事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

本当の視聴者数は・・・

2013-01-31 19:12:33 | Weblog
我が家では気がついてみるとテレビをリアルタイムで見ていない。夕食は晩酌をやりながら20時くらいから始める。その時はテレビがつけられているが、見るべき番組がない。クイズ番組やバラエティには興味がない。そこで事前に録画をしておいた番組を見る。おそらく同世代は子供の影響がなければみんな同じではないだろうかと思っている。
 今朝の朝日新聞は独自ネタとして、録画再生を含めた視聴率の実態が明らかになったと報じた。今までは小生宅のような録画で番組を見ていると視聴率カウントされていなかった。ところが朝日新聞が報じた内容であれば再生視聴率の実態がわかったというものだ。一部の番組が表で紙面に載せられているが、バラエティはリアルタイム視聴率よりも録画再生視聴率が低いことがわかる。この表にはないが、記事の中で朝日新聞はドラマなど視聴年齢層が高い番組はおそらく録画再生視聴率が高いと予測できると踏みこんでいる。まるで小生宅のことを言っているようだ。小生宅はドラマを見てないが、リアルタイム視聴率には一切反映していない世帯になる。ちなみにすでにアメリカでは録画再生視聴率を公表している。
 このデータが明らかになれば、なにが本当に見られている番組なのか、いまの視聴率順位もまったく変わる可能性もある。また視聴率は広告費に反映されている。しかし実質の視聴率がなん%なのか、スポンサーは知りたいデータであることはまちがいない。今後は実質的な視聴率をどのように調べ公表していくのかが焦点になる。
 言うまでもない思うが、小生宅は視聴率調査世帯ではない。念のため。
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末は大記者か、大プロデューサーか・・・

2013-01-30 20:02:38 | Weblog
毎年の小生の授業が終わった。今年は5人の受講生だった。いまこの授業の6年を振り返るレポートを書いている。受講生は6年間で63人にのぼる。去年1年目の学生に逢った。すでに社会人3年目。いまは角川映画の配給を担当している。当時はまだ子供だったが、すっかり大人になってびっくりした。新潟から角川映画に入るのはレアケースで優秀かどうかはわからないが、発想が当時からユニークだった。それを角川が見抜いたのかもしれない。
 例年だと10人以上の受講生がいるのだが、今年はどういうわけか少なく5人で、授業も苦労した。受講生が多いと問題が起きた時、受講生同士で解決しようとする。少ないとすべてこちらを頼ってくる。教えてあげたいが、問題を解決するというのも貴重な体験である。しかし今年は少ないのでそれが思うようにいかなかった。黙っているのも意地悪だし、かといってなんでもかんでも教えてしまっては授業にならない。そのさじ加減が難しかった。
 ドキュメンタリーを5分つくることが主目的だ。受講生の5分という反応は毎年決まっている。そんな短いの?彼らにとって5分は短いという感覚なのだ。小生からすると5分はちょっと長い。彼らに作れるのかどうか毎年心配になる。今年のテーマは「夢」。簡単なようでなかなか難しいテーマだ。テーマとどう取り組むのかというのも大事なことだ。A班は自転車競技部の部員、B班は新潟総踊りの一人のメンバーを取材することになった。カメラ取材やインタビューなどが主な取材になる。一通り終えて、さて編集という段階になると、始める。「映像が足りない」の大合唱。取材の段階から小生はわかっている。ちょっと撮影しただけで5分はもたない。いろんな場面でいろんなシュチュエーションが必要になる。通常の授業風景や友人と談笑しているところなど。ところが彼らはそのひとつの場面しか撮影してこない。わからないからしかたがない。身をもって体験してもらうしかない。もう一度取材に行く。今度はいろんな角度からいろんな場面を撮影してくる。さて編集。その次にはじまるのが「インタビューが足りない」。そばで小生が聞く。断片過ぎて、つながらない、意味がわからない。「はい」しか言ってない。これでは彼らの夢が伝わらない。ということでもう一回インタビューに行く。そんなこんなで3回くらい撮り直しをさせてようやく完成する。小生も自分のことながら完成は嬉しい。今年は6年間の中で一番嬉しかった。出来るかどうかわからない時も一時あった。でもなんとか仕上げてくれた。先日行われた発表会も無事乗り切った。失敗させてしまえば小生にも責任があるので、どきどきしていたが、なんとかやってくれた。
 「5分は長かった」。「みんなと意見調整をしながら作るのが大変だった」「テレビ番組の見方が変わった」などの感想が小生に寄せられた。大変さがわかってくれただけでも小生は満足だ。この中から将来大記者、大プロデューサーが出ないかと、ふと毎年期待している。
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残す・遺す・・・

