81年の生涯を送ったカラヤン、彼の指揮した “ 運命 ” の録音が幾種に上るか定かでないが、このYou Tubeからの演奏(第1楽章及び第2楽章)は観ていて(聴いていて)飽きない。
1966年ベルリン・フィルとの共演、との事だが、情報が正しければ当時カラヤンは58歳、老年の初期段階に差し掛かった時期である。とはいえ演奏自体は曲が持つ爆発力と推進力を余すところなく表現していて文句の付けようがないくらい素晴らしく、ティンパニの強打は殊更機関銃の如くで、当指揮者の老い始めた身体を微塵も感じさせなく、それどころかオーケストラを掌握する力が最盛期だったのではと思わせる程だ。
そして更に、上記事項に負けず劣らずこの映像演出に心が釘付けになる。とりわけ第1楽章における、カラヤンの両手を画面手前にアップさせてその奥にオーケストラを映し出している様(1分23秒から)は、何かドイツやロシアのモノクロ映画(例えばフリッツ・ラング監督の作品)の断片でも観ているようだ。
また同楽章を含め、他楽章においてもチェロ群とコントラバス群を斜め横から撮影している箇所があり、1列並び通したその奥行きを感じさせる手法(近影さ)が非常に斬新である。管楽器セクションは棚田のように高く段を組み、オーケストラ自体が180度以上に広がっているポジショリングも面白い。
1966年といえばカラヤンがベルリン・フィルを率いて2度目の来日公演を果たしている年であり、4月12日に東京文化会館で、4月29日に広島市公会堂で同曲を演奏しているが、同年のライヴと映像作品としての演奏ではどれだけ差異があったのか興味津々ではある。そうは言っても前常任指揮者であったフルトヴェングラーが、亡くなった年の1954年まで当楽団を振っていた事を鑑みても、当時はまだ古き良き時代の厳粛さ(指揮者にもオーケストラにも備わっていた動かし難い威厳)が確かに息衝いていたと言っていいだろうから、両者にそれ程の隔たりはなかったかもしれない。
さて、調べたところこの映像は、恐らく、サスペンスやフィルム・ノワールで有名なアンリ=ジョルジュ・クルーゾー(映画監督・映画プロデューサー・脚本家)が撮ったものだと思われる。
このクルーゾーが監督した主な作品は Wikipedia によると11本あって、そのいずれの作品も鑑賞した事はないが、ヴェネチア国際映画祭でグランプリや監督賞を受賞し、更にはカンヌ国際映画祭でグランプリ、ベルリン国際映画祭では金熊賞をも受賞した経歴があるとの事なので、いつか彼の映画を観てみたいと思う。
ともかく、クルーゾーが撮った映像だとはっきり判明した時点で、この本文は書き換えるつもりである。
ちなみに、第3楽章及び第4楽章はこちらで。第4楽章クライマックスでのカラヤンの指揮振りを目にしていると、渾身の力で以って曲を締め括ろうとする意気が良く伝わってくる。しかしそれは決して息巻いているという類のものではなく、耽美派と称された事もある彼の、一種独特な、汗臭さのない清冽な香りを多分に含んでいる姿、とも言えそうだ。
1966年ベルリン・フィルとの共演、との事だが、情報が正しければ当時カラヤンは58歳、老年の初期段階に差し掛かった時期である。とはいえ演奏自体は曲が持つ爆発力と推進力を余すところなく表現していて文句の付けようがないくらい素晴らしく、ティンパニの強打は殊更機関銃の如くで、当指揮者の老い始めた身体を微塵も感じさせなく、それどころかオーケストラを掌握する力が最盛期だったのではと思わせる程だ。
そして更に、上記事項に負けず劣らずこの映像演出に心が釘付けになる。とりわけ第1楽章における、カラヤンの両手を画面手前にアップさせてその奥にオーケストラを映し出している様(1分23秒から)は、何かドイツやロシアのモノクロ映画(例えばフリッツ・ラング監督の作品)の断片でも観ているようだ。
