事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

今年の日本文理は奥深い

2009-08-19 15:31:25 | Weblog
日本文理が大勝した。新潟県勢として25年ぶりのベスト8進出だ。このチームを

新潟県の過去最高のチームと小生は思っている。今まで日本文理というチームを小

生は好ましくは思っていなかった。力のある選手は毎年多い。が、浮ついたり相手

を小ばかにしたようなゲーム展開することが間々見受けられた。弱いチームには徹

底的に強く、強いチームにはコテンパンに負けてしまう、粘りがなく淡白なチーム

カラーがあった。試合運びに不安と不満の残るチームだった。だから今まで甲子園

に出場してもあっけなく敗れることが過去あった。県内でやる野球と甲子園の野球

は同じ野球でもまったくちがうと、甲子園経験者は口を揃える。予選の成績は当て

にはならない。勝機がいつ訪れるかわからない。どこで足をすくわれるかもわから

ない。9回終わってみてそこで勝敗が決まる。最後の最後まで力を抜かずに、あき

らめずに持っている力を全て出し切る。今まで9回ツーアウトからの大逆転劇はい

くらでも見てきた。テレビではなく、甲子園で観戦していると7回、8回と後半に

回が進んでくるとなんだかざわざわしてくる。甲子園には魔物が棲むというが、そ

れまで当たり前のプレーが出来なくなる。予選からノーエラーだったチームがエラ

ーする。考えられないようなことが起きる。だからおもしろいし、だから最後まで

あきらめずに選手は全身全霊で白球を追う。甲子園はチームにとってとんでもない

ところなのだ。文理はその怖さをどこかで学んだのかも知れない。

 このチームには賞賛している理由におごりと昂ぶりを感じない。上のレベルを目

指す姿勢がそうさせているのかもしれない。目標も今までとはちがう。夢と語って

いた全国制覇をはっきりと目標に掲げている。目標が大きいチームは目前の結果に

一喜一憂しない。むしろやらなければいけないことをいつどんな時にでもきちんと

やる。その姿勢がなければ、上のレベルでは闘えない。結局詰まるところ敵は自分

であって、相手は敵ではない。相手がどうあれ、自分たちのやるべきことをやり抜

く姿勢が大切だ。今年の文理にはそんな力を秘めているような気がする。

 今日の試合、追加点が欲しいと思われた6回裏、文理のピッチャーで6番伊藤直

輝は甘く入ったカーブを上手くバットに乗せ、レフトスタンドに3ランホームラ

ン。これで試合を決めた。テレビで見る限り、彼は派手なガッツポーズをすること

なく、ベンチに帰っても浮ついた態度を見せることもなく、淡々としていた。そし

てきっちりと次の回のピッチングに切り替えていたように見えた。勝ちにこだわる

強い気持ちを小生は感じた。そして、8回裏にはスクイズで12点目を取った。最

後の最後まで決して息を抜かせないベンチの采配でもあった。練習してきた力を発

揮するのはこれからだろう。ようやく念願の舞台に立てた。1分1秒、一球をおろ

そかにすることなく、基本を大事に闘って欲しい。
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集中力と筋力

