もの想う鷲 (A thinking eagle)

自然・環境を科学してみる

7月7日 妙好人の田原のお園さん

2015-07-07 19:59:49 | 宗教(主として仏教)について





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橘恭、金光寿郎 共著「妙好人の世界」(法蔵館発行)の薦め

2011-03-04 15:46:44 | 宗教(主として仏教)について
橘恭、金光寿郎 共著「妙好人の世界」(法蔵館発行)の薦め

この本は1991年1月7日から6日間にわたってNHKラジオ第1放送の早朝特別番組として放送された内容を骨子として、推敲され、さらに多くを補足されたものです。橘恭氏は1915年生まれの方で、大谷大学に在学されていた時から、当時大谷大学の宗教学の教授をされていた鈴木大拙博士に師事され、博士の勧めで妙好人の研究を生涯続けられ、多くの妙好人についての書物を出されています。金光寿郎氏は1927年生まれの方で、NHKのディレクタとして、ラジオテレビの教養番組を制作され、主として「人生読本」、「宗教の時間」、「心の時間」を担当され、1984年NHKを退職されています。この本は、橘恭氏の労作の1つであり、物種吉兵衛、因幡の源左、浅原才一、三戸独笑、榎本栄一について書かれています。浄土真宗の信者の方には是非とも読んで戴きたい本です。きっと目が開かれると思います。これらの妙好人は市井の一般人ですが、お釈迦様や親鸞聖人も、仏道の体現者としてお墨付きを与えられるだろうと思います。

(完)
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鈴木大拙著の「日本的霊性」の奨め

2011-01-02 23:32:09 | 宗教(主として仏教)について
鈴木大拙著の「日本的霊性」のご紹介

この著書は鈴木大拙が昭和19年の1月から書き始め、夏に出版しました。その動機は当時日本が拠り所としていた、国家主義全体主義国家神道に対して、彼が抱いた危機感であり、これからの日本が、それに拠って立つべきではないという思いから、それに対する対立軸として、確信を持って提示したものです。それは、日本人固有の超個の霊的存在(「霊的」という言葉を、彼は、精神と肉体のその奥にあり、両者を含む存在 であり、超個の叡智(仏教徒がいう「仏心」)として捉えている)であるというのです。そしてそれは、全ての人類に共通するものだと主張しています。たまたま、その日本人固有の超個の霊的存在は、
仏教により呼び覚まされたと考えています。従ってそれによって生まれた法然と親鸞の教えは、それ故に独自のものだと主張するのです。それは結果として、中国人の師匠から日本僧の法嗣に受け継がれてきた日本の禅宗とも合い通じるものがあると著者は言っています。浄土真宗の所謂 妙好人(「一念の信」を得た念仏の行者(禅でいう「頓悟した人」))の言葉と禅の高僧の言葉に相通ずるものがあるのは、著者が引用する下記の詩からも想像できます。

南無佛は、才一が仏で、才一なり。
才一が悟りを開く、南無佛。
これを貰たが 南無阿弥陀仏

ええなあ
世界虚空がみな仏
わしもそのなか 南無阿弥陀仏

(ともに 妙好人 浅原才一 の詩)

勿論、この書の中には、「金剛経(能断金剛般若波羅蜜多経)の禅」が最後に詳細に解説され、般若即非の論理、応無所住而生其心、三世心不可得、禅概観と節を分けて解説されています。

著者は、この日本的霊的叡智に拠って立ち、日本は、世界に貢献できるものだと確信をもって提示しています。

私は祖母から受けた親鸞の教えを学びながら、学生時代に立派な禅僧から受けた禅の教えをともに持ち、心の師である中川宋淵老師から受けた、「念仏で座禅して良い」と教示して頂いたこともいまだに守っています。この書は、昨年の夏に買ってから3回読みましたが、今後も読み返し読み返し、私の生の続く限り読み続けていくことになる書物です。仏教に関心のある方の精読をお勧め致します。
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昭和の名僧の著書の紹介

2008-09-24 23:45:30 | 宗教(主として仏教)について
昭和の名僧、中川宋淵老師、の著書(俳句とその解説を主とした書)のご紹介
 (注記3を追加しました--2008/10/09)

以下に述べる中川宋淵老師の”十句” は、俳句に託された老師の提唱であり、
老師の解説は、素晴らしく ”仏教とは何か?” を端的に感じさせてくれます。是非購入して読まれることを推奨いたします。きっと目からうろこが落ちると思います。

