事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

夏の空のフライト・・・

2010-08-31 16:48:23 | Weblog
言葉では表現できないほど毎日暑い。暑いというと暑いから言いたくないけど、暑い。結局なにを言

っても暑い。少しでいいから雨が欲しい。自然の打ち水が欲しいところだ。気温はかなり下がるだろ

う。小生の携帯電話は気象予報専門会社と契約していて、新潟県内で警報が発令されると連絡が来る

ことになっている。小生の住んでいる新潟市内中心部はここ数日雨は降っていない。しかし県内で毎

日どこかで警報が発令されている。必ず携帯が鳴る。誰かからの電話かと思うと警報の連絡だ。今も

妙高市に大雨・洪水警報が発令されている。パソコンで調べてみると。真っ赤に色づけされている。

強い雨雲が妙高市を覆っているのがわかる。激しい雨になっているようだ。ここからは想像が出来な

い。

 小生の座っている場所から空を眺めているといろんな雲が見ることが出来る。雲をじっとみている

と動いているのがわかる。上に向かってもくもくと上昇している。見てた目には穏やかな夏の象徴の

雲だが、中はものすごく上昇気流と下降気流がぶつかり合っていると聞いたことがある。飛行機が万

が一積乱雲の中に入ったら大変なことになる。おそらく客室はパニック状態に陥り、下のものが上に

飛び、上のものが下に叩きつけられるだろう。

 3年ほど前、新潟から大阪に飛行機で向かう時、厚い雷雲が新潟市上空を覆い離陸が遅れたことが

あった。空は真っ黒になり、待機中に大雨になった。傘も役に立たないような大雨だ。滑走路はあっ

という間に川になった。そして激しい雷が鳴り始めた。これはどうするんだろうと思っているとパイ

ロットからアナウンスが入った。「気象会社と雷雲の動きと厚みを調べております。このままお待ち

ください」極めて落ち着いた声だった。「厚み」は避けるためにどこくらいの高度が必要なのかとい

うことらしい。雷雲の上空を飛ぼうという考えのようだ。まだ飛んでいないので、怖くはなかった

が、フライトを中止する考えは全くようだ。しばらくしてまたアナウンスがあった。「フライトには

問題ないので、これから離陸します。雷雲を避けますので、一旦山形方面に向かいます」とのこと。

丁寧なコメントだった。雨は小雨になっていたが、空はまだ黒い部分が所々あった。阿賀野川河口か

ら新潟市中心部に向けて機首を上げて飛び立ったが、右に急旋回して、大阪とは真逆の方向へ上昇し

続けた。薄い雲はお構いなしに突っ切った。多少揺れたが、エンジン音がその揺れを押しのけている

ようで、心強かった。新潟県と山形県境上空付近から今度は左へ大きく機首を変えた。雨雲は避け

た。しかし今度は高度を上げて新潟市から佐渡上空にある雷雲を飛び越えなければいけない状況だ。

しばらくすると眼下には佐渡が見えてきた。雷雲はあまり見えない。その時だった、黒い雲の中に稲

妻が光ったのが見えた。進行方向向かって左側だ。かなり下の方だ。今飛んでいる高度とはまったく

ちがう。雷が落ちる心配はなかった。場所はちょうど新潟市の上空付近だ。黒い雲に覆われて眼下の

風景は見えない。まだ新潟市の上空付近には雷雲があったようだ。それにしてもレーダーを見ながら

うまい具合に雷雲を避けて飛ぶもんだと感心した。佐渡上空を通過している時は雷雲の影響だろう

か、地震に例えると震度4程度のゆれがあったが、パイロットの離陸前説明のおかげもあってあまり

怖さはなかった。飛行機は次第に内陸へ機首を向けた。気が付いてみると北アルプスの山並みが眼下

に見えてきた。もう大丈夫だ。肩の力が抜けていくのがわかった。小生もなんだか操縦してみたくな

った。
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子どもだけの池袋大冒険・・・

2010-08-30 17:20:42 | Weblog
墓参りのため池袋に1泊した。池袋は小生が子どものころ始めてみた繁華街だ。時代は昭和44~5