2009-08-18 16:40:10 | Weblog
今では考えられないが、小生は小学校の頃から足が速かった。学校の中でもナンバ

ー3に入っていた。走る距離は50M走のみだが、タイムは記憶にない。ちゃんと

計測もしていなかった。たしか6秒の後半のような気がする。とは言うものの、陸

上競技をやろうという気はなかった。勧める人もいなかった。周辺に熱心な陸上競

技の先生がいたなら、勧められてひょっとしたらやっていたかもしれない。記録だ

けが相手という競技に面白さは感じていなかった。陸上競技は人間の根本的な身体

能力で争う競技だ。競技内容をよく考えてみると、なんだかおかしい。いまだに槍

を投げたり、重い鉄球を投げたり、棒を使って高く飛んだり、障害物を越えながら

走ったり。文明が進んだ今の時代でも競技は衰えずに、オリンピックを始め世界大

会が開催されている。槍や長い棒を使って高く飛んでいるのは、極めて少数だろ

う。単純なスポーツだからおもしろいのかもしれない。最大のメリットはわかりや

すいということだ。

 世界陸上大会を見た。中でも男子100M決勝は迫力がちがう。選手の体つきが

半端じゃない。下半身は当たり前だが、肩の筋肉がすごく盛り上がっている。腕の

筋力も重要なのだろう。まるでボディービルダーがスタート台についているかのよ

うな錯覚に陥る。走力勝負というより、筋力勝負という感じだ。

 北京オリンピックで金メダルを獲得した、ジャマイカのボルトが今回も金メダル

を取った。後半のスピードは特にすごい。一気に前に出る。あの速さは無敵だ。

小生が感じる100M走のもう一つのすごさは、勝負が9秒あまりということだ。

ほんの一瞬でしかない。そのために何年も体を作り、走り方を研究しそして勝負で

きる時間はたったの9秒。言うまでもないがスタートの遅れ、ちょっとした集中力

の欠如ですべてが台無しになる。結局身体能力ばかりではなく、集中力がすべての

競技と見ていて感じる。
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ラーメン屋での格闘・・なくて寂しい

2009-08-15 11:49:31 | Weblog
今年は涼しい。見た目の陽射しは戻ってきたが。ふと吹く風に涼を感じる。北海道

や軽井沢で感じるあの涼だ。毎年熱風で目が覚める。ところが今年は逆に涼風で目

が覚める。ふわっと頬をなでる風が「あれ!」ここはどこと勘違いする。

 昼食のため外に出る。長袖ワイシャツで外に出れば、最高気温37度という天気

予報がうなづける。見上げれば陽射しはオレンジ色だ。芝の上を歩いているように

ふんわりとアスファルトがやわらかく感じる。無駄な動きをすると汗が出てくるの

で、そおっと、ゆっくり、ゆっくり歩く。ラーメン屋に入るとクーラーで一息つ

く。頼むのはいつもの四川風タンメンだ。タンメンに唐辛子が入っている。辛い

が、それがまたいい。体にもいい感じがする。クーラーで体が冷えたためか、汗が

おさまったタイミングで運ばれてくる。表面が唐辛子で赤くなっている。白菜とキ

ャベツが短冊状になって麺を覆っている。箸を奥まで差し込んで、醸す。隠れてい

た麺が湯気とともに小生のめがねを襲う。


辛味に舌鼓を感じながら箸を進める。途中まで汗は影を潜めている。しかし、7割

ほど食べたあたりからが大変なことになる。破れた管から漏水したかのように毛穴

から汗が噴出しはじめる。こうなると、もう止まらない。箸をおいては汗を拭く、

ハンカチを置いて食べる。必死でひたすら繰り返す。拭き切れない汗がテーブルに

落ちる。まるで水をこぼしたようになっている。ハンカチはすでに濡れ雑巾状態。

ハンカチとしてはもう役立たない。まもなくで食べ終わるが、顔は真っ赤で頭から

湯気が立っているような気がする。テーブルの上は放置できないになっている。店

員さんを呼ぶこともできず、しかたなく雑巾に変身したハンカチでそっと拭く。長

居は無用。これ以上テーブルを水浸しにしたくない。水を一気に飲み干し席を立

つ。外は相変わらずの暑さだが、気のせいだろうか、さっきより涼しく感じる。体

の方が熱いからかもしれない。

 今年こんな苦労はない。楽だが、寂しい。
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霧がふわっと舞い降りつとグランドに虹が・・

