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旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

7世代先の未来

2010-05-11 00:23:13 | 言葉
兄貴が結婚して家を出て行き、変わりに妹が帰ってきた。
家では遅い大掃除が始まり、僕も部屋を片付けていると、ある手紙を発見した。
小学校3年の頃に自分宛に書いた手紙だ。
手紙にはただ一言『ちゃんと仕事をする』とだけ書いてあった。

手紙はちゃんと仕事をしない、大きくなった自分を予言しているようだった。
ゴールデンウィーク前から僕はまた無職になり、今年も7GenerationsWalkに参加できることになった。

土曜日、兄貴の結婚式の帰り道。
車を運転しながら、今までの旅を振り返った。

僕の旅はアラスカから旅をして、アメリカを横断し、メキシコ、グアテマラと偶然にも
アメリカ大陸を南下することになった。

メキシコを旅しているとき、あるゲストハウスに世界地図が飾ってあった。
その地図の前に立って、そのとき初めて僕は世界を感じた気がした。
そして、僕の旅が行き詰っていることを感じ、僕の旅は小さな終わりを迎えた気がした。

今まで、地球の上で生きる本来の人とは何かを知るという旅だった。
過去を知ることで自分が今どこに立っているのかを知ろうとする、
言ってみれば過去を見つめる旅だった。

そして、去年から参加している7GenerationsWalkは未来へと繋がるこれからを、
どう生きていくのかという、未来への旅だ。

そんな旅が今年も始まる。

7世代先の未来を思い描いて。

7世代先の未来

2010-05-10 23:47:29 | 
兄貴が結婚して家を出て行き、変わりに妹が帰ってきた。
家では遅い大掃除が始まり、僕も部屋を片付けていると、ある手紙を発見した。
小学校3年の頃に自分宛に書いた手紙だ。
手紙にはただ一言『ちゃんと仕事をする』とだけ書いてあった。

手紙はちゃんと仕事をしない、大きくなった自分を予言しているようだった。
ゴールデンウィーク前から僕はまた無職になり、今年も7GenerationsWalkに参加できることになった。

土曜日、兄貴の結婚式の帰り道。
車を運転しながら、今までの旅を振り返った。

僕の旅はアラスカから旅をして、アメリカを横断し、メキシコ、グアテマラと偶然にも
アメリカ大陸を南下することになった。

メキシコを旅しているとき、あるゲストハウスに世界地図が飾ってあった。
その地図の前に立って、そのとき初めて僕は世界を感じた気がした。
そして、僕の旅が行き詰っていることを感じ、僕の旅は小さな終わりを迎えた気がした。

今まで、地球の上で生きる本来の人とは何かを知るという旅だった。
過去を知ることで自分が今どこに立っているのかを知ろうとする、
言ってみれば過去を見つめる旅だった。

そして、去年から参加している7GenerationsWalkは未来へと繋がるこれからを、
どう生きていくのかという、未来への旅だ。

そんな旅が今年も始まる。

7世代先の未来を思い描いて。

ロマンず☆≡フリーパーペー

2010-05-09 11:27:37 | ロマンず☆~
『ロマンず☆≡の地球の抱きしめかた』という
フリーペーパーを作った。

フリーペーパーでは、こんな団体がいるというこ事と、
こんな事を考えている若者がいるということ。
エコって堅苦しいイメージを持っている多くの人へ
エコって楽しいんだ!って事が伝わる記事にした。

今回、最南端のイラストをお願いしているinori booksの二人が
頑張ってくれた事もあって、スムーズに完成した。
ロマンず☆≡の明るくて元気な雰囲気を出したくて、POPさを大事に
最南端の文章の雰囲気とは大きく変えることにした。

最南端とは別で地元にしか配布しないものだけれど、
見かけたら読んでみて欲しい。

Walk in beauty

2010-05-08 02:56:55 | 7 Generations walk.
5月14日からはじまる7GenerationsWalk 2010
今日、代表の山田さんから連絡が来て、僕は11日から長野に行く事になった。

初めて7Generations walkの代表の山田さんを見たのは、もう2年以上前になる。
サンフランシスコ・アルカトラツ島でLongestwalk2の写真を撮る事も禁止していた
オープニングセレモニーでの事だった。
かなり緊張感のある儀式でLongestwalk2の主催者、AIMのデニスバンクスの横に明らかにワクワクしている人物がいた。
それが山田さんだった。

僕はそれからワシントンDCまでアメリカの徒歩で横断する5ヶ月のうち
4ヶ月をデニス・バンクスと共に過ごした。

アメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリア、イギリス、フランス、
いろんな国からの参加者がいて、日本人もその中にたくさんいた。
4ヶ月間参加して、日本人だけが特別扱いされているような気がする場面が何度かあり、
デニスが日本人に遠慮しているようにすら僕には感じられた。

アメリカ横断を終えた翌年に、デニスが日本でウォークをするという話が出ていた。
デニスも日本に来て話し合いがもたれていたが、僕は参加する気はなかった。

ちょうどそのころアメリカで会った大学生が写真の展示をすると言うので
神奈川の大学まで写真の展示会を見に行った時だった。
そこに偶然、山田さんもやってきた。
当然、山田さんは来年のデニスが行なうウォークのサポートすると思っていたが、
話をすると思っていた事とは大きく違った。