年くらい。当時はまだトロリーバスが走っていた。上に電線が張りめぐされて、バスには電車のよう

なパンタグラフが付いていた。主な動力は電気で走るバスだったと記憶している。友達3人で、探検

と称して100円玉を握りしめ、東武東上線の常盤台から乗った。当時子ども料金で池袋まで15円

だった。自販機はなく、窓口で「池袋まで」と買う。固いダンボールのような切符で、切符には大き

く赤い字で「小」と書いてある。子供切符だ。子供同士なので、何か言われはしまいかとドキドキし

ていたが、何事もなく切符を切ってもらった。往復で30円だから、100円あれば十分だった。デ

パートは両親に連れられて何回も行っていたので、初めてではなかったが、友達同士で入るデパート

はなんだか言葉では言えない怖さがあった。当時「人さらい」という人がいた。子どもを脅かす言葉

なのか、本当にそんな人がいたのかは知らないが、もし人さらいに連れてかれたらどうしようと真剣

に考えていた。

 お腹が空いて屋上でドーナッツを買った覚えがかすかにある。10円くらいだったと記憶してい

る。すごくおいしかった。もちろんドーナツを始めて食べたわけではない。でも初めて一人で買った

ドーナッツだった。ちょっぴり大人になったような気がした。大事なお金はポケットには入れずにし

っかりと握りしめていた。15円あれば帰ることが出来る。でも落したら帰れない。二度と帰れない

かもしれない。すごくそれが怖かった。デパートの外に出てみた。トロリーバスが走っていた。電線

とパンタグラフがこすれあって激しく火花が散っていた。きれいだった。道路の片隅に片腕しかない

人が座ってハーモニカを吹いていた。無い方の腕の先には何かを引っ掛けられるような鉄が付いてい

た。気味が悪かった。着ているのはまっしろな兵隊さんの服で、兵隊さんの帽子をかぶっている。そ

の人の前にはお金を入れる缶のようなものが置いてあった。戦争で片腕がなくなったと思った。曲は

わからないが、すごく寂しい感じの曲だった。動けなくなった。すごく怖くなった。こんな人がいる

んだ。片腕でどうやって生きているんだろう、家はどこにあるんだろう。初めて身障者を見た時だっ

たかもしれない。いろんなことを感じた。顔を見た。すごく悲しい寂しい顔をしている。しかし通り

過ぎる人はみんな足早だ。見向きもしない。立ち止まって曲に耳を傾ける人はいない。ましてお金を

入れる人は誰もいない。すごい大人の世界を見た気がした。

 握りしていたお金を落さなかった。無事家には帰った。両親には何も言わなかった。大冒険の一日

だった。すごい怖い世界から生還したみたいな感じがした。家に着いた時はすごくほっとしたのを覚

えている。

 当時の風景は今の池袋にはない。しかし足早に目的地に一目散に向かう人の動きだけはあまり変わ

っていないように感じた。
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占いとおふくろの声

2010-08-29 08:38:44 | Weblog
久しぶりに墓参りをした。菩提寺は東京にある。両親が眠っている。おふくろは28年前、

おやじは17年前に他界している。両方とも大正生まれだから生きていれば90近い。おふ

くろは小生が新潟に行ったことを知らない。しかし予感があった。

 それはある日おふくろが通院していた新宿で、当時有名だった占い師に小生と実姉のこと

を見てもらったことがあった。それが今考えるとぴったりと当たっている。占い師によれば

実姉は二ヶ国語を話す国で暮らすようになる。息子つまり小生は東京を離れると占ったそう

だ。実姉の住む言われた二ヶ国語を話す国がどこなのか、家族で話し合ったがその時はわか

らなかった。今実姉はカナダ・トロントに暮らしている。カナダはフランス語と英語の二ヶ

国語の国だ。そして小生も東京を離れ新潟にいる。偶然かどうかはわからないが、占い師の

言った通りになった。おふくろは占いを聞いて冗談に、そんな遠くへは行きたくないし、ど

うせあなたたち兄弟はまともに墓参りなんかしないんだろうから、せめて生活してきたこの

地に墓を作って欲しいと生前言っていた。