2009-08-13 17:01:38 | Weblog
甲子園で高校野球観戦をしていると、野球以外のいろんなものを見ることが出来

る。小生が一番好きなのが、水撒きだ。水撒きといってもただの水撒きじゃない。

熟練の技がそこにはある。おそらくあれだけ注目する中で水を撒くのはかなりのプ

レッシャーがあるに違いない。満員札止めという言葉を甲子園ではよく聞くが、満

員の5万人が見つめる中での水撒きは日本中でここだけだろう。水撒き係りの一挙

手一投足を見逃すまいと必死になる。

両チームの守備練習が終わり、試合開始を前に静まり返った場面で甲子園スタッフ

が長いホースをピッチャーマウンド後方の蛇口に接続、いよいよ5万人が見守る

中、甲子園名物水撒きショーの開幕となる。アナウンスはない。ホースの出口は消

防用のような金属性になっている。一番後ろの係員が蛇口をまわす。勢いよく水が

飛び出す。掃き清められた真っ白のグランドがきれいな黒の土と変身していく。ま

るで竜安寺の石庭を見ているかのようだ。ホースは5Mほどの長さがあるが、決し

てグランド内を引きずることはない。5人でホースを持ち上げながら、サードから

ショート、セカンドへと水が均一に撒かれる。一つの場所に水がまとまってしまえ

ば、水溜りになる。それを避けるためにホースを上に向けて、霧状にしたり激しく

左右にホースを振ったり、そのしぐさは長年の経験と甲子園のグランド状態を熟知

しているかのような捌きだ。なぜか観客もずっとそのホース先を見つめる。そこそ

ことみんなが口に出しそうになりながら、白から黒へと塗り変えられていくグラン

ドから目を離さない。水霧がふわっとグランドに舞い降りる時に一瞬、グランドに

虹が架かる。ホースがきれいに丸めれて係員が引き上げていく。なんだか拍手をし

たくなる。甲子園が見せてくれる夏のひとコマだ。
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ネット裏は野球ばかりじゃない

2009-08-11 17:11:55 | Weblog
2日間雨で中止になった高校野球がようやく再開した。焼け付くようなグランドと

いう雰囲気ではないが、雨から開放された感じだ。第一試合はテレビで見る限り、

空席が目だっていたが試合が進むうちに席が埋まってきた。小生は寝台急行に乗っ

て甲子園に高校野球を見に行ったことがあった。かつての鉄道ファンにとって寝台

急行に乗るのもウキウキだが、甲子園に行けるというはもっとウキウキだ。狭いベ

ットでなかなか寝付けずに富山くらいまで起きていたが、いつのまにか寝たようだ

った。次は京都というアナウンスで目が覚めた。とっくに夜が明けている。規則正

しく叩く線路の繋ぎ目音を聞きながら、徐々に目を覚ました。甲子園に着いたのは

6時ちょっと前。すでにネット裏席を買い求める人でごった返していた。1,00

0人以上はいるのではないか。入れるのか?心配するものの係員に聞いてみると毎

日のことで、問題ないという。名門校が出てくる日ではないのにと思いながら、甲

子園の想像以上の人気にビックリした。出入口から目の前に広がったグランドは広

く感じる。魚眼レンズから飛び出したような感覚だ。アルプススタンドの名前の由

来は説明がいらない。まだ外野には朝靄が立ち込めている。これから始める熱闘劇

場を前に不気味な静けさを感じる。甲子園のTシャツを着た係りの人が淡々と整備

をしている。静かな舞台作りだ。どんなドラマを見ることができるのか、楽しみ

だ。通路よりちょっと上の場所を確保した。あんまりグランドに近いとかえって見

にくいのとテレビに映る可能性があるからだ。あたりをきょろきょろしていると、

プロ野球のスカウトマンらしい人たちがネット裏中断に陣取っている。よく見る

と、小生が子どもの頃選手として活躍した人の顔も見える。みんな甲子園に育てて

もらった人たちだ。今は次の世代を探している。

 ネット裏にいてびっくりするのは、多くの人がスコアをつけていること、写真を

撮っている人がいることだ。カメラもプロ仕様のものと同じだ。見ず知らずの人に

なにやら自慢話をしている。聞き耳を立てなくてもよく聞こえる。過去の写真を持

っているらしい。桑田や清原、松坂らの名前がポンポンと出てくる。いわゆる甲子

園オタクという輩だ。ネット裏最前列にはテレビで見たことがある観客もいる。グ

ランドに目をやったり、観客席に目をやったりと忙しい。ネット裏で見ることがで

きるのは野球ばかりではない。
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一番の敵は自分の欲・・覚せい剤はあまりにも遠回り