私は大学一年生の時から中川宋淵老師から坐禅の指導を受け、仏教について種々教えて頂き、大学卒業後は、直接お会い出来ませんでしたが、老師の眼差しを意識して今日まで生きて来ました。従って、中川宋淵老師は私の人生の師です。
老師は、1907年岩国市で軍医を父として生を享けられました。大学院在学中の1931年に、大菩薩岳の近くの塩山市(現在の甲州市)の向嶽寺で出家され、1934年に後輩の旧制第一高等学校の学生に坐禅の指導をすべく一高陵禅会を発足されました。東京白山道場での山本玄峰老師(太平洋戦争の終結を陰で演出され、終戦の勅を起草された禅宗臨済宗妙心寺派の傑僧)との法縁により、1935年、山本玄峰老師が師家をされていた円通山龍沢寺(静岡県三島市)に転錫され、1951年山本玄峰老師の法嗣となり、龍沢寺の師家となられました。以来日本だけでなく、英語も堪能だった為、世界を舞台に坐禅の指導をされニューヨーク禅堂の正法寺、及び国際山大菩薩禅堂金剛寺を開創をされ、多くのアメリカ人が老師に師事していました。またCatholicのお坊さんの瞑想(Meditation)の指導も請われてされていました(イスラエルのエルサレムに屡出向かれ、建造された禅堂で、瞑想の指導をされました)。遷化されたのは1984年です。今もニューヨークでは後継の禅僧が引き継いでアメリカ人を指導しておられます。
大学は国文科に席を置かれ、卒論は芭蕉の”猿蓑”だったそうです。出家されてすぐに(1931年)、飯田蛇笏先生に師事され、先生から ”芭蕉を正しく理解し,措きがたく憧憬したことほど左様に、元禄の俳聖芭蕉は芭蕉として既往に存在し、宋淵君は宋淵君として1934年の日月のともに存在することの奈何ともし難い’個’の現存が,分明に自覚されつつあることが作句を透して解る” と絶賛され、度々飯田蛇笏先生の主宰される 雑誌”雲母” の巻頭の句を老師の句が飾ったと有ります。

老師の著作は、今まで ”詩がん”(1936年)、”法光寿”(1985年)、”空華”(1986年)、”蜜多海月情”(1987年)、”蜜多余香”(1990年)、”蜜多窟提唱”(1994年)、”明暗雙々--(東京大学六十年史)--”(1995年)が編纂されましたが、殆どは龍沢寺蔵版(非売品)として宋淵老師に法縁のある方々に頒布するかたちがとられたため、一般の方の目に触れることがありませんでした。
4年前の2004年に、老師が遷化されて20年経ったことと、東大修養道場(三昧堂)の改修の記念事業として、東大陵禅会後援会が石井正躬先輩を中心にして一般の方々に中川宋淵老師の教えを知ってもらうべくぺりかん社から ”十句” と ”命篇” を発行しました。
私も偶々インターネットをbrowsingしていて見つけたのですぐ購入しました。
”十句” は ”詩がん” から 老師が 十句 を選び出され、1973年11月16日NHK教育テレビで ”自選十句”として解説されたものを録音したcompact disk(所要時間33分)が入っています。(”NHKアーカイブスに保管されていたものをNHKのご好意により、提供戴いた” と あとがきに、石井正躬先輩が記しています)

この”十句”の本は、最初にcompact disk の内容がそのまま入っており、それに続いて、”俳句と私”、”詩がん”、その後に中里介山先生御賛、北原白秋先生御跋(おんおくがき)、飯田蛇笏先生跋文、となっています。
また”命篇” は ”詩がん” に続く 1936年~1949年の間の老師の詩集であり、一部俳句を含む詩集です。

”十句”は全て素晴らしい句なので全て、以下に紹介します。

1. (大菩薩山中にて)  仏法僧 鳴くべき月の 明るさよ。 
2. 七つ星 樹氷の空を 歩(あり)くなる。
3. 媼(うば)が手に 摘まれて草の 萌ゆるなり
4. 春しぐれ いつより僧と 呼びにけむ
5. 禅院の あっけらかんと 冬支度
6. アメリカの 日本晴れと なりにけ里
7. 死海より這い出て 春の 身の雫
8. 菩薩嶺(ぼさつね)に 月太るなり エルサレム
9. 不二(ふじ)見えて あの世この世の 若菜摘む
10. 年木樵(としきこり) ぬかるみを踏み 雲をふみ

