事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

プロ意識・・・

2010-03-31 17:59:59 | Weblog
45年間の長きにわたり映像の世界に身を置いてきたKさんが今日限りで引退する。

東宝の子会社の撮影助手から始まった。18歳の時だった。最初の現場は森繁久弥氏の駅前シリ

ーズ。当時カメラマンには助手が4人いた。第一助手、第二助手と上まで上り詰めて始めてファ

インダーを覗けるようになる。15年くらいの下積みは当たり前の世界だ。Kさんは25歳まで

にはカメラマンになりたいと目標があった。しかし映画の世界では無理。そんな時に大阪万博で

偶然いっしょに仕事したCM監督に声を掛けられる。これで運命が変わった。7年間CMカメラ

の勉強を重ね、25歳で洋服の「MITUMINE」のCMでデビューを飾った。テレビの世界で

は、当時フジテレビの人気番組だった「なるほど・ザ・ワールド」でも活躍した。

 新潟に来たのは1983年。そこから小生との付き合いが始まった。まさに「プロの映像カメ

ラマン」というのが第一印象だった。ファイダーを覗いていなくても、あたかも覗いたかのよう

な想像力を持っている。学ばせてもらうことが多く、何をどんな風にということは言えないほど

たくさんのものをいただいた。

小生思うことがある。Kさんには偶然の必然が存在する。

 1984年9月。朝日村の奥三面川で山中に釣りに出かけた3人が行方不明になった。一報を

受けてKカメラマンがヘリコプターで取材に向かうことになった。しかし当時天候が悪く、現地

まで行けない可能性がある。ヘリ会社の見解だった。駄目でももともと。とりあえず現地に行っ

て駄目ならば、戻って来ようというKさんはパイロットを説得した。無理をしないことを条件に

離陸した。行ってみると確かに雲に覆われていた。山も見えない。したがないと思い戻ろうとし

たその時、霧が晴れた。すぐに降下した。そして下を見ると、木で「SOS」を作っている人を

発見した。まさに行方不明になっている人たちだった。Kさんは自分の立場を忘れ、着陸して救

助しようと試みるも、狭い場所で危険なため断念。しかたなく近くの小学校分校に緊急着陸。行

方不明者の発見を警察に連絡、まもなく行方不明者は無事保護された。この発見劇、単なる偶然

であることは否めない。小生が思うのはそうではなく、駄目でもともとという考え方だ。ここに

違いが出る。駄目でもともとは9割9部駄目だろう。しかし奇跡や偶然は行動しないと起きない

のも事実だ。このエピソードもKさんならではの話だ。県警ですらその時は「駄目だろう」と飛

ばなかった。
 
プロは技術だけではなく、意識もプロでなければプロではない。そんなことを教えてくれた人だ

った。
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天国と地獄・・・末広がりでめでたし

2010-03-30 19:49:54 | Weblog
小生、ゴルフに行くおよそ一週間前から天気予報とにらめっこになる。晩秋と早春の新潟は

特に天気が安定しない。日々天気が変わる。ちょっと目を離すと、晴れは雨になったり、雨

が雪になったりとめまぐるしく変わる。もっと気になるのが気温だ。9度と10度では精神

的にまったく違う。一桁か?とため息。10度。いいんじゃない。春の陽気か。と一喜一憂

する。

気温が低ければ防寒具をどうするとなる。以前なら気温にあわせてウエアを買いに行ったこ

ともしばしばだった。今はさすがにそこまで行かないが、何を着ていくのかなど毎日のよう

に天気予報を見ながら頭をめぐらす。まあそれもこれもゴルフの楽しみ方かも知れぬ。

