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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

北の春 さまざま

2020-04-11 15:47:21 | 北の大地
 ① 青森県弘前の春

 弘前城は桜の名所である。
もう5年前になるが、
家内の母と一緒に、3人でその満開を堪能した。

 その弘前公園の桜祭りだが、今年は中止になった。
それを発表する席で弘前市長は、
報道各社にこんなことを求めたと言う。

 『桜が咲いたと知れば、桜を見たいという行動を誘発する。
市民の命と健康を守るため、桜の見頃が終わるまで、
弘前公園で咲く桜の画像や動画を公開しないでほしい。』

 報道陣からは、
「個人の表現の自由や報道の自由に踏み込めるのか。」
との声があったようだ。

 しかし、例年、県内外から多くの観光客が押し寄せるシーズンだ。
タイミングが悪い。
 人の密集を何としても避けたい。

 市長として考え抜いた結果の、コロナ感染の拡大防止策なのだろう。
十分に理解できる。
 だけど、「そこまでする!?」。
なんて切ない桜の春だろう。


 ② 私の町の春

 一方、地元新聞記事は、
私の町の春をこう告げている。

    *    *    *    *    

 ボランティア団体・・クラブが管理する敷地には、
池などがあり多様な草花が育つ。
 今はカタクリやエゾエンゴサク、アズマイチゲが見ごろ。

 柔らかな日差しに誘われるようにエゾリスも元気に動き回る。
春の野草の周りを走り、
大きなしっぽを振りながら木から木へ素早く移動する。
 ・・・現在4,5匹が生息しているという。・・・

 「ちょうど鳥が動きだす時季でもある」
と紹介するのは日本野鳥の会・・支部長。
 4,5月は夏鳥が繁殖のため、本州や東南アジアから渡ってくる。
同敷地内でも、カワラヒナやキジバト、
ウグイス、ヒバリなどが確認されている。

 快晴に恵まれた・日は、
周辺でノルディックウオーキングを楽しむ市民らも。
 同・・クラブの・・副代表は、
新型コロナウイルス感染症の対策を取った上で
「家にいると気分が落ち込むこともある。
 きれいな花々を見ると気分転換になりますよ」
と話している。

    *    *    *    *

 4月になり、「だて歴史の杜公園」にも春が訪れている。
弘前とは比較できないが、
こちらはコロナで滅入る気分転換に、
「春を楽しんでは・・」と誘っている。

 人出もまばら「3密」など無縁だ。
しばしコロナを忘れることができると思う。


 ③ 『道民若葉マーク』の春

 これも新聞からの転用だ。
某紙の読者投稿欄にすっかり共感し、
拍手喝采した。
 
 昨今、ワイドショー番組のコメント内容に、
不快感が増大し、ストレスが鬱積していた。
 話題は全く違うが、このコラムに救われた。

    *    *    *    *    

      春の思い出
                   松永 正実    

 あ! え? ミズバショウだ。こんな場所にも咲くんだ。
てっきり夏の花だと思っていたー。
 30年前、北海道で迎えた初めての春に、
この花と出合った瞬間の印象である。

 そこは雪解け水を集めてできたような、
何の変哲もない小さな湿地であった。
 ミズバショウと一緒に鮮やかな黄色の花も咲き乱れていて、
すてきな空間をさらにぜいたくなものにしている。
 この花は調べてみて、エゾノリュウキンカだと分かった。

 驚いたのはこれだけ見事な群生地に対して、
周囲の人々が大して関心を示していなかったことだ。
 ミズバショウは東京辺りではまずお目にかかれない花。
有名な唱歌「夏の思い出」にある通り、
はるかな遠い空の下に咲く憧憬の花だというのに。

 翌朝、二つの花の美の競演をカメラに収めようと
早起きして出かけることにした。
 幸運にもガスが立ちこめて、絶好の撮影日和だ。
喜び勇んで現場に着くと、様子がおかしい。
 なんとおばさんが1人、
せっせとエゾノリュウキンカを収穫しているではないか。

 そう、エゾノリュウキンカはヤチブキという
別名がある山菜でもあったのだ。
 花の部分は要らないのだろう、
その足元にはバッサリと切り落とされた、
鮮やかな黄色がむなしく散乱している。