 最近新潟に墓を移そうかどうかを考える時がある。墓参りはいつもできるからだ。でもい

ざ墓前に手を合わせると生前の言葉を思い出す。「ここがいい」。おふくろの声が聞こえ

る。

 
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出馬決意の本当の意味は・・・

2010-08-27 16:35:19 | Weblog
新聞、テレビともきょうは民主党の代表選一色だ。小生少し真面目に朝日、読売、毎日、日経、日報

の代表選に関する社説や記事を読んでみた。読んでも読んでも頭に入らない。小生に直接関係ないか

らというのが大きな理由だが、読んでいてばかばかしくなってきたのも事実だ。そんな中でも記憶に

残っている記事があった。毎日新聞一面の小菅政治部長の署名記事だ。「2人の対決は宿命である」

の書き出しだ。小生は今回の代表選は宿命と思っている。自分の意見を主張するほど、小生はこの問

題に精通しているわけではないが、今の民主党内はバラバラというイメージがある。勝手な言い方を

させてもらえば今までまとまっていた理由は「アンチ自民党」だったと思う。乱暴な言い方をご容赦

願いたい。しかしその自民党を数で追い抜き、与党になった時に党内でほころびが出始めた。元々考

え方がちがうグループがいっしょになったので、ほころびが出始めるとどこまでもほころぶ。坊主憎

けりゃ袈裟まで憎い。そんな例えも当てはまる気がする。テレビを見ていると、政治的なものではな

く感情論が入ったような戦いとも感じてしまう。形相が物語る。テレビの怖さは感情を映してしまう

ところだ。

 一時小沢氏は代表選には出馬しないのではないかとの観測も流れた。しかし結果して出ることにな

った。歓迎する意見もある。徹底的に議論を尽くして、政策論議を深めることが期待できるからだ。

それも一理ある。しかし小沢氏が出馬したのは、そうではなく「避けて通れない宿命を感じた」と小

生は思っている。選挙後に今の民主党が元に戻って今まで通りに党運営をしていけるものなのだろう

か「日本をよくしたいという気持ちは共通だ」とみなさんは理路整然とおっしゃっていますが、小生

にはよくわからない。この代表選は民主党分裂という前ぶれではないのか。政界再編に向けての動き

ではないのか。代表選の歴史的な位置づけはそこにあると思っている。

 小沢氏の代表選に出馬するという決意の意味は、歴史的な観点に立つという決意ではないのか。そ

ういう意味でこの代表選は宿命だと小生は考えた。いつかはやらなければいけない闘いだと。「時期

が来た」と、小沢氏は考えたのではないのだろうか。

小生に先走りだろうか。
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うまくなるための練習って・・・

2010-08-26 17:52:56 | Weblog
午後NHKを何気なく見ていた。ゲストは桑田氏だった。小生桑田氏の本を最近読んだので、興味深

く見ていた。彼が過去着てきたユニフォームが出てきた。PL学園のユニフォームから大リーグパド

レスのユニフォームまでがスタジオに並べられた。あらためてPL学園のユニフォームを見るとロー

マ字がでかい。桑田は高校3年間で甲子園に5回出場し、20勝を挙げた。もうそんな投手は出ない

かもしれない。柔和な顔をしているが、スーパースターなのだ。

 小生は高校野球が始まると、会社をサボって喫茶店で試合をいつも見ていた。そんなことを思い出

しながら見ていたが、桑田氏がPL学園の野球部に入った時の話になった時だった。

桑田氏は「自分はうまくなるための練習をしようと思った」。この言葉に耳が動いた。なぜそう思っ

たのか。それは清原氏を見た時にそう感じたという。体格で勝てないならうまくなる練習を効率的に

やるしかないと考えた。うまくなる練習?耳障りのいい言葉だが、それはどんな練習なのか?残念な

がら具体的な説明はなかった。

小生にたとえればゴルフ。うまくなるための練習。どんな練習だろう。小生も打つのが好きでよく練

習場へ行く。うまくなるための練習をしているかと問われれば、疑問だ。というよりどんな練習をす