2013-01-29 18:17:53 | Weblog
 今東日本大震災では震災被害にあった建物の存続問題が各地で議論になっている。被災者感情からすればとんでもないことだ。見るのもつらいという人がいる。その一方でなにかこの悲惨な震災と津波を後世に残したい、伝えたいという人もいる。外野からとやかく言ってもこの問題は難しい。時間をかけて議論を尽くして結論を出して欲しい。
 ちなみに広島にある原爆ドームにはこんな話がある。

原爆ドームについては、戦後、記念物等として残すという考え方と、危険建造物であり、被爆の悲惨な思い出につながる等の理由で取り壊すという二つの考え方があった。しかし、市街地が復興し、被爆建物が次第に姿を消していく中、保存を求める声が高まり、昭和41年(1966年)7月広島市議会が原爆ドームの保存を決議した。これを踏まえ、昭和42年(1967年)第1回目の保存工事が実施され、その後数回の保存工事を経て、現在に至っている。
 (広島市役所ホームページから)

 実はこの原爆ドームは広島折鶴の会、白血病で亡くなった高校生・楮山ヒロ子さんの日記をきっかけに、原爆ドーム保存署名運動を開始された。日記の中で「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも、恐るべき原爆を後世にうったえてくれるだろう」(楮山ヒロ子さん昭和34年(1959年)8月6日の日記)と記した。残すことは広島の人たちにとって勇気ある決断であったと想像できる。がしかし、その勇気に支えられているところもある。小生はまだ残念ながら訪れたことがないが、先日知人と話した時に「一度は原爆ドームを見ておくべき」と言われた。東日本大震災の被災地も小生は同じようなことを他人に言う。今がどんなに幸せか。百聞は一見にしかず。
 来月学生と石巻に行くことにした。被災地を訪問する。その時に広島経済大学の学生が参加することになった。いろんな話をしてみたい。
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惜しむ声はファンサービスへの注文だ・・・

2013-01-28 16:38:32 | Weblog
相撲ファンになったきっかけは、北桜と高見盛の影響だ。北桜はすでに引退をしている。塩をものすごくたくさん撒くことで有名だった。勝つと小さいながらガッツポーズを見せてくれた。高見盛は説明するまでもないと思うが、なんともユニークな仕草で館内を沸かせた。小生も見ていて思わず噴き出す。
 相撲はとにかく感情を外に出さない。出せない。相撲協会が固く禁止している。ガッツポーズはもってのほかだ。あまりにも派手なものはどうかと思うが、感情がまったく見えない中で淡々と勝負をこなすのはあまり面白くない。小生が相撲ファンになったのは、感情を見せてくれる2人の力士がいたからだ。高見盛の感情を表すにする姿を見たくてテレビ観戦する人や足を運ぶ人も多かった。相撲の技は非常に奥が深く、素人にはわかりにくい。そして勝負が早い。テレビで見ていれば解説者が説明をしてくれる。スロービデオも見ることができる。しかし館内で見ている人にはわかりにくい。ここにポイントがあるのではないか。お客様のためのサービスを増やしていく必要があるのではないのか。力士の感情の動きを見たい。7勝7敗で敗れた時と勝った時がいっしょにはずがない。そんな心の中をのぞいて見たいと思うのがファンだろう。優勝した力士にNHKのアナウンサーがインタビューするというのもつい最近始まったばかりだ。徐々に
ファンサービスを増やしていくべきではないのか。野球やサッカーのようにオーロラビジョンを作ってもいいかもしれない。スロービデオを流すということもあってもいいだろう。
 変えられるものと変えることができないものとの検討を始めることが必要ではないのか。高見盛の引退を惜しむ声はそうした改革を望む声でもある。
ふとそう思う。
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名前・・・

