写真は矢崎旧道
木曽義仲が育った中原兼遠の屋敷があった近くに来ました。
屋敷はもちろんなくて、畑になっているみたいなので、そこにはいきませんでした。
天保11年(1840)建立の二十三夜塔と薬師堂
手習天神
たぶん、手習いとは、習字のことなのだと思いますが、手習いという言い方は今はあまりしませんね。
自分に当てはめた言葉の使い方なら、せいぜい、「〇十の手習い」ぐらいでしょうか?
五十の手習いは自分には海外の一人旅とマラソンでした。
六十の手習いは旅ランとウルトラマラソンでしょうか。
七十の手習いはウルトラハイキングになるかもしれません。
社殿(江戸末期の上田村の宮大工武居仙右衛門作)の左右に防犯カメラがあって、シッカリと見張っています。
小銭がなかったので手だけ合わせてきました。
上田口交差点手前で細い下り坂に入ります。
小さな緑色の立て札(中山道ウォーキングの方へ)があるが気づきにくいです。
出尻下の中仙道案内板
国道19号線に出て左手にデイリーヤマザキをみながら進むとタイヤ店が見えてくるのですが、
なぜか、急にそこから国道を外れて左折し、矢崎旧道に入っていきます。
JRの引き込み線かな?
この高架橋の下の道(青線)へ行ってしまい、途中で間違いに気づき引き返しました。
国道沿いに矢崎旧道の下り坂はありました。
生蕎麦くるまや(創業三百年)
江戸時代創業のお蕎麦屋さんとしては、日本で5?,6?,7?番目くらいに古いらしいです。
------------蕎麦学より
≪江戸時代(1603年3月24日~1868年10月23日)創業のお蕎麦屋さん≫
➀ 1624(寛永元)年 長野県木曽郡木曽町 越前屋
② 1695(元禄8)年 大阪府堺市 ちく満(ちくま)
➂ 1702(元禄15)年 長野県長野市 かどの大丸 善光寺門前 赤穂浪士討ち入りの年
④ 1706(宝永3)年 兵庫県豊岡市 南枝(なんし)(出石そば)
⑤ 1716(享保元)年 長野県木曽郡木曽町 くるまや本店
⑤ 1716(享保元)年 滋賀県大津市 本家鶴喜蕎麦(ほんけつるきそば)
⑤ 1716(享保元)年 静岡県静岡市 河内庵(かわちあん)静岡で最古参
------------
享保元年に3軒できてますね。
伝統ある手打ち蕎麦を食べたかったですが、今日は宿泊する場所を福島宿より先の桟温泉にしてありましたので先を急ぎました。
木曽川沿いにあったトレーニングジム
なぜか、この写真を撮ってしまいました。
古い平屋とトレーニングジム、木曽川の近く、ということが、「あしたのジョーの丹下拳闘クラブ」を思い出してしまったからだと思います。
画像はPicture on the Wallよりお借りしました。
関町バス停と巨大な冠木門
そのバス停から木曽川を眺める
木曾谷というくらいで、川までかなりの落差(狭い河岸段丘)がありますね。
更地の福島関所跡(奥の建物は資料館)
箱根、新居、碓氷と並び、江戸4大関所の一つです。
資料館は先を急ぐためスルーしました。
歌川広重画
福島関所跡の隣にある漢方薬、樋屋奇応丸(河童に製法を伝授されたという伝説を持つ)を作った高瀬家
島崎藤村の「家」は読んだことがありません。
映画があったみたいです。
映画 『家』 2013.5より漸次公開!
福島宿
(つづく)
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屋敷はもちろんなくて、畑になっているみたいなので、そこにはいきませんでした。
天保11年(1840)建立の二十三夜塔と薬師堂
手習天神
たぶん、手習いとは、習字のことなのだと思いますが、手習いという言い方は今はあまりしませんね。
自分に当てはめた言葉の使い方なら、せいぜい、「〇十の手習い」ぐらいでしょうか?
五十の手習いは自分には海外の一人旅とマラソンでした。
六十の手習いは旅ランとウルトラマラソンでしょうか。
七十の手習いはウルトラハイキングになるかもしれません。
社殿(江戸末期の上田村の宮大工武居仙右衛門作)の左右に防犯カメラがあって、シッカリと見張っています。
小銭がなかったので手だけ合わせてきました。
上田口交差点手前で細い下り坂に入ります。
小さな緑色の立て札(中山道ウォーキングの方へ)があるが気づきにくいです。
出尻下の中仙道案内板
国道19号線に出て左手にデイリーヤマザキをみながら進むとタイヤ店が見えてくるのですが、
なぜか、急にそこから国道を外れて左折し、矢崎旧道に入っていきます。
JRの引き込み線かな?
この高架橋の下の道(青線)へ行ってしまい、途中で間違いに気づき引き返しました。
国道沿いに矢崎旧道の下り坂はありました。
生蕎麦くるまや(創業三百年)
江戸時代創業のお蕎麦屋さんとしては、日本で5?,6?,7?番目くらいに古いらしいです。
------------蕎麦学より
≪江戸時代(1603年3月24日~1868年10月23日)創業のお蕎麦屋さん≫
➀ 1624(寛永元)年 長野県木曽郡木曽町 越前屋
② 1695(元禄8)年 大阪府堺市 ちく満(ちくま)
➂ 1702(元禄15)年 長野県長野市 かどの大丸 善光寺門前 赤穂浪士討ち入りの年
④ 1706(宝永3)年 兵庫県豊岡市 南枝(なんし)(出石そば)
⑤ 1716(享保元)年 長野県木曽郡木曽町 くるまや本店
⑤ 1716(享保元)年 滋賀県大津市 本家鶴喜蕎麦(ほんけつるきそば)
⑤ 1716(享保元)年 静岡県静岡市 河内庵(かわちあん)静岡で最古参
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享保元年に3軒できてますね。
伝統ある手打ち蕎麦を食べたかったですが、今日は宿泊する場所を福島宿より先の桟温泉にしてありましたので先を急ぎました。
木曽川沿いにあったトレーニングジム
なぜか、この写真を撮ってしまいました。
古い平屋とトレーニングジム、木曽川の近く、ということが、「あしたのジョーの丹下拳闘クラブ」を思い出してしまったからだと思います。
画像はPicture on the Wallよりお借りしました。
関町バス停と巨大な冠木門
そのバス停から木曽川を眺める
木曾谷というくらいで、川までかなりの落差(狭い河岸段丘)がありますね。
更地の福島関所跡(奥の建物は資料館)
箱根、新居、碓氷と並び、江戸4大関所の一つです。
資料館は先を急ぐためスルーしました。
歌川広重画
福島関所跡の隣にある漢方薬、樋屋奇応丸(河童に製法を伝授されたという伝説を持つ)を作った高瀬家
島崎藤村の「家」は読んだことがありません。
映画があったみたいです。
映画 『家』 2013.5より漸次公開!
福島宿
(つづく)
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