また同楽章を含め、他楽章においてもチェロ群とコントラバス群を斜め横から撮影している箇所があり、1列並び通したその奥行きを感じさせる手法(近影さ)が非常に斬新である。管楽器セクションは棚田のように高く段を組み、オーケストラ自体が180度以上に広がっているポジショリングも面白い。
1966年といえばカラヤンがベルリン・フィルを率いて2度目の来日公演を果たしている年であり、4月12日に東京文化会館で、4月29日に広島市公会堂で同曲を演奏しているが、同年のライヴと映像作品としての演奏ではどれだけ差異があったのか興味津々ではある。そうは言っても前常任指揮者であったフルトヴェングラーが、亡くなった年の1954年まで当楽団を振っていた事を鑑みても、当時はまだ古き良き時代の厳粛さ(指揮者にもオーケストラにも備わっていた動かし難い威厳)が確かに息衝いていたと言っていいだろうから、両者にそれ程の隔たりはなかったかもしれない。
さて、調べたところこの映像は、恐らく、サスペンスやフィルム・ノワールで有名なアンリ=ジョルジュ・クルーゾー(映画監督・映画プロデューサー・脚本家)が撮ったものだと思われる。
このクルーゾーが監督した主な作品は Wikipedia によると11本あって、そのいずれの作品も鑑賞した事はないが、ヴェネチア国際映画祭でグランプリや監督賞を受賞し、更にはカンヌ国際映画祭でグランプリ、ベルリン国際映画祭では金熊賞をも受賞した経歴があるとの事なので、いつか彼の映画を観てみたいと思う。
ともかく、クルーゾーが撮った映像だとはっきり判明した時点で、この本文は書き換えるつもりである。
ちなみに、第3楽章及び第4楽章はこちらで。第4楽章クライマックスでのカラヤンの指揮振りを目にしていると、渾身の力で以って曲を締め括ろうとする意気が良く伝わってくる。しかしそれは決して息巻いているという類のものではなく、耽美派と称された事もある彼の、一種独特な、汗臭さのない清冽な香りを多分に含んでいる姿、とも言えそうだ。
追々ショパンⅢ世さんのお薦めをじっくり見せていただきますね。
少し時間の許す範囲で覗いた程度です。(ごめんなさい)
若々しいカラヤンの映像が,こんなにしっかり残っていたとは,
マニアの方達にとっては,さぞや必見・必聴ものなのでしょうね。
私の実家の部屋に,むか~し張ってあったポスターは もう少し年齢を
重ねたカラヤン氏でした。
素人目に見ても,とてつもなく熱いものを発しているのが届きます。
カリスマ性の様なものを感じます。
凝ると大変なのが重々分かっておりますので,ショパンⅢ世さんの
ブログにて,楽しませていただきます。
良い物を見せて戴き,ありがとうございました。
クラシックを日頃よく聴いている人は “ 運命 ” にもカラヤンにもそれ程興味を示さないと思われます(カラヤン自体はしばしば槍玉に挙げられます)が、この演奏といい映像といい、僕には非常に好ましく感じられました。
何につけても本来は、批判精神で接するよりまずは肯定(あるいは受諾)の心持ちから入った方が、その対象物が備に感知できるでしょうから。
私の記憶にある,25年前の「レコード芸術」その他のクラシックに関する
月刊誌では,頻繁にこの方は取り上げていられたようです。
“槍玉”に挙げられるという内容よりも,何かもっと良いイメージが残っています。
「運命」にしても,これだけポピュラーであるからこそ逆に掘り下げて聴く人も
いらっしゃるかも知れませんよ。(兄はそういうところがありました)
ジャンルはともかく,仮にも映画監督と名の付く方のお目に留まったわけですから
玄人目に見ても創作意欲を駆り立てるものを発しているのでしょうし
また当時としてはさぞかし先鋭的だったのでしょうね。
しかし(↓)、
>「運命」にしても,これだけポピュラーであるからこそ逆に掘り下げて聴く人もいらっしゃるかも知れませんよ。
そうですね、そうだと思います。掘り下げて聴く人こそ、本当の『通』でしょうね。
>玄人目に見ても創作意欲を駆り立てるものを発しているのでしょうし
これもその通りだと思います。カラヤンは絵になる指揮者だと、この演奏に触れてつくづく感じました。