ればいいのかわからない。

 小生練習をしている時に周辺の人をよく観察する。時々スイングがきれいデ、きちんとフェースに

ヒットしている人がいる。力が入っているとは思えない。しかも決まった場所にボールは落ちる。落

す。それを何十発と繰り返している。勝手な想像だが、どこかのコースを想定して打っているように

見える。答えがあるとすれば「うまくなるための練習」というのは、常に想像しながら、仮想しなが

らの練習かもしれない。

 桑田氏は深い意味で言ったのではないかもしれない。これはゴルフだけではなく、仕事にも通じる

と考えた。スキルをアップするために時間をどうやって使うのか、効率的な時間運用とはどういうこ

とか。答えはすぐには見つからない。答えはないものもある。しかい立ち止まって、突き詰めて考え

ることは時には必要だろう。甲子園20勝をするというすごさはそんな考え方から作られたと小生は

思った。
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千の準備・・・甲子園野球番外篇

2010-08-25 16:51:48 | Weblog
きのう、今日と朝日新聞新潟版で「新潟明訓の甲子園を振り返る」が掲載されていた。興味深く読ん

だ。なぜ勝ったのか、なぜ負けたのか。記者であれば是非追って欲しいネタである。単純な疑問だ

が、答えは奥深い。打てなかった。エラーした。相手チームが上でした。勝てると思わなかった。原

因はたくさんある。じゃ、それを克服するためにはどうしたらいいのか。なぜ克服できたのか。高校

野球を担当する記者はこの疑問を365日間追って欲しい。そこに高校野球の魅力がある。甲子園で

の試合を原稿にするよりももっと価値があり、原点を見出すことができる題材だ。

どこの監督も哲学者のような理論を持っている。365日どうしたら選手たちがうまくなるのか、ど

うしたら勝てるのかを考えている。精神的な側面も必要だ。長時間の練習をすれば勝てるというもの

ではない。そんな単純ではない。ではどうしたらいいのか。きょうの朝日新聞に佐藤監督は「甲子園

で1勝するのは本当に難しい。無駄になってもいい。1勝するために千の準備をする」と話してい

る。いい話だ。小生もいろんな話を聞かせてもらったことがある。そしていつも思うのは、題材が野

球というだけで、こうした話は社会に出ても十分通用するし、同じことだということだ。言ってしま

えば、教育理論が野球理論に置き換えられているだけのことだと思う。だから記者はそこを見ぬかな

ければいけないし、その根底を取材し伝えて欲しいと願うのだ。勝った、負けたを伝えるだけでは仕

事をしたうちに入らない。

どんな点差でもあきらめない、どんな球にも食らいつく、どんな相手でも自分を出し切る。出来ない

ことはない。その魂は単なる野球ばかりではなく、人間として生きていくための原点であることを野

球を通して、いつのまにか3年間で学ぶのだ。


 
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観光客を招く奥の手・・・軽井沢篇終

2010-08-24 19:42:44 | Weblog
小生思う。軽井沢のトイレはレベルが高い。清潔さのレベルだ。国際的観光地という名にふさわしい

と小生は思っている。逆に言えば、トイレのレベルが高いから国際的な観光地かもしれない。


旧軽井沢地区には有料トイレがある。どちらも入場料は100円だ。高いと思うか安いと思うかはそ

の人の好み、もしくは考え方だろう。今回も利用させてもらったが、掃除が行き届いており、清潔な

感じだ。観光客の中には有料を理解できず、なんとかごまかして入ろうとする輩もいるようだ。お金

を入れると入り口が開く、その瞬間にいっしょに入ってしまおうという魂胆だ。

今は水を違和感なく買う。ほんのちょっと前、お金を出して水を買うことに抵抗があったのを小生は

覚えている。であればトイレも近い将来有料が当たり前になるかもしれないとこのトイレを利用する

