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【なるせ音楽教室】

昔話 4

2006-05-26 | 音楽子育て回想

 

大学に入りました。
第5希望の大学でした。
と言うことは 4つ不合格。
仕方がないか、高校のときピアノをまじめにしていなかったのだから。
5つも受けさせてくれた親に感謝です。
浪人もしたくなかったし。

ただ上二つの大学は、所詮無理とわかっていましたから、
「この偏差値では無理だよ」と高校にデータを残してあげました

高校時代のブランクを埋めるかのように、
厳しいレッスンが始まりました。

ひたすら弾いて、体で覚える。
教授の思うようにひけていなかったら、
叩かれて、涙と鼻水を出しながらのレッスンでした。
それでもちょっとは弾けると教授が判断したのか、
月1回 東京から来る教授の特別レッスン生にに推薦いただき、
また、コレがありがた迷惑で・・・。
レッスンを辞退するすべも知らず・・・。
教授と、客員教授の言うことが違うので、
私はどう弾けばいいの???
週1回のレッスン。
前日夕方になると、ご飯も食べたくない・・・・。

ただ、初見がきいたので、
伴奏を随分頼まれて、これは良い勉強になりました。
クラリネット、トランペット、声楽、オーボエ、
試験が近づくと自分の曲より、伴奏で忙しかったですが、
管楽器はユニークな先生も多かったので、楽しかったです。
ソリストを活かすためにも、管楽器の先生の伴奏に対する、
注文、指導は厳しかったですが、
それぞの楽器の間の取り方、息遣い、音色の勉強になりました。

4年生になり、
親元を離れての生活にも慣れたようで、疲れたのか、
体調を少し崩し、首が回らない、腕が上がらない・・弾けない。
そこに、教授とのお付き合いのトラブル。
いろいろありますものね、派閥、チケットの購入、様々な行事や演奏会にからむ
お金のこと 等々。

弾きたくないし、弾けないし。
卒業試験も難しい曲を選んだのが災いしてか、
試験に間に合わない。

いま考えれば冷や汗もの。いや当時も冷や汗いっぱいでしたが、

とにかく卒業して家に帰って、しばらくはピアノを弾く気にはなれませんでした。
人から、なにか弾いてくださいと言われるのが苦痛でした。


そんなこんなで昔話は、あと1話の予定です。