放送 1984年1月8日~12月23日(計49話)
演出:斉藤博
脚本:宮崎晃
音楽:冬木透
キャラクターデザイン:高野登
原作:アウニ・エリザベス・ヌオリワーラ
(原題 “ Paimen, piika ja emanta ” )
第1次世界大戦直前から開戦中のフィンランドを舞台にした、田舎育ちの少女カトリ(6歳から12歳まで)の成長を描いた物語。
当時放映中は全く人気が上がらずに、危うく途中で打ち切られるところだったそうだ。同じ時間帯に他局で知的なクイズ番組が始まったという理由もあるが、総体的には内容が地味な故に、アニメ、もしくは子供の世界を描いた何かしらの作品に興味や関心のない人にとって、また2時間の映画や現代のスピーディーな1クール制のドラマに慣れきっている人にとっては、初めの5話ぐらいまではとても退屈に感じるかもしれない。もしかすると、子供でも飽きてしまうかもしれない。現在では考えられない程に、ストーリー運びが丁寧に作られているからである。
農村の牧歌的な風景や人々の他愛ない会話、糸紡ぎやバターの生成といった仕事の積み重ね、つまりは日常が淡々とではあるがしっかりと描けているこの作品の中で、カトリは3つの屋敷を跨いで働いてゆく。前述したように、ややもすると視聴者が飽きてしまいかねない程に物語起伏は全般的にはなだらかではあるが、だからこそカトリの細やかな表情や人々の彼女に対する想いが反って鮮明にストレートに伝わってくる。それがとても新鮮だ。
第23話でカトリが熊に襲われそうになるところを牛(クロ)が助ける場面が、この作品の中では1番緊迫感がある箇所であり、他にも崖を下ってしまった牛たちを懸命に戻そうとするシーンや羊毛泥棒たちとの格闘、主人が大切にしていた花瓶が割れてしまうといった場面でも多少の緊張感が走るものの、カトリの聡明で前向きに生きる姿勢を見ていくにつれてそうした些細な波乱は程なく取り払われていくに違いないと、そう好意的に感じさせてくれる力が少しずつ膨らんでゆくのがこのアニメの醍醐味だ。
1つ目の屋敷での従事が終わり、1年振りに祖父母の元へ帰ってきたカトリが祖母に気付かれないように、祖母の持つ水汲み桶に背後からそっと手を差し出すシーンは、これぞ脚本・演出の妙である。桶を持つ手が軽くなったと感じた祖母は、孫の茶目っ気ある「ただいま」でその帰郷を知り、鑑賞している者としても微笑ましく嬉しくなる。
マルティやペッカはカトリのために至るシーンで尽力し、やがて後半ではレオという男の子もカトリの魅力に取り込まれてゆく。とりわけ前者2人の男の子のカトリへの思慕は微笑ましく、時に言い争いながらも彼女を守っていこうとする姿勢には胸が熱くなる。マルティとペッカとカトリの3人それぞれが少しの別れを経験する展開が幾度もあり、ペッカが涙する気持ちも十二分に伝わってくる。思春期の少年少女の描き方が実に上手いのだ。
屋敷で働く雇い人の中にカトリを良く思わない人間も登場するが、こうした人々もやがて彼女の懸命な働き振りや勉強に対する真摯な取り組みを実感していく事で、次第と打ち解けてゆく。特に都会等の人の多く集まる所では色々なタイプの人間がいるという事を、分かりやすく年少の視聴者に伝えている構成に好感を持てる。
カトリは謙虚で自分の意思を明確に持ち、9歳(~12歳)という年齢にしてはしっかりし過ぎているかもしれない。こんな自立した子供は、現在ではそうそうお目にかかれないだろう。それでも時折苦しさや寂しさに拉がれる場面が用意されているから、彼女が歳相応の子供であると安堵できもする。遠く離れた母親からの手紙に接して、また友達との別離を経験する毎に涙を流す彼女に、それまでの懸命な姿勢がこちらも分かっている故に心から応援したくなる。
