事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

なにか試したかったのか・・・入試問題ネット流出事件

2011-02-28 09:19:29 | Weblog
小生はいつも困った時は知識のある人を探す。自分で考えるよりもそれが一番手っ取り早い。探し

方もいろいろある。知っていそうな人を探すという手もある。「こんな人を知ってる?」まさにそ

れが今回の事件だ。世の中すごい知恵ものがいるもんだと感心した。

大学入試ネット流出事件を聞いた時びっくりした。小生のこのサイトは知っている。何回か利用を

したことがある。その時も答えはすぐに来た。暇は奴はいるもんだと思った。こいつは受験勉強を

している間にこの悪知恵を思いついたのだろう。賢さを感じるがまともじゃない。そこが残念だ。

もっと驚いたのが、打つ早さだ。きのうどこかのテレビ局がやっていたが、あれだけの問題を携帯

で打つのは時間がかかる。しかも試験官の目を盗んでやってこの短時間だからかなりのテクニシャ

ンだ。普通ではありえない。発想と打つ能力を併せ持つ。単なるおたくか?

でもよく考えると、こいつは最初から自分で解くことを放棄してふしがある。考えずにネットに載

せようと思っていたのだろう。だから試験用紙を見たとたんにすぐに打ち込んだのだ。確信犯なの

だ。

もう少し論を進めてみると、ひょっとするとこいつは大学に入る気は毛頭なく、なにかを試してみ

たかったのか。どれだけのレスポンスがあるのか。どれだけの人がこうしたことに反応をしてくれ

のか。今の日本のネット社会に対する挑戦をしているかのようだ。なかなかの面白いやつだ。新聞

を見る限り、ちゃんとした解答が来ている。やるほうもやるほうだが、それにちゃんとした答えを

出す法も出すほうだ。これもひょっとすると組んでいるのかもしれないが・・・。

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佐渡野球を変えたもの・・・

2011-02-26 19:17:39 | Weblog
佐渡高校の周辺取材から帰ってきた。甲子園出場が決まったのはもちろんだが、それよりも一昨年

夏の決勝に行ったことが佐渡の野球熱を上げたようだ。

今まで佐渡高校は試合前から強豪チームのユニフォームを見ただけで、尻込みするようなチームだ

った。そんな気弱なチームだった。小生にも経験がある。強豪チームや甲子園に出場したことのあ

るようなチームと対戦した時は、試合する前から雰囲気に飲み込まれて、思うような力が出せずに

大敗することがしばしばあった。敗因は相手ではなく、自分たちの中にあった。佐渡高校もそうだ

ったようだ。しかしあの決勝進出で変わった。やればできる。佐渡高校ばかりではなく、今の佐渡

にはそんな気運がある。練習をきちんとやればできる。必ず結果は出る。変わったのだ。

 その動きの一つとして、リトルリーグが出来たことが挙げられる。これまでも作りたいという人

はいたようだが、出来るまではいかなった。やはりきかっけは決勝進出だった。甲子園は佐渡とは

無関係な場所ではなく、努力をしていけばいける場所という概念ができた。そんな気持ちがリトル

リーグチームを作った。小学生の頃から硬式ボールに触れて、甲子園に出場できるような子どもた

ちを作っていこうという気運が盛り上がり、それに親たちの理解も加わった。そして今年の選抜出

場。否が応でも盛り上がる。

子どもたちに将来の夢を聞いてみた。佐渡高校に行って甲子園に行きたい。そしてプロ野球の選手

になりたいと口を揃えた。どうしたら甲子園にいける?どうしたらプロ野球選手になれる?と聞く

と毎日一生懸命に練習することです。と答えが返ってくる。確実に佐渡高校が示した結果が子ども

たちに浸透していることを実感する。

 決勝に進出するとか、甲子園に行くというのは、運も必要だ。しかしやればできる、一生懸命や

