事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

18番の神様・・・

2011-05-30 19:58:18 | Weblog
結局ゴルフ場には3日間行った。2日間はアマチュア、最終日はプロを追いかけた。最終日は霧の

ため2時間半中断した。その間選手たちは仲間たちとリラックスした時間を過ごしていた。玄関脇

では韓国勢4人が大きな声で大笑いしながら楽しそうに時間を過ごしていたのが印象的だった。中

断などまったく頭にないような感じに見えた。自然現象なので気にしてもしょうがないのだけれ

ど、リラックスすることがうまいなと感じた。あらためて彼女らの気持ちの持ち方と切り替えのう

まさを感じた。ある意味鈍感なところもなければプロとして生活はしていけないのだろう。

 優勝争いはすごかった。さくらというビックネームもあり、ギャラリーは雨にも関わらずほとん

ど人が残って戦況を見つめていた。結局3年ぶりで新婚ほやほやという茂木宏美が優勝した。小生

は18番に突っ立っていたので、最後のパットしか見ていないがあの5Mあまりのパットはなんだ

か小生は打つ前からなんだかゾクゾクざわざわした。言葉で表現できないような、神がかりのよう

な不思議な感覚だった。

 一流選手と二流選手のちがいかもしれないけど、一流選手といわれている人たちは神がかりのよ

うなことを起す。あの茂木プロのパットがそうだった。18番全体が静まった。雨の音も聞こえな

かった。あれほどの大人数がいるにもかかわらず、水を打ったように、まるで誰もいないかのよう

に、一人でぽつんといるかのように何も聞こえなかった。

そしてボールはカップに入るのではなく、カップがボールに吸い寄せられていくように、見えた。

小生にはそう見えた。入ったのでなく、吸い込まれた。

 2日間アマチュアに密着していたので、余計に感じたかもしれないが、プロの集中力には邪念が

一切ない。周辺を巻き込む。その迫力に圧倒される。それがプロを見る醍醐味だ。なぜそんなこと

ができるのか、小生にはわからない。練習の積み重ねなのか、それとも練習以外のなにかを感じる

ための訓練なのか。小生には説明がつかない。

 ゴルフに限らず、甲子園でもそうだ。5万人がいても水を打ったように静まりかえり、その一瞬

に固唾を呑むときがある。魂を奪われるかのように、すごい瞬間がある。甲子園には魔物が棲むと

いわれる所以でもある。

18番に立っていて、小生ふと思った。あの時18番にゴルフの神様がいた。

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プロへの道・・・

2011-05-29 05:23:48 | Weblog
結局彼女は2日目、84の12オーバー、通算21オーバーの104位で終わった。予選

のカットラインは通算6オーバーの50位タイ。加茂市出身の若林舞衣子がギリギリの予選

通過。トップには李知姫の5アンダー、2位タイには酒井美紀と横峰さくらが4アンダー

で続いている。

 さすがにインタビューの口が重たかった。初日よりリラッックスしていたが、ショート

パットが入らず最後まで苦しんだ。「方向性がおかしく、最後まで修正できなかった」と

2日目を振り返った。「ピンの位置はもっと難しい場所になるのかと思ったけど、そうじ

ゃなかった」とスコアの悪さをセッティングにはしなかった。

本人はプロとアマチュア差はリズムが全く違うと2日間を振り返る。このリズムはアマチ

ュアにはない。と首をひねる。結局はリズムについていけず、得意のドライバー、パター

を壊してしまう結果につながった。口には出さないが、彼女の中にはここまで作り上げて

きたものがあった。アマチュアタイトルであり、練習量であり、そして平均飛距離240

ヤードというドライバーであり、パターでもあった。自身のベストスコアは一昨年東京読

売カントリーで行われた報知杯で64を出した。どこかでプロの試合でも通用するという

気持ちがないといえばうそになると小生は感じていた。しかし結果は惨憺たるものになっ

た。小生の予想通りになってしまった。

 野球の取材でも同じようなことを経験してきた。だからなんとなく今回は見えていた。

高校野球でも新潟県でナンバーワンというアワードをもらって甲子園に乗り込む。しかし

結果が惨憺たるものに終わる。今はちがうが、以前の新潟県高校野球はそうだった。プラ

イドをずたずたにされて帰ってきた。すごい連中がいる。その存在に否が応でも認識させ

られる。

 まさに今の彼女はそうだろう。今のままでは通用しない。自分たちとはまったくちがう

別次元のゴルフがある。それは以前からわかっていたが、実際に肌で今回感じた。厳しい

2日間だったと思うが、みんなが通る道だと思えばいい。でもプロの厳しさとすごさを味

わうことができる場所まで成長してきていることは自分をほめていい。だれでもプロの試

合には出られない。そして真正面から壁にぶつかっていけばいいと思う。それもみんなが

通る道だと思う。いっしょに回ったプロの選手たちはあなたのことをそんな風に見ていた

と思う。「あんな時があったなと」きっとみんなそう思っていると思う。みんなそこから

這い上がってきたから。難しく考える必要はない。

 小生はふと思った。
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引きずらずに、めっちゃ早いです・・・

