調査と取材はどうちがう。いきなりの質問に小生答えに窮したことがあった。論文を書くために最近外に出るが、取材ではなく調査と言うようになった。単なる言葉を違えて使っているだけに過ぎない。考えてみれば、取材と調査というちがいがメディア表現と論文表現のちがいではないかと最近気がついたような気がした。まだはっきりとはわかっていない。
メディアがニュースに載せるには必ず、バリューを求められる。ニュースとはなにか。記者であれば、必ず上司から問われる。バリューは常に変化する。一日の中でも午前と午後では変わる。非常に複雑だ。一番旬を選んでニュースとして送り出せることが大切だろう。逆な見方をすればバリューがなければ、伝達する意味がなくなる。ではあらためてニュースバリューとはなにか。難しい問題だ。1994年に日本新聞協会がまとめた「新編新聞整理の研究」によれば、「一般性」「人間性」「社会性」「地域性」「記録性」「国際性」と定義されている。小生はなんとなく感覚として定義づけをしているが、言葉にするとこの6つにあてはまるのかもしれない。一つ付け加えるとしたら「時代性」だと思う。バリューには賞味期限があると思う。
話を最初に戻すと、調査と取材のちがいだが、調査にはバリューはあまり関係ない。関係ないというよりも、時代性が関係ないというべきかもしれない。「いま」ということにこだわれなくても5年後10年後に社会的に重要なこともある。時代性にこだわるあまりなにか大切なことを逃してしまうこともある。またバリューがないからといって、重要ではないということにならない。これも5年、10年経った後になってから社会な影響力を持つものになる可能性もある。
災害報道において、異常状態を報道することが災害報道であるかのように勘違いする向きもある。それは一時でしかない。災害情報の価値は時間とともに落ちてくる。むしろ災害という元々異常な状態になっていれば、正常な状態であることこそが「異常」という考え方がある。壊れた建物よりもその隣で壊れなかった建物の方に「異常」がある。陸前高田の奇跡の一本松がいい例だろう。たった一本残った松にバリューがあった。
問題なのは、バリューの見極めではなく、バリューに関係なく調べるという姿勢である。小生、バリューという認識が染みついているがために、小生どうしても目先のバリューを追いかけてしまう。調査してみて、バリューがないという判断はそれはそれでりっぱな調査結果である。そこがなかなか頭が反応しない。もちろんそこから論をスタートさせて、さらになぜバリューがないのかという論証は必要になるが、バリューがないからと言って調査しないということではない。口で言うのは簡単だが、染みついたものを払しょくするのは簡単ではない。ふとそう思う。
メディアがニュースに載せるには必ず、バリューを求められる。ニュースとはなにか。記者であれば、必ず上司から問われる。バリューは常に変化する。一日の中でも午前と午後では変わる。非常に複雑だ。一番旬を選んでニュースとして送り出せることが大切だろう。逆な見方をすればバリューがなければ、伝達する意味がなくなる。ではあらためてニュースバリューとはなにか。難しい問題だ。1994年に日本新聞協会がまとめた「新編新聞整理の研究」によれば、「一般性」「人間性」「社会性」「地域性」「記録性」「国際性」と定義されている。小生はなんとなく感覚として定義づけをしているが、言葉にするとこの6つにあてはまるのかもしれない。一つ付け加えるとしたら「時代性」だと思う。バリューには賞味期限があると思う。
話を最初に戻すと、調査と取材のちがいだが、調査にはバリューはあまり関係ない。関係ないというよりも、時代性が関係ないというべきかもしれない。「いま」ということにこだわれなくても5年後10年後に社会的に重要なこともある。時代性にこだわるあまりなにか大切なことを逃してしまうこともある。またバリューがないからといって、重要ではないということにならない。これも5年、10年経った後になってから社会な影響力を持つものになる可能性もある。
災害報道において、異常状態を報道することが災害報道であるかのように勘違いする向きもある。それは一時でしかない。災害情報の価値は時間とともに落ちてくる。むしろ災害という元々異常な状態になっていれば、正常な状態であることこそが「異常」という考え方がある。壊れた建物よりもその隣で壊れなかった建物の方に「異常」がある。陸前高田の奇跡の一本松がいい例だろう。たった一本残った松にバリューがあった。
問題なのは、バリューの見極めではなく、バリューに関係なく調べるという姿勢である。小生、バリューという認識が染みついているがために、小生どうしても目先のバリューを追いかけてしまう。調査してみて、バリューがないという判断はそれはそれでりっぱな調査結果である。そこがなかなか頭が反応しない。もちろんそこから論をスタートさせて、さらになぜバリューがないのかという論証は必要になるが、バリューがないからと言って調査しないということではない。口で言うのは簡単だが、染みついたものを払しょくするのは簡単ではない。ふとそう思う。