ればできるという気持ちは大切だ。自信は人を変える。そして地域も変えてしまった。佐渡に行け

ば行くほどそんなことを実感する。
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越佐海峡を渡る・・・

2011-02-25 08:42:10 | Weblog
これから佐渡へ。夢追い球児らの取材です。それにしてもなぜ小生が佐渡に行く時は天気が悪いの

でしょうか。天気が悪いなりの、感性あふれる映像が取れればいいと割り切っております。で

は・・・。
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地道な備えを考える機会に・・・

2011-02-24 16:53:33 | Weblog
自然災害は避けることが出来ないとはいえ、悲惨だ。ニュージーランドは地震国家と聞いている。

しかし今回の報道を見ると、崩れ方が異常だ。震源地が5キロという異常に浅いため、被害が拡大

しているようだ。直下型地震の怖さを物語っている。今は人命救助を最優先にしており、地震対策

どうのこうのは二の次だが、報道を見る限り建物の壊れ方が異常に見える。予想できない直下型地

震なのかもしれないし、小生もちろん地震に関しては素人なのでなんとも言えないが、それにして

もすごい崩れ方だ。まだ数百人の人ががれきの下で救出を待っていると報じられている。家族ばか

りではなく、小生もいたたまれない。72時間が生死の境目と専門家は指摘する。1秒でも早く助

けてあげたい。

 他人事ではなく、この地震を教訓にすることはないのか。その検証をすべきと考える。もし日本

で起きたらどうする?もし自分ががれきの下に閉じ込められたらどうする?自然災害は避けること

ができない。とすれば、言い古された言葉だが防災しかない。三条の友人は中越地震を経験した。

彼は今東京に住んでいるが、部屋に靴を置いている。なぜか?ガラスが割れた時でも足を傷つける

ことなく、外に出られる。小生もたった一つだが、ある。それは風呂場の水を抜かない。大したこ

とはないが、トイレの水や防火のために必ず大量の水を確保している。最悪飲み水にもなる。そん

なことを考えていると、きょうの日経新聞に笛の携帯を呼びかけていた。万が一がれきなどの下に

閉じ込められた時に存在を知らせるためだという。いつも持ち歩いているかばんやバックに入れて

おくといざという時に役に立つと書いてあった。なるほどと思った。地震ばかりではなく、いろん

な場面でも使えるかもしれない。

 これを契機に一人一つずつ防災用具を考える機会にしたらどうだろうか?地道な備えがいざとい

う時にきっと役立つと思う。

 
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詩との出会い・・・

2011-02-23 12:39:24 | Weblog
けさ、奥深い詩に出会った。産経新聞の一面に載っていた。残しておきたいので、書いておく。

大阪府岸和田市 35歳の女性



ここじゃない場所へ
ゆきたいと思う
でも
だけど
すべての道は
ここからしか
始まらないのだ
そして
いつか
遠くのどこかで
ここを
なつかしいと
思う日が来る



けさなんとなく読んだ。思考が一瞬止まった。え?すごく奥深い。

この人はかなり悩んでいるように思った。将来何かやりたいことがあるのだけれど、今はうまく行

っていない。でも今の場所を捨てたら、将来の夢も叶わなくなることがわかっているみたいだ。だ

から中段で「ここからしか 始まらない」と綴っている。結局はそうなんだ。小生の会社の同じよ

うな年齢女性に見せたら、やっぱり茫然としていた。悩むからこんな詩が書けるし、目にもとま

る。

※2011年2月23日産経新聞参照

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血は入れ替わっていなかった?