そんな幼き少女に魅せられた1人、グニンラおばあさんが登場する冬の時期がある。彼女が糸車を回しながらカトリに話して聞かせた、鶴を助けた家畜番の少女の物語(昔話)の結末は、 “ ハウルの動く城 ” の案山子のカブが元の姿に戻るシーンを想起させるのだが、もしかしたら宮崎駿は当時、この作品を断続的にでも観ていたのかもしれない。
この作品には、原作者のヌオリワーラと同郷の作曲家シベリウスの楽曲が比較的多く使用されている。交響詩 “ フィンランディア ” をはじめ、組曲 “ 恋人 ” や組曲 “ カレリア ”、また、交響詩集 “ カレワラによる4つの伝説 ” からも場面ごとに合ったフレーズが引用されている。アニメ好きでクラシック好きの僕としては嬉しい事この上なしだし、“ フィンランディア ” 以外はあまり聴かれる事の多くない楽曲なので、クラシックを愛する人には是非聴いてもらいたいと思う。
オープニングの主題歌とエンディングの歌は、双方共に素晴らしい。
前者は、特に前奏において、今現在のポップス(歌謡曲)などには聴かれない魅力が存分にある。絵柄としては冒頭から糸車を踏むカトリの存在感がたっぷりと含まれているし、歌に合わせたアニメーション運びも秀逸だ。
後者は、主題歌に続いて物哀しいメロディーに彩られている。全編に渡りカトリの人知れぬ心情を表していて、特にサビの部分はその隠れた気持ちが結晶しているかの様だ。そして絵柄はエンディング作画監督の佐藤好春氏のセンスが光る。カトリとアベルだけの動きだが、その質感が彼の才能を物語っている。
アベルの愛嬌ある姿には、観ていてついつい笑い声が漏れてしまう。世界名作劇場シリーズ上、1番愛嬌があって1番愛らしい動物かもしれない。また、この犬の声を声優が演じているというのだから驚きである。かの江戸屋猫八にも引けをとらないと言ったら言い過ぎかもしれないが、この作品を観る価値はこの犬にさえもある。“ あらいぐまラスカル ” でもラスカルを野沢雅子が演じているが、アベルを演じた龍田直樹はとにかく素晴らしい。ちなみに龍田直樹は “ となりのトトロ ” で、ねこバスの声を担当している。
カトリのかねてからの念願だった入学を果たせてからというもの、物語が終わりに近づいている実感が込み上げてきて、一抹の寂しさを覚えて仕方がなかった。
6年の歳月を経てようやっと再会できた母親との抱擁、馬車に揺られながら故郷へ帰る時の晴れやかな顔立ち、懐かしいペッカとの会話、そうしたものたちが一気に押し寄せてきて、万感の想いになる。
総体的に地味な話であると書いたが、非常に良質な作品である事は間違いない。「カトリは作家になった」と語られて作品は幕を閉じるのだが、様々な夢を抱きつつ生きていれば人生は多様に拓けてゆくのだと教えてくれる。
こうした物語の中にこそ、人間の細やかな悲喜こもごもが内在しているのである。
演出:斉藤博
脚本:宮崎晃
音楽:冬木透
キャラクターデザイン:高野登
原作:アウニ・エリザベス・ヌオリワーラ
(原題 “ Paimen, piika ja emanta ” )
第1次世界大戦直前から開戦中のフィンランドを舞台にした、田舎育ちの少女カトリ(6歳から12歳まで)の成長を描いた物語。
当時放映中は全く人気が上がらずに、危うく途中で打ち切られるところだったそうだ。同じ時間帯に他局で知的なクイズ番組が始まったという理由もあるが、総体的には内容が地味な故に、アニメ、もしくは子供の世界を描いた何かしらの作品に興味や関心のない人にとって、また2時間の映画や現代のスピーディーな1クール制のドラマに慣れきっている人にとっては、初めの5話ぐらいまではとても退屈に感じるかもしれない。もしかすると、子供でも飽きてしまうかもしれない。現在では考えられない程に、ストーリー運びが丁寧に作られているからである。