 カメラを手にぼうぜんと立ち尽くす自分が、
ひどく間抜けに思えた。
 春が来れば思い出す、
道民若葉マークだった頃の切ない出来事である。
                (養鶏業・八雲)

    *    *    *    *

 ミズバショウについては、
私にも同類の「道民若葉マーク」がある。

 兄の住まいがある登別市に、
数年前に『キウシト湿原』と言う公園ができた。
 そこへはまだ行ったことがないが、
住宅街に湿原があり、貴重な自然が残っているらしい。

 その公園が開設された翌年のこと、
兄と一緒にお彼岸の墓参を済ませた帰り道だ。
 助手席に座っていた兄が指差して言った。

 「あそこにキウシト湿原があるんだ。
もうすぐ、ヘビマクラがいっぱい咲くんだ。
 今度、行ってみるといいぞ。」

 『ヘビマクラ!』。
何のことか、見当がつかなかった。
 「なに、それ?」。
ハンドルを握りながら訊いた。

 「池の脇なんかに咲く白い花だ。知らないか。」
「春の白い花か・・?、
ミズバショウなら分かるけど・・・。」
 「それだ、それ。ヘビマクラって言うべ。」

 かなりショックを受けた。
あの可憐な花が、「ヘビマクラ」とは。
 あまりにもドギツイ。

 ④ 変わりない春

 花壇の土が、所々小さくひび割れ、盛り上がっている。
まもなく緑色の新芽がのぞくのだろう。
 
 芽吹きにはまだ少し早いが、
ジューンベリーの花芽が確実に膨らみ、
その先に白みがおびている。

 物置の屋根に、冬を無事に越えた雀の親子が時々並び、
交互にさえずり合う声が私の部屋まで聞こえてくる。

 朝は、いい天気が続く。
その日は、うす雲が多くても、
その切れ間から明るい青空がのぞいていた。
 
 ランニングの荒い息のまま、畑のすぐ横を通った。
農家さんの若夫婦が、並んで整地した畑にかがんでいる。
 やや離れていたが、春野菜の苗植え作業だと分かった。

 2人のかすかな話声が聞こえてきた。
それは柔らかな日差しの、のどかさに溶けていた。

 そして、次に、
若々しい奥さんの、コロコロと転がるような笑い声が、
走り抜ける私の背中を追いかけてきた。
 
 そんな北の春に、私は生まれた。
今日で、72歳になる。



交通安全を見守る 冬はニット帽にマフラーだけど   
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北に うまいもんあり

2019-08-03 16:40:48 | 北の大地
 きっと日本中いたるところ、夏野菜の最盛期だろう。
ここ伊達も同じだ。

 だて観光物産館の野菜売場は、
旬の『伊達野菜』であふれている。
 とうきび(トウモロコシ)も、
豊富に並びだした。
 枝豆も出回った。
そして、この頃は万願寺唐辛子の美味しさに、
私ははまっている。