2011-02-22 16:19:05 | Weblog
小生の会社でアルバイトをしていた学生2人が警察官になっている。一人は長野県警。もう一人は

新潟県警だ。長野県警の警察官は年賀状が来る。結婚してたしか子どもがいる。幸せそうだ。もう

一人は数年前まで柏崎にいた。中越地震に遭遇し、大変な仕事をしたと、非番で会社に来た時に話

してくれた。警察仕事のエピソードを話せば、枚挙にいとまがないが、そんな中でも警察学校の話

はひときわおもしろい。彼曰く、血がすべて入れ替わった感じと警察学校の生活を経験を振り返っ

た。全寮制で24時間警察官としての教育を受ける。今までの自分が自分ではないような感覚にな

るという。小生も警察学校の取材に行ったことがあるが、頭の下げ方からすべて折り目正しく、き

っちりしている。立っていてもだらっとしている生徒は一人もいない。血が入れ替わったというの

は確かにうまい表現だ。

 きのう考えられない事件があった。長岡署の巡査が独身寮の同僚の部屋に忍び込み、貯金箱を盗

んで逮捕されたというものだ。県警は異例の午前2時30分に記者会見を開いて、不祥事を詫び

た。逮捕されたのは21歳の巡査だった。逮捕事実は同僚の部屋に忍び込み10万円の入った貯金

箱を盗んだというもの。盗まれた同僚は研修で留守にしており、帰ってきた時に貯金箱がなくなっ

ているのに気が付いた。他の警察官がこの21歳の部屋から貯金箱を発見した。事実はわかるが不

可解だ。

当たり前の疑問として、なぜ盗んだのか。さらになぜ同僚が彼の部屋を探したのか。そして盗んだ

彼はなぜそのまま貯金箱を部屋に放置していたのか。普通に考えれば、貯金箱を持っている必要は

なく、壊すなりするだろう。証拠を隠滅するのが普通だと思う。なぜ貯金箱を残していたのか、そ

れも自分の部屋に、わざと捕まるようなものと思ってしまう。

 この事件はいわば仲間内で起きた事件だ。見逃すことや諭すことも出来たかもしれない。それが

いいとは決して思わないが、即逮捕しかも午前2時30分に記者会見という異例ずくめになにか小

生はこの警察官に余罪の可能性は高いと見る。

こいつは学校で血が入れ替わらなかったのかもしれない。
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その質問は・・・国情がちがう

2011-02-21 17:36:52 | Weblog
落としどころはどこなんだろう。最近の政治状況を眺めている。言いたい放題の言われたい放題。

仲間内のけんかあり、仲間割れありで、国民不在な状況が続いている。テレビやラジオで予算委員

会を見ていても、菅総理がちょっと気の毒になるくらい攻撃されている。そしてあのやじには小生

もあきれる。よくは聞き取れないが、あれだけ遠く離れているにも関わらず、あれだけ声が入ると

いうことを考えれば、相当大きな声で怒鳴っているのだろう。洩れて聞こえる野次言葉は国会とは

思えない辛らつさだ。

 小生あまり中東情勢は詳しくない。入国の経験もない。あれだけの騒ぎになっているので、最近

は毎日、新聞を読んでいる勉強している。新聞はわかっている人を前提に書いているところもある

ので、わからない人にはわかりにくい。しかし毎日丹念に読んでいると、少しずつ知識も前進す

る。中東といえば、産油国、産油国といえば金持ちというイメージがある。裕福で豊かな暮らしと

いうのが中東のイメージだが、一連の騒動をいろいろ調べてみると、一般市民は決して裕福ではな

いようだ。その爆発が今回の民衆の力になってあらわれた。中国ではその飛び火を恐れて、インタ

ーネットなど情報網に規制をかけている。日本では信じられないことだ。

 実は先日、中国から来た訪問団の取材をしていた。既報の通りだが、この時にあるラジオ局のア

ナウンサーが中国の若者はどんなメディアを使って情報を得ているんですか、という質問を訪問団

の人にした。そのアナウンサーが全てを知った上で質問をしたとしたら、すごいし知らないでした

としたらそんな怖いことはない。小生なんとなく、びくびくしながら聞いていた。訪問団の団長は

それには最初は答えなかった。というより答えられる質問ではない。そのアナウンサーは再質問を

した。

「あの・・どうやって・・・インターネットとかですかね・・・」おそらくそのアナウンサーは知

らずに質問をしたのだろう。悪い意味で探りを入れたわけではないと小生は思った。訪問団も不快

な顔はしなかった。むしろ顔色を変えなかった。もちろん最後まで明確な答えはなかったが。中国

には不向きな質問だった。国情がちがう。安易な言葉が落とし穴になることを忘れてはいけない。

毎日流れている総理に対するやじを聞いていると、なんだか感覚が鈍くなる。そんな気がする。


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ありがたい仕事・・・

2011-02-20 18:16:47 | Weblog
この仕事のありがたいことはいろんな人を逢えることだ。ついこの前、自分たちの思いを叶えた子
供たちと逢った。目がイキイキしている。自信に満ちている。そんな時期は人生の中でもほんの一