2013-01-25 18:07:44 | Weblog
アルジェリア人質事件は不幸な結末になってしまった。言葉が出ない。日本でいる限り考えることができない事件だ。けさ、政府専用機が羽田空港に着陸する場面を朝のワイド番組が生中継していた。無事に帰ってきた人もさぞかしつらい思いをしながらの帰国だったにちがいない。飛行機から見る東京の風景をどんな気持ちで見たのだろうか。こんな形でまさか帰国するとは夢にも思わなかっただろう。亡くなった人の家族はその機体をどんな気持ちで見ていたのだろうか。高度を徐々に下げる政府専用機を小生はそんな気持ちで見ていた。
 この事件はテロ対策が日本とは無縁ではないということを浮き彫りにした。先日も書いたが、だから民間機ではなく政府専用機を使用しての帰国だった。一企業が巻き込まれたという単純な事件ではないという意味づけがあるからこその政府専用機使用だ。
それともう一つ、これは人質とは直接関係ないが、実名報道の賛否という問題が提起された。連日新聞やテレビなどのマスメディアばかりではなく、ツイッターやFacebookレベルの一般市民間でもさかんに議論が行われている。実名報道は古くて新しい話題だ。特に近年は個人情報保護法が施行されて一層関心が高い。議論になることは非常にいいことだと思っている。今回は会社の意向を受けて、政府が実名を出さないというところから大きな問題になった。必要以上の取材をして欲しくないという遺族側の意見を政府が汲み取ったからだ。
 必要以上の報道は反省すべき点はある。メディアスクラムという言われるスタイルは自粛すべきものがあると思う。自分がもしその立場に立つことを考えればわかることだ。
 小生の意見は実名報道を賛成派だ。報道スクラムに関しては反省点があり、改善すべき点は多々あるということを前提にするが、実名報道は賛成だ。その理由は実名報道することでその事件にリアリティを持たせ、その事件の奥深い悲惨さなどが人を通じて明らかになり、そのことで二度とそのようなことが起こらないような世論を喚起することができると考えるからである。交通事故、殺人事件、災害など事件や事故においては実名で報道することが単なる他人事に終わらせないためにも実名報道は必要と小生は考える。
 いまでも新たに東日本大震災で亡くなった人の名前が新聞に掲載される。名前を見ることで津波、地震の怖さを実感する。実名にはそんな力がある。
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もしがあれば・・・