注記:
1. ”蜜多窟” は 中川宋淵老師の 別称
2. ”詩がん” の ”がん” 現在の日本語の漢字には無く、”合”かんむり の下に ”龍” と書く漢字で、意味は ”壁の隅の像などを置く凹所” 
(台湾で購入した漢英辞典の”niche for an idol”の私訳)
3. 山本玄峰老師(1866年~1961年)の自著としては、禅の公案集である”無門関”を老師が懇切に滋味溢れる提唱をされたものを、そのまま書物にされた”無門関提唱”(1960年、大法輪閣刊行)があります。老師を慕う禅僧方や居士方の求めに応じられたもので今も絶えず購入される人が多いようで、申し込まれれば1週間以内に届くはずです(現在の版は28刷です)。また老師の伝記としては最近発刊されたものでは、帯金充利著”再来--山本玄峰伝”(2002年、大法輪閣刊行)があります。仏教に興味のある方には、購入して精読されることを推奨致します。


               (完)
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“靖国問題”に対する私見 ---- 一仏教徒として (その1)

2006-10-22 23:00:42 | 宗教(主として仏教)について
“靖国問題”に対する私見 ---- 一仏教徒として (その一)

“靖国問題”は、日本にとって、今後の 東アジア との関係において、大変重要な問題であると思います。
日本は、東アジアの優れた哲学(仏教と儒教)の恩恵の下に、自らの文化を発展させて来たにも拘らず、その恩のある東アジアを侵略したこと を 認識することなしに、“靖国問題”を乗り越えることは出来ないと思うからです。

江戸末期の尊王復古の思想である、“復古神道”により、薩摩、長州、土佐の武士達を中心とした人達は、倒幕、王政復古、明治維新を起こし、西洋文明を取り入れて、文明開化を成し遂げて、日本国を発展させてきましたが、西洋の先進国と同じ様に、国土拡張のために恩のある中国をそしてインドまでも、侵略しようとしたのです- - -第二次世界大戦。

その結果敗れてアメリカの庇護の下に立ち直り、先進国へと進化していったのですが、今になっても第二次世界大戦の過ちを本当の意味で認識出来ていない政治家が多く居るのが残念です。
その理由のうち一番大きいのが、この“復古神道”の考え方を、知らず知らずに、今も多くの政治家が引き継いでいるからだと思います。

“復古神道”は、江戸時代に、荷田春麿、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤と引き継がれ発展した神道であり、“儒教、仏教を外来のものとして排斥し、古事記、日本書紀を中心した 日本の神道は、独立して発展し、儒教や仏教より優れたものであり、日本は神に守られた無敵の神州である”とするものです。
この神道は、それまで、儒教や仏教の下に置かれていた神道を、これらより優れたものとする思想でありますが、その理論は専門家の言を待つまでもなく、一般人が読んでも牽強付会で創作であることが判ります。江戸末期の列強の開国要求に応じた幕府政治では、当時の難局を乗り切れないと判断し、王政復古に望みをかけざるを得なかった情勢が、薩摩、長州、土佐の武士達をして、この復古思想に向かわせたのです。
その結果、倒幕、王政復古、明治維新、と進んでいったのです。
当然、王政復古(大政奉還)と同時に神仏分離令が出され、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。

その後の発展の過程で、日本は、日清戦争、日露戦争へと進んでいったのです。

昭和に入って、海軍は米内光政(陸中-盛岡)、井上成美(陸前-仙台)、山本五十六(信濃-長岡)、等の儒教を思想の根幹にもつ、優れた人材の参謀部を持ち、英国式教育(幹部候補生のオックスフォード、ケンブリッジ大学留学)も合わせ、首尾一貫した統率の下、到底勝ち目の無いことを感知していた、英国、米国との戦争を回避すべく全力を尽くし、日本の発展は希求しましたが、中国の侵略は意図しなかったのです。

しかし陸軍は、薩摩、長州、を中心に維新以来の復古神道を信奉する人々が参謀を占め、また統率力無く、頻繁に起きた前線での国際法違反の無法行為をも取り締まれず、また政府も、数で圧倒した陸軍に引きずられ、遂には第二次大戦に突入せざるを得なくなったのです。

儒教や仏教の信奉者にとっては、今まで一度も日本を侵略したことの無い、孔子と孟子の国、中国を、況や、釈迦の国インドを、侵略することは、到底思いもつかないと思います。
(蒙古来襲は、中国の侵略ではなく、蒙古人による侵略です)