たびに思う。水も無料なものは在る。トイレも然りだ。でも有料でもいいからきれいなトイレを利用

したいという人はいるだろう。軽井沢では有料にしてでもきれいなトイレを提供したいと考えている

のかもしれない。

 軽井沢にはもちろん無料のトイレはある。駅のトイレは無料だが。ほんとうにきれいにしてある。

こうした配慮が軽井沢町の魅力でもある。観光客を招く配慮はこんなところにある。

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ニュース難民の心地よさ・・・軽井沢篇②

2010-08-24 08:07:34 | Weblog
ここにいると日常を忘れる。毎日目を凝らして見ているニュースもほとんど気にならない。

だから新聞も読まない。情報難民になる。難民になること怖さより心地よさが優先する。し

かし、もし梨元氏死去の訃報はショックだった。梨元氏のツイッターは見ていた。毎日励ま

しのつぶやきが送られていたようだが、必ずありがとう、がんばりますと載せていた。どん

な気持ちでいたのか、本人、家族の気持ちを考えると切ない。ご心配冥福をお祈り申し上げ

ます。軽井沢はきょうが最終日。暑い日はきょうも続きそうだ。あすからいつもの自分にも

どる。
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散歩にはメモ張が必需品・・・軽井沢篇①

2010-08-23 07:04:46 | Weblog
喧騒を逃れ、こよなく愛する軽井沢に来ている。パソコンは持ち歩いているがインターネッ

トサービスができないホテルに泊まっているため、ブログの更新がままにならない。ご容赦

願いたい。ここで知り合った友人によれば今週が最も観光客が多いとのこと。小生軽井沢に

来て、こんなに人が多いのは初めて見る。普段はかんこ鳥が鳴いているようなレストランも

人、人、人。どこでも人がいる。さすが人気がある。人気の秘密は涼しさだ。日中は30どう

しよう。30度くらいあっても朝晩は20度くらいで寒いくらいだ。鳥の声で目が醒め、涼しい

木立の中の散歩は心が洗われる。仕事の思わぬ発想も頭の中から湧き出てくる。だから散歩

にはメモ帳が必需品だ。
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忘れてはいけないことを思い出させてくれる・・・甲子園番外篇 

2010-08-21 15:53:30 | Weblog
観衆は4万7千。切符は沖縄・興南が陣取る一塁側から売れた。そして試合開始3時間前の

9時前には売り切れた。きょうの甲子園は選手たちばかりではなく、沖縄パワーがあふれて

いた。そのパワーに酔いしれた試合でもあった。

 沖縄パワーが一気に集中したのが7回だった。打者11人で7点を取った。スロービデオ

で見る興南の選手たちはあごを閉め、下半身を使って目一杯振っている様子がよくわかっ

た。東海大相模の一二三は呆然と立ち尽くした。ダイヤモンドを駆け回るたびに指笛ととも

に一塁側ばかりではなく甲子園全体が揺れた。去年の「イトーコール」を思い出す。

 小生きのうも書いたが、興南はいつかどこかで負けると思って見ていた。なぜか興南を見

ているとどこか頼りなさというか、威圧感というものかを感じない。どこかに不安を感じさ

せるものを小生は感じていたからだ。しかしきのうの報徳戦、きょうの東海大相模戦を見る

限り隙のない強さというか怖さを感じた。内に秘めた強さ、内に秘めた力を感じた。沖縄県

人が持っているポテンシャルなのかもしれない。投攻守そろった本当に強いチームだった。

 興南の我喜屋監督は試合後のインタビューで「小さいことを全力で取り組むちびっ子軍団

がこんな大きなこをことをするとは思わなかった」と優勝の喜びを噛みしめた。

甲子園の試合を見るたびに毎年思う。

「忘れていたことを思い出させてくれる。忘れてはいけないことを考えさせてくれる」。こ

の言葉がいつも頭を駆け巡る。
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興南の連覇・・視界は良好 甲子園番外篇