2013-01-24 16:12:22 | Weblog
雑誌の取材は昨日夕方2時間にわたって行われた。予め与えられたテーマは「学ぶ」だったが、何をどう話していいのやらいろいろ考えたが、まとまらぬうちに記者が来た。インタビューは雑談から始まった不思議なもので雑談から入るとなんとなくその気になるもので、徐々に口がなめらかになる。なめらかになると、不思議なもので自分でもこれまで意識しなかったことが口から出てくる。話しながら考えてみると、小生もいろんな転機があった。「もし」はないけれど、「もし」があるとすればいまごろはどこでなにをしていたのだろうか。
もし・・・①。独協大学に落ちていたら。当然浪人をしたと思う。どこの大学に入っていたのか。無謀にも浪人したら医学部を目指すつもりだった。果たして医者になっていたかどうか。
もし・・・②日本工業新聞社に入社。配属が広告局だった。編集局だったらどうだっただろうか。どうしても記者になりたくて、日本工業新聞を辞める決意をして記者を目指した。その結果が新潟だった。編集局に配属になっていたらまだ東京にいただろうか。だとするとまったく今とは180度ちがう生活をしていたことになる
もし・・・③朝日新聞に受かっていたら。昭和58年春の社会人枠の朝日新聞一次試験に合格をしたものの、面接で落とされた。あの時にもし受かっていたら今はどこで何をしていたのだろうか。どんな記事を書いていたのだろうか。想像するだけでおもしろい。
もし・・・④人との出会いがたくさんあった。いろんなきかっけでいろんな人に出会った。こうして大学院にいるのも今の教授との出会いが8年前にあったからだ。中越地震の講演依頼があった。その時に断っていたら今のこういう状態はなかったかもしれない。人との出会いは転機の因になる。
 そんなこんなの雑談をしているうちに2時間が経った。結論としては、小生のいつもの言葉「偶然の必然」。どんな道を歩んでいても、行きつくところは一緒だったのでないだろうか。それが結論だった。
どんなことを書いてくれるのか、楽しみでもあり、怖くもある。いずれにしても我が家の家宝になることがまちがいない。
 ふとそう思う。
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雑誌が取材に来る・・・

2013-01-23 17:04:22 | Weblog
きのう夕方、突然出版社の友人から電話をもらった。小生を取材したい。え!!とはいえなんとなく察しがついた。この年齢で大学院に入る変わったおじさんがテーマだろうと思った。友人が担当している雑誌は少し大人向けだ。月刊ではなく、季刊誌だと記憶がある。
 話を聞いてみるとテーマは「学び」だという。なぜ学生をもう一度選んだのかなどについてインタビューしたい。という趣旨だった。ひょっとするとそんな物好きがいつかは現れるのではないかとなんとなく思うところもあった。しかし実際に来てみると、なにをどうやって答えていいのやら、このブログに書くくらいなら容易だが、そうはいかない。いろんな人が読むだろうし、批判めいたことを言いたくない。きのうの夕方からなにをしゃべろうか悩んでいる。
 これまでは逆の立場にいた。一度だけ新聞社主催のゴルフコンペで優勝してインタビューを受けたことがあった。その時は遊びだったし、あまり緊張はしなかったがそれでもなにかカッコいいことでもいいたくてがんばってみたが、普通のつまらない言葉しか出てこなかった。いざしゃべろうとなるとなかなか難しいものだ。そんなことを覚えている。
 「学ぶ」か~。正直いえばここで学んでいるイメージがない。授業は100%ディスカッション。学部授業では一番しゃべるのは教授だが、大学院の授業で一番しゃべらないのが教授だ。ほとんど院生が司会をして授業を仕切る。テーマや学術書が事前に決められていて、そのテーマもしくは学術書のレジメを作成する。そのレジメをもとに院生同士がディスカッションする。時々教授が補ったり、補足したり、単なる感想を述べたりすることもあるが、教授が一方的に講義するような授業スタイルではない。
 一つのことをちがう専門分野の院生が集まって議論することはおもしろい。小生の知らないことやまったくこれまで出会ったことのないような文言が数多く出てくる。日本人ばかりではないので、その国事情もある。日本では当たり前がその国では当たり前ではないということも珍しくない。前期は大変だった。予習が間に合わない時もあった。後期になってごまかすことを少し覚えたせいか少し楽になった。ディスカッションすることで、議論の仕方、論理の展開、ポイントのつかみ方、本質の見極め方など様々なことを学んだ。もちろんそれは学んだ結果であって、学ぶというポリシーとはちがう。そのポリシーを伝えたいが、どんな言葉で語ればいいのか。まだ悩んでいる。
インタビューされるのはやっかいだ。ふとそう思う。
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今までとは違います・・・

