10月13日 鈴木大拙氏の妙好人への思いについて
鈴木大拙氏は、1948年刊行の自著「妙好人」の前書きに、「今まで「妙好人伝」というものはあるが、妙好人研究はない。「伝」は主としてその人の行動を伝えているが、彼等の信仰の言語文学に現れたものについて、その宗教的体験を問題にしたものは今まで見当たらぬ。行為は内にあるものが外に現れるので、それを伝えることもとより大事である。がその表白せられたものについて、他力信仰そのものの動きを調べることも忘れてはならぬ。」と述べられている。妙好人が今日の様に、注目されるようになってきたのは、鈴木大拙氏によるところが大きいと思う。氏は妙好人について、この本の付録を除く本文の最後のところで、以下の様に述べられている。
「才一(妙好人 浅原才一(「さいち」と読む)翁のこと)覚張8冊を読んで如何にもその他力信心の深さ、強さ、うるわしさに打たれる。これほどまでに徹底してそうしてこれほどまでに表現の自由を得た市井の「一文不知の尼入道」に対して敬服の念を禁じ能わぬ。何とかして我も人もこのような境地に到らば天下泰平だと、感嘆するのである。がどうも受動面から一歩脱け出て、衆生済度の活動面を躍動させてほしいものだという考えは捨てられぬのである。これにはどうしても知性の涵養が必要である。霊性的直覚は直覚として、それ自身に大きな意味をもつ。これなくては知性も情性もその正当な立場を保持していけないのである。が直覚の世界だけでは、直覚の能動面・社会生活面というものが、閑却せられがちになる。他力の自力面というものがあることを忘れてはならぬ。」と。
さらに少しおいて、最終の部分で次の様に、結んでいられる。
「われらは今日の他力者に対して近代的反省を促したいのである。他力者は一旦娑婆の浄土に入って来たいというなら、そこに停頓すべきではあるまい。直ちに却歩一転して娑婆の浄土に突入して貰いたいのである。これは今日の仏教者全体に対しての批評ではあるが、ことに他力宗の人達に向かって獅子奮迅三昧を行ぜられんことを希うのである。宗教は大体において保守性をもつものであるが、いつもそうあってはならない。ことに今日の状態は決してそれを許さないのだ。日本がおかれてある地位を考え、また世界が進みつつある行く手を見定めると、仏教が今後の世界における使命の如何に大なるかを認覚せざるを得ないのである。「大悲の親さま」を我一人の親さまにしないで、世界全人類の親様にまで守り立てなくてはならぬ。これが我等仏教者の使命である。」
これは、1948年に書かれた文ですが、今の日本と世界の状況にそのまま当てはまっています。ユダヤ教とイスラム教、そして キリスト教とイスラム教 の終わり無き泥沼の戦い、益々進む地球温暖化(足ることを知らず、未来世代からの借金を乱発する経済至上主義)等等、これらは、仏教やヒンズー教などの東洋の教えでしか解決できないと思います。私達仏教徒は獅子奮迅三昧を行じねばならないのです。その面でもっともっと活動できる筈です。大いに発奮しなければなりません。
また、この「妙好人」の本の解説に、長きに亘って、鈴木大拙氏に師事され、氏が亡くなられてからは、氏の活動の拠点であった 松が岡文庫の代表を務められた 古田紹欽氏(仏教学者)は、次の様に述べていられる。
先生(鈴木大拙氏)は何れの既成教団にも身分的所属することのなかった自由人であったが、先生が妙好人を重視されていった理由のもう一つは、妙好人が在家の真宗信者として教団の枠外にあった自由人であったことにも、恐らく無縁ではなかったろう。自力、他力の教学的範疇による限り、先生の浄土観には自力的なものがあるとする他力教学者の批判は先生自身百も承知であったが、先生は
自力、他力の別れる以前の未分の世界こそに宗教経験の真実性を見るべきとされ、教団の枠づけによる教学には時に反発の意思をほのめかされた。ついては伝統的臨済禅の異流ともいうべき盤珪禅師の禅を世に紹介されたこともその現れと見る。
最後に才一の歌一首を引こう。
さいちよい、へ、たりきをきかせんかい。へ、たりき、じりきはありません。ただいただくばかり。
この一首にこそ先生は我が意を得たりと喝采されるのではなかろうか。因みに先生が没された翌年、昭和42年(1967年)7月に「妙好人浅原才一集」が 遺稿として刊行になった。
私は、中川宋淵老師から座禅の手ほどきを受け、「真宗信者なら念仏で座禅をせよ」と教えられそれを守ってきて、近くの優れた住職さんの助けも得て、真宗が見えてきた今、この古田紹欽氏の言葉は身に染むのです。私は鈴木大拙氏には遠く及びませんが、禅宗も真宗も大して変わらないように感じるのです。
合掌
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