 つい先日の朝だ。
ラジオ体操の帰り道、親しくさせて頂いているご近所さんから、
「トマトとピーマン、持って行かないかい?」
と、声がかかった。

 案内されたのは、ご自宅の裏庭だ。
見事な家庭菜園だった。
 その一角に、トマトやピーマンがいっぱい実をつけていた。
家内と2人、両手に抱えられない程、頂いてきた

 早速、朝の食卓に。
トマトは、生野菜と一緒。
 そして、ピーマンはそのまま丸焼きに。
まさに、もぎたて。
 美味しくないはずがなかった。

 そんな午後、玄関になじみの顔が、
「インゲン豆がいっぱいできたから、食べて。」
 これまた、ありがたく頂き、夕食でゴマ和えにする。

 どれもこれも「美味しいね」を連呼しながら、
暑さを忘れてほおばる。
 夏やせどころか、夏太りを心配する有り様だ。

 さて、歳を重ねるにつれ、「食」への関心が増している。
若い頃は、忙しさもあったのか、
お腹を満たせばそれでいいと思っていた向きがある。

 しかし、今は違う。
朝食の食パン一切れにも、こだわりがある。
 卵1個も同様で、卵なら何でもいい訳じゃなくなった。

 だから、うまいと思うものを口にした時の満足感は大きい。
北海道で知った『うまいもん』を、2つ紹介する。


 ① 松尾ジンギスカン

 今年、義父の13回忌を迎える。
その父が、元気だった頃からだ。
 お盆の帰省で、実家がある芦別に行くと、
定番コースのように、昼食時に出向くところがあった。

 そこは、車で片道30分、
滝川市内にある『松尾ジンギスカン本店』である。

 今も、芦別で暮らす母を訪ねた折、
欠かさずにと言うくらいに、車をとばす。

 この『松尾ジンギスカン』だが、
次第に有名になっているようで、
東京都内にも支店があると言う。
 また、新千歳空港内にもその看板がある。

 さて、ジンギスカンについてだが、
その食べ方には2通りある。

 よく知られているのは、羊肉を焼いてから、
ジンギスカンのたれをつけて食べるものだ。

 もう1つは、長時間たれに漬け込んだ羊肉を
焼いて食べるものだ。
 これは、たれにつけたりせずに、そのまま食べる。 
『松尾ジンギスカン』はこのタイプである。

 店独自の秘伝だれに漬け込んであり、
肉の柔らかさもあるが、その味がいい。
 ジンギスカン鍋で一緒に熱を通し、
そのたれが浸み込んだもやしやタマネギが、これまたうまい。

 よく蟹を食べる時は、みんな無言になると言う。
それと変わらない。

 父が一緒だった時も、
そして今、母と家内、私の3人でも、
食べている間、会話はほどんどない。

 肉も野菜もご飯も味噌汁も、
全てがなくなってから、
「美味しかったね。」
と、口をそろえるのが常なのだ。

 今年も、お盆が近い。
芦別への墓参を予定している。
 また、あのジンギスカンが楽しみになってきた。

 つけ加えるが、
「本店の味は、支店とは違う。」
 勝手に、私はそう決めつけている。 


 ② 王鰈(まつかわ)の刺身

 10歳も年の差がある兄は、
中学生の頃から父を手伝って魚の行商をしていた。

 その行商は、やがてリヤカーから四輪トラックに変わり、
遂には、鮮魚を中心にした食料品店を開くまでになった。
 余談だが、そのお陰で私は大学に行き、
教職に就くことができた。
 店の最盛期には、従業員が20人以上にもなっていた。
しかし、大型店舗の進出と不況に飲まれた。

 兄は、自身の体力の衰えもあったのだろう。
10数年前に、食料品店をたたみ、
家族で切り盛りする魚料理を中心とした飲食店を始めた。

 人口減少が著しい町での、店の切り盛りは大変のようだ。
でも、80歳になった今も、
毎日元気に調理場に立ち、腕を振るっている。

 あるタウン雑誌が、
魚の目利きのよさと、
お客さんへの人当たりのいいご主人として、兄を紹介した。
 その記事を読みながら、ちょっと胸を張り、
1人自慢気になっている私がいた。

 我が家から車で30分、
東室蘭駅近くにあるその店には、
時折、夕食を食べに顔を出す。

 兄は、その日一番の煮魚と刺身が載った定食を、
用意してくれる。
 いつもその味にはずれはない。

 ババガレイなど旬の煮魚も美味しい。
しかし、いつも私が感心するのは、
兄が造る刺身である。

 日本料理店が出す『お造り』みたいな洒落たものではない。
安価な皿に、大根のつまを盛り、
その上に5切れ程の刺身が2種類並んでいる。

 日によって魚は違う。
鮪の中トロ、赤身、イカ、ヒラメ、かんぱち。
それが、いつだって最高に美味しいのだ。

 刺身と言えど、その辺の調理人とは年期が違う。
何と言っても、正真正銘、たたき上げの魚屋の腕前だ。 
 「他と違って当然。」
身内だが、そんな風に兄を評価している。。 