農村の牧歌的な風景や人々の他愛ない会話、糸紡ぎやバターの生成といった仕事の積み重ね、つまりは日常が淡々とではあるがしっかりと描けているこの作品の中で、カトリは3つの屋敷を跨いで働いてゆく。前述したように、ややもすると視聴者が飽きてしまいかねない程に物語起伏は全般的にはなだらかではあるが、だからこそカトリの細やかな表情や人々の彼女に対する想いが反って鮮明にストレートに伝わってくる。それがとても新鮮だ。
第23話でカトリが熊に襲われそうになるところを牛(クロ)が助ける場面が、この作品の中では1番緊迫感がある箇所であり、他にも崖を下ってしまった牛たちを懸命に戻そうとするシーンや羊毛泥棒たちとの格闘、主人が大切にしていた花瓶が割れてしまうといった場面でも多少の緊張感が走るものの、カトリの聡明で前向きに生きる姿勢を見ていくにつれてそうした些細な波乱は程なく取り払われていくに違いないと、そう好意的に感じさせてくれる力が少しずつ膨らんでゆくのがこのアニメの醍醐味だ。
1つ目の屋敷での従事が終わり、1年振りに祖父母の元へ帰ってきたカトリが祖母に気付かれないように、祖母の持つ水汲み桶に背後からそっと手を差し出すシーンは、これぞ脚本・演出の妙である。桶を持つ手が軽くなったと感じた祖母は、孫の茶目っ気ある「ただいま」でその帰郷を知り、鑑賞している者としても微笑ましく嬉しくなる。
マルティやペッカはカトリのために至るシーンで尽力し、やがて後半ではレオという男の子もカトリの魅力に取り込まれてゆく。とりわけ前者2人の男の子のカトリへの思慕は微笑ましく、時に言い争いながらも彼女を守っていこうとする姿勢には胸が熱くなる。マルティとペッカとカトリの3人それぞれが少しの別れを経験する展開が幾度もあり、ペッカが涙する気持ちも十二分に伝わってくる。思春期の少年少女の描き方が実に上手いのだ。
屋敷で働く雇い人の中にカトリを良く思わない人間も登場するが、こうした人々もやがて彼女の懸命な働き振りや勉強に対する真摯な取り組みを実感していく事で、次第と打ち解けてゆく。特に都会等の人の多く集まる所では色々なタイプの人間がいるという事を、分かりやすく年少の視聴者に伝えている構成に好感を持てる。
カトリは謙虚で自分の意思を明確に持ち、9歳(~12歳)という年齢にしてはしっかりし過ぎているかもしれない。こんな自立した子供は、現在ではそうそうお目にかかれないだろう。それでも時折苦しさや寂しさに拉がれる場面が用意されているから、彼女が歳相応の子供であると安堵できもする。遠く離れた母親からの手紙に接して、また友達との別離を経験する毎に涙を流す彼女に、それまでの懸命な姿勢がこちらも分かっている故に心から応援したくなる。
そんな幼き少女に魅せられた1人、グニンラおばあさんが登場する冬の時期がある。彼女が糸車を回しながらカトリに話して聞かせた、鶴を助けた家畜番の少女の物語(昔話)の結末は、 “ ハウルの動く城 ” の案山子のカブが元の姿に戻るシーンを想起させるのだが、もしかしたら宮崎駿は当時、この作品を断続的にでも観ていたのかもしれない。
この作品には、原作者のヌオリワーラと同郷の作曲家シベリウスの楽曲が比較的多く使用されている。交響詩 “ フィンランディア ” をはじめ、組曲 “ 恋人 ” や組曲 “ カレリア ”、また、交響詩集 “ カレワラによる4つの伝説 ” からも場面ごとに合ったフレーズが引用されている。アニメ好きでクラシック好きの僕としては嬉しい事この上なしだし、“ フィンランディア ” 以外はあまり聴かれる事の多くない楽曲なので、クラシックを愛する人には是非聴いてもらいたいと思う。