2011-05-27 17:51:19 | Weblog
ヨネックス初日。あれほどグリーンの仕上がりがいいと、ティーショットからきっちりポジション

を決めて打たないと、寄らないしパーは取れないと思った。プロのセッティングはやはりきつい。

ヨネックスのグリーンはほとんどが受けグリーン。だから上に行けば3パットは必至だ。だからと

いって手前を狙えばショートして、バンカーに落す危険性がある。バンカーに落せば、ボギーを覚

悟しなければいけない。あれもだめ、これもだめ。針の穴を通すようなショットが要求される。そ

れでも初日はアンダーパーが13人。でもノーボギーは笠りつ子一人だった。

 さて小生の追いかけている高校一年だが、さすがに最初は緊張していた。特に一番ティーではテ

ィーオフごとに紹介アナウンスがはいる。それで舞い上がったらしい。ティーを指すのも危うかっ

た。手が震えていた。それでも一番はなんとか、パーを拾った。それもよくなかった。そこでボギ

ーを叩いていれば、緊張感が取れたかもしれないが、パーを取ってさらに緊張感が増したようだ。

そして2番から4連続ボギー。自分のプレーをまったくできず、舞い上がったまま、背中を押され

っぱなしだっとホールアウト終了後に彼女は話した。押されっぱなしというのはすごくよくわか

る。小生が始めて県のアマチュア大会に出た時そうだった。回りばかり気にして、ゴルフにならな

かった。自分がなにをゆあっているのかわからなかった。おそらくそんな感じだったのだろう。結

局アウトは8オーバーの44.それでもインはツーボギーワンバーディの37で、まとめ9オーバ

ーだった。107位中の98位タイだった。

 プロとアマに違いを聞いてみた。彼女は頭のいい子で自分の考えていることをきちんと言葉にで

きる。違いをちゃんと言い表した。「プロはひきずらない。そしてプレーがめちゃくちゃ早いで

す」確かに早い。撮影するのが大変だ。小生も始めてプロの取材をした時に感じた。打ったらすぐ

歩く。スコアもそこそこだから余計に早い。すべての面でレベルがアマチュアとはちがう。

 すべてが今は経験だと思う。とことん叩きのめされてはい上がってこなければ、プロにはなれな

い。プロになっても活躍はできない。今はなんでも吸収して、真正面からぶつかるしかない。


 彼女は小生にあすアンダーで回ると宣言した。楽しみだ。

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魂を乗せたボール・・・

2011-05-26 19:37:49 | Weblog
あすから取材する女子プロゴルフの会場を下見した。小生があまりプレーをしたことのな

いコースなので、撮影ポイントを確認した。思った以上にアップダウンが激しく、カメラ

を担いでの山坂を登ったりくだったりするのは苦労しそうだ。選手が放つ一打一打の表情

を捉えたいが、一台のカメラでは限界がある。仕方がない。

 プロゴルフの取材は初めてではない。とはいえ久しぶりだ。まず会場に足を踏み入れた

時に普段のゴルフ場にはない、張り詰めた雰囲気を感じた。娯楽施設のゴルフ場ではなか

った。選手それぞれは人生を背負い、家族を背負い、この地に立っている。掛ける思いは

小生たちの想像を絶するものだろう。

 メディアIDをぶら下げながら、彼女らの練習をじっと見ていた。体をきれいに、しな

やかに使うそのフォームはまさに教科書を見ているかのようだ。ここまで来るにはどれほ

どの練習を積み、どれほどのものを犠牲にしてきたのかを思い浮かべた。その魂が飛んで

いく球に込められているかのように感じていた。ゴルフだけで生活していけるのはほんの

少しでしかなく、ほとんどのプロがゴルフ場からのギャラやレッスン料などで食いつない

でいると聞いた。厳しい世界だが、厳しい世界であればからこそ、やりがいと挑戦意欲が

わくのだろう。

 さて小生が取材対象としているのは、まだ高校一年生だ。初めてのプロの試合でどんな