2013-01-22 14:30:08 | Weblog
「今までとはちがう」と強調している安倍総理。確かにちがう。アルジェリア人質事件で安倍総理は初めて邦人退避に政府専用機を活用することを決めた。準備からこれほど早く派遣するのは極めて異例なことだ。安倍総理は「亡くなった方が一刻も早くふるさと日本に戻り家族と会えるよう、出来るだけ支援してほしい」と語った。
 政府専用機を派遣することは、治安上の問題で現地入りしにくい家族のもとに一日も早く被害者を送り届ける上で最大の支援策と位置付けている。
 政府専用機の使用についてまとめてみた。過去に一度も首脳や天皇が訪問したことがない国に行く時は事前に使用予定の空港に行って、実際の政府専用機が離着陸の予行演習を行っている。これは危機管理上の必要からで、南米などは地盤が軟弱なのでジャンボ機で燃料を満タンにしてしまうと飛び立つことができないこともあるらしい。そうしたことを防ぐために事前の調査が必要になる。今回は首相サイドが防衛省に派遣を強く求めたことで検討は急ピッチで進み、実現した。
 法的根拠については以下の通りだ。防衛省・自衛隊は、これまで(1998年)外国での災害、騒乱その他の緊急事態に際して、自衛隊法第100条の8の規定に基づき、外務大臣の依頼を受けて、生命や身体の保護を必要とする在外邦人などを、政府専用機や空自の輸送機で輸送する態勢をとってきた。1999年の自衛隊法改正により、在外邦人などの輸送手段として自衛隊の船舶とその船舶に搭載されたヘリコプターが追加され、また、隊員と邦人の生命や身体を防護するため必要最小限の武器の使用ができるようになり、輸送のための態勢が強化された。また多くの邦人が海外を訪問し、滞在しているため海外での紛争などの際の在外邦人の輸送も、国民の安全確保のために重要な活動となっていることから、防衛庁の省移行にあわせて、これまで付随的な業務とされてきた活動を本業務と位置付け、自衛隊法第84条の3に規定した。
 自衛隊法第84条の3第1項・・・防衛大臣は、外務大臣から外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して生命または身体の保護を要する邦人の輸送の依頼があった場合においては、当該輸送の安全について外務大臣と協議し、これが確保されていると認めるときには、当該邦人の輸送を行うことができる。この場合において、防衛大臣は、外務大臣から当該緊急事態に際して生命または身体の保護を要する外国人を同乗させることを依頼された者を同乗させることができる。
 能書きは以上だが、ここで注目されたのが即断即決だ。上記のように政府専用機の使用はフライト上の問題などがあり、なかなか使いにくい。むしろ今回は民間のチャーター機という判断がはたらいてもおかしくない。安倍首相の胸の内を聞いていないのでわからないが、この事件は外国で仕事をしている一企業の問題ではなく、テロ対策など日本全体の問題として捉えているという気持ちの表れだろう。リーダーとして求められる決断力を即断即決で示したのかもしれない。
 これが契機になるだろう。テロ対策や自衛隊の権限強化など。あさって24日から始まる通常国会では予算編成に加え、こうした安倍イズムが存分に論戦の的になると思われる。
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群青の海・・・

2013-01-21 10:08:42 | Weblog
久しぶりの青空が広がっている。毎日の通学は海沿いの道を走る。青空の広がる日は気持ちがいい。今朝は佐渡まで見渡せた。波はほとんどない。めったにないような穏やかな日だ。風もほとんどない。ところがいつもは砂嵐だ。海からの強風に乗って砂が舞う。砂漠をみているかのような光景だ。暴風警報の時に走ったことがある。前が見えなかった。砂がフロントとガラスをたたく。対向のライトに砂が反射する。キラキラ光る。砂が右往左往する様子が光る砂が模様を描く。
砂は所構わずに積もる。道路にも砂が山を作る。道路サイドにも砂山ができる。スピードを出して砂山に突っ込むとハンドルを取られる。雪は融けるが砂はどうしようもない。除雪車ではなく、除砂車が毎日のように出動して砂を除いている。その砂山の上に雪が積もると最悪だ。雪が柔らかいうちにはまだいいが、凍るとやっかいだ。砂もいっしょに凍る。アイスバー―ンの下が砂という極めて不安定な路面状況になる。まだ事故らしい事故は見ていないが、危ない路面状態だ。
 けさはそんなことを全く感じさせない路面状況だった。海を見ながら通学するというのもなんだか贅沢だ。冬の海はいつも波が高いせいか真っ白だが、きょうは群青だった。一人のサーファーを見つけた。きれいなオフシュアの波に乗った。寒くないのだろうか。そういえば小生も冬の海で波乗りをしたことがあった。日本海側ではない。湘南の海だ。冬の海はきれいでいい。もう35年も前の話だ。
 春が待ち遠しい。ふとそう思った。
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広告塔でしかない・・・