瞬しかないだろう。じゃと言うわけでその子たちが、なぜ彼らが夢を実現させたのか興味が湧い

た。単なる彼らは運がよかったのだろうか。偶然が重なったのだろうか。そうではあるまい。そん

な答えを探すことにした。

夢は叶うものだとその人たちは言う。夢を夢に終わらせずに、夢に向かっての目標を一つ一つクリ

アしていけば、夢は向こうから近づいてくるとその人たちは話す。夢を眺めていたりしては、実現

はしない。当たり前だが、その人曰く、夢を目標にしながら努力をする。そして見失わない。いつ

も夢を語り、夢のそばにいつも自分を置く。夢から離れてはいけない。

 探す旅はまだ始まったばかりだ。いろんな人の意見を聞いてみようと思っている。小生から見

て、夢を実現したという人からも聞いてみようと思っている。人生はそれぞれだ。小生が聞きたい

のは、その人たちは夢にどのように対処してきたのか。その体験談をいろんな人から聞いてみた

い。夢を自分の中でどんな存在に置いてきたのか。人生の中で夢とどのように付き合ってきたの

か。実現したのか、実現できなかったのか。なぜ実現できなかったのか。夢を実現するということ

はどんなことなのか。

ひょっとするとおもしろい話が聞けるかもしれない。

 この仕事のありがたいことは、そんな雲をつかむようなことでも仕事になることだ。


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まっくろになって春を呼んだ・・・

2011-02-19 11:04:49 | Weblog
2月に入って一段と春に近づいたような日が続いている。春はこのままくるのだろうか。

本来ならば今は一番寒い季節なのだが、あの一時に比べれば一息ついている感じだ。でも

心の中ではまだひと波乱もふた波乱もあるかもしれないと思っている。油断は大敵だ。こ

れで春が来ると思って、裏切られた時のショックは大きい。だから自重しながら待つしか

ない。

先日会社の先輩からゴルフの誘い話をいただいた。その先輩は待ち切れずゴルフ場に電話

をしたらしい。新潟市内に今雪は完全に消えたので、ひょっとするとゴルフ場も・・・と

いう淡い期待を込めてだが・・・。支配人の話では少ないところでもまだ30センチある

そうだ。人が一切入らない場所ではそんな簡単には融けないのだろう。やっぱりまだ2月

だ。

昭和59年から60年にかけて、毎年大雪だった。初めて長岡に行ってびっくりした。

あのアーケードがすべて雪で埋まっていた。これが豪雪かと思ったのを今でもよく覚えて

いる。そんな街中だから少し山に入ったゴルフ場はもっとたいへんだった。3月になって


も3m、4月に入っても2mは当たり前だった。だからオープンはゴールデンウィークに

間に合うかどうかだった。そこでゴルフ場では、黒い墨のようなものを撒いた。北海道の

畑で春先に見る風景と同じだ。スノーモービルの後ろのアタッチメントをつけて、コース

を縦横無尽に走り雪解けを促進させる。春風物詩として取材によく行った。スノーモービ

ルの後ろに乗せてもらいばら撒きの様子を撮影する。ゴルフ場はゴルフをしていない時に

イってみると、意外とアップダウンが激しい。風の影響やらアップダウンの揺れもあって

カメラは真っ黒、顔もまっくろになった。春を無理に近づけるのもたいへんだ。撒く効果

は抜群で一週間くらい早く解けた。取材お礼で、オープン一番で招待してもらったことも

あった。その日は平日にもかかわらずオープンを待っていた大勢のゴルファーが来てい

た。

いっしょになって真っ黒になってスノーモービルに乗った支配人は満足そうだった。


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ここは国境の都市なのだ・・・

2011-02-17 20:03:38 | Weblog
きょうも忙しく、動き回った。江陰市の訪問団取材で一日かかった。

ところで中国の江陰市って知ってますか?私は知らなかった。小生あまりアジアの国には元々興味

がなく、中国という大枠しかわからず、上海と北京の位置も危うい。小生の会社に福建省の留学生

がいるが、福建省など論外だ。

 江陰市は上海市の北西150キロにあり、人口は120万人、緑豊かな都市だそうだ。なんで?

