星の街仙台のバスツアー
「支倉常長生存説~富谷と大郷に残るキリシタン伝説」に参加してきました。
とりあえず、こちらが簡単にまとめられているので、
リンクを張っておきます。
地元黒川郡の隠れキリシタンの存在と、そこに教会があり、多くのクリスチャンがいたこと。
支倉常長が歴史上では死んだ後、かくまわれて富谷、大郷に移り住んだことと関係があるのではないか。。
という様々な証拠に基づく推測です。
だいたい支倉常長という人は、江戸時代に舟でスペイン、イタリアに行き、
ローマ法王から直々に洗礼を受け、ローマの市民権、貴族の称号までもらい、
仙台で布教してもいいという許可をもらい、
宣教師をたくさん送ってもらう約束を取り付けた方。
しかし、帰ってきたときには、
時代がすっかり変わっており、キリスト教禁令の嵐の中。
可哀そうに、この歴史的事実は、明治時代まで隠されたまま葬り去られます。
この歴史的な証拠の物なども、隠れキリシタンのこととも合わせて、
隠されたり、大切に扱われずに、常長の日記もあっただろうに、見つかってないということ。
また、これもいつか発見されて、明らかにされていくかもしれません ワクワク
ツアーで訪れお話しをして下さった龍華院の大宮司住職は、
「黒川郡隠れキリシタン信仰」を調べて書かれています。
この本、欲しいけど、絶版なのよね。。。。
富谷町の観光資料にこの本からの説明と思われます。
富谷は隠れキリシタンの里だった!? 黒川地方のキリシタン
元和時代(1615-1624)に、
仙台藩内にに7つの教会があり、
そのうち、黒川郡内3村の信徒数350余りいた。
という事が、その本に書かれていたけれど、
それが本当であるならば、すごいことです。
恐らく、仙台藩の迫害が激しくなり、
隠れていったのだと思います。
未だに残る風習として、
お葬式の時に、ご飯にお箸を垂直に立てるのが普通だけれど、
ある家で、お箸を十字に刺しているのを見たことがあると住職さんが言っておられました。
一度、閉じられ鎖かけられ鍵をかけられた扉が開かれるのは、い
なかなか難しい。
そのために祈っていきます。