いする機会に恵まれたら、
美酒を交え、そんな談論風発はいかがですか。
これから猛暑へ向かいます。
どうぞ、お身体を大切にお過ごし下さい。
敬 具

クロユリをみつけた (好まれない花のようだ)