鈴木大拙氏は、1948年刊行の自著「妙好人」の前書きに、「今まで「妙好人伝」というものはあるが、妙好人研究はない。「伝」は主としてその人の行動を伝えているが、彼等の信仰の言語文学に現れたものについて、その宗教的体験を問題にしたものは今まで見当たらぬ。行為は内にあるものが外に現れるので、それを伝えることもとより大事である。がその表白せられたものについて、他力信仰そのものの動きを調べることも忘れてはならぬ。」と述べられている。妙好人が今日の様に、注目されるようになってきたのは、鈴木大拙氏によるところが大きいと思う。氏は妙好人について、この本の付録を除く本文の最後のところで、以下の様に述べられている。
「才一(妙好人 浅原才一(「さいち」と読む)翁のこと)覚張8冊を読んで如何にもその他力信心の深さ、強さ、うるわしさに打たれる。これほどまでに徹底してそうしてこれほどまでに表現の自由を得た市井の「一文不知の尼入道」に対して敬服の念を禁じ能わぬ。何とかして我も人もこのような境地に到らば天下泰平だと、感嘆するのである。がどうも受動面から一歩脱け出て、衆生済度の活動面を躍動させてほしいものだという考えは捨てられぬのである。これにはどうしても知性の涵養が必要である。霊性的直覚は直覚として、それ自身に大きな意味をもつ。これなくては知性も情性もその正当な立場を保持していけないのである。が直覚の世界だけでは、直覚の能動面・社会生活面というものが、閑却せられがちになる。他力の自力面というものがあることを忘れてはならぬ。」と。
さらに少しおいて、最終の部分で次の様に、結んでいられる。
「われらは今日の他力者に対して近代的反省を促したいのである。他力者は一旦娑婆の浄土に入って来たいというなら、そこに停頓すべきではあるまい。直ちに却歩一転して娑婆の浄土に突入して貰いたいのである。これは今日の仏教者全体に対しての批評ではあるが、ことに他力宗の人達に向かって獅子奮迅三昧を行ぜられんことを希うのである。宗教は大体において保守性をもつものであるが、いつもそうあってはならない。ことに今日の状態は決してそれを許さないのだ。日本がおかれてある地位を考え、また世界が進みつつある行く手を見定めると、仏教が今後の世界における使命の如何に大なるかを認覚せざるを得ないのである。「大悲の親さま」を我一人の親さまにしないで、世界全人類の親様にまで守り立てなくてはならぬ。これが我等仏教者の使命である。」
これは、1948年に書かれた文ですが、今の日本と世界の状況にそのまま当てはまっています。ユダヤ教とイスラム教、そして キリスト教とイスラム教 の終わり無き泥沼の戦い、益々進む地球温暖化(足ることを知らず、未来世代からの借金を乱発する経済至上主義)等等、これらは、仏教やヒンズー教などの東洋の教えでしか解決できないと思います。私達仏教徒は獅子奮迅三昧を行じねばならないのです。その面でもっともっと活動できる筈です。大いに発奮しなければなりません。
また、この「妙好人」の本の解説に、長きに亘って、鈴木大拙氏に師事され、氏が亡くなられてからは、氏の活動の拠点であった 松が岡文庫の代表を務められた 古田紹欽氏(仏教学者)は、次の様に述べていられる。
先生(鈴木大拙氏)は何れの既成教団にも身分的所属することのなかった自由人であったが、先生が妙好人を重視されていった理由のもう一つは、妙好人が在家の真宗信者として教団の枠外にあった自由人であったことにも、恐らく無縁ではなかったろう。自力、他力の教学的範疇による限り、先生の浄土観には自力的なものがあるとする他力教学者の批判は先生自身百も承知であったが、先生は
自力、他力の別れる以前の未分の世界こそに宗教経験の真実性を見るべきとされ、教団の枠づけによる教学には時に反発の意思をほのめかされた。ついては伝統的臨済禅の異流ともいうべき盤珪禅師の禅を世に紹介されたこともその現れと見る。
最後に才一の歌一首を引こう。
さいちよい、へ、たりきをきかせんかい。へ、たりき、じりきはありません。ただいただくばかり。
この一首にこそ先生は我が意を得たりと喝采されるのではなかろうか。因みに先生が没された翌年、昭和42年(1967年)7月に「妙好人浅原才一集」が 遺稿として刊行になった。
私は、中川宋淵老師から座禅の手ほどきを受け、「真宗信者なら念仏で座禅をせよ」と教えられそれを守ってきて、近くの優れた住職さんの助けも得て、真宗が見えてきた今、この古田紹欽氏の言葉は身に染むのです。私は鈴木大拙氏には遠く及びませんが、禅宗も真宗も大して変わらないように感じるのです。
合掌
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