2013年1月9日 妙好人 因幡の源左翁
因幡の源左(本名:足利源左衛門)(1842年~1930年)翁は、現在の鳥取県鳥取市青谷(あおや)町山根の方ですが、浄土真宗の妙好人として有名な方です。
妙好人とは、真宗の言葉ですが、阿弥陀如来に深く帰依された方を言います。私式に言えば、阿弥陀如来(我々人間の心と体のその奥にある仏性)にすべてを託して、今を生きる方です。
毎月1回の、「門徒同朋の会」の読書会で昨年の12月にこの方(かた)の所を読み終えました。この方はお百姓さんですが、18歳でお父さんに先立たれ、お父さんの遺言が、「おらあが死んだら親様(阿弥陀様=阿弥陀如来)を頼め」であったので、それに真正面に取り組まれ、妙好人になられた方です。そのさまが、以下の語り口で伝わっています。(柳宗悦氏が編集された言行録から楠恭氏・金光寿郎氏の共著「妙好人の世界」に引用されているのを紹介)
おらあは18の時親爺に別れたがやあ。死なんすとき、「おらあが死んだら親様(阿弥陀様=阿弥陀如来)を頼め」ちゅうたいなあ。親が亡うなってみりゃ悲しゅうてならんで、なにをしても面白いこたあなし、淋しゅうて、おらあの心はようにとぼけてしまってやあ。あんまり暮らしが悲しゅうて、親の遺言を思い出して、親心恋しさに親様を探さにゃならんと思うて親様探しにかかってのう。「親を探せ」ちったって、どがなふうに頼んだらあかわかりゃせず、昼も夜もかんがえたがやあ。ご本山にもさいさい上らしてもらってのう、叱られたり、どまかされたり(諭されたり)したいのう。いろいろと悩んで疑って,なんぼ親様に背をむけたかわからんだいのう。聞けよと教えられはするが、いくら聞いてもわからんで、時には聞かんほうがましだいなあと思ったことがあるだいがやあ。聞けば聞くほどむづかしゆうてなあ、寝ても起きてもむづかしゅうてわからんだいなあ。易しい道とは教えて下さるが、何で易かろうがやあ。仏さんも嘘を言われるがやあと思ったいなあ。どがあしても親さんを探さにゃならいで、今度親さんに棄てられたら、取り付く島もないだいなあ。易しい易しいと言われはするが、凡夫だによって、むづかしいだいなあ。おらあが心が邪慳でむづかしくなるだいなあ。仏には嘘がのうて、此奴(こいつ(自分))が嘘にするだいなあ。むづかしいむづかしいって、わがむづかしゅうするだいなあ。此奴(こいつ(自分))がいけん奴だいなあ。それを知らせてくれたのがデン(山根地方の方言で牛のこと)であっただいなあ。
ある日、朝早う城谷(じょうだん)にデンを連れて草刈りに行ってのう。デンや今朝はわれにみんな負わせりゃ、われもえらからあけ、おらも一把なりと負うぜやちゅうて、刈草の束を背負うて戻りかけたが、これが重うて体がえらあになって、「おらあ負うたら思うて負うたが、デンやおまえ負わしてごせ」ちゅうて荷をデンに着けたいなあ。そしたらすとんと楽になってなあ。その時「ふいとここがお他力か」と気付いてなあ。デンに知らせて貰うてなあ。デンはおらあが善知識(自身の信仰を導いて下さる方)だがやあ。この時夜明けをさして貰っただいなあ。おらあデンめにええご縁をもらってやあ。帰りにゃ親さんのご恩を思わせてもらいながら戻っただいなあ。勿体のうございます。ようこそようこそ。
この様に、阿弥陀如来にすべてを託するということはなかなか容易ではないのです。熱意を持って求めつつ、くじけそうになっても続けて
いるうちに卵の殻が破れるようにして、判ってくるのです。
私はまだまだと思う今日この頃です。良き先達、源左さんに感謝しつつ、
合掌
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