2009-08-10 17:05:20 | Weblog
番組の中で矢沢永吉さんは、30歳代の男性に君の一番の敵を教えてあげようと突

然切り出した。ちょっと口を尖らせ、独特の口調だ。そして一気に話すと思ったら

もう一度同じように繰り返す。「ね、教えてあげよう。ね」「それは、ね。ね。自

分の欲だよ」。「わかる?ね。でもね。なきゃ駄目なんだよ。欲は。だろう?」テ

レビの前で笑ってしまった小生だが、正気になってなるほどを思った。敵というと

ころがなんとも言い得て妙だ。だから闘わなければいけない。仲間ではない。だか

ら厄介だ。自分の中に敵がいる。面倒だ。うまくいかない。うまくいくはずがうま

くいかない。イライラし、精神的にも追い込まれる。自分を追い込んでしまう。子

どもという見方をもう周辺はしてくれないから言い訳が出来ない。責任も重い。と

言って素直に失敗や出来ないことを認めたくない。あっちへ行ったりこっちへ行っ

たりと、精神的には落ち着かない状況が続く。

 なんでもかんでも結びつけるつもりはないが、1971年2月14日生まれの本

名高相法子になにがあったのか。主人に勧められて覚せい剤をやった。え?はいそ

うですか。と受け取ることはできない。勧める方も勧めれる方も異常な世界だ。勧

めれるということは、夫の覚せい剤犯罪を事前に知ったということだ。なおのこと

おかしい。なにかそのうち新しい事実が出てくるだろう。問題はそんなことではな

く、彼女になにがあったのか。なぜそこまで堕ちたのかだ。覚せい剤はあまりにも

極端だが、程度の差はあるが、だれでも堕ちる。堕ちることで人への優しさや視野

を広げることが出来る。30歳代はそれを学ぶ期間でもある。必要な経験でもあ

る。しかし覚せい剤はあまりにも遠回りな経験だ。周辺に相談できなかったのか、

と言いたいところだが言えないのも30歳台の特徴だ。そんな気がする。

 才能があればカンバックして来るだろう。世間が放っておかないだろう。才能っ

てそんなもんだと小生は思っている。美川憲一は1985年に大麻取締法で逮捕さ

れたことがあった。その時のことをこんな風に語っている。あの時、本心は早く捕

まりたかった。捕まってしまえば、別の世界に行ける。だから捕まった時に本心は

ほっとしたという。懲役1年六ヶ月執行猶予3年。39歳の事だった。

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24歳になりました。・・・新潟の夕日コンサート

2009-08-09 17:17:33 | Weblog
夕日コンサートは今年で24回を数えた。このコンサートは第一回目から小生の会

社もかかわってきた。まさか24回も続くとは思わなかった。日本海に沈む夕日を

バックにコンサートをやろうという単純な発想から生まれた。長く続けるとか、新

潟県を代表するイベントにしようとか、そんな大上段に構えたコンサートにしよと

スタートしたわけではない。基本はただ。だれでも好きに見ることができる。酒も

OK。騒いでたのしく、音楽と日本海の夕日に酔おうよ、だからみんな浜辺に集ま

ろうというのがコンセプトだと小生は理解している。

 24回目となった昨夜の夕日コンサートに足を運んだ。実は観客として見たのは

初めてだ。午前中まで雨だったが、天気が回復し夕日も見られた。沈んだ夕日の後

には水平線には夏イカ漁の漁り火がきれいだ。地元のHanna、やなわらばー、

中西圭三、取りをつとめたのがTHE BOOMだ。

午後6時ごろに到着。家から1時間歩いた。すでにコンサートは5時から始まって

いる。会場入り口には学生ボランティが大きな声で寄付を呼びかけている。看板に

は1人500円以上でお願いしますと書いてある。千円札を握り締めて、二人分と

ボックスに入れた。「ありがとうございます」。パンフレットとシールをくれる。

正面場所はすでに満杯で入れない。ビールやつまみを買い求める人で夜店付近も大

混雑している。小生もビールにから揚げを買い込み、左サイドに腰をおろす。敷物

