カウンセリングのクラスを一緒に受けていた友達から電話があった。「『猿』の話なんだけど・・・」と言いつつ、泣き出してしまった。関わっている人達の重荷を一緒に負い過ぎてしまったようだった。
「猿」とは、クラスの中で習った、他人の「問題」を意味する。カウンセリングをしている時に気をつけなければならないことは、他人の「猿」を負ってしまうこと。負ってしまうと、結局の所カウンセラーが、その人が負わなくてはならない問題に押しつぶされてしまうし、その人を救出すべく、その人をコントロールしてしまい、思い通りに解決しないと、自分を責めてしまい、最終的には共倒れになる。だから、猿を負わないで、援助者、ヘルパーに徹しなければならない。私自身もまた彼女の「猿」を負わないように、傾聴し励ました。
世の中には、他人の「猿」を負って生きがいを感じる人達もいる。それは「共依存」の問題だ。決してそこから自律した人格的な交わりは生まれてこない。
「猿」とは、クラスの中で習った、他人の「問題」を意味する。カウンセリングをしている時に気をつけなければならないことは、他人の「猿」を負ってしまうこと。負ってしまうと、結局の所カウンセラーが、その人が負わなくてはならない問題に押しつぶされてしまうし、その人を救出すべく、その人をコントロールしてしまい、思い通りに解決しないと、自分を責めてしまい、最終的には共倒れになる。だから、猿を負わないで、援助者、ヘルパーに徹しなければならない。私自身もまた彼女の「猿」を負わないように、傾聴し励ました。
世の中には、他人の「猿」を負って生きがいを感じる人達もいる。それは「共依存」の問題だ。決してそこから自律した人格的な交わりは生まれてこない。