「デニスとは別でウォークをする。」
山田さんははっきりそう言った。

その理由を聞いて僕がデニスから感じた違和感が何だったのかが、その時になって
やっとわかった。

常に100人規模の集団がアメリカを横断するのには莫大な費用がかかる。
その費用を出している大金持ちのスポンサーが日本人だった。
山田さんはそんなスポンサーのお金が背後にあって動いていては、絶対にウォークは成功などしないという考えだった。
「シュン君はシュン君のやりたいウォークをやればいい。」
そんな話をして「これで山田さんと会うことはないだろうな。」と思いながら別れた。

しばらくしてデニスの企画していたウォークはスポンサーの
「LongestWalk2でデニスが日本人に失礼だった。日本でウォークはやらせない。」
という、4ヶ月間参加していた僕には全く理解できない理由で話は消えていった。

それから数ヶ月がたったある日。
家の電話が鳴った。
山田さんからの電話だった。
「大阪から東京まで歩く事になったから静岡を案内してほしい。」
正直、どうして僕に頼むのか理解できず気が進まなかったけど、了解をした。

7GenerationsWalkの宿泊先下見や交渉など決めていると、ある事件があった。
LongestWalk2で仲の良かった仲間が線路脇で首と体が離れた状態で発見された。
そんな事があって、ウォークを成功させたいと願い大阪から東京まで
膝を壊しながら1ヶ月半全てに参加した。

ウォークのたった1ヶ月半の中で色んな事を体験した。
富士山の麓、朝霧高原で夜に火を囲みながら歌手のRocomoonちゃんが歌い、
ダンサーのアチコさんがファイヤーダンスをするという、ウォーカーだけの小さな
イベントがあった。
イベントが最後のダンスを迎えるとその日、ずっと空を覆っていた雲が切れ富士山が
雲の向こうに現れ僕らを見つめていた。
それは、いままで毎日のように見ていた富士山とは全く違う姿だった。

最終目的地の東京高尾山でゴールテープを切るとそれまで曇っていた空に穴が開き
光が僕らを照らした。

富士山も空も海も、それらは明らかに意識を持った生き物であるということと、
それらが共通する生き物である僕らと確かに通じ合い、共鳴するという事を
あのウォークで体験した。

7GenerationsWalk→http://www.7gwalk.org/

グランドキャニオンの底から

2010-05-07 15:54:15 | 
先週、グランドキャニオンの底に住む友人から手紙が届いた。
考えにくいけどグランドキャニオンの底にはポストがあって1ドル32セントで
手紙を送る事ができる。

手紙をくれたハバスパイ族の友人は僕よりも3つほど年下だった気がする。

ハバスパイ族は600から700ほどいたといわれるアメリカ先住民の部族の中で、
その部族の言語が残っていると言われる10部族の中の1つだ。

僕がLONGESTWALK2でハバスパイを訪ねたとき歓迎のセレモニーが開かれ、そこでは
2、3歳のまだオムツを穿いた子供というよりは、赤ん坊が大人に混じってダンスを
していて、大人と子供の距離の近さに、彼らの言語が消えないことに納得がいった。
ただ、不思議に感じた事は、子供がたくさんいるにも関わらず、
20~30歳くらいの若者がほとんどいなかった事だった。

その理由は、この村のほとんどの若者は、20歳前後で自殺するという事だった。
それに若者のあいだで広がるドラッグ。
5年ほど前に日本人女性が殺害された事件が起きたのもこの村での事だった。
そして、仕事もない。

そんな事もあってか、友人からの手紙は「日本で何か仕事はないか?」という
ことだった。
PS『お前の国の金を送れ!』

明らかにドラッグの後遺症が残る友人に、
さぁ、なんて手紙を書いてやるかな・・・。

土に触れる

2010-05-02 10:04:25 | 最南端
ゴールデンウイークだというのに僕には予定がない。
連休前に仕事が終わり、また無職になったので、わざわざ込み合っている時に
遊びに出かける理由は僕には無い。

このごろの休みの日の過ごし方はロマンず☆≡で借りた空き家へ行き、ひたすら畑仕事をしている。
運動不足のせいか畑仕事をしていると腰が痛くなり、体は筋肉痛になって硬くなり、
疲れていく一方だ。

不思議な事にそれと反比例するように僕は元気になっていくのを日々感じている。

『土をにぎったとき、私は縄文人である。
彼等とまったく同じ人間ではないかもしれない。
しかし、少なくとも無欲と分配の美徳をもつ彼等に少しでも近づきたいものである。』
新井司郎

意見が分かれるところだけれど、縄文人がある一定の作物を育て『農』を行なっていたことが、わかっている。
農を受け入れようとしなかった縄文の人たちがいたこともわかっている。

彼らが土器を作る際、土に触れてきたように、かたちは違えど畑仕事で土に触れ
僕の中に眠る縄文が内側に蘇るのを感じている。

もしかしたら、僕らは縄文人という地球で暮らす普通の人に戻る事なんてできないのかも知れない。
支配する事でしか地球と共に生きていく道を見出せないのかも知れない。

だとしたら、僕らはどこで『自然との折り合い』をつけるのか。