新潟に来たの?ということだが、去年6月に新潟市に中国領事館が開設され、その総領事がこの江

陰市近くの出身ということが縁だという。経済の交流を江陰市は望んでいる。これまで2回ほど経

済関係者が来ている。が今回はテレビ局の関係者が来た。

 その訪問団について取材をしていた。小生の狙いは「新潟ってどんな風に見えるんだろう」とい

う視点だ。小難しい交流話はニュースになじまないと判断して、見やすい視点にした。マイクを向

けていろいろ聞いてみた。意外だったのは、コシヒカリと日本酒が江陰市では大人気だそうで、地

元では新潟と地名は知名度がかなりあると話す。コシヒカリと日本酒はもはや日本だけのものでは

ないようだ。さてそのインタビューの中で「新潟の印象は?」の質問にいの一番返ってきたのが

「空気がきれい」だった。これは予想できなかった。その留学生に聞いてみると、中国はスモッグ

がすごいらしく、大気汚染がすごいらしい。そういえば、小生の子どもの頃の東京もひどかった。

光化学スモッグは今では死語に近いが、小生のころは頻繁に注意報が出されて、放課後のクラブ活

動が制限された。なるほどいろんなお国事情があるもんだ。そして新潟と経済交流をするメリット

を聞いてみた。農業技術や自然と人との調和がとれた街づくりが魅力だという。さらに防災技術に

も注目をしているという。ひょっとすると本音は防災技術?と思った。どの国でも自然災害は深刻

だ。新潟は中越地震と中越沖地震それに7・11水害を経験している。そこからの復興に江陰市は

注目している。

 韓国や中国の取材は最近非常に多い。人との交流は非常に盛んだ。余計に国境の町、新潟という

ことを実感する。
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高い空が青かった・・・

2011-02-16 16:57:46 | Weblog
晴れました。太陽が見えました。気分がいいです。人間に太陽がいかに大切かよくわかります。朝

からウキウキしました。土の中から芽が出ると思うくらいに、暖かいです。

 朝からの感動している。やっぱり青空は気持ちがいい。なんだか久しぶりの青空だ。青という自

然の色を見るのも久しぶりな感じがする。開放感のある空だ。いつも低い空がきょうは高かった。

高い空の上を飛行機が飛んでた。ヨーロッパに行くのか?どのくらいの高度なのか、

新潟に行くと決めた時のことを思い出す。新潟出身の先輩に新潟行きを止められた。理由を尋ねる

と、天気が悪いからだという。小生の生まれ育った東京は天気がいい。それは新潟に来て思った。

いた時はわからなかった。それが当たり前だったからだ。だから天気が悪いからやめろというの

は、あまりピンとこなかった。それが理由になるのかと思う程度だった。

 新潟に来たのは昭和58年だ。その年の冬は大雪だった。最初はうれしかった。でも一週間もす

るといやになってきた。先輩の声が頭の中を駆け巡った。そんなこんなでもう28年も新潟に住ん

でいる。冬には雪が当たり前で、天気が悪く、青空はほとんど見ることができない。すっかりそれ

が当たり前になった。それだけに春の喜びを知った。花の美しさを知った。小さいけれど、精一杯

に咲く花を見る心が育った。自然の恵みのありがたさを知った。季節の大切さを知った。いろんな

ことを知った。

 もし新潟に来るという後輩がいたら、四季折々のいろんな経験といろんな心が育つとアドバイス

するだろうと思う。やめろとは言わない。
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凡才には深いとしか出てこない・・・

2011-02-15 15:47:11 | Weblog
司馬遼太郎の「世に棲む日日」。遅読ながらも1ページ1ページずつ丁寧に読んでいる。いつから

読み始めたかは覚えていないが、まだ3巻だ。

幕末の時期に何を考え、なにを当時の若者は行動したのか。司馬遼太郎は歴史観を織り交ぜながら

克明に書き上げている。司馬遼太郎の特徴はストーリーからは激しく外れ、歴史観のみを書き始め

ることがしばしばある。登場人物がどこかに消えてしまうのだ。それに少し嫌気が差してくるとき

もあるが、歴史がわからなければその人物の行動の重さや発言の重要性が浮かび上がってこない。

歴史観は物語の中ではボディブローのように後から効いてくる。最近はその手法にすっかり慣れ

た。非常におもしろい。自分だったらどうするかを考えながら読むのもまたおもしろい。

 第2巻のなかほどにこんなくだりがある。紹介したい。

 『松蔭は革命のなにものかを知っていたにちがいない。革命の初動期は詩人的な予言者があらわ

れ、「偏癖」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松蔭がそれにあたるであ

ろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動を

とる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多く死ぬ。それらの果実を

採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するの

が、処理家たちのしごとである。伊藤博文がそれにあたる』。

 これを読んだときに小生はいろんなことを考えた。一つの世の中が出来上がるまでに3つの過程

を経るということだ。会社が成長する過程でも同じようなことを聞いたことがある。会社を興す社

長、そして成長させていく社長、そして安定的に継続をさせていく社長。この3人の社長が必要と

いわれていると聞いたことがあった。それぞれの過程で生まれた果実を次の世代が引き継ぎ、うま

く処理していくというのだ。興す社長がもし成長する時代に経営を握ればどうなるか、安定させ継

続させていく役割の社長が会社を興したらどうなるか。もちろんこれを一人で演じている人もい

る。一人ならば今、自分の会社がどの時なのかを把握する必要がある。舵取りを間違えば会社は傾

く。

 さて、今の日本は果たしてどんな時代なのだろうか。だれが吉田松陰で、誰が坂本竜馬で、誰が

伊藤博文なのか。

 読めば読むほど司馬遼太郎の本は深い。凡才の小生にはそんな言葉しか出てこない。
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風貌と美味な料理の関係・・・