を持ってこなかったので、直に座るが砂はすでに冷たく気持ちがいい。ただちょっ

ぴり湿っぽい。雨水というより湿気を含んだ感じでちょっぴり重たい。これがバン

カーならちょっと寄せにくい感じと余計なことを考える。芝の上と砂に小生は敏感

だ。オーロラビジョンが設置されているため出演者の表情が確認できるが、生顔は

遠くて見えない。

普段のコンサートとちがうのは親子連れが多いことだ。子どもといってもほとんど

が幼児だ。だから親が手拍子すれば、子どもはその手拍子に合わせて踊っている。

音楽を理解しているわけではない。音楽に興味のない子は砂遊びに興じている。不

思議な光景だ。

とりのTHE BOOMは盛り上がった。コンサートを久しぶりに体感した。帰る

人たちの持ち物を観察すると、ほとんどの人がお弁当や飲み物を持ってきている。

小生たちは夕方から出かけて行ったが、早い人たちは昼間海水浴、夜コンサート。

贅沢な2部構成だったかもしれない。入場は無料なだけに、来年も開催するという

保証はない。だからこそ主催者云々ではなく、見たい人が支え育てていくイベント

だと行ってみて痛感する。とりあえず24歳にまで育ちました。まだまだ子どもで

す。


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真っ白の校庭とマウンドの土

2009-08-08 10:00:50 | Weblog
 スタンプカードをぶら下げながら、毎日朝7時からラジオ体操。なんでこんなこ

とやるんだという、疑問を持ちながらも決められたことだし、行かない理由もない

ので行っていた。ラジオ体操会場の小学校まで歩いて10分くらい。みんな眠そう

な顔をしている。ラジオ体操第一の音楽が鳴り出すと小生は不思議に背筋がピンと

する。回りを見ると手足は動いているけど、目を閉じている奴がいる。体操しなが

ら寝ている。そんな奴に限って終わると目を覚まし元気になる。タイミングがずれ

ている。出席スタンプをもらって帰る。すぐに家から飛び出したいのだが、10時

まで勉強タイムという学校規則があった。規則では勉強か家の手伝いになってい

る。机に向かって勉強するより、家の周りをほうきで掃いたりしていた。とにかく

外の空気を吸いたくてたまらなかった。10時前はまだ涼しかった。家の周りには

まだ土肌がたくさんあり、雑草も生えていた。葉に乗った朝露が太陽に照らされて

キラキラ輝き、近くに行くと草の香りが漂ってくる。夏のにおいだ。輝きと香りが

小生の早く外で遊びたい気持ちを一層駆り立てる。10時までの時間がどれほど長

く感じたか、つらかった。

 10時の時報とともに、バットとグローブを持って家を飛び出し、小学校の校庭

へ走る。暗くなるまで自由な時間の始まり。胸躍るというのはこんな気持ちか。小

学校の校庭は小さな砂利が敷かれてある。ラジオ体操をやっていた時とはちがい、

太陽が照りつけグランドが真っ白に見える。規則から開放された面々が集まってく

る。最初はキャッチボールから始まり、人数がそろいはじめるとチームに分かれて

試合を始める。今になって思えば広い校庭ではなかったが、その時はかなり広く感

じた。外野が抜かれると校庭の隅までボールを取りに行くのが大変だった。毎日毎

日が野球だった。

夏休み家の中で高校野球をテレビで見た記憶はほとんどない。でも一試合だけあ

る。ひょんなことから実現した。小学校の校庭には必ず管理人がいた。大学生のア

ルバイト管理人だ。その人も人数が足りない時にはチームメンバーになってもらっ

た。管理人は本を読んでいるか、高校野球のラジオを聴いていた。小生たちも野球

をしながらなんとなく流れてくるラジオが聞こえていた。ある日小生は親指を突き

指した。ボールをつめから当ててしまった。どこかいつも擦りむいたりして、血は

どこからかいつも流れていたが、突き指はあまり経験がない。痛くてしょうがな

い。バットがちゃんと握れない。水飲み場で冷やしても痛さがとまらない。見ると