プレーを見せてくれるのか楽しみだが、プロとアマチュアの違いを学んで欲しいと思う。

小生の勝手な読みだが、おそらく今の技術では通用しないと思う。思った以上にプロの力

のすごさを見ることになるだろう。プロからのいろんなことを吸収する大会にすればいい

と思う。今回は勉強の場にして欲しいと願う。

 帰り際に駐車場を一回りした。キャンピングカーが一台あった。ナンバーは宮崎だ。誰

のものは知らないが、ホテルに泊まるのではなく、その車の中で寝泊りをしているよう

だ。車の外には靴はちゃんとそろえて置いてあった。ゴルフにしがみつき、ゴルフを見せ

てお金を稼ぐおもしろさと厳しさ。たった1時間半程度しかいなかったが、女子プロたち

の様々な機微を見た気がした。

 どんな思いをゴルフボールに乗せてどんなプレーを見せてくれるのだろうか。明日から

の3日間が楽しみだ。

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司馬遼太郎を語り合った夕べ・・・

2011-05-25 15:08:43 | Weblog
昨夜は25年来の友人と一献やった。この友人とは月に2回程度の定期的に一献やっている。いつ

のまにか25年くらいが経つ。知り合ったのは飲み屋のカウンター。当時仲間は5人くらいいた

が、残ったのは彼一人だった。腐れ縁というやつだ。

 逢うと決まって話になるのが、司馬遼太郎の歴史観だ。歴史小説家の本はいろいろ読むが、やっ

ぱり司馬氏にはかなわないというのが二人の結論だ。このブログでも何回か取り上げたことがある

が、司馬氏の本を読むと何か語りたくなる。それが他の作家との大きな違いで、読後感は歴史を語

り、歴史を分析したくなる。きのうは彼が「世に棲む日日」を読破したので、余計司馬氏の歴史観

を語り合った。

 司馬氏の文章は長い。しかし読み進めていくうちに長い意味がわかってくる。歴史において、そ

の時は小さい事件でも後になって大きな節目に発展することは珍しくない。またその時はばかげた

ことでも、それがボディブローのように後々の歴史に反映されることも珍しくない。司馬氏はその

一つ一つの細かい出来事と人物の心情を丁寧に書き込んでいく。時には退屈するときもある。でも

そこを抜けていくと見えてくるものがある。歴史の転換点には必ず兆候がある。これは私の考えだ

が、司馬氏はその兆候を史実を丹念に調べていくうちに見抜く。そして彼独特の演出を加えながら

書き進めていく。司馬氏の小説の醍醐味は実はそこにある。兆候をきちんと丁寧に書いてくれる。

そして小説の中で主観的に解説を加えてくれる。それがおもしろくて、たまらないのだ。

 小生が司馬氏の「竜馬がゆく」を読み終わった読後感は一言。「時代の流れは止められない」と

いうことを感じた。「竜馬がゆく」は全8巻だが、その時代の流れを竜馬を主人公にして我々の語

り語りかけた作品と小生は思っている。その謎が解けた時はなんともいえない充実感と歴史を読め

た達成感があった。
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文化は会話から・・・

2011-05-24 16:59:33 | Weblog
散歩番組が流行っている。「ちい散歩」はその代表かもしれない。ローカル番組でも類似の番組が

たくさんある。小生もよく見る。散歩番組はチャンネルボタンの手が止まる。そして見入る。何が

というわけではなく、なんとなく見てしまう。普通の商店街に普通に人たちがいる。そこに歴史、

名物、人の営みがある。それを紹介することで番組が成り立っている。生きるための工夫、乗り越

えてきた苦労、代々受け継いできた信念など。短い中にもいろんな要素が詰まっている。

 考えてみると、小生の周辺には商店街はない。買い物はもっぱらスーパーだ。パック詰の野菜、

魚、肉を買う。それをレジの持っていてお金を払う。会話はない。そこが商店街とちがうところ