2010-08-20 17:34:06 | Weblog
興南はどこかで負けると小生は思っていた。根拠はない。なぜだかわからない。単なる勘でしかな

い。どこかで負ける。ただそんな気がしていただけだ。

 きょうの試合はそんな勘が単なる勘でしかないことを証明した。きのう明訓を下した報徳がきょう

興南相手にどんな野球をするのか興味があった。試合は序盤から激しく動いた。 

 報徳は初回、3番中島のタイムリーで先取点を奪うと、2回にもチャンスが来た。ツーアウトなが

ら満塁。ここで初回でもタイムリーを打っている3番中島。中島はきのうの明訓戦でも貴重な打点を

叩きだしている。こういうチャンスに決まって打席が回ってくる選手がいる。中島はそんな打者なの

だ。島袋には感じるところがあったのだろう。ポーカーフェースの島袋の顔色が変わった。腕を目一

杯振って向った。146キロの速球が音をたてホームべースを横切る。負けじと中島は必死になって

振る。序盤から試合はトップギアだ。島袋はすべてストレートで勝負した。3球目の146キロ、4

球目の145キロ。ファールを打った中島は雄叫びを上げる。まるで最終回の雰囲気だ。そして5球

目の145キロ外角のストレート。中島は右足をしっかり踏み込だ。芯にボールを乗せ左中間に押し

込んだ。これが走者一掃の3塁打。中島は吠えた。報徳は2回で早くも5対0とリードした。

 この時興南の我喜屋監督は「まだ回は浅い、必ず逆転できる。だから大きいのは狙うな」と指示を

する。8月19日発売のナンバー創刊30周年記念「甲子園の涙の名勝負 神を見た夏」で我喜屋監

督に関する記事があった。

―赴任したとき、寮生活を贈る野球部員の生活習慣は、とても褒められたものではなかった。夜更か

し、朝寝坊、弁当の食べ残しも当たり前。まずそこから変えていかなくてはならなかった。監督は夫

婦で寮に住み込み、選手たちと生活を共にし、まず早朝の散歩をしっかりさせることから指導を始め

た。「睡眠をきちんととって、朝から身体を動かしご飯をしっかり食べる。五感を研ぎ澄ます。五感

をよく使っていれば、いざという時の判断や、第六感までも働くものです。逆に言えば小さな積み重

ねをおろそかにする者に、大きな仕事はできないということです」。―

0対5からが我喜屋監督野球の真骨頂なのか。

報徳の先発はエースの大西。きのう明訓戦終了後に先発を志願した。序盤大西のスライダーにタイミ

ングを外されていた興南だったが、中盤になってタイミングが合ってくる。興南は6回までに1点差

まで追い上げる。そして7回。報徳の3番中島に試合の主役を奪われていた興南の3番我如古が打席

に入る。その初球だった。膝元に入ってくるスライダーに右ひじをわき腹につけて運んだ。技ありの

右中間3塁打。とうとう興南同点に追いつく。このあとタイムリーが出て興南は逆転に成功する。負

けていても、勝っていても顔色一つ変えない我喜屋監督がテレビに映る。この時もなんら変わること

なく、戦況を見ている。

島袋こうなると強い。8回は三者三振。そして最終回ワンアウト後、あの3番中島へは初球こそスラ

イダーで様子を見たものの後はすべてストレートで三振。ツーアウト後4番越井にはすべてストレー

トを放り込んだ。少し高めを空振りに打ち取った。ゲームセットの瞬間島袋が笑った。

0対5からの逆転勝利。あらためて興南の強さを見せつけた。興南の連覇、視界は良好だ。

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立秋・・・悔し涙は後輩へのアドバイスだ 明訓甲子園篇⑦

2010-08-19 17:14:57 | Weblog
勝ちたかった。悔しいが、報徳は強かった。

佐藤監督は試合終了後「3勝したかった。悔しい。流した涙が悔し涙であって欲しい」と振

り返った。よくやったという慰めの言葉はいらない。敗者に同情する言葉は似合わない試合

と小生は思った。魂と魂がぶつかり合った。最後の最後まで気の抜けない展開が続いた。明

訓のキャプテン田村の顔がテレビでアップになると、奥歯を噛みしめ必死になって報徳に喰

らいついていた。全てをかけていた。

見ていた小生も魂が震えた。それだけに勝ちたかった。なんとか倒したかった。

戦前の予想をいま正直言えば、厳しい展開を予想していた。報徳の先発が1年生の田村とは