2013-01-20 20:34:22 | Weblog
今年からアメリカの本格参戦した石川遼が第一戦で予選落ちした。小生からすれば不思議ではない。そんな力はないだけの話だ。
 小生は石川に疑問を持つ。どこか彼は過信していないか。今回の予選落ちも小生は不思議には思わない。レベルがちがうと思うだけだ。運がいいのか、それとも運が悪いのか、今年のマスターズから招待された。小生は極論とわかっていながらあえて言わせてもらえれば、将来花を咲かせたいのであれば、辞退すべきだと思う。まだ自分はその域に達していないと自戒すべきだ。スポンサーからみれば、彼はまだ広告塔としての機能はあるのかもしれないが、プロゴルファーとしての実力はあるのだろうか。もっともっと精進しなければいけないことはあるはずだと思う。広告塔の機能を実力と勘違いすれば、彼は不幸だ。広告塔だけであれば、おそらく3年と持たないだろう。いまこそ周辺が言うべきはないのか。いまは戦う時期ではなく、自分と向き合うべき時だと。相手はコースではなく、自分ではないのか。ゴルフはそんな底は浅くはない。
 金は魔物だ。自分を狂わす。もっと冷静に自分を見つめ直す時があってもいい。苦言をいう人は必ずいると思う。素直にその人の意見に耳を傾けるべきと思う。
 ふとそう思う。
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寸暇を惜しんで・・・

2013-01-19 14:13:08 | Weblog
ネット社会のおかげでいつでもどこでも情報が手に入るようになった。ほんの10年前、たったの10年前は携帯電話すら当たり前ではなかった。アナログという言葉さえ古い感じがするが、すべてアナログだった。言葉を調べるのは国語辞典だった。小生は国語辞典のにおいが大好きだった。今ではなんでもかんでもネットで調べることができる。わからないものがあれば、「?」をつけて検索すれば教えてくれる。たった10年でここまで来てしまった。
 でも、最近はなんだか物足りなさを感じる。十分すぎるほど情報に接しているにも関わらず、どこか物足りなさを感じる。それはなぜか。この物足りなさはなんだろうか。
 昨夜東京の第一線で活躍しているコメンテーターの方と会う機会に恵まれた。半年ぶりくらいかもしれない。1時間程度の懇談だったが、興味深い話をいろいろ聞けた。人脈が広い。だから自然と話があっちこっちと飛ぶ。その度に小生も頭をくるくる回しながら後を追いかける。酒に酔う前に話に酔いそうだ。安倍内閣の話から中東情勢まで、短時間の世界旅行だ。あっという間の一時間であった。ポケットに忍ばせておいたボールペンで、お店の紙製ランチョンマットに構わずにメモを取った。人の名前、言葉、数字が並んでいるが、判読不明なものもある。楽しい時間だった。情報は人から聞くのが一番。寸暇を惜しんでも人と会うことが大事だ。あらためてそう思った。
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それで問題解決になりますか・・・

