揖夜神社を出て、所謂現世と冥界をつなぐ伝説の坂「黄泉比良坂(よもつひらさか)」へ向かうこととする。
今回の神社巡りで唯一の伝説地で建造物もなく、石碑には”神蹟黄泉比良坂傳説地”となっている。
場所はJR山陰線の北に揖夜神社、南に黄泉比良坂。
国道9号線に出てしばらく行くと、矢印の黄泉比良坂への案内板がある。
国道から坂を下って入ってゆくと、小さな集落があり、その先に200平方メートルらいの広場があり、右手には山の中に入ってゆく細い道があり、これが冥界に入るために下ってくる揖布夜坂(いふやさか)というらしい。
坂を左に入ってゆくと大きな岩が二つ置かれており、勝手にこの岩で冥界との境を表しているようだ。
広場に大きな石で”神蹟黄泉比良坂傳説地”と書いてあるが、裏には紀元2600年7月(昭和15年:1940年)と刻まれている。
全国的にこの種の伝承地は結構あるようだが、ここでは、揖夜神社のある一帯を冥界の境界とみているそうだ。ここでも平田篤胤ら国学者の言いようが採用されているようだ。
次に向かうのは、その1の八重垣神社の項で書いた「八雲立つ・・・・」の歌碑について後で????が出てくるのでお楽しみと書いたことが、ここで出てくる。
向かった先は、須我(すが)神社。
ほとんど、村の鎮守様という感じだが、案内書には古事記所載「須我宮」、「八雲立つ 日本初之宮」と謳っている。
主祭神は、もちろん素盞鳴尊・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、そして二人の間の御子神 清之湯山三名狭漏彦八島命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)の三神。
また、案内書にはこうある。八雲立つ・・・が日本で一番古い歌であり、この地に日本で初めての宮殿を造られた。これが古事記・日本書紀に所載されていいる「須賀宮(すがのみや)」であり、日本初之宮、和歌発祥の地の由縁であると。
この神社も鳥居をくぐって随身門を通り本殿へ向かう。
全体に素朴な村社の感じ。社務所にいたのは村の神社当番のような老翁。ご朱印も印判であり、案内書からはかけ離れた感じだ。
今日最後は、温泉で有名な玉作温泉の玉作湯神社。
神社へ入ると、参道途中に碑が建っている。
玉造の説明板があり、設置者は文部省。玉造の史跡として文部省がかかわっているのは初めてかな。
神社本殿は小さく、それでも参拝客はぼちぼちいるようだ。
祭神は 玉造の神 櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)、国造りと温泉療法の神大名持命(おおなもちのみこと=大国主命)、温泉守護の神 少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神。
明治時代以降天皇陛下即位の式典に際しては、ここでつくられた瑪瑙(めのう)、碧玉(へきぎょく)製品が献納されていたとある。
温泉街に立ち寄り、足湯を体験するも、湯温が高く入りにくい。他にも2~3組立ち寄るがあきらめて帰ってゆく。私は強引に足を入れるが一分がいいところ。
温泉街人の姿なし。寂れた感じがして、経営も大変だろなと・・・・。
今日の行程すべて終了。明日は最後なので、気になる神社と松江城見学を予定。
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます