事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

「IKEDA」

2009-08-04 17:14:19 | Weblog
気温が28度程度らしい。窓から見る外の景色は猛暑が戻ってきたかのような感じ

がする。雨の影響で信濃川は泥水のように濁っている。泥水は海水浴場にも流れ込

みせっかくの楽しみを台無しにしているかもしれない。

東京でサラリーマンをしていた頃、甲子園が開幕すると仕事どころではなかった。

当時は徳島県代表池田高校の全盛期だった。あの豪快な打線に日本全体が酔いしれ

た。

 出社するとすぐに先輩に目配せし、テレビのある喫茶店に誘う。すぐに行動開

始。まるでこれから仕事をするかのように素早く出て行く。高校野球観戦のため

に。喫茶店には高校野球やってますという張り紙をしているところもあった。小生

は行きつけの喫茶があった。穴場的な場所であったが、それでも池田の試合がある

日は早く行かないといい席が取れない。テレビがよく見えない、クーラー風がかか

って寒いなど悪条件では9回持たない。最低でも2時間は持たないと行った意味が

無い。条件がよければ、好ゲームが続けば一日中いたい。でなければ時代に乗り遅

れるかのような恐怖心がどこかにあった。

 池田高校の野球は、とにかく豪快だった。送りバントで進めて、単打でつないで

いくような王道をひっくり返した。ひとつの時代を築いた。豪快に打ち負かす試合

は本当に見ていても気持ちよかった。店内を見回すと同じような輩が多く、池田の

やまびこ打線が爆発するたびに喫茶店全体が甲子園にいるかのような雰囲気にな

る。大袈裟に言えばスポーツバーのはしりだったかもしれない。序盤戦負けていて

も、必ず逆転してくれる。しかも豪快なあたりでグランドを駆け巡るようなあたり

を祈っていた。それにことごとく応えてくれたのも池田だった。座り続けコーヒー

を何杯もおかわりし、飲みすぎて気持ちが悪くなっても池田打線には爽快感を感じ

た。また勝った。また勝ったであれよあれよという間に優勝してしまった。1982年

夏の事だ。

 8/20号の「Number」に池田高校のその後が掲載されている。蔦監督は20

01年享年77歳で亡くなっている。小生は一度だけ甲子園の地下通路ですれ違っ

たことがあった。なんだか緊張したのを覚えている。仕事をさぼって喫茶店で見て

いた頃に比べれば、ずいぶん年をとった感じがした。ゆっくりゆっくりとした足取

りで歩いていたのを覚えている。ゆっくりゆっくりすれ違った。私もゆっくりなぜ

か歩いた。池田は92年を最後に甲子園の舞台から遠ざかっているそうだ。またあ

の「IKEDA」のユニフォームが見たい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今年の米は・・。コンビニ市... | トップ | 夏休みに入った街 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事