2013-01-18 14:45:57 | Weblog
阪市立桜宮高校で体罰を受けた体育科の生徒が自殺した。その対応をめぐり橋下市長が入試の中止、さらには全教員総入れ替えを提案した。もし従わなければ、予算執行権を行使し、給料を支払わないとまで言いだした。これで問題の解決になるのだろうか。
 橋下市長の問題解決手法は、消去することで解決をしようとしている。除去すればなくなる。これで果たして解決するのか、甚だ疑問だ。病巣はどこにあるのか、一教員だけの問題なのか、それとも社会的な問題なのか。もう少し慎重な解決方法をあらゆる角度からの分析が必要と、小生は教育に素人ではあるが感じる。
 問題を提起し、従わない場合は自分の権限で無理にでも実行をしようとする。幅の広い意見や様々な立場を考慮に入れながら、慎重に事を進める。大所高所から問題解決の糸口をつかむ。専門家からも幅の広い意見を聞きながら、偏ることなく検証していく。その上で最善策はなにか、自殺という最悪の事態になっていることからも再発防止、根本的な病巣を明らかにする。一高校の問題ではなく、社会問題として捉えて訴え、世論も巻き込む。
 理想論ではあるが、敵対的な解決方法、病巣を除去するという解決方法が最善とは小生は思えない。
 
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あれから18年・・・

2013-01-17 18:08:26 | Weblog
阪神・淡路大震災からきょうで18年目を迎えた。まさか関西で、まさか神戸で大きな地震が起きるとは思わなかった。危険を予見していた人は後になっていることがわかったようだが、大半の人が地震とは無縁の町という認識でいたのではないだろうか。
ところで今考えれば、今こうして大学でメディア研究していることの始まりは阪神・淡路大震災に源があるような気がする。はじまりは・・・
 当時小生は報道のデスクだった。デスク会議で阪神・淡路大震災の取材報告があった。様々な反省点などが報告の中にあった。新潟も震災は他人事ではなく、その報告を一言も聞き逃すまいと真剣にメモを取った覚えがある。印象的だったのは、取材テープの山だ。応援記者やカメラマンが大阪や神戸に入った。しかしその取材したテープがまったく使用不能だというのだ。それはどこをいつ撮影したという記録がまったくないからだという。資料映像として放送する時には、画面上に場所と日付を入れることにしているが、その記録ないので無用に長物になって、放置されているという報告があった。原因はいろいろあるのだが、土地勘のないものが取材したために、撮影した場所が記載できない。焼け野原を地図上が判別できない。など様々な要因があったようだ。テープ整理の基本的なルールがまだ確立されていなかったのだ。その山は2000本とも言われていた。それからどんな場所でも必ず撮影した場所は明記する。もしくは電信柱や有名な建物などプレビューした時にわかるようにすること。また自分の時計でもいいから時間をカメラで撮影すること。そうしておけば無駄なテープがなくなる。今はそんなルールがあるはずだ。
 反省点は取材そのものもあったが、そうした放送するための反省点が多くあったように記憶している。その教訓は今でも生きている。おそらく東日本大震災でもそうしたルールは活かされたと思う
 問題はそこではない。一番小生が報告の中で感じたのは、マスメディアとしての役割に関することだった。どこに向かって放送するのか、なにをどのように放送するのか。そんな根本的なことが問われた震災でもあった。今のコミュニティFMはそれが源流にある。テレビ局はひどい場所ばかりを撮影して、放送する。被災者のための情報はほとんど流さない。ヘリコプター取材で騒音が激しく生き埋めになった人の捜索ができないということも起きた。本来被災者に寄り添うべきマスメディアが被災者に背を向けて情報発信を行った。バッシングはすごかった。当該局のデスクからはそうした意見が出された。その後は中越地震、中越沖地震が起きた。阪神・淡路大震災の反省をもとにしながら被災者のための情報をできるだけ放送するシステムを各局構築した。
 そして3・11が起きた。メディアとはなにをすべきなのか。そこに小生の研究テーマがあるが、もうマスメディアを責めるような論調は今はあまりないといっていい。それはなぜか。小生の持論だが、もうマスメディアが情報発信としてのオールマイティではないということに被災者は気がついたからだ。阪神・淡路大震災とはまったくちがったネット社会になり、情報発信はマスメディアでなくともだれでもができる時代になった。そこに登場したのが小さくても被災者のための情報を流すことができる、地域密着型のコミュニティラジオ局だ。東日本大震災では29局が開局した。昼夜と問わずに被害状況や被災情報、生活関連情報を流し続けた。メディアの役割分担が今回の震災で顕在化したと多くの研究者は指摘している。
 当時マスメディアの中にいた小生はどうしてもその歴史的な局面といえるメディアの役割を調べて著してみたいという欲求を止めることができなかった。
 今でも阪神・淡路大震災の時の文献を読みあさり、中越、中越沖、そして東日本大震災の時のマスコミ行動を研究している。
 考えたらあれから18年経った。きょうふとそう思った。
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白紙の委任状だったのか・・・