 ところで、きょうは小生にとって初打ち日。いわゆるゴルフの元日だ。是非とも晴れても

らわなければ困る。というわけで、いつものように天気予報とにらめっこの日々がここ一週

間続いていた。じっくりと観察した結果によれば、きょうを境に冬型の気圧配置から、春の

陽気に変わると予報が出されていた。いい。つまりきょうから春の陽気になる。最高。とい

ちいち合いの手を入れながらにらめっこをしていた。これは行けるラッキーと思っていた。

が、気温がどうも調子悪い。低いのだ。さらに最悪なのは前日に季節外れの寒気が入ってく

るという情報だった。まあそうは言うが3月だし、と高をくくっていた。夕方の雪も「なご

り雪」と命名した。そこまでは余裕があった。

 今朝目を覚ますと路上に雪があるではないか。雨ならばともかく雪ではゴルフにならな

い。しかたがないと思いつつ、スタッドレスのタイヤを履いている妻の車を借りて、行くだ

け行ってみようと泣く泣く家を出た。周辺の道路上にすでに雪はないものの、途中車窓から

見える畑は真っ白の雪景色。グリーンに雪があればだめだとゴルフ場に思いを馳せながら車

を進める。シーサイドラインに入って、しばらくすると道路が完全凍結状態になっている。

これはやばい。ノーマルタイヤであればスリップ事故は避けられないほど状態が悪い。路面

が最悪の状態で走ってみると、シーサイドラインは曲がりくねり、坂あり、谷ありの難所続

きであることがあらためてわかる。原発建設でもめたあの有名な場所では、対向車線の大型

車がパーキングランプをつけたままタイヤを空転させていた。坂を上れない状態になってい

る。こんなシーサイドラインを見たことがない。これじゃゴルフどころじゃない。こんな日

もあると完全にその時点であきらめた。

 ところがだ。新潟の天気予報が難しいのはここだ。10キロ先の寺泊に行くと、雪どころ

か、路面も乾いている。雪の「ゆ」の字もない。「あれ?」とうれしい悲鳴。もちろんさら

に10キロ先のゴルフ場も雪はまったくなし。「あれ?」フロントには山沿いのゴルフ場か

ら移ってきた人もいた。「ここなんで雪ないの」。言われるほうも困り顔だ。これだけ地域

によって天気がちがうのかとびっくりさせられた。

一旦はプレーをあきらめていたが、そんな心配も吹き飛んだ。

天気良し。風はなし。陽気良し。海は藍より青く。波低し。それにしてもあの凍結路面はな

んだったのか。まさか幻想を見たわけではあるまい。天国と地獄の境目を走ってきたのか。

ところで小生あがりは末広がりの88。初打つにはふさわしくめでたし、めでたし。
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やり直しの巣つくり

2010-03-29 17:55:41 | Weblog
毎日寒い日が続いている。きょうも新潟市で6度くらい。気象庁では2月下旬並みと呼んでい

る。平年差で言うと5度も違う。感じるのは気温ではなく、風に冷たさだ。小生ちょっぴり髪の

毛が普通の人より短いため、そのままで歩くは非常につらい。帽子が手放せない日が続いてい

る。

 朝は雪、日中は晴れ、夕方になってまた雪が降り出した。上空の気温が低いために雨にはなら

ないようだ。今も外は雪が降っている。暇に任せてじっと外を見ていたら、木に巣らしきものを

見つけた。使っている鳥はいないようだが、おそらく建設に失敗したか、断念したらしい。場所

は川沿いにある桜の木の上、高さはおよそ4Mのところだ。周辺はからすが多くいるので、可能

性が高い。時々つがいのカラスが来るのを何回か見ている。未練がましく作りかけの場所に夫婦

で見に来ているようにも見える。失敗をしたことを責められているのかもしれない。
 


(カラスの下に見える木が密集しているのが巣の建設跡)