 ある日、その刺身皿に、鮪と一緒に白身魚があった。
一切れを口にした時だ。
 「それ、マツカワだ。美味しいべ。」
カウンター越しに兄の声が届いた。

 主に、北海道の太平洋沿岸で採れるカレイだ。
『王鰈』と書いて、マツカワと言う。
 そう書き表すだけあって、美味しいと聞いていた。

 しかし、高級魚で魚屋の店頭に並ぶことはない。
私は、その時はじめてマツカワの刺身を食べた。

 そのマツカワなのに、兄は、奮発したらしい。
7切れもあった。
 美味しさは、他の刺身の比ではなかった。
特別だった
 1切れ1切れに、心がざわついた。

 以来、まだ2度目のマツカワの刺身に巡り会っていない。
どうやら、旬は、夏から秋にかけてだと言う。
 今だ。

 さて、次はいつ食べられるのだろうか。
いや、もう2度とないのかも・・・、
 そ、そんな・・・・。 



 暑い日 人気のない『恋人海岸』

 次の更新予定は、8月17日(土)です。     
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「冬眠!」?なんて

2019-02-23 20:40:13 | 北の大地
 もう少しで、伊達に来て7回目の冬を、
越えることができる。
 それにしても、今年はいつになく冬が長い。
なぜだろう。
 その答えは、何となく分かっている。

 私のこの先がずっと長いのなら、
きっと、雪にとざされた1日1日を、優しく受け入れられるだろう。
 「こんな季節も、またいいものさ。」
なんて、周りに言いながら、のんびりと。

 あるいは、もう無理ができない歳と達観できたなら、
暖かな窓枠に切り取られた雪景色に、
いつまでも目を奪われているだろう。
 「これはまるで絵画だ。」
なんて、1人呟きながら、ゆったりと。

 だが、私の年齢は、すでに先細りの領域に入っている。
残された時間は、そんなに潤沢ではない。
 でも、体はまだ動く。達観などできない。
使い方次第では、まだ可能性を秘めている。
 
 雪にとざされたままは、イヤなのだ。
雪景色に、じっと目をこらす日々も無理だ。

 「塚ちゃん、伊達で冬は何するの?」。
移住を決めた時、友人に訊かれた。

 「決まってるサ。冬眠だよ。」
即答した後、こう胸張った。
 「ただジッーと、春を待つ。
北の冬は、そんな時間をくれる大切な季節なんだよ。」

 友人の呆れ顔をよそに、まったくよくも言ったもんだ。
後悔しきりの今年の冬である。
 ジッーとなんかして居られない。
できることを探しながら、あと一息、越冬暮らしだ。
 そんな日々、心さわぐワンカットを2つ。

 
 ① 体育館の温もり

 風邪によって体調不良となった。
「走れない!」。
 でも、少し体力が回復すると、
勇んでランニングを再開する。
 するとまた風邪の症状が出る。

 去年の冬は、そんなくり返しだった。
だから、「この冬は、同じことにならないように・・」。
 そう決めて、本格的な冬となる12月を迎えた。

 早々と、朝のジョギングは止めにした。
それに替えて、
総合体育館のランニングコースで汗を流すことに・・。
 
 ランニングスタイルの上に、
厚手のウインドブレーカーを着て、
ニット帽に手袋と、完璧な防寒対策をする。
 そして、マイカーでわずか5分の体育館へ。

 週に3回ほど、1周200メートルのコースを
25周5キロ走。
 時には、50周10キロを、体調と相談しながら走る。

 館内は、暖房がきいていて、半袖と短パンでいい。
私は、夏と変わらず頭からも背中からも、大汗を流す。
 ランニング後の、爽快感がいい。

 でも、窓の外は、一面が雪。時には、吹雪だったり。
それを見ながら、
春から秋までの折々の山々、草花、田畑を思い出す。
 その清々しい風を感じながらのジョギングが、脳裏に浮かぶ。

 「憧れ」は大袈裟だが、「待ち遠しい!」。
そんな感情に似た想いになる。
 その時、一瞬さめた心が、体を抜けていく。
だが、伊達の体育館はそんな私を、いつも温めてくれる。