予想外だった。明訓のエース池田が予想以上にいいピッチングをしてくれた。ゲームを作っ

てくれた。試合途中で明訓は報徳の背中を1回も見失わなかった。むしろふらついたのは報

徳だった。中盤から浮き足立った。池田のスライダーと速球が報徳をふらつかせた。見た目

以上に池田の球は手元で伸びていた。

報徳の1年生田村の胸元速球にやられた。わかっていたが、手が出た。辛うじてファールに

しても、その後に切れのいいスイライダーが来た。バットを振るのがやっと。タイミングを

合わせることが出来ず、空を切った。

逃げようとする報徳。池田の好投で背中を必死に追う明訓。終盤勝負は予想通りだった。

明訓、8回裏にチャンスが来た。バッターはキャプテン田村。報徳田村の得意球の胸元速球

をファールにする。7回までならば、その後はスライダーだ。しかしストレートがきた。

田村はヘッドを返し、強振した。三遊間を抜けた。セカンドランナーが返ってきた。1点を

返して2対1。報徳は配球を変えてきた。空振りを取りに行った球を運ばれた。球威なしと

見たのか、報徳の永田監督はこの後ピッチャーをスイッチした。見応えのある勝負だ

った。

負けはしたものの、非常に内容のある、レベルの高いゲームだった。随所に野球の醍醐味が

あった。

このゲームが次につながることを期待している。悔し涙は後輩を育てるアドバイスだ。

新潟はきょう立秋を迎えた。

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短かった夏を思い出す・・・明訓甲子園野球篇⑥

2010-08-18 16:40:31 | Weblog
毎年新潟の夏は短かった。暦通り、立秋を過ぎると秋風が吹き出す。残暑は厳しいのに。下馬評には

必ず、中越、新発田農業が上がる。両チームとも試合巧者だ。相手の弱みをうまく付いてくる。機動

力にバントなどの小技を絡めながら試合を進めてくる。いつの間にか試合の主導権を握られ、気がつ

くと負けている。勝負に勝って、試合に負ける両チームとの対戦とはそんなゲームが多い。当時若手

の監督たちはどうしても中越の鈴木、新発田農業の松田野球の壁を破れずにいた。

 小生が始めて、甲子園取材をした時も代表は中越高校だった。投打とも安定した力で県の代表を手

にした。これならば、小生はそこそこやってくれると期待をしていた。夏は長くなると思った。対戦

相手は四国・香川のチームに決まった。抽選会場で中越高校を引いたチームはうれしそうだった。

「いただき」という雰囲気が見え見えだった。小生「甘くないよ」とつぶやいていた。

 試合の時はアルプススタンドで応援団を取材していた。試合を見る暇はあまりなかった。目の当た

りにする風景は悲鳴ばかりだった。エラーで出たランナーを長打で返される。そんな繰り返しだっ

た。応援する生徒たちに笑顔はほとんどなかった。気がつけば最終回、4番に意地のホームランが出

たものの、予想外の大敗。「いただき」に飲まれた。スタンド下にあるインタビューエリアで見た選

手たちは小さかった。新潟ではあんなに立派に大きく見えたのに、すごく小さく見えた。もっと小さ

く見えたのが監督だった。背中を丸めて、インタビューするアナウンサーに頭を下げていた。

 取材を終わって新潟に帰ると、秋風が吹いていた。テレビでは毎日甲子園の熱戦を伝えているが、

他人事だった。関係ないことだった。高校野球を快く思っていない人もいる。そんな人からのバッシ

ングもつらかった。大阪まで取材に行く経費がもったいないという声まで聞こえた。そんな時代が2

0年続いた。

 小生は、自分たちのプレーをあの広い場所で精一杯やってくれればいい。ただそれだけだ。おどお

どしたり、躊躇したり、よそいきなプレーをしたり、それが一番気に入らない。勝ち負けはその時の

運であり、勝てないチームの存在を知ることも人生勉強だ。

 近年指導者の努力で甲子園が身近に感じられるようになった。自分たちのグランドのように駆け回

る選手たちの姿が眩しい。

 まだ新潟は灼熱の太陽が照り付けている。夏はまだ終わっていない。あすは準々決勝の大一番が待

っている。
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気持ちを貫け・・・勝機はそこから生まれる 明訓甲子園篇⑤