なんだか紫色に親指が変色しなじめてきた。病院にいくしかないのかと悩む。病院

に行けば野球を止められる。行きたくないでも痛い。アルバイト管理人が心配して

きた。一応管理人だから何かあれば報告しなければいけないという。だから見せろ

と言う。校庭から出入りできる教室が仮の管理人室になっている。管理人室に入っ

たとたんに忘れていた教室のにおいが鼻につく。9月になればまたここに戻らなけ

ればいけない。突き指の痛さとともに気持ちが落ち込む。ラジオからは実況が聞こ

えていた。決勝戦で0対0、すでに延長戦に入っていた。青森のチームががんばっ

ていると管理人は小生の指にシップをしながら興奮気味で話した。夕方しかたなく

病院に行った。突き指はたいしたことはなくほっとした。診察を終えて待合室のテ

レビ前に人垣がある。え!まだやっている。

翌日再試合になった決勝戦はテレビで見た。突き指のためか、試合を見たかったか

らは覚えていない。見なければいけないという感覚はあった。ユニフォームは両チ

ームともまっくろだった。前日18回投げ合っていたが、松山商業の井上明はすぐ

に変わった。三沢商業の太田幸治は最後まで投げた。4対2。松山商業が優勝し

た。普通の試合だった。試合後に見た光景に小生の目が留まった。太田幸治がマウ

ンドに土を拾いに行った。カメラがその姿を追う。アナウンサーが太田幸治だけが

許される行為と伝えた。焼けて真っ白に見える校庭に行きたくなった。野球がした

いと思った。
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素人が観た被告人の心情

2009-08-07 16:41:32 | Weblog
裁判員による裁判は予想以上に興味深かった。一般の人が殺人事件をどうみるの

か、被告人に対しどんな質問をするのか、量刑の範囲をどんな理由付けで特定して

いくのか。詳細は語られてはいないが、判決理由と新聞に掲載されたものからプロ

と素人の違いが浮き彫りになり、こんなに各社の裁判記事を真剣に読んだのは久し

ぶりだ。

 毎日新聞8月7日付3面のクローズアップから―。被告人最終意見陳述で「特に

ございません」とだけ述べた。現役のベテラン裁判官ならばこれが被告人の反省の

態度と汲み取るという。これがプロの見方らしい。小生も「特になし」では反省と

いう態度には思えない。同じように裁判員の方たちもあっさりした受け答えに「反

省はしていない」と判断したようだ。ちょっとしたこんなことが、積み重ねられて

判決が出される。もしこの答えが反省と受け取られていたら、15年より多少減刑

されていたかも知れない。

この判決は検察側の主張をほぼ認めた判決になったようだ。一方被告側にとっては

主張がほとんど認められなかったと、伊達弁護士が会見で明らかにしている。初め

ての裁判員制度でいろいろ先の見えないことが多かったと推測する。究極的に裁判

は伊達弁護士も言っているが、無罪有罪というところからも何を認定してもらえる

かがポイントだ。被告人が反省をしていても、裁判員が反省していないと認定して

しまえばそれまでだ。そこでどうやって反省をしている様子を表現するのか、しか

し一方的に反省ばかりしていれば情状面がなくなってしまう。つまり殺人に至る過

程で、被告人を誘発するような行動や言動が被害者にもあったと主張したい弁護人

は主張したい。そのバランスが難しい。反省ばかりでは一方的な判決になり、主張

ばかりでは反省なしと認定されてしまう。

今回の裁判でかなり弁護側は参考になったと思われる。悪い言い方をすれば、思

った以上に素人を相手にするのは大変だと感じたのではないか。わかりやすく、見

やすく、被告人の法律的権利の主張を盛り込みながら、人間としての基本姿勢も同

時に表現をしていかなければいけない。次も注目したい。
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初裁判員判決で庶民感覚は?