 階段を昇り、2階のランニングコースへ行く。
顔馴染みになった顔が、3人4人、
すでにマイペースで走っている。

 明るい表情で会釈しながら、かけ抜けていく。
私は片手を挙げたり、笑顔になったりして、それに応じる。

 時には、走り始めた私の後につき、
「足の運び方がよくなったね」などと、
アドバイスをくれる方が現れる。

 「同じくらいの速さだから、ついて行ってもいいかい。」
うなずくと、息を弾ませながら、何周も伴走する方がいる。

 前回は、もの凄い速さだった方が、
私よりもゆっくり淡々と走り続ける。
 「きっと、マイプランがあってのことなんだ」。
無言で教えてくれる。

 みな同世代と言っていい方々だ。
もう洞爺湖のフルは諦めたと言う方。
 中学生や高校生のコーチをしている方。
全国で開催されるトライアスロン大会に出場し続けている方。
 今度の『伊達ハーフ』を孫と一緒に走ると意気込む方。
その戦績・動機は様々だ。
 だが、走る楽しさを知った人たちだ。

 そんな方々といつも出会うのが、たまらなくいい。


 ② 練習場の熱風

 伊達市内には、前後左右だけでなく、
上までネットでおおわれた小さなゴルフ練習場が1つある。
 まるで「鳥かご」みたいで、好きになれない。

 近くのゴルフ場が、雪でクローズになると、
その練習場も、時を同じくして冬期間は閉鎖になる。

 ところが、自宅から車で30分、
室蘭市内の練習場は、冬期間も営業している。

 道内のゴルフ場は全てクローズしている。
なら「誰も練習などしないのでは・・」。
 私もそう思う1人だった。
伊達の「鳥かご」同様、冬期間は閉鎖でいいのでは・・。

 ところが、今年のお正月のことだ。 
新聞の地元記事欄に、そのゴルフ練習場の記事があった。
 『新春の練習場 初打ちで賑わう』
そんな見出しだった。

 4月上旬、そろそろゴルフ場オープンかと思える頃、
室蘭までクラブを振りに行くことがあった。
 しかし、真冬はまったく関心がない。
だから、練習場が賑わっている写真に、驚いた。

 新聞記事の翌日、氷点下だったが、風がない。
青空に誘われ、車にゴルフバックを積み込み、ハンドルを握った。
 防寒対策には念を入れた。いくつもカイロを忍ばせた。
 
 駐車場の混み具合、そして約50余りの練習打席の混雑。
どれも、記事通りだった。
 家内と隣同士の席をとることができない。
仕方なく、2人で1打席を使うことにした。
 それでよかった。

 この時期、打席料金の他に、暖房料金が追加される。
わずかな額だが、北海道らしい料金設定だ。

 2打席に1台ずつ、大型の暖房ファンの熱風が、
練習するゴルファーへ向けられている。

 打席の先は、緑の芝生から一面の雪に変わっている。
前面の外気は氷点下だ。
 どんな防寒でも、15分も打ち続けると寒さがこたえる。

 家内と交替し、私はその熱風のそばに近づき、暖をとる。
丁度、温まった頃、今度は家内が練習を止め、温まりに来る。

 周りの打席の方も、大同小異だ。
クラブを振っては、暖をとる。そしてまた打席へ。

 「そうまでして・・」と思われることだろう。
しかし、私だけではない。
 練習場を埋めていた人たちなら、みな同じ気持ちだろう。
寒さなどを越えて、春からのラウンドに心が向かうのだ。

 2時間あまりの練習を終え、
帰りの車を走らせながら笑顔で言う。
 「また、晴れた日に練習に来ようよ。」
私の提案に、家内は明るく同意してくれた。

 あの熱風さえあれば、真冬でもクラブが振れる。
その体験が、春を待つ日々に、ちょっとした明るさをくれた。





  雪がきえた秋蒔き小麦の畑に白鳥   
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北の底力に 奮えた

2017-02-03 22:24:42 | 北の大地
 道北・留萌市に関する話題である。

 留萌は、若い頃に1度だけ車で素通りしたことがある。
特段の印象は記憶にない。
 ただ、冬の北海道版天気予報では、『暴風雪警報』と一緒に、
よくこの地名を聞く。
 かつては、石炭の搬出で賑わった街だと言う。
日本海に面し、雪が多く、寒さも厳しいらしい。

 ▼ 最初は、昨年12月4日のことである。
この日、JR北海道留萌本線の、
留萌駅と増毛駅間が廃線になった。

 その夜、増毛駅を発つ最終列車に、
集まった住民たちが、寒さと真っ暗闇の中で、
色とりどりのペンライトを振り、別れを惜しんだ。
 その映像を、テレビで見た。

 当初、廃線は11月30日(水)であった。
それを、「みんなでお別れしたい。」と願い出て、
12月4日の日曜日まで延期になった。
 ペンライトは、増毛駅前通り商店会が、
用意したのだと聞いた。