2011-02-14 10:04:44 | Weblog
妻に夜仕事が入ると、一人でぶらっと近くに飲みに行く。楽しいような寂しいような。開

拓精神を旺盛にして、知らない居酒屋を訪ねるのも楽しみだ。そんなに遠くは行かない。

せいぜい歩いて15分圏内くらいだ。一年くらい前だったと思うが、一軒の中華料理屋に

入った。店の看板が以前から気になって店だ。いつか入ってみようと思っていた。ラーメ

ン屋というより中華料理の店という感じだ。その日も妻が忙しく、一人でどこかに行こう

と思っていたので、ならばということで、思い切って行くことになった。入った瞬間店主

の顔を見て、これはだめだと思った。うまい料理を作れる感じではない。なんだかその辺

をうろついているようなあんちゃんという感じだ。店内は少し暗めだ。小生は一人で行く

時は、必ず本を読む。ただでさえ老眼で見えにくいのに、暗いというのはちょっと遠慮し

たい気分だ。明るすぎるのも困るが、この店は暗すぎる。

ビールを注文して、メニューを見る。うれしいことに小鉢がある。普通中華を一人で食べ

るのはたいへんだ。餃子だけで終わってしまうのは、惜しいのでなにか注文するのだが、

たとえば野菜炒めを注文すると、ビールを散々を飲んだあげくに野菜炒めはちょっと多す

ぎる。しめになにか炭水化物を食べたいのだが、そんなものが入るわけがない。そんな欲

求不満状態で店を後にすることが中華料理の場合はよくある。しかしこの店には小鉢があ

る。鳥のから揚げも小さいのが3ピースくらい。野菜炒めもほんの少しだ。これならば一

人でも複数のものを食べることができる。これはいい店だと一気に評価が上がる。さっぱ

り系の品を探していると、「中華風冷奴」を見つけた。値段も300円くらいでリーズナ

ブルだ。さっそく注文する。これが思った以上に絶品だった。豆腐の上に辛く炒めた小さ

い海老、ザーサイそれにラー油が少しかかっている。しかも四分の一丁くらいなので、ち

ょうどいい大きさだ。ビールには最適だった。追加したから揚げもおいしかった。食を進

めるうちに、その辺にうろついているあんちゃんと思っていたが、この人ひょっとすると

すごい人かもしれないと、まなざしを変えた。てきぱきとした点もなんだかうれしい。

 となれば普段の小生ならば身元調査に入るのだが、まだこの人に関して調査はしていな

い。どこで修行をしたのか。あの味を出せるのは、どこかそれなりの店にいた経験がある

のだろう。近くに住む前職でお世話になった人にもこの店のことをなんとなく聞いてみ

た。

やっぱりよく行くらしい。しかも評価は高かった。シェフの評価も同じで「あの顔して結

構おいしいものだすんだよね」と笑いながら話した。ですよねと小生もうなずく。顔で料

理を作るわけではないけれど、それなりというのもある。最近は見慣れた。身元調査の時

はその風貌にも調査をして見よう。らしくないワイルドさにもこの人の修行時代の秘密が

隠されているに違いない。

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いざという時には地道な努力が大きな力になる・・・

2011-02-12 18:22:08 | Weblog
選抜出場を決めている佐渡高校は今週末、埼玉県に遠征した。目的は土の上での練習だ。しかし皮

肉なもので雪に降られた。積雪があったわけではなかったが、バッティング練習が思うようにはで

きなかった。

 新潟の野球はどうして強くなったか。最近よく議論される。いろんな要因がある。佐渡高校の場

合は少年野球教室の充実がすでにいろんなところで報道されている。地域の力が今の佐渡高校の下

地を作った。今の監督の指導力も見逃せない。この監督が作った60ヶ条は野球ばかりではなく、

生活全般までに及び人間教育を実践している。そうしたものが一つにまとまって、今回の甲子園出

場につながった。

 しかしそれだけではない。意外と見逃されがちなのが、他県とのネットワーク作りだ。どのチー

ムもいろんなところとの練習試合を組みながら力をつけている。他県との強豪チームとの練習試合

や試合観なども試合結果ばかりではなく、選手にはいい刺激になる。また選手ばかりではなく、監

