社長ノート

社長が見たこと、聞いたこと、考えたこと、読んだこと、

日本経済新聞 春秋

2014-05-05 09:54:56 | 日記
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 「銀の匙(さじ)」というと、最近ではもっぱら同名の人気漫画を指すようだ。しかし「こどもの日」で思い出すのは、昔から有名な中(なか)勘助(かんすけ)の自伝的小説のほうである。明治時代の子どもの世界を子ども心に戻って描いたこの作品は物悲しく、いつ読み返しても胸にじんと迫る。
 修身の授業のくだりがほほ笑ましい。みんなの興味を引こうと、ある先生はさまざまな物語の掛け図を前に面白おかしい講釈をする。ときには児童らにも話をさせるが、当てられた子は「足袋と足袋が川を流れてきて、たびたびご苦労さま」などとダジャレで済ます始末だ。教師としては、とても難しい授業であったろう。
 明治の昔も今も、徳育なるものの悩ましさに変わりはあるまい。しゃくし定規ではなく、規範意識をいかに自然に養うか。そのために戦後の道徳教育は、教科の枠を外して学校生活全体でルールやマナーを身につけさせようとしてきた。それを大転換して「特別の教科」という型にはめる構想がいよいよ現実化しつつある。
 安倍首相がかねて意欲を示してきたテーマだから文部科学省も躍起だ。しかし教科書のあり方など難問山積で、教科化への疑念は保守層にも少なくない。「銀の匙」では進級して修身で教科書を使うようになって少年は一転、授業が大嫌いになる。「私は修身書は人を瞞着(まんちゃく)するものだと思った」。至言であるかもしれない。

朝日新聞 天声人語

2014-05-05 03:30:03 | 日記
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 きのうの「みどりの日」をもって春は終わり、きょう「こどもの日」から夏が始まる。暦の上のことだが、伸びざかりの命を祝う日にふさわしい。風薫る季節、タケノコがぐんぐん若竹に育っていくときだ。
 タケノコに限らず若い緑には新たな息吹がある。こどもの日の第1回を祝ったのは1949(昭和24)年だった。全国で270万人が産声をあげた年で、奇(く)しくもベビーブームの頂点にあたる。
 〈我ら戦争に敗れたあとに/一千万人の赤んぼが生(うま)れた/だから海はまつ青で/空はだからまつ青だ〉と叙情詩人の三好達治は書いた。生まれくる子は、傷だらけの体で立ち上がったこの国の、かけがえのない授かりものだった。
 えんやこらと復興の泥坂を上る大人を、小さな瞳が励ました。筆者は昭和30年代の生まれだが、あの頃も子どもが多かった覚えがある。昨今は、表で遊ぶ姿を見かけることも少ない。
 少子化に加えて、子どもの日常はますます遊びから遠のいていると聞く。時間、空間、仲間の三つを、遊びに欠かせない「サンマ(三間)」と呼ぶそうだ。放課後の外遊びもサンマがあればこそ。いまや都市部では原っぱという「黄金空間」も消えて久しい。
 〈少年時友とつくりし秘密基地ふと訪ぬれば友が住みおり〉笹公人(ささきみひと)。鬼ごっこも缶けりも、長じて何かの役に立ったとも思えないまま、何かの役に立っている。それが遊びというものだろう。サンマを上手に確保するつとめが社会にある。無論こどもの日だけではなく。