オープニングの主題歌とエンディングの歌は、双方共に素晴らしい。
前者は、特に前奏において、今現在のポップス(歌謡曲)などには聴かれない魅力が存分にある。絵柄としては冒頭から糸車を踏むカトリの存在感がたっぷりと含まれているし、歌に合わせたアニメーション運びも秀逸だ。
後者は、主題歌に続いて物哀しいメロディーに彩られている。全編に渡りカトリの人知れぬ心情を表していて、特にサビの部分はその隠れた気持ちが結晶しているかの様だ。そして絵柄はエンディング作画監督の佐藤好春氏のセンスが光る。カトリとアベルだけの動きだが、その質感が彼の才能を物語っている。
アベルの愛嬌ある姿には、観ていてついつい笑い声が漏れてしまう。世界名作劇場シリーズ上、1番愛嬌があって1番愛らしい動物かもしれない。また、この犬の声を声優が演じているというのだから驚きである。かの江戸屋猫八にも引けをとらないと言ったら言い過ぎかもしれないが、この作品を観る価値はこの犬にさえもある。“ あらいぐまラスカル ” でもラスカルを野沢雅子が演じているが、アベルを演じた龍田直樹はとにかく素晴らしい。ちなみに龍田直樹は “ となりのトトロ ” で、ねこバスの声を担当している。
カトリのかねてからの念願だった入学を果たせてからというもの、物語が終わりに近づいている実感が込み上げてきて、一抹の寂しさを覚えて仕方がなかった。
6年の歳月を経てようやっと再会できた母親との抱擁、馬車に揺られながら故郷へ帰る時の晴れやかな顔立ち、懐かしいペッカとの会話、そうしたものたちが一気に押し寄せてきて、万感の想いになる。
総体的に地味な話であると書いたが、非常に良質な作品である事は間違いない。「カトリは作家になった」と語られて作品は幕を閉じるのだが、様々な夢を抱きつつ生きていれば人生は多様に拓けてゆくのだと教えてくれる。
こうした物語の中にこそ、人間の細やかな悲喜こもごもが内在しているのである。
解説読んだら、最初の5話さえクリアできれば
とっても面白そうな作品ですね。
牧歌的で、日常を細やかに豊かに描くって
すごく好きなので、見逃して残念;;
僕の書く感想は、何にせよ相変わらずこんな堅苦しい文章ですが、そこにコメントを寄せて頂ける事が何より嬉しいです☆
終話したらDVDにならないかな~。そこへ一縷の望みを賭けたいと思います♪いいお話を紹介してくださってありがとう~^^
既にこの作品はDVDになっていますよ。僕もレンタルしてきて観たんです。
本文にも書いたように、もしかすると今現在の子供たちが鑑賞しても面白いと感じないかもしれませんが、付き添って観る親の1言2言で子供も感じるところが大いに出てくると思います。
丁度カトリと同じ年頃の子供が観て、どんな感想を漏らすか聞いてみたいですね♪
サザエさんとか、、、
いや、、、素朴でもないか、、、
素朴というにはあまりにも時代も時代だし、
でも、どうしてこういう物語に心いやされるのでしょう。
かの有名なガンジーはこういいました
「素朴な生活にこそ人間としての幸せがある」と
チャップリンも独裁者という映画でそういうことをいっておりました。
アニメからそういった大切なメッセージを届けてくれるアニメが好きです!
シンプルである程に実は難しいというのは、音楽であれ絵画であれ文芸であれ、どんな作品にでも当てはまる事で、人間の生き方そのものにも言えますね。