名古屋市博物館で企画展「尾張氏(うじ)・志段味古墳群をときあかす」が4月28日から6月10日まで開催された。
開催中、志段味古墳群について、視点を変えてシンポジュウムが開催された。
私は4月29日開催の「志段味古墳群と大和王権の東国支配」と題して、花園大学文学部文化遺産学科教授 高橋克壽氏の講演に参加。
帰りに、売店で名古屋市教育委員会発行の「志段見古墳を巡る」を購入。大変わかりやすく古墳初心者の私には最適なテキストだ。
5月19日には「倭の五王の時代と志段味大塚古墳」と題して、京都大学大学院文学研究科教授 坂口英毅氏の講演と、同日京都国立博物館考古室研究員による、「雄略期の東国と志段味大塚古墳」と題した講演に参加した。
これら講演を聴講した後、企画展を見るつもりでいたが、体調的に講演後展示品を見て歩く体力なかった。
ようやく6月8日、午後3時博物館へ出かけたが、1時間もすると背中が痛みを伴って痛くなり、急ぎ足で会場を出る始末。
止むを得ず、冊子「尾張氏・志段味古墳群をときあかす」を購入。この冊子は博物館発行の展示図録になっていたので大変助かった。
目次はプロローグ 志段味古墳群と尾張の古代史に始まり、1.はじまりの王 2.帆立貝式古墳の武人と地域間の交流 3.濃尾の王、尾張氏 4.古墳と尾張氏の系譜 5.エピローグ 志段味古墳群のいまと将来 と構成されている。
この後に研究員の持論1、持論2が掲載されている。
持論1は「前期志段味古墳群の盛衰」。名古屋市見晴台考古資料館学芸員 酒井将史氏
持論2は「東谷山古墳群の造営集団に迫る」。名古屋市教育委員会文化財保護室 深谷 淳氏
大変長期間の企画展であったが、シンポジュウムや冊子・展示物等を通して、私のような素人にはまとめ切れないほどの情報だ。
中で、私がなるほどと思った点をいくつか思い出しながらまとめてみた。
1 白鳥塚古墳と行燈山古墳を縮尺で重ねると、相似形になるそうだ。
この行燈山古墳はす崇神天皇稜に否定されている古墳だ。
このことから、大和王権との結びつきが強く感じられるそうだ。
2 古墳時代前期における伊勢湾沿岸への埴輪の波及。
赤は大和盆地東南部系の埴輪、青は大和盆地北部系の埴輪。
3 志段味古墳群は、倭王権の東国への進出拠点地ではなかったかとの説。
4 尾張地方の初期古墳はは前方後方墳や方墳が主力だった。(2~3世紀)
5 尾張で初めて前方後円墳・円墳が築かれたのは白鳥塚古墳と尾張戸(おわりべ)神社古墳だそうだ。
6 尾張戸神社の古墳被葬者は尾張氏の始祖?尾張氏の出自はわからない。
7 4世紀前半に東谷山の麓の段丘に大型前方後円墳、東谷山の山頂に円墳⇒5世紀中ごろから6世紀初めにかけて、大久手池北側の段丘面に帆立貝式古墳が始まる。⇒6世紀後半から7世紀後半には、小さな円墳が多数作られる。
こんな程度の、まとめしかできないが、これからも少しづつ古墳を見てゆきたい。
最後に、前方後円という言葉は幕末に蒲生君平(がもうくんぺい)が天皇陵を調査し、「山稜志」にまとめた。その時に前方後円と云う言葉を作ったそうだ。その後前方後円墳が一般的になった由。
結構時代の奥行きがあり、頭の中で整理がつかないまま、書いてみた。