 人々の別れの声と共に、揺れる色とりどりの灯りが、
胸を締め付けた。

 増毛駅に限らず、駅や鉄道には、
その人その人のドラマが刻まれている。
 その地が、また1つ消えていく。

 それだけでも切ないのに、
揺れるペンライトの灯りが悲しげで、心を濡らした。

 その日、増毛町長はこう語った。
「鉄道ファンの私が、
廃線に同意の判を押さねばならず、
最後の日に立ち会わねばならないことは、
非情につらい。」
 一首長としての無念さが、真っ直ぐに伝わった。

 年齢と共に、メッキリ涙もろくなった私だが、
その日の住民と町長に、目頭を押さえた道民は、
少なくなかったと思う。
 きっと、同時に唇も噛んだに違いない。

 ▼ その留萌本線には、引き続き
全線をバスによる運行と言う、
事実上の廃線が提案されている。

 「北海道の鉄路の将来をどうするという、
総論の議論を経ないで、
個別の路線の協議に入ることはできない。」

 留萌本線の起点駅がある深川市長は、
そう言って協議を拒否している。

 目先の施策に苦慮するばかりの行政マンが目立つ。
その中で、先々を見据えた気骨ある市長の態度に、
私だって、エールを送りたくなる。

 ▼ JR北海道の鉄道事業の衰退だけではない。
各地方の人口減少は、急激に進んでいるように思う。

 大都会での暮らしが長かったからだろうか。
「いたるところで町が消えてしまう。」
そんな危機的カウントダウンが聞こえるようで、
つい暗い気持ちになる。

 くり返しになるが、
「地方は、もう見捨てられている。」
そんな思いを強くする光景を、いたるところで見てきた。

 ▼ ところが、留萌の町に一条の光があった。

 先週、NHK北海道で、『北海道クローズアップ・
私たちの本屋を守りたい ~留萌の挑戦』が放映された。

 2011年7月24日、
『留萌ブックセンターby三省堂書店』がオープンした。

 それから5年、人口2万2千人の小さな町のこの本屋は、
在庫10万冊を数え、毎月1千万円を売り上げ、
黒字経営を続けている。

 実は、それまで留萌にあった本屋は、
2010年10月を最後になくなってしまった。
 留萌は、本屋のない町になった。

 そのことに危機を感じた数人の市民が、立ち上がった。
その動機は、新学期を控え
「自分にあった参考書を、手にとって選ばせたい。」
そんな子どもへの思いからだった。

 目指すは、人口30万人以上を出店の条件にしている、
東京に本店がある大手書店・三省堂の誘致だった。

 『三省堂書店を留萌に呼び隊』を立ち上げた。
そして、数人のグループで取り組んだのが、
単なる誘致署名ではなかった。

 それは、その書店のポイントカード会員になることだ。
「こんなに多くの人が、あなたの書店の本を買います。」
その意思表示だった。

 集まった会員数は、
人口の10分の1を越え、2500人に及んだ。

 三省堂の社長は言う。
「寒い冬の留萌の中で、情熱的な熱さにほだされた。」

 この誘致活動を進めた『呼び隊』の代表・武良千春さんは、
出店の報を聞いた時、思わず口をついた。
「本当に来るの! 三省堂!」

 ある市民は言う。
「誘う方も、誘われる方も、思い切った!」

 「ダメ元」で始めたと言うが、
ポイントカード会員を集めるという知恵が、
大手書店を揺り動かした。
 その熱い願いをキチンと受け止め、
踏み出した大手書店の経営陣も凄い。
 両者に関わった人々の底力に、私は奮えた。