だ。会話がなくものが買える。仕事帰り疲れている時などは便利とというか楽だ。このスーパーの

片隅には苦情受付のボックスがある。ボックスの上には苦情といっしょに店長や担当者が書いた回

答が掲載されている。個人名は削除されているが、態度が悪いだとか、返事が悪いとか、そんな意

見もある。商品に対するもののある。店長や担当者は一つ一つ丁寧に答え、改善を約束している。

店としてはお客の意見を大事にして、運営を行っている姿勢をみせて、みんなから親しまれる店舗

を目指していることをアピールしているのだろう。会話がないので文書でやり取りするしかない。

文書でのコミュニケーションだ。

 それを嫌ったところもある。牛丼の吉野家だ。吉野家は自動販売機を置いていない。お客とのコ

ミュニケーションを大事にするためと聞いたことがある。普段行く吉野家のあんちゃんは会話がで

きるようなタイプではないが、声だけは大きい。「ありがとうございました」。まあ小生は朝食を

食べるケースがあるので、朝からのあいさつは気持ちがいい。その人の「人温度」は伝わる。

 以前商店街はものを買う場所だけではなく、情報の発信場所でもあった。江戸時代の「井戸端」

だった。そこから文化が生まれ、人が育っていった。治安情報も発信された。防犯としての役割も

商店街にはあった。顔を見ながら会話しながら売るので、店主はクレームや味に対する言葉を聞け

る。そこに充実感や達成感も生まれる。先日友人から酒まんじゅうをもらった。そのまんじゅうは

丁寧に一つ一つずつ作っていると聞いた。作り手、買い手の息が合うところからまた味が守られ、

次世代に引き継がれていく。人のぬくもりを感じて、職人さんは精進する。育て、育てられて文化

と伝統が創られてきた。それは会話の中から生まれてきた。「ちい散歩」を見ていてそんなことを

時々思う。

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わが道を行く・・・

2011-05-23 16:27:40 | Weblog
高学歴プアーという言葉を始めて知った。学歴が高いにも関わらずに就職先がないことを言うらし

い。大学院は出たものの、就職先がまったくない。むしろ年齢を考えると学部卒た短大卒の方が有

利らしい。確かに小生の会社でも院卒だからという利点はない。そこまでの専門知識を必要とする

部署も小生の会社にはない。体が丈夫ならば、頭も丈夫だろうくらいの乱暴さでしか目安はない。

そんなよくわからない定義を満たすものの方が有利だ。

 きょうは縁あって博士課程にまなぶ学生と逢った。学生といってももう40歳手前だ。結婚もし

ている。県庁に2年ほど勤めたが、大学に戻った。学部でやり残したことをどうしてもやりたいと

いうことが戻った理由だ。専門は言語学。言語学を簡単に説明してもらったが、よくわからなかっ

た。マスコミの事を聞きたいというので、お役に立てるならばということで、出かけた。奥さんは

韓国人で今通訳をしている。その収入を頼りに彼は大学で学んでいる。無給になって3年目になる

が、さすがに最近は奥さんが何とかして欲しいと言うので、就職先を探している。しかし年齢を考

えても就職は厳しい。研究者で食べることも厳しいらしい。結局彼とはマスコミの話よりも生活の

話が大半をしめた。しかし彼の目を見ていると生き生きしていた。曇ってはいなかった。彼がもし

サラリーマンであれば、年齢的に中間管理職の地位にあり、下から上からいろいろ言われもっとも

ストレスを感じるつらい年齢だ。しかし逢ってみて彼にはそれを感じなかった。むしろわが道を歩

いているという堂々とした芯を感じた。わが道を歩けばいい。小生はそれでいいと思った。

 小生の持論「意志のあるところに道はある」。と励ましになったかどうかは別だが、申し伝えて

おいた。彼の顔がほっと緩んだように見えた。
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一味一会・・・