2009-08-06 17:39:43 | Weblog
裁判員制度が始まった。法廷の内容が新聞で掲載されている。非常に興味深い。出

来たら小生も傍聴してみたかった。裁判そのものを傍聴するのではなく、裁判員の

一挙手一投足を傍聴してみたかった。どんな表情で被告人を見つめ、被害者家族を

どんな目でどんな感情でその時間を過ごしたのか。興味は尽きない。きのうは被告

に対し、裁判員全員から質問があったという。人を殺した人に対する興味。裁判員

になったという責任。量刑を考える上で深層心理を探りたい。自分のこれまで経験

した人生を振りながら言葉を選んだに違いない。

 ―刑法第二十六章 殺人の罪―第199条(殺人)人を殺した者は、死刑又は無

期若しくは五年以上の懲役に処する。 

 刑法にはこれしか書いていない。刑の幅は5年から死刑までとかなり広い。問題

は殺意の強さだ。計画性や態度などで判断していくと思われる。計画性と言って

も、何をもって計画というのか。これを法律家は法律論や判例で量刑、つまり幅の

中から懲役年数を決めることになる。人を殺すという行為がどんな場面でどんな精

神状況で行われるのか。殺意という心理の強弱をどんな兆しで判断するのか。「ぶ

っ殺す」と言って、サバイバルナイフで執拗に追いかけ、計八ヶ所刺したと検察側

は主張している。しかも近隣の女性が「ぶっ殺す」を2度聞いてたと証言してい

る。これまでは法律の論理で裁判が進められてきた。しかし裁判員は庶民感覚が入

る。法曹3者(裁判官、検察官、弁護士)にとっては未知の世界だ。

 判決は論告求刑16年に対して懲役15年だった。判決の詳細な分析はこれから

だが、午後5時からのテレビ朝日に主任弁護士伊達俊二氏が出演した。判決の率直

な感想を聞かれ「殺人の誘発的な行動を認めてもらえなかった。想定した判決とち

がっていた」と振り返った。そして今後の見通しについて、被告人も自分の主張が

認めてもらっていない気持ちはあると、控訴することを示唆した。殺すという事実

を争っているわけではなく、殺すという感情を作った責任が被害者にもあるという

ことだ。それを裁判員の人が考えてくれなかったということだ。やはりそこが今ま

でのプロによる裁判とはちがったところなのかもしれない。

 裁判員による裁判は1審のみ。2審からはプロによる裁判になる。
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夏休みに入った街

2009-08-05 17:26:00 | Weblog
けさもバスで会社へ向かった。すいていた。乗っている人もまばらで、道路もすい

ていた。日曜ほどのすき具合ではないが、空いている席はかなりあった。楽に座れ

た。いつもだと降りる場所がわかっている人が乗っていれば、そこになんとなく近

づいて座ろうとする。ライバルも表れる。年や格好を見て、これは譲った方がいい

なと思えば自ら身を引いて知らん振りする。しかしこちらの方が勝っていれば、俺

が座るという意思表示を出して椅子取りゲームにエントリーし、戦う姿勢を見せ

る。きょうはそんな無言の熾烈な椅子取りゲームはなかった。乗っている人が少な

い分停留所に止まるのも少なく、通常に比べれば5分程度早く目的地に着いた。

新潟市最大の繁華街、古町では商店街に赤白の幕が張られ、祭り化粧が施されてい

る。いかにも地方都市の夏という風情だ。というわけで街はすっかり夏休みに入っ

ている。おそらく来週になれば、道路もバスも日曜日のような状態になり、市内全

体が夏休みに入る。その反面日中が混雑する。一方通行を逆に走る車や曲がれない

ところを無理に曲がろうとして渋滞を作る車。人も車も新潟市内初めてという初心

者が目につくようになる。今年は高速道路が千円なだけに日中の混雑が心配だ。ナ

ンバープレートが初心者マークの代わりだ。今は少し緩和されたが新潟市内の一方

通行には小生も慌てた。道路が狭いわけでもないのに、一方通行だったりする。右

側に建物があるのに、左に曲がらなければいけない。ナビがない頃、東京から来る

友人に高速道路から市内中心地までの道のりを説明できなかった。標識を見て、3

回くらい聞けば来れるかも。まるで迷路を走ってくるような感じだ。日本海側最大

の都市というのが新潟市のキャッチフレーズだ。観光にもそれなりに力を入れてい

る。佐渡もある。ならば県外、市外の人によくわからないような一方通行をもっと

改善した方がいいじゃない。年に1回しか思わないから改善されないのかも。
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「IKEDA」