2010-08-17 17:45:26 | Weblog
初のベスト8を決めた佐藤新潟明訓監督は試合後「神様が味方した」と喜びを表現した。監督が神様

を口にしたのは小生記憶にない。よほどうれしかったのだろう。

常に去年の文理と比較されながらここまで来た。初戦では勝利監督インタビューでNHKのアナウン

サーが文理の去年の活躍を口にした。佐藤監督は「明訓らしく」と返した。他言はしないが「文理を

越えたい」が本音だろう。文理を超えるにはあと3つだ。

明訓はあさっての19日第二試合で報徳学園と対戦することが決まった。ここまで来ると試合展開を

予想するのは、不可能だ。佐賀学園との試合を見る限り、報徳学園はかなりの強豪だ。投打にバラン

スの取れたいいチームだ。正直言えば京都外大西、西日本短大付はBクラスだったが、報徳学園はま

ちがいなくAクラスのチームだ。投手の大西は関節がやわらかく、見た目よりも球の切れは鋭く、変

化球の切れも一級品だろう。簡単には打てないと見る。バッティングも振りが鋭い。気が抜けない打

線だ。どこからでも得点できる。ここまで来れば報徳学園に限らず、すべてのチームがAランクだ。

試合前から勝ちを計算できるようなチームはない。

さて明訓だが、池田、神田とも一級品の投手だ。打撃、守備とも隙はほとんど見当たらない。さらに

一味を加えるとしたら、前の試合の1対0という好ゲームの自信が彼に力を与えている。見えない力

だが、甲子園マジックが与えてくれたその力を報徳との対戦で思う存分に発揮してもらいたい。

敵は報徳学園ではなく、自分たちの野球がきちんとできるかどうかの自分の気持ちにある。勝機は貫

く気持から生まれる。ここまで来たら、やるっきゃない。
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田村に始まり田村に終わる・・・明訓初のベスト8進出 明訓甲子園篇④

2010-08-16 16:13:53 | Weblog
試合が終わって30分くらいたっただろうか、まだ手が震えている。やはり1対0というのは見てい

て疲れる。最後は同点だと覚悟していた。しかし明訓のキャプテン田村が勝利をもぎ取った。ショー

トライナーの後処理が本当に素早かった。次のプレーへの対処が非常に早い。

今の明訓は田村に始まり、田村に終わる。いつも田村がそこにいる。決勝戦で甲子園行きのウイニン

グボールは田村のグローブに納まった。甲子園の初戦、先取点をたたき出したのは田村のセンターオ

ーバー2塁打。京都外大西の最後のバッターは田村へのゴロだった。田村に運が回っている。きょう

の試合もそうだった。9回のゲッツーも田村だったが、小生はむしろ6回の田村のプレーに注目した

い。ワンアウトランナーセカンドで田村へのゴロ。セカンドランナーの凡ヘッドだが、焦ってサード

へ走ってしまった。それを田村が慌てずにサードへ送球して西日本短大付のチャンスをつぶした。

一見なんでもないプレーに見えるが、ランナーの走るラインをきちんと見分けて、重ならないよう

に投げている。重なってランナーにぶつかってしまえば、悪送球で1点入るところだ。練習でやって

いると思うが、甲子園で落ち着いて出来るあたりがうれしい。あたり前のプレーをどんな場面でもこ

なせる力が今年の明訓には備わっている。基本の裏づけがなければ、甲子園では勝ち抜けない。

 一戦一戦チームが強くなるとよく言うが、明訓はまだ進化を続けている。特にそれを今日強く感じ

た。池田、神田とも表情を崩さずに自分のペースで投げていた。見ている方はひやひやしていたが、

本人たちは冷静なマウンドさばきだった。ばたばたした動き、躊躇するプレー、ほとんどない。甲子

園という舞台が彼らを成長させている。これも甲子園マジックかもしれない。まだ明訓の試合は見た

い。対戦相手は明日の第一試合終了後に決まる。


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