 しかし、書店ゼロの危機を救った奇跡の取り組みは、
それで終わらず、開店後も続いている。

 『三省堂書店を留萌に呼び隊』は、
『三省堂書店を応援し隊』となった。

 メンバーは、ボランティアとして、
人手が必要な本の陳列を手助けする。
 病院などへ、出張販売に出かける。
店内では、読み聞かせや朗読会を行っているのだ。

 インタビューに応じた地元の女子高生は、胸を張る。
「自分の好きな本がいっぱいある。」
 そして「留萌の宝石」と微笑む。

 町の本屋をなくさないようにと、
住民の小さな努力も続く。
 コンビニで買っていた雑誌を、ここで買う。
ネットで注文していた本を、ここに注文する。
 そして、市内のお寺の住職は、
全国発送する宗派の教材本270冊40万円を依頼し、
本屋を支える。

 店長の今拓巳さんは言う。
「毎日、奇跡がおきている。」
そして、力を込めて、こう続けた。
「無くしちゃいけない。
楽しんでもらって、買ってもらって、
長く続けて行きたい。
そういう本屋でありたい。」

 この番組の結び、こんなアナウンスが流れた。
「大切なものは、必ず守り抜く。
小さな街の1軒の本屋が私たちに教えてくれています。」
 
 今日も、留萌でくり広げられている、
『大切なものを守り抜く』小さな力と力、
そして少しの知恵と心意気。

 私は、その事実に人の真の強さを学んだ。
つい下を向いてしまう自分の気持ちを見つめ直す、
大切な切っ掛けを頂いた。




  だて歴史の杜公園の 雪景色
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冬を切り取って

2017-01-20 22:07:44 | 北の大地
 ▼ 目ざめると、天気予報通り雪が降っていた。
深夜から降り続いていたようだ。

 朝食を済ませた頃、雪は降り止んだ。
珍しく10センチ以上の積雪、この冬一番だ。

 早速、1時間ほど、自宅前の歩道と駐車場の雪かき。
「随分、降りましたね。」
 ご近所さんと挨拶代わりに、そんな言葉を交わす。
みんな、いつもより長い時間、雪と組み合う。

 その内、雲の切れ間から、明るい陽が差し込んだ。
この住宅街も、一面真っ白な銀世界が、
キラキラと光り輝いた。

 その眺めは、重たい鉛色の雲におおわれ、
氷点下のキーンとした寒さの毎日に、
一時とは言え、“この地で暮らすことに満足する”
そんな素敵な1枚の絵画だった。
 私は、しばらくはそのまぶしさに目を細め、誓った。

 “伊達に来て、5度目の冬になる。
春夏秋冬、1年を通し、この1月が大の苦手だ。

 2月の方が、きっと冷え込みは厳しいのだろう。
でも、『春は近い。』と思える。
 その分、まだ2月の方がいい。

 1月は冬真っ只中を実感する。
そんな時、大自然からの贈り物がこのきらめきだ。
 そうだ! 必ず、春が来る。
だから、もうしばらく、この冬を我慢しよう。”


 ▼ 珍しく寒さがゆるんだ夕暮れ時、
家内を誘って散歩に出た。
 冬至が過ぎ、若干だが、陽が長くなってきた。

 それでも、冬の夕映えはあっという間に過ぎてしまう。
純白の雲が、薄い桃色に染まり、
やがて濃い色に変わる様を楽しみながら、その日は、
いつもの散歩より、少しだけ足を伸ばしてみた。