2011-05-22 10:40:48 | Weblog
小生実は甘党。最近は年齢も考えて遠ざかってはいるが、ケーキやシュークリーム、アイスクリー

ム、本音を言わせてもらえれば毎日でも食べたい。特にシュークリームに入っているカスタードク

リームは大好きで今こうして考えているだけで、よだれが出てくる。大学生の頃、有名な洋菓子店

アマンドでアルバイトをしていた。今だから言えるが、あすまで持ち越せないシュークリームはア

マンドでは捨てていた。小生それを見て、捨てるならばと毎日いただいていた。お金をもらう以上

に有意義なアルバイトだった。

 亡くなった親父はそもそも甘党だった。大がつくかもしれない。その血を小生が受け継いでいる

のだろう。小生が子どもの頃は家に親父が買ってきていた羊羹があった必ずあった。それを小生は

毎日のようにおやつ代わりに食べていた。だから羊羹は幼少の味だ。今は食べなくなったが、時々

食べたくなってコンビニで売っている小さい一口サイズの羊羹を買って食べることがある。夕方血

糖値が落ちたときにちょうどいい食べ物だ。なつかしい味でもある。

父は母が亡くなった1年後支える棒が無くなったかのように倒れた。脳梗塞だった。10年という

長い間闘病生活を送り、亡くなった。時々小生が見舞いに行った。その時はかならず、大福かまん

じゅうを持っていった。脳梗塞でしゃべることはできないが、食欲は旺盛だった。小生が買ってい

ったまんじゅうには飛びついた。子どものようだった。まんじゅうを見るとそんな父の姿を思い出

す。

 先日久しぶりに会った友人から荻窪で買ってきたというまんじゅうをお土産にもらった。まんじ

ゅうをお土産に買って帰ることはあっても、今ではもらうことはほとんどない。地元では有名なま

んじゅう屋さんで午前中には売り切れてしまうほどと聞かされた。家に帰ってさっそく頬張ってみ

た。酒まんじゅうでほんのりお酒の味が口にひろがる。そして上品な甘さがじわじわと口の中を支

配する。これがたまらない。ねっとりせず、ひつこくなくそれでいてどこかやさしい甘さが鼻腔か

ら抜ける。下であんを転がすと、ざらついた感触は無く、あくまでもやわらかく溶けるように喉の

奥へと進む。甘党ではなくともこのこの味には魅了されるだろう。午前中でなくなるわけだ。

 一つ一つ丁寧に作り上げた作品のような酒まんじゅうだ。17年前にこのまんじゅうと出会って

いれば、親父も舌鼓を打ったにちがいない。小生いい味とであった。一味一会の機会を与えてくれ

た友人に感謝。
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プロからの伝言・・・

2011-05-21 08:51:41 | Weblog
夢に向かって歩いている。夢を夢に終わらせずに、着実に一歩ずつ一歩ずつ歩を進めてい

る。話す姿に気負いはない。話を聞いていても心地がいい。「回っているコマは静か

だ」。相田みつおにそんな言葉があった。話を聞きながらそんな言葉を思い出した。夢中

は夢の中と書くが、中にいると静かにいられるのかもしれない。

彼女は小学生5年生の時にゴルフの全国大会で4連覇を達成した。その時にプロを目指す

と決めた。両親と離れて生活するのは寂しいけれど、プロになりたいのでしかたがないと

単身で新潟の高校に進学を決めた。周辺の友人はみんな応援してくれている。毎日のよう

に電話がくる。そんな応援に答えたい。卒業と同時にプロテストを受けたいと笑顔を作

る。普段ならあまり答え負けせずに質問をしていくが、あまりにも淡々と話すので小生少

し煽られた。高校生一年だからな。と小生が少しからかうと、そうですよ高校一年生です

とあっさりと返された。わかっているのか、わかっていないのか。淡々さと間がなんとも

いえない子だ。高校生とは思えない会話リズムを持っていることに小生少し驚く。ゴルフ

がsこまで彼女を大人にしているのか、それとも本来彼女の持っているものなのか。なか

なかおもしろい。小生の好奇心を煽る。

 初めてプロの試合に出る楽しみは、技術よりもマネジメントを勉強したいですね。アマ

チュアとはまったくちがいますからと返してくれた。アマは「時々」が許されるが、プロ

は「常」を求められる。徹底さがアマチュアとまったくちがう。彼女はそこを勉強見たい

という。プロへの道を彼女に聞いてみると、リスク管理の甘さを指摘する。「常」をやり