2013-01-16 18:13:41 | Weblog
振り子が大きく戻ってきたことを実感しているようだ。振幅は3年半だった。最近の安倍総理の顔は以前とはまったくちがう。苦節3年半のうっぷんをはらすかのように一気に政策を打ち出し、実行しようとしている。大学内でも有識者として政府の関係する会議に出席をしている教授らもいる。そんなところからも安倍総理の勢いが聞こえてくる。民主党の時の末路はお金がないから、消費税をなんとか通して財源を作らなければ、という悲壮な思いがあった。「2位じゃだめなんですか」などといった言葉も財源確保のために生まれた言葉だ。ところがどうだろう。総選挙後、財源不足の話が聞こえてこない。毎日の新聞を読んでいると、半年前に比べ別の国に来たかのような好景気ぶりさえ感じる。徹底した公共事業をこなすことでとにかく景気浮揚を狙っている。200兆円とも言われている。景気を浮揚することで日本を立て直そうという狙いなのだろう。景気が良くなることで反対する国民はいないだろう。
 とにかく顔がイキイキしている。前回途中辞任した時とは雲泥の差だ。人間おもしろものだ。時がたてばそれだけ変わることができるというか、必ずまたチャンスが巡ってくるものなのかと思う。栄枯盛衰と言ってしまえばそれまでだが、あの大勝した時の勢いは民主党にはない。それどころか存在感すらあやうい。野田元総理を最近見ていないが、当時の様相とはおそらく一変しているだろう。一寸先は闇と言われている政治の世界だが、ここまで振り子が大きく振れると、ちょっと怖い気がする。もちろんそれを一番知っているのが自民党であり、安倍総理だろう。だから今できることはなんでもやるという意気込みだ。狙いは夏の参院選挙。ねじれを解消しない限り安定した政権維持はできない。安倍総理がどこまで突っ走るのか、景気は浮揚するのか、そして最後の本当の狙いは「憲法改正」にある。勢いがどこまで続くのか。今のところ閣僚スキャンダルもない。
 白紙の委任状を国民からもらった安倍総理はどこまで行くのか。
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坂の街に雪が

2013-01-15 18:37:28 | Weblog
東京の雪はすごかったようだ。おそらく口には出さずとも、雪国の人たちはどこかで「ざまあみろ」と言っているにちがいない。雪が降るという想定で街が作られていいないので大混乱になることは容易に察しがつく。坂のつく地名が多いことからも坂が多いことがわかる。赤坂、乃木坂などが有名だが、23区内で740箇所あるらしい。名前の付いている坂でも500箇所がある。海外ではあまり坂に名前をつける習慣はないが、日本では各地で坂に名前をつけている。東京の中でも一番名前のある坂が多いのは文京区だそうだ。富士見坂、鎧坂、胸突坂、湯島坂など文京区だけで117箇所ある。確かに本郷や千駄木、白山、小石川あたりは坂だらけの感じがする。後楽園の周辺も坂が多い。
 新潟はどうだろうか。新潟歴30年だが、あまり坂にまつわる話を聞いたことがない。小生が知らないだけだろうか。雪見てふとそう思った。
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