上述の様に、明治維新を起こした人達は、岡倉天心の様に中国やインドを崇拝していた人は、殆ど皆無で、当時の科学技術の進歩の著しい、西洋崇拝の人達ばかりであった様に思われます。

第二次大戦後も、日本は西洋に追いつき追い越せの西洋崇拝一辺倒で、東洋の心を忘れてしまったと言っても過言ではないでしょう。

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”靖国問題”に対する私見 - - 一仏教徒として(その2)

2006-10-22 22:56:57 | 宗教(主として仏教)について
“靖国問題”に対する私見 ---- 一仏教徒として (その二)

これからの世界を見るときに、東洋の哲学(ヒンズー教、仏教、儒教、道教、日本の固有の神道(氏神の神道))は、西洋文明にない、無暴力の抵抗 を 説き、世界の平和を実現するには、欠くことの出来ないものであると思います。
インドのガンジー(彼は、敬虔なヒンズー教徒でした)は、何の武器も持たず、自身の 断食 という無暴力の抵抗で、イギリスをも、インド国民をも 従わせ、インドの独立を達成しました。

日本も、先に先進国となった、アジアの先輩として、かって恩を受けた中国とインドに恩を返す番です。
東洋は、西洋には無い独自の優れた文化があります。この東洋の智恵を世界の平和と地球環境の問題解決に生かさなければなりません。

第二次大戦は侵略戦争です。それも恩恵を受けてきた、中国と、そしてインドまでをも侵略しようとしたのです。
靖国神社には、国の為に 尊い命を捧げられた250万人もの日本人が祭られています。
(強制徴用され戦死された韓国人の方も祭られていますが)
また一方で軍人勅語を自ら起草、押印し、“生きて捕囚の辱めを受けず”と全軍人に命令し、自身は “生きて捕囚の辱めを受けた”人も祭られているのです。
この人には、多くの日本人が、快く思っていないと思います。

大多数の国民が国の未来に明確な意見を持ち、それを発信できるようにならないといかなる国も過ちを犯す と いわれています。
昭和20年(1945年)までの日本を考える時、大多数の国民は生活に追われ十分な教育を受け教養を持つことが出来なかったと思います。
したがって上述の陸軍の暴走を止めることが出来たのは、知識人であったと思います。
しかし日本の知識人とマスメディアは “陸軍の暴走を止めることが出来なかった” ということを十分に認識して来なかったと思います。
仏教界は漸く認識して来ていると思います。
このことを十分に認識し得ないままで、日本が自衛のためとは言え、軍備を持つことに、東アジアの国は脅威を感じるでしょう。もし私が中国人ならば日本が今の段階で軍備を持つことに反対するでしょう。
もう2度と過去の過ちを犯さないという固い意志が国の方針として感じられるまで許せないと思います。

また日本人は、上述の復古神道を過去の苦い経験として、別れを告げるべきです。
この“靖国問題”を早く卒業して中国やインドと手を携え東洋の智恵を世界の平和と地球環境の問題解決に生かす時だと思います。

最後に皇室について一言触れておきたいと思います。
古事記、日本書紀をよりどころとすれば、現在の平成天皇は第125代目であります。
歴代の天皇の中の多くの方々が、熱心な仏教信者でした。
聖武天皇をはじめ、桓武天皇、嵯峨天皇、花山天皇、亀山天皇、後醍醐天皇、後土御門天皇、等々多くおられます。
また皇子では、空也上人(醍醐天皇の第三皇子)、時宗(じしゅう)の第14世遊行上人 尊観上人(後村上天皇の皇子)、時宗の王阿上人(後嵯峨天皇の皇子)、時宗の上人となられた宗尊親王(後嵯峨天皇の皇子)、等々、お坊さんになられ、一生を仏教の布教に捧げられた方々も多くおられます。
皆様もご存知のように、聖徳太子(用命天皇の皇子)とその長子の山背大兄王は、仏教の教えをそのままに、生きられました。
復古神道により、神に祭り上げられた明治天皇以後の天皇の方々も、実は被害者であると思われます。
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西暦500年頃までのユーラシアの宗教的結びつき

2006-08-17 00:40:44 | 宗教(主として仏教)について
LondonのTimes Press社によって1978年に出版され、1988年に再版された"Atlas of World History"の中に、世界宗教について
興味ある記述があるので、ここに翻訳してご紹介します。