きれないと分析する。

プロといえども稀有な一か八かの勝負をする。その時は慎重に「時」を選ぶ。その選び方

はアマチュアとは違う。それが究極のマネジメントだろう。リスク回避と勝負どころの一

か八か。彼女がプロ試合に出場する楽しみはそこにある。技術と駆使して、リスク管理と

勝負時を見極める。それがプロフェッショナルだ。

プロってどんな人たちだった?今度はそれを聞いてみよう。一回り大きくなって話をして

もらえるかもしれない。今から楽しみだ。小生ふと思った。

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将来を語り合った・・・

2011-05-20 10:37:27 | Weblog
5ヶ月ぶりに東京へ行った。久しぶりだ。あらためて東京駅に降り立つと、やっぱりこの

街は狂っている。どこかおかしい。早く歩く必要があるのか、みんな顔が怖い。だれかと

どこかで戦争をしているかのようだ。形相が変だ。ここで生きていくのはたいへんなんだ

ろう。そんな余計な想像をさせる。でもその反面、人間は狂っているところが好きだと思

う。どこか異常な状態がすごく心地いい。特に若い時は異常状態が心地いい。もっとも苦

手なのが退屈さ。東京にそれはない。めまぐるしく、目が回るくらいの異常な状態は五感

を刺激し、知的な部分も含めて好奇心を刺激する。もちろん小生もそうだった。好奇心を

刺激する感覚は東京という大都会にいるとよくわかる。

 25年ぶりの友人と再会した。六本木のアマンド前で待ち合わせた。なんだか逢うのが

怖かった。この25年間が埋まるのだろうか。どんな話をすればいいのか、話が合うの

か、よくある話だが意地の張り合い、自慢のし合い、見栄の張り合い、そんなつまらない

時間が二人の間に流れたらどうしよう、昔のイメージが壊れたらどうしよう。柄にもなく

そんなネガティブな気持ちが自分の中に満載だった。

 彼は小生と逢った印象を「あなたはやっぱりあなた」と表現した。小生も印象はまった

く同じだった。彼は彼だった。なんの見栄も意地も自慢もなにもなかった。それがすごく

心地よかった。そして話は昔話ではなく、むしろこれからどうする、3年後、5年後、1

0年後どうするとお互いにそれなりに齢を重ねてきたのもかかわらず、もっと前にもっと

前にという話に終始した。それがすごくうれしかった。「あの時はよかっった」その言葉

はお互いの口からは出なかった。

 ようやく落ち着いていろんな人と話ができるようになり、あわてずにじっくりと今まで

経験してきたことを試すことができる年齢になってきたと彼と逢って実感した。将来に対

する不安はもちろんあるが、彼と話をしていて小生の中に時を感じた。

東京はどこか狂ってはいるが、なにかをふと語りかけてくれる街でもある。みんな一瞬の

チャンスを待っている。彼と別れて一人で歩いてみると、すれちがう人たちがそんな風に

見えた。

 
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膝小僧は動くのか・・・

2011-05-18 17:11:34 | Weblog
新潟市内いまつつじが満開だ。写真がないのが残念だが、本当にきれいだ。桜は下から眺め、上か

ら咲く姿を見るのだが、つつじは低木なため、下からあおられるように咲くので、地面から一気に

浮き出るような美を感じる。桜の季節はちょっと寒い。が、つつじの季節は半袖も長袖もどちらで

も気持ちがいい。日本とは思えぬように空気がサラサラしている。新潟は海が近いだけにこの湿気

のなさが特にうれしい。あの冬を越えてきた苦労が実ったと少々大袈裟だが、毎年思う。

 さて、きょうは仕事でゴルフ場へと足を向けた。高校一年生でプロを目指す女子高校生を密着取

材のためだ。ゴルフをしないでゴルフ場にいくというのは小生にとって地獄の気分だが、朝の早い

ゴルフ場は気持ちがいい。つつじ、たんぽぽ、新緑と目にまぶしい。高校一年といえども、プロを

目指す実力の持ち主とあって、小生かなりの興味を持ってみた。すでに来週開かれる女子プロトー

ナメントの出場権を先日の予選会で獲得した。東京都出身だが、新潟の高校に進学してきた。卒業

生にW女子選手がいる。その先輩を頼ってきた。中学生から自分のやることをはっきりと決め、親

元を離れて進路を決めるというのは小生が同じ年のころには考えられなかった。怪我をしたらどう

