雑木林のくらし改めニュータウンの暮らし

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那須与一伝承館

2011年04月28日 15時44分29秒 | その他
 花粉情報マップが、黄色から緑に変わっていたので、思い切って、ちょっとお出かけ。黒羽の農産物直売所「くらしの館」まで、行ったが、生憎の定休日。黒羽の高橋商店で、焼き鮎を買って、帰ろうと思ったけど、せっかく来たのだからと3キロ先の那須の与一の郷まで、足をのばした。前に来たときは、那須の与一伝承館が、休館日だったが、今日は、開いていたので、入館。



 遠足の中学生が、帰った後で、他に来館者もなく、二人で、貸し切り状態。人形(ロボット)や三面のスクリーンを使った那須与一の物語をこれもロボットの琵琶法師の語りを聞きながら見た後は、学芸員の方が、つきっきりで、全ての史料を説明してくださった。



 那須与一の逸話は、平家物語にある有名な話だが、元々那須氏は坂上田村麻呂に祖を発する豪族で、今の那須やその周辺の地域を支配していた。古くからこの地方は、東北から関東への入り口として、東北の財物を都に運ぶのに通らざるを得ない交通の要衝だった。那須の名は、この那須氏の名から来ているとのこと。那須与一の後も、那須氏は、鎌倉、室町、戦国、江戸時代を盛衰を繰り返しながらも、名家として続いている。明治以降、直系の子孫は、弘前を経て、現在は、仙台にお住まいとか。今回の震災の後、消息を尋ねると、元気にしておられるとのこと。



 この伝承館は、平成19年の開館で、那須の直系の子孫の方から、大田原市へ貴重な史料が、寄贈されその保存と展示のために作られたとのこと。今、那須と言えば、那須町だが、那須氏ゆかりの古代の那須は那須塩原市、大田原市、那珂川町など、、栃木北部の広い範囲に及んでいたようだ。

 頼朝が下賜した源氏の白旗や平家物語絵巻などは、レプリカだったが、与一が、使った刀は、本物で、馬上で、敵を払うための独特なカーブを持った刀身は、美しかった。江戸時代の刀と明らかに違う。文書類もたくさん展示されてしたが、その美しさに圧倒された。大名たちは、それぞれ一流の祐筆を抱えていたのだろう。徳川家康、豊臣秀吉、伊達政宗など、それぞれ本人の墨跡も見たい気もするが、その祐筆たちの字を見ることもまた、興味深かった。

 入館料300円は、安かった。また立ち寄ってみたい。ただ、じっと静かにこれらの史料と相対して過ごしてもいいなと思う。

 伝承館の裏に那須神社が、ある。那須氏縁の神社。立ち寄ってびっくり。地震の被害で、灯籠が、何基も倒壊していた。これも、歴史。途中通った黒羽の市街の古い倉も壊れていたのが、あった。



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