 次第に小高くなる農道を進んだ。
夏のその道に比べ、イタドリなどでおおわれ、
隠れていた周りの景色が解放されている。
 冬ならではの伊達の全景が見えた。

 時々、ふり返りながら、雪化粧した街に目をやり、
畑の農道を行く。
 すると、『クワッ-、クワッ-』
時折、冬に聞くオオハクチョウの声がした。

 すぐそこ、強い風で雪が舞い散り、土が顔を出した畑に、
40羽はいるだろうか。
 動きを止めることなく、落ち穂をついばんでいた。

 突然、その中の5羽が、助走をつけ、
私の頭上を飛び立っていった。
 ねぐらにしている長流川の河口に帰るのだろうか。

 そして、また3羽、私の頭上を行く。
『クワッ-、クワッ-』の声も、
翼を大きく広ろげ飛翔する姿も、間近で雄大、鮮明だ。

 さて、ここから先、私の驚きを、笑わないでほしい。

 雀が空を舞う。鳩が羽ばたく。カラスやカモメが飛ぶ。
そこまでの大きさの鳥が、上空を行き交うのに、
何の不思議さも感じない。
 それは、極めて普通のことである。

 しかし、私などが抱えきれない、あの大きな体が、
空を飛ぶのだ。
 その重量感と力強さを、手の届きそうな間近で目撃し、
私は、初めての不思議さと神秘さを強くした。

 「あんなに大きいのに、飛ぶ・・・。」
「すごいなあ。あんなに大きいのに・・・。」
 くり返しくり返し、家内につぶやき続け、空を見上げた。

 飛び立ったオオハクチョウは、一度噴火湾の方へ向かい、
それから方向を変え、次第に小さくなった。
 やがて、夕焼けがわずかに残った大空に消えた。

 私たちも、冷え込んできた帰り道を、
つい急ぎ足に。
 その道々、私はまだ呟いていた。
「あんなに大きいのに・・。」
「大きくても、飛べるなんて・・?!」

 私は、納得ができないまま、
それを受け入れようと、懸命になっていた。


 ▼ 一般道を、車で小1時間程の所に、虎杖浜がある。
その前浜は、太平洋の大海原で、漁場としてもいい所らしい。

 そこで水揚げされた鱈を加工した『タラコ』を、
私は、勝手に高く評価している。
 よく贈答品にさせてもらう。
これが、また評判がいい。

 その海辺に小高い丘がある。
そこに、若干高級感のある温泉宿があった。
 思い切って、そこでの一泊を張り込んだのは、
一昨年の1月のことだ。

 ホームページにあったこんな案内フレーズが、
気に入った。

 『日々の喧騒を忘れ、ただ海を眺めているだけで、
まるで心が洗われるよう。
 眼前に広がる海の癒やしの力には、何もしないというより、
何もできなくなるといったほうが、よいかも知れない。』

 この宿には、いくつかの主張があった。
温泉、部屋、料理はもちろんだ。
 それに加え、大型犬の『モコ』が、
出迎えのロビーでゆったりと待ち構えている。
 突然、特別な空気感に、一瞬にして招かれた。
そんな気にさせられる。

 さらに、もう1つ紹介する。
どの部屋も大きな窓の先は、冬の海と空の水平線だけ。
 そして、眼下は、小さな波が打ち寄せる雪色の浜辺。
そこに、数10羽の水鳥が浮かんでいる。
 その上、この宿は、「ゆったりとくつろいだ時間を」と、
あえて各部屋にテレビを設置していない。

 さて、源泉掛け流しの温泉も、
旬の食材を生かした料理もいい。

 その後、就寝前の一時がくる。
真っ暗な海に向かって椅子が並ぶ、
ラウンジへ行ってみた。

 そこに置かれた土鍋のホットワインを、
少しだけグラスにそそぎ、
ガラス越しの海に向かって、腰掛ける。

 近くの漁港から、漁り火を灯した船が、
沖に向かって進んで行った。
 「この時期は、助宗鱈の最盛期です。」
宿の方が教えてくれた。

 すると、また一艘、
1月の夜を、漁り火が沖へと向かった。
 しばらくすると、再び一艘の灯りが・・・。

 真っ暗闇と小さな灯りの共演に、
時を忘れ、目が奪われた。

 そして、温泉と少しのワインの温もりにつつまれ、
寝入った深夜、急に目がさめた。

 カーテンを開け放しておいた広い窓の、闇の先の先、
そこには、数えきれない小さな漁り火が、一直線に並んでいた。

 きっと沖合いは、厳しい寒さだろう。
そこで真夜中の漁が、くり広げられている。
 その過酷さを、一生懸命に想像した。

 同じ時に、私は、暖かな部屋のベットで、
ヌクヌクと横になっている。
 双眼鏡を駆使しても見えない船上に、
心が強い痛みを感じた。

 しばらくは、眠りに着くことなどできなかった。

 翌朝、宿の男性にそんな思いを伝えてみた。
静かに答えが返ってきた。

 「どんな仕事も、みんな厳しいものです。」
少しだけ、救われた。
 訳もなく、癒やされた。
急に、あの案内フレーズを思い出した。

 『眼前に広がる海の癒やしの力には、
何もしないというより、
何もできなくなるというほうが、よいかも知れない。』
 
 窓の外、風もないのに小雪が舞った。




  冬の水車アヤメ川自然公園・散策路
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