2009-08-04 17:14:19 | Weblog
気温が28度程度らしい。窓から見る外の景色は猛暑が戻ってきたかのような感じ

がする。雨の影響で信濃川は泥水のように濁っている。泥水は海水浴場にも流れ込

みせっかくの楽しみを台無しにしているかもしれない。

東京でサラリーマンをしていた頃、甲子園が開幕すると仕事どころではなかった。

当時は徳島県代表池田高校の全盛期だった。あの豪快な打線に日本全体が酔いしれ

た。

 出社するとすぐに先輩に目配せし、テレビのある喫茶店に誘う。すぐに行動開

始。まるでこれから仕事をするかのように素早く出て行く。高校野球観戦のため

に。喫茶店には高校野球やってますという張り紙をしているところもあった。小生

は行きつけの喫茶があった。穴場的な場所であったが、それでも池田の試合がある

日は早く行かないといい席が取れない。テレビがよく見えない、クーラー風がかか

って寒いなど悪条件では9回持たない。最低でも2時間は持たないと行った意味が

無い。条件がよければ、好ゲームが続けば一日中いたい。でなければ時代に乗り遅

れるかのような恐怖心がどこかにあった。

 池田高校の野球は、とにかく豪快だった。送りバントで進めて、単打でつないで

いくような王道をひっくり返した。ひとつの時代を築いた。豪快に打ち負かす試合

は本当に見ていても気持ちよかった。店内を見回すと同じような輩が多く、池田の

やまびこ打線が爆発するたびに喫茶店全体が甲子園にいるかのような雰囲気にな

る。大袈裟に言えばスポーツバーのはしりだったかもしれない。序盤戦負けていて

も、必ず逆転してくれる。しかも豪快なあたりでグランドを駆け巡るようなあたり

を祈っていた。それにことごとく応えてくれたのも池田だった。座り続けコーヒー

を何杯もおかわりし、飲みすぎて気持ちが悪くなっても池田打線には爽快感を感じ

た。また勝った。また勝ったであれよあれよという間に優勝してしまった。1982年

夏の事だ。

 8/20号の「Number」に池田高校のその後が掲載されている。蔦監督は20

01年享年77歳で亡くなっている。小生は一度だけ甲子園の地下通路ですれ違っ

たことがあった。なんだか緊張したのを覚えている。仕事をさぼって喫茶店で見て

いた頃に比べれば、ずいぶん年をとった感じがした。ゆっくりゆっくりとした足取

りで歩いていたのを覚えている。ゆっくりゆっくりすれ違った。私もゆっくりなぜ

か歩いた。池田は92年を最後に甲子園の舞台から遠ざかっているそうだ。またあ

の「IKEDA」のユニフォームが見たい。
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今年の米は・・。コンビニ市場にも影響?

2009-08-03 17:14:14 | Weblog
近畿・東海で梅雨明け。観測史上もっとも遅い記録だという。新潟県はまだらし

い。天気を調べてみると、6日と8・9日の雨マークがついている。となれば梅雨

明けはその後になるのかも知れない。梅雨だか夏だかよくわからなくなってきた。

今朝は土砂降りだったが、10時くらいから快晴で暑い夏を思わせる陽射しが照り

つけた。しかしここまでくると農作物への影響が心配だ。米が不足したことが平成

5年にあったことを思い出す。大凶作と言われている。それまで小生は、米は毎年

必ず食べることができると思っていた。あまり真剣に考えたことはなかった。今で

も時々そう思う。大変な時期はすぐに忘れる。お金を出せば、米に行けば必ずお米

は買える。と思っている。しかしその時は本当に米屋に行っても日本米はほとんど

なかった。お弁当屋に行ってもタイ米の弁当だった。長粒種という米はパサパサし

ておいしくない。においも悪い。コシヒカリではなくてもいいから普通の日本米が

食べたいと思ったが、米屋ではタイ米とセットでなければ売ってくれなかった。ま

だあるだけよかったが。タイ米は家に帰って鳩のえさになった。よく調べてみると

それまで米はあまり備蓄をしていなかったらしい。単年度で作ることを基本として

いた。だから全国的に不作になればたちまち食生活に影響が出た。今は備蓄が制度

化された。小生たちはあまり天気をわかっていない。自然現象を軽視しているとこ

ろもある。その全国的に不作になった頃偶然だが、農業担当で毎日のように農家を

回っていた。農業は大変だが、非常に興味深い。特に米は土、水、水温、気温、日

照時間など様々な要因が重なって米が出来上がる。おそらく今年は病害虫に悩まさ

れる年になると思う。早稲品種の先買いがすでに始まっているのかもしれない。魚

沼地域でも弁当屋や最近ではコンビニチェーンが独自素材を探っているので、秘か

に産地に入り込んでいる可能性もある。奪い合いになれば値段の問題になる。こう

いう厳しい環境になればなるほど、農家の稲作技術の真価が問われる。悪天候を喜

んでいるやり手の農家も居ることだろう。その年の料金交渉ができるのかどうかは

わからないが、いずれにしても今年の米をめぐる状況は売り手市場になるだろう。
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