西暦500年頃までのユーラシア(ヨーロッパとアジア)の宗教的な結びつき

全ての世界の大宗教はアジアに発生した。そしてその中の3つの宗教(ユダヤ教、キリスト教、回教)は、西アジアの極めて小さな地域に起こった。
同じ様に注目すべきは、世界の異なった地域での宗教的な天才を、年代で区切れば、BC6世紀、またはその近くの時代(ヤスパースの言う“宗教の軸となる時代”)になることである。

それは、中国では孔子、そして恐らく老子、イランではゾロアスター、インドでは釈迦、我々がディーテロ・インアと呼ぶ、ユダヤの中でも最も偉大な予言者、そしてギリシアのピタゴラスの時代であった。
恐らく世界的な文明の誕生が世界的宗教を必要としたのであろう。
恐らく、これらの新しい宗教は、その当時の社会における緊張や、精神のはけ口、及び 迷信的な多神教を超越する宗教 の 必要性 に対する反応であった。

ギリシアの思想家達が実際の社会を説明するために、単一の原理を探しているのと同じ時に、単一の精神的なものを信じる方向への動きがあったのである。
この動きの1つが一神教の成長である。

狭義の定義では決して世界的宗教ではないけれども、世界的宗教の中で最も古いものはヒンヅー教である。
それはインドの人々の宗教である。
即ち“ヒンヅー”というのは“インダス河の”という意味である。
ヒンヅー教は包括的であり、非常に複雑である。
それは、菜食主義、人間の生贄、難行苦行、及び 乱行である。
それは、創造されたものでなく成長し続けるものである。
外面観察のあらゆる豊かさを自己実現する教義遵守の儀式であるとともに、内的瞑想への献身であり、村人の最も単純な信仰であるとともに、哲学者の深遠な演繹理論を内包する。
ヒンヅー教は厳密な意味において、伝道宗教ではない。

ヒンヅー教内の1つの改革運動として始まった仏教は最も偉大な伝道宗教の1つである。
その伝道は成功し、アジアの多くの地域に広まったが、皮肉にも、現在はインドには事実上仏教徒はいない。
ゴータマ・シッダルタ、“宇宙の真理を体得した”という意味の称号 “仏陀”、は 恐らくBC6世紀~BC5世紀を生きたインドの小国の王子であった。(というのは、もう1つ、BC5世紀~BC4世紀という説がある)
彼は一念発起して城を出た。(仏教では“偉大なる放棄”という)。6年後彼は菩提樹の下で悟りを開いた。彼は涅槃、欲望を抹殺する境地、に達した。

仏教の歴史の中で最初の偉大な出来事はインドのアショカ王(紀元前274~232)の王政時代であった。
彼は仏教に改宗した人であり、改宗の後、高い位の人には稀な類の平和と高邁な主義の人であった。
彼の改宗は、ローマ皇帝コンスタンティンのキリスト教への改宗と好対照をなす。
仏教は初期にセイロン(現在のスリランカ)、と ビルマ(現在のミヤンマー)に伝播し、西暦1~2世紀には中国に、4世紀には韓国に、6世紀には日本に伝播した。
仏教は神に焦点を当てない点において世界宗教の中で特異である。
そのメッセージは、欲望を消滅させることを通しての苦しみからの解放である。
これが、仏教と社会とともに、仏教の焦点部分となる教義である。
仏教では1つの大きな分裂があった。それは始まってから500年位後に起こった。
それは、一般大衆向けの大乗仏教 と より保守的な小乗仏教への分裂である。
小乗仏教はセイロン、ビルマ、タイで強く、大乗仏教はさらに東の中国、韓国、日本で広く受け入れられている。
仏教は、東南アジアの海岸に沿って、そしてまた中央アジアを通るシルクロードによっても、伝播した。

中国では、先祖崇拝と自然の精霊崇拝の昔からの伝統があった。
BC5世紀位から少なくとも上流社会には、2つの哲学が支配的であった。1つは孔子(BC551~BC479)の倫理哲学であり、もう1つは人物が記録に明確に残っていない老子との関係が深い“道教”という宗教である。
“道教”は宇宙の道を意味する。
人のあるべき姿は、静寧な生活を通して、“宇宙の道”と調和することであるというのである。