督同志、指導者同志の交流も極めて大事だ。野球観をぶつけ合って一献やることも大事な要素だろ

う。練習方法を学ぶ機会も幅広い交流があってこそ実現できることだろう。


 佐渡高校がこうして土を求めて遠征し、時間を惜しまずにグランドを貸してくれるのも幅広い交

流を普段から続けているからこそ、実現できるだ。目には見えぬ地道な努力こそがいざという時に

大きな力になる。それを忘れてはいけない。
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30数年前に見たあの球威・・・

2011-02-11 19:57:36 | Weblog
 先日、日本文理のエース田村君を見る機会があった。一年生ながら文理高校のエースとして来月

23日から始まる選抜甲子園大会での活躍が期待されている。本人から話を聞いてみると、まだ指

にかかる球は少ないと謙遜していた。確かにまだ球離れがバラバラだった。しかし指にかかった球

はさすがと思わせる球が来ていた。これが一年生かと驚かされた。小生が驚いたのは実は速球では

なかった。チェンジアップだ。非常によく落ちる。腕をきちっと振るので、速球を織り交ぜればか

なりの武器になるだろう。一年生の投げる球かと本当にびっくりした。

 30数年前、小生が始めてこれはすごいと驚いた球があった。それは夏の東京都予選の4回戦の

ことだった。春の選抜でベスト8に入った日大一高が対戦相手だった。日大一高は第一シード、優

勝候補の筆頭だった。エースは小山。身長は160センチ程度だったと記憶している。甲子園では

小さな大投手と騒がれたピッチャーだった。小生も小山のことは新聞などで知っていた。小生のチ

ームは勝つ負けるというレベルではなく、日大一高と対戦できるだけ勉強になるという程度のチー

ム力しかなかった。小生は6番打者。2回に打順が回ってきた。1回は三者三振だった。打席を後

にする先輩たちはダグアウトに引き上げてくると「速い。速い」を連発する。5番の先輩がなんと

か当てて、内野ゴロを打った。しかしまだチームにヒットは出ていない。「よし!」と小生気合を

入れてバッターボックスに入った。小さな大投手と言われているが、随分小生には小山さんが大き

く見えた。そして第一球目。外角低めのストライク。審判の「ストライク」の声がかなり大きく聞

こえた。「お前には打てない」と審判にもコールされた気分だった。それにしても速い。こんな球

は見たことがなかった。打つというよりも当たったら大変なことになると怖かった。2球目はカー

ブだった。途中で球が消えたように見えた。これがカーブ?判定はボール。小生にはどこにボール

がいったのか見失っていた。三球目は内角に来た。手元の球だった。思いっきり振った。バットに

かすった。まともに当たっていればバットが折れただろう。当時はまだ金属バットではなく、木の

バットだ。

 結局試合は7回7対0のコールドゲーム。小生のバットに当たったのは、第一打席のあの1球で

しかなかった。そして小生のチームはヒットはおろか、塁に出ることも出来なかった。翌日の新聞

には「エース小山。参考記録ながらパーフェクト発進。甲子園に視界良好」の見出しだった。この

後、日大一高は順調に勝ち上がり、甲子園の切符を手にした。そして甲子園では、春に準々決勝で

対戦し、敗れた愛媛県代表の今治西と一回戦で当った。雪辱することが出来ず日大一校は結局一回

戦で涙をのんだ。小生は新聞であの対戦以来一高を追っていた。あの小山の球をどうやって打つの

か、ものすごい興味があった。甲子園の試合はテレビの前でかじりついて見た。あの時と同じ球威

かどうかはテレビではわからない。しかしあの球を打てる打者がいるのは確かだ。あのチームに勝

てるチームが存在するのも確かだ。同じ高校生ながら、すごい奴らがいるんだと思った。それと同

時、その球を打たなければ甲子園にはいけない。あの球を打てる奴らがいる場所が甲子園なんだと

思った。

 田村の投球を見ながら、このチェンジアップを打たなければ、この指のかかった球を打ち崩さな

ければ、新潟県代表にはなれない。あの時のことを思い出しながら、30数年前の気持ちを思い出

した。
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