しよう、辞めたくなったらどうしようと、「もしも」のことを考えてしまう。そんな気持ちではプ

ロの世界には飛び込めないのだろう。サッカーの三浦カズ、今アメリカで活躍している今田にして

も高校卒業前に三浦カズはブラジル、今田はアメリカに単身で乗り込んだ。言い方を変えれば、彼

らの気持ちの強さがあれば、プロスポーツの世界でなくとも成功したのだろうと思う。

 さてその彼女のゴルフだが、小生じっくりと観察をさせてもらった。第一印象は右足のベタがす

ごくいい。ダウンスイングでも動かない。膝小僧の向きも変わらないまったく変わらない。あれほ

どベタで動かないと曲がりはほとんど少ないだろう。ボールの行方を追う必要もないくらいだ。小

生も練習場ではいつも意識するが、体力の無さから来るものでどうしても右足が浮いてしまう。あ

れほど浮かないとスピン、インテンショナルの回転、飛距離が自由自在だろうと思った。うらやま

しい限りだ。見てて感じたのはもう一つある。それは彼女がそのベタ足を無理に習った通りに無理

にやっているようには見えないことだ。スイングが極めて自然だ。元々もっている運動神経なの

か、それとも小さい頃からやっているからできるのか。小生にはわからないが、あのスイングを1

5歳くらいで出来るのが驚きだ。

しかし心配がある。それはもう少し飛距離を出した時にあの膝小僧が動く可能性がある。今は余裕

をもってスイングしているが、飛距離を出すときはどうしてもスイングが窮屈になる。本人は気が

つかないが、いろんな部分のバランスが崩れる。そしてスイングを壊し、スコアを崩す。そのプロ

とアマチュアの差はかなりある。来週その差を見ることになるのか、その時彼女はどう感じるの

か、楽しみだ。小生ふと思った。

 
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パワースポット・・・

2011-05-17 08:40:26 | Weblog
インターネットでニュースは見てはいるものの、新聞は一切手にしてない。不安どことか

なんだか自分が世の中の最先端にいるかのような錯覚になる。緑豊かな森、広い青空、静

かな街並み。別の世界にいる感覚が自分を妙に落ち着かせている。気が暴れず、気がすっ

と下に落ちて、気分がすごくいい。

 軽井沢に来ての楽しみは人との出会いでもある。来るたびにいろんな人で会う。今回は

別荘に永住してしまった元会社オーナーと友人を通じて知り合った。すでに70歳を過ぎ

ておられるが、体力気力とも充実をされていて、小生も同年齢になった時に同じようにし

ていられるか自信がないほどお元気だ。うらやましい。会社は息子さんに任せて今は軽井

沢での優雅な暮らしを楽しんでおられる。この人も軽井沢の魅力に取り付かれてこの地に

居を構え、軽井沢エネルギーをもらっている一人だ。毎回そんな人と出会い、様々なお話


を聞けることで元気をもらっている。疲弊した気がここにいると蘇る。
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心が癒える・・・

2011-05-16 08:37:51 | Weblog
Late GW Big Holiday というわけで遅いゴールデンウィークをいた

だき、喧騒をのがれこよなく愛する軽井沢に来ている。今軽井沢は桜が満開だ。平地と違

って染井吉野の種ではないが、ピンクや白っぽい花がすごくきれいだ。軽井沢で桜を意識

したことはあまりないが、今回は時期が重なって思わぬ花見をすることが出来た。桜ばか

りではない。花の名をあまり知らないが、どこでもいろんな花が咲いている。春本番だ。

気温20度。気持ちがいい。

 前回4月のはじめに来た時東日本大震災の影響による自粛メードで軽井沢は閑散として

いた。しかし今回はその自粛ムードは一変していた。友人のブランド洋服店長はゴールデ

ンウィークはすごく、特に中日の4日は1997年アウトレットが出来て以来の売り上げ

レコードを作ったと話してくれた。毎年ゴールデンウィークはすごい人でにぎわうが、今

までの自粛ムードでたまっていた買い物魂が一気に爆発したようだ。

 いつもながらのことだが、軽井沢に来ると心が癒える。
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うまく言えなくて・・・