日本においては、6世紀に、仏教は 伝統的な“神道”と精霊思想を凌駕し、漸く徳川時代の終わりに至って、“神道”が、日本の国家の本体を表すものとして復活した。

ユダヤ民族は伝統によってメソポタミアから移って来た、人口の少ない民族である。
彼らの確固とした歴史はモーゼという名の指導者の下でエジプトの圧制から脱出した時に始まった。
彼らがエジプトから脱出したには、神聖なる存在エホバ、または“主”の為である。
その“主”と彼らは誓約をしたのである。
即ち、彼らは、“主”の民であり、“主”は彼らの神であるという誓約である。
それは、彼らの法律である十戒の単純かつ深遠な道徳的要求と結びついた誓約である。
彼らは、食の規則、割礼、及びその他の宗教的儀式等で顕著な特色を持つ、排他的な民族である。

エホバは、彼らを、他所から連れてきて、民とした神であるという事実は、それ自身広い一般性を持つ考えであり、次々と現れた“予言者”が、彼らに対して、身をもって、倫理的道徳的正しさを保つべく、努力し続けた。

ユダヤ人は、頻頻と、他民族による政治的軍事的支配を受け、その結果として起こった彼らの“分散”は地中海の殆んどの地域、そしてさらに東方にも及んだ。
その後さらにキリスト教による迫害の結果、彼らは、さらに世界中に分散して行った。

ユダヤ教がキリスト教を産み、キリスト教は初めローマ帝国に広がり、後にさらに広範囲に伝播した。
回教もまたユダヤ教とキリスト教の伝統を受け継ぎ、モハメッドがモーゼやキリストを含む予言者の列に入っていると、回教は考えている。
回教もまた偉大な伝道宗教となった。
1つの方向では、回教はスペインを経由して北アフリカを席捲し、そしてスペインを経由してヨーロッパへ、もう1つの方向ではインドに達した。

もう1つの他の宗教も言及しなければならない。
これはペルシアに起こり、ゾロアスター、老子とともにはっきりと記録に残っていない人物、に関係している。それは人生を 光の力 と 暗黒の力 の 間の 戦場と考える。
そして、それは、今日では、インドの一派パルシスに代表されている。それは太陽神の形でローマ帝国に広まったが、キリスト教の成長によって追放された。

さらに世界宗教として永続しなかった民族的な宗教がいくつかある。
ローマ人によって採用され改作されたパンテオンは、空の神ゼウス(木星)や夫々が1つの役割を持った他の神々を作ったが、それらは征服された民族の神と一体になった。
ケルト民族(この民族の僧職の人たちは人の生贄を要求したという咎で抑圧された)、スカンジナビア民族(その神ウオータン(Wotan)、トール(Thor)、及びその他の神は、英語の週の曜日の呼び名となった)及び ゲルマン民族の全ては、シリア民族やアラブ民族や小アジアの民族と同じ様に、全て彼らの神を持った。
エジプトの女神イシスは遥かアフリカ西部にまで広まり崇拝されていた。
これらの神は、自身が取って代わられた宗教に影響を与えたり、その他の宗教の中に、行事の形として残っているものもあるが、最後には、すべて 消滅してしまった。

以前は別々であった世界の地域を結びつけたのは、結局粘着剤としての役目を果たした、世界宗教であった。




宗教の拡散 (添付図参照)

ナイル河、メソポタミア河、インダス河、及び 中国の大河で生まれた偉大な河の文明と偉大な世界宗教との間に何らか関係があるといっても、驚くことではない。しかし、関係があるといえども、そして、これら安定した世界文明がなかったならば、これらの世界的な宗教が生まれなかったであろうけれども、宗教的天才を生んだのは、河だけではない。

領土拡張は一般に、貿易ルートを辿った。
宗教は、貿易商、兵士、行政官、及び 普通の旅人によって、まれには慎重な伝道の目的を持って、同じ貿易ルートを使って広められていった。
仏教は東南アジアの海岸に沿って、そしてまた中央アジアのシルク・ルートによっても広まった。
ローマ帝国と中国の帝国は、注意をひきつける魅惑の中心であったが、平和な政府は、宗教の拡散を助けた。
キリスト教の作家は、ローマ帝国によってもたらされた平和は、キリスト教の伝播への神の意思であったと主張している。

添付図が4枚(1枚は凡例)があります。
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西暦500年頃までのユーラシアの宗教的結びつき(凡例)

2006-08-17 00:39:00 | 宗教(主として仏教)について
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西暦500年頃までのユーラシアの宗教的結びつき(図3)

2006-08-17 00:38:38 | 宗教(主として仏教)について
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西暦500年頃までのユーラシアの宗教的結びつき(図2)

2006-08-17 00:38:17 | 宗教(主として仏教)について
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