因幡の源左(本名:足利源左衛門)(1842年~1930年)翁は、現在の鳥取県鳥取市青谷(あおや)町山根の方ですが、浄土真宗の妙好人として有名な方です。
妙好人とは、真宗の言葉ですが、阿弥陀如来に深く帰依された方を言います。私式に言えば、阿弥陀如来(我々人間の心と体のその奥にある仏性)にすべてを託して、今を生きる方です。
毎月1回の、「門徒同朋の会」の読書会で昨年の12月にこの方(かた)の所を読み終えました。この方はお百姓さんですが、18歳でお父さんに先立たれ、お父さんの遺言が、「おらあが死んだら親様(阿弥陀様=阿弥陀如来)を頼め」であったので、それに真正面に取り組まれ、妙好人になられた方です。そのさまが、以下の語り口で伝わっています。(柳宗悦氏が編集された言行録から楠恭氏・金光寿郎氏の共著「妙好人の世界」に引用されているのを紹介)
おらあは18の時親爺に別れたがやあ。死なんすとき、「おらあが死んだら親様(阿弥陀様=阿弥陀如来)を頼め」ちゅうたいなあ。親が亡うなってみりゃ悲しゅうてならんで、なにをしても面白いこたあなし、淋しゅうて、おらあの心はようにとぼけてしまってやあ。あんまり暮らしが悲しゅうて、親の遺言を思い出して、親心恋しさに親様を探さにゃならんと思うて親様探しにかかってのう。「親を探せ」ちったって、どがなふうに頼んだらあかわかりゃせず、昼も夜もかんがえたがやあ。ご本山にもさいさい上らしてもらってのう、叱られたり、どまかされたり(諭されたり)したいのう。いろいろと悩んで疑って,なんぼ親様に背をむけたかわからんだいのう。聞けよと教えられはするが、いくら聞いてもわからんで、時には聞かんほうがましだいなあと思ったことがあるだいがやあ。聞けば聞くほどむづかしゆうてなあ、寝ても起きてもむづかしゅうてわからんだいなあ。易しい道とは教えて下さるが、何で易かろうがやあ。仏さんも嘘を言われるがやあと思ったいなあ。どがあしても親さんを探さにゃならいで、今度親さんに棄てられたら、取り付く島もないだいなあ。易しい易しいと言われはするが、凡夫だによって、むづかしいだいなあ。おらあが心が邪慳でむづかしくなるだいなあ。仏には嘘がのうて、此奴(こいつ(自分))が嘘にするだいなあ。むづかしいむづかしいって、わがむづかしゅうするだいなあ。此奴(こいつ(自分))がいけん奴だいなあ。それを知らせてくれたのがデン(山根地方の方言で牛のこと)であっただいなあ。
ある日、朝早う城谷(じょうだん)にデンを連れて草刈りに行ってのう。デンや今朝はわれにみんな負わせりゃ、われもえらからあけ、おらも一把なりと負うぜやちゅうて、刈草の束を背負うて戻りかけたが、これが重うて体がえらあになって、「おらあ負うたら思うて負うたが、デンやおまえ負わしてごせ」ちゅうて荷をデンに着けたいなあ。そしたらすとんと楽になってなあ。その時「ふいとここがお他力か」と気付いてなあ。デンに知らせて貰うてなあ。デンはおらあが善知識(自身の信仰を導いて下さる方)だがやあ。この時夜明けをさして貰っただいなあ。おらあデンめにええご縁をもらってやあ。帰りにゃ親さんのご恩を思わせてもらいながら戻っただいなあ。勿体のうございます。ようこそようこそ。
この様に、阿弥陀如来にすべてを託するということはなかなか容易ではないのです。熱意を持って求めつつ、くじけそうになっても続けて
いるうちに卵の殻が破れるようにして、判ってくるのです。
私はまだまだと思う今日この頃です。良き先達、源左さんに感謝しつつ、
合掌
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