2011-05-14 19:09:01 | Weblog
きょうも一本交通死亡事故のニュースを書いた。事故の場所は高速道路。軽自動車が中型トラック

と衝突、軽自動車に乗っていた女性二人が死亡した。ほぼ即死状態だった。

警察では身元を家族に確認するため、免許証から自宅住所を割り出し、家族に連絡を取らなければ

いけない。この仕事が一番つらいと警察担当の時によく聞いた。

 当直の夜はみんな事故がないように祈っているという。しかし雨の日や天候が悪い日には事故は

起きやすい。その日は夕方から雨が降り出した。いやな予感がした。頃は初夏の陽気を利用してオ

ートバイのリーリングが多くなる時期だった。その日は昼間こそ天候に恵まれ、絶好のツーリング

日和になったが、午後から天気が急変夕方から雨になった。しかも風を伴った雨で、オートバイに

はつらい雨だ。

 110番が入ったのは午後8時を過ぎたころだった。バイクが転倒し、自損事故。運転手は重態

の模様と無線が鳴った。嫌な予感が的中した。すぐに事故処理にむかった。現場に到着した時には

すでに意識不明だった。すぐに救急車で病院に搬送した。雨でスリップしたための事故のようだ。

ヘルメットはかぶっていたが、全身を強く打っている。

 病院から亡くなったと知らせが入ったのは事故処理が終わってまもない時だった。「わかりまし

た」と肩を落とし、電話に向かった。家族に電話をするためだった。

 当時彼はいつも酔うとこの話をする。「おれ家族の人にうまく説明できなくさ。普通にも言えな

いし、つめたいようだけど、ロボットのようにしゃべるしかないけど、涙声になることも・・・」

酔うと涙を誘う。お袋と同じような年齢だったり、親父と同じような年齢だったりするとたまらな

いと声が上ずる。中にはまるで予想していたかのように落ち着いている人もいるけど、それもなん

だかきついと話す。

 小生、交通事故のニュースを書く時にいつもこの話を思い出す。電話で警察の人が「今家族に確

認してもらっています。まもなく名前は反応します」。と小さな声で答えた。「つらい仕事です

ね」と一言声を掛けた。「はい」と一言。情は表さなかったが、気は通じた感じがした。

 ニュースを流すことで事故の怖さと悲惨さが伝わることを祈るばかりだ。

交通事故は他人事じゃない。
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経済の基・・・

2011-05-13 18:03:37 | Weblog
きょうは柄にもなく、エコノミストとバンカーと懇談した。

小生経済は苦手だった。でもマスコミになるには経済は避けては通れない。そこでいやいやながら

勉強をした。まず手っ取り早いのは毎日の新聞の経済欄を熟読した。しかしまったくわからない。

予備知識のないものにとって新聞の経済欄はかなり難しい。「風が吹くと・・・桶屋が儲る??」

最初はちんぷんかんぷんだった。しかい逃げるわけにはいかない。経済辞典を買ってきた。わから

ない言葉があれば、調べる。まるで英語を訳しているかのように、丹念に調べていく。そして簡単

な経済本を買った。その3本立ててで、勉強を開始した。わかってくるとなかなかおもしろい。経

済には実際のお金の流れとマインドと言う言葉に代表されるように精神的な部分も経済の動きに影

響を与える。そんな裏も表もわかるようになると、この次は経済小説にはまった。歴史の経済小説

も読んだ。江戸時代の経済話はなかなかおもしろい。時代背景はまったくちがうが、人間の欲その

ものは余り変わらない。財政破綻した藩を立て直す話は今でも十分参考になる話だ。

そんな勉強がいまでも役に立っている。やっぱりやっておくもんだと思う。相手はとかくマスコミ

ということになると、なんでも知っていると思われる。極めて迷惑な話だが、こっちもプライドが

あって知らないとは言えない。

最近は何処に行っても、誰と会っても東日本大震災の影響を聞く。新潟では直接の被害はなかった

が、間接的は動きは見逃せない。みんな口をそろえるのは「今はない」。「今」が必ず入る。質問

を返る「今後は」。答えは「わからない」となる。どの程度の影響がどのくらいあるのかは全く未

知のようだ。これは様々な雑誌などにもすでに発表されている。なぜ見通せないのかの要因に口を

そろえるのは、電力だ。復興するためには電力が必要不可欠だ。しかしこの大震災では福島原発だ

けではなく、浜岡原発も止まっている。日本全体に電気不足になる可能性がある。電気使用制限の

中で、どうやって復興の道をたどるのか。エコノミストでも読めないのだ。経済活動は電気がなけ

ればできない。ふと小生は思う。
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