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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その6(諏訪下社)

2021年05月31日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)

  
    

この辺りは諏訪湖のそば、長野県諏訪市湯の脇辺りになります。


甲州街道の右手は高台になっており、ところどころに湧水の流れる水場が見られます。


その高台に登る超急な階段

高台に住んでいる人は足腰がシッカリしているでしょうね。
階段の上部ですっころんだら、まず命はないものと思います。


諏訪大社の摂社である 兒玉石神社で大きな石「諏訪の七石」が祀られています。

その石の中でイボ石と言われている石があり、
石の窪みにたまった水でイボを洗うと治るそうです。

ホントかね?


鳥居脇には、樹齢二百五十年という「大杉」があり御神木となってます。





先宮神社(さきのみやじんじゃ)

日本伝承大鑑によると
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先宮神社
【さきのみやじんじゃ】


諏訪大社の主祭神は建御名方命であるが、この神が元より諏訪の神ではなかったことは『古事記』にある通りである。
出雲の大国主命の次男であった建御名方命は、国譲りの談判の際に建御雷神命に勝負を挑むが相手にならず、命からがら諏訪の地へ逃げ込み最終的に「この地から出ない」ことを誓って赦されるのである。
そして諏訪地方を治める神として祀られることになるのだが、この来訪神よりも前から諏訪を治めていた神はどのようになってしまったのだろうか。

その一つの形を示しているのが先宮神社である。
この神社の伝承によると、この神社の祭神は建御名方命来訪以前より原住民の産土神として祀られていた存在であったが、建御名方命との抗争に敗れて服従させられたとある。
そしてその服従の証として“この神社に鎮座して境内より外へ出ない”ことを誓い、さらに“境内前の川に橋を架けない”習慣が連綿と続けられている。
まさに建御名方命が出雲において強制させられた「国譲り」と全く同じ構図の伝承が残されているのである。

ただ不思議なことがある。この神社の祭神の名が“高光姫命”別名“稲背脛命”という点である。
高光(照)姫命は建御名方命の姉神であり、稲背脛命は出雲の国譲りの際に事代主命(建御名方命の兄神)に事を告げる使者となった神である。
いずれも諏訪に土着した神と言うよりも、建御名方が元いた地に関係する神の名である。
それ故に『古事記』の記載された建御名方命の逸話が、中央にとって有利に作られたものであるとの疑念を持たざるを得ない。

しかしながら現在でもこの神社の前には狭いながらも川が流れており、境内に入る参道には橋が架かっていない。
建御名方命に対する先宮神社の神の誓いが破られていないことは、とりもなおさず高天原に対する建御名方命の誓いもいまだに有効であることを示しているようにも見えるのである。
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とにかく、伝承により境内前の小川に橋を架けないという特色を持つ神社であるらしいのですが、
小川?

よくみると幅30センチほどの溝みたいなのがあるけど、コレが小川ですかね?

確かに、橋(というか溝板)は架かってません。

板でも渡せば、すぐ一跨ぎで越えてしまいますが・・・。


御神木(オオケヤキ)のある境内で一休み

甲州街道のゴール諏訪大社(下社秋宮)は近いので、
なんとなく、裸足じゃないほうがいいかな?と思い
ワラーチからランニングシューズに履き替え
誰もいない静かな境内でノンビリしてました。



街道の交差点では左方向坂の下に諏訪湖が時々見えます。



軒先に温泉委員という札が貼ってありました。


この辺りは大和地区というのですが、
共同浴場利用者の高齢化が進んでおり,
温泉利用者が少なく、
経営的に苦しい地区らしいです。

ですが、自宅に温泉を引く世帯から月に500円の協力金を徴収するなどして,
共同浴場の維持管理に努めているとのことです。


小さな棚田がありました。


棚田から見る諏訪湖も素晴らしいです。


茶屋跡:諏訪湖のお殿様がお忍びで来られた橋本政屋(江戸時代後期に建てられた)
昭和中期にはユースホステルとして利用されていたそうで、​
「サムライハウス」と呼ばれていたとか。

中には入りませんでしたが、内部はこんな感じらしい。

写真は下諏訪温泉公式HPよりお借りしました。

次に訪れるときは立ち寄ってみたいと思います。


石投げ場と書かれた石碑

このあたりの甲州街道は山の急斜面を横切っていて、
昔は街道のすぐ脇まで諏訪湖だったようで
この名がついてるらしいです。

この石投場の背後の山上には、
中世に築かれたという山城、高木城址(諏訪大社下社大祝金刺氏の支族高木氏の居城)があり、
遠方からみるとお椀を伏せた山のようになっていて、
前方後円墳ではないかという話があるようです。

諏訪の山城 高木城




.ゴール!

ついに諏訪大社下社秋宮に着きました。



参拝を済ませ、再びワラーチに履き替えて記念写真を撮りました。
ワラーチよ、長旅ご苦労さんでした。



甲州街道の印象としては
八王子までは平凡な都会の中を走るで、ちょっと物足りなさを感じましたが
意外にそれ以後は全体的に変化があり面白く走れたという印象です。

早速、温泉に入りたく児温(こゆ)に行きました。



ここは湯量が豊富で熱めの温泉でした。
子宝の湯らしいですけど、
この歳で子供が出来たら大変なこっちゃ!

下諏訪駅に向かう途中に前方後円墳がありましたので
立ち寄ってみました。






石室です!



東京に帰る前に駅前の居酒屋で一杯!




久しぶりですね。
養老ビール!
乾杯!!



この後、ツマミとハイボール!

そして、ふらふらとJRで東京に帰りました(笑)
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さて、この後、完走した中仙道を思い出しながら記録を書いていきますね。

実際に走るのは、五街道のうち残った奥州街道を計画しています。
日光街道と宇都宮までダブル部分がありますので、
宇都宮からのスタートになります。

(おしまい)




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