去年の事だが、春先に車のワイパーのゴムが切られ、持って行かれる事が相次いだ。知らない

で乗ってワイパーが使えないとなると高速道路では命取りだ。しかも何回も同じ車がやられる。

これは誰かの悪質ないたずらと思って、警備員さんに警戒してもらった。しかし犯人は人間では

なく、カラスであることがわかった。目撃者が現れたからだ。からすがゴムを引きちぎっていた

のを見たというのだ。どうやらあのゴムを自分たちの巣作りに使うようなのだ。なんとも知恵も

のと言うか、あきれる。でもなぜワーパーのゴムが巣に役立つかを知っているのか、不思議だ。

人間でも思いつかない。ハンガーを巣に使っていたという話も聞いたことがある。道具を使い分

けるというのはかなりの知恵がある証拠だ。

 今年はまだワイパーの被害は出ていないが、狙われる可能性は否定できない。ところでその作

りかけと見られる巣だが、ワイパーのゴムは見当たらない。が、ビニール紐のようなものが見え

る。どうして建設を断念したかは知らないけれど、いずれにしても今年初めて巣を作ったカラス

だろう。今頃は仲間から巣の設置場所を教えてもらっているかもしれない。

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帰巣本能・・・

2010-03-28 09:31:29 | Weblog
なかなか春が来ませんな。

今朝7時の気温が0度。もうすぐ4月だというのに寒すぎる。

先週金曜日は東京へ日帰り出張した。会議が午前中10時半からだったので、起床は5時。

6時のバスに乗って7時の新幹線に乗った。朝は雪が舞った。「まだ雪降りますか?」の思

わず独り言が出る。小生の乗った新幹線はグリーン車以外すべて自由席だ。新潟から乗る人

はさすがに少ない。乗車率10%くらい。しかし「この列車は高崎、熊谷からたいへん混雑

します。座席に置いてある荷物は今のうちに棚に上げてください」とアナウンスあり。どう

やら関東地区の通勤新幹線のようだ。長岡まで小生本を読んでいたが、トンネルに入ったと

たんにお決まりの睡眠時間になった。起きるとすでに群馬県に入っていた。車窓からは朝日

反射する菜の花が見える。黄緑の葉と黄色の花が光っている。新潟とは季節が違うようだ。

その菜の花のそばにある桜は、今にも咲きそうにつぼみが膨らんでいる。木全体がピンクい

るに染まっている。今日中にも開花するのかもしれない。

 車掌の言うとおり、高崎からかなりの人が乗ってきた。がらがらだった席があっという間

に埋まり、それでも足りずに立っている人もいる。まさに通勤新幹線だ。

 都内に入ると桜がやはり目に付く。3部咲きくらいだろうか。この週末が見ごろになるの

だろう。

 会議は午後4時まで延々と続いた。今回は会議後すぐに帰らずに昔の先輩たちと会う約束

をしていた。27年前に小生が勤めていた時の先輩たちだ。

さすがに6時間の会議は疲れる。待ち合わせの場所淡路町の居酒屋に着いたのは5時過ぎだ

った。疲れた体にビールが染み渡る。集まった面々は年金生活者、この3月で定年退職する

者、失業者らなど立場は一人一人ちがう。小生は一番年下だ。会うのは実に10年ぶりくら

いだ。共通の話といえば数値話。数値とは血圧やらガンマなんとか、健康の話だ。みんなそ

れなりに健康を保っているようだ。昔の思い出話になると、20年前の話をまるできのうよ

うに出てくるから恐ろしい。一週間前のことは覚えていなくても、20年前のことは鮮明に

覚えている。他人話におめでたい話はなく、亡くなった話が多い。そんなこんなで小生ちょ

っと油断して飲みすぎた。

居酒屋を8時半頃に出たまでは覚えているが、その後どうやって新潟まで帰ってきたのか、

詳細は覚えていない。帰巣本能をいかなく発揮した。


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帰巣本能・・・

2010-03-28 09:30:04 | Weblog
なかなか春が来ませんな。

今朝7時の気温が0度。もうすぐ4月だというのに寒すぎる。

先週金曜日は東京へ日帰り出張した。会議が午前中10時半からだったので、起床は5時。

6時のバスに乗って7時の新幹線に乗った。朝は雪が舞った。「まだ雪降りますか?」の思

わず独り言が出る。小生の乗った新幹線はグリーン車以外すべて自由席だ。新潟から乗る人

はさすがに少ない。乗車率10%くらい。しかし「この列車は高崎、熊谷からたいへん混雑

します。座席に置いてある荷物は今のうちに棚に上げてください」とアナウンスあり。どう

やら関東地区の通勤新幹線のようだ。長岡まで小生本を読んでいたが、トンネルに入ったと

たんにお決まりの睡眠時間になった。起きるとすでに群馬県に入っていた。車窓からは朝日

反射する菜の花が見える。黄緑の葉と黄色の花が光っている。新潟とは季節が違うようだ。

その菜の花のそばにある桜は、今にも咲きそうにつぼみが膨らんでいる。木全体がピンクい

るに染まっている。今日中にも開花するのかもしれない。

 車掌の言うとおり、高崎からかなりの人が乗ってきた。がらがらだった席があっという間

に埋まり、それでも足りずに立っている人もいる。まさに通勤新幹線だ。

 都内に入ると桜がやはり目に付く。3部咲きくらいだろうか。この週末が見ごろになるの

だろう。

 会議は午後4時まで延々と続いた。今回は会議後すぐに帰らずに昔の先輩たちと会う約束
をしていた。27年前に小生が勤めていた時の先輩たちだ。

さすがに6時間の会議は疲れる。待ち合わせの場所淡路町の居酒屋に着いたのは5時過ぎだ

った。疲れた体にビールが染み渡る。集まった面々は年金生活者、この3月で定年退職する

者、失業者らなど立場は一人一人ちがう。小生は一番年下だ。会うのは実に10年ぶりくら

いだ。共通の話といえば数値話。数値とは血圧やらガンマなんとか、健康の話だ。みんなそ

れなりに健康を保っているようだ。昔の思い出話になると、20年前の話をまるできのうよ

うに出てくるから恐ろしい。一週間前のことは覚えていなくても、20年前のことは鮮明に

覚えている。他人話におめでたい話はなく、亡くなった話が多い。そんなこんなで小生ちょ

っと油断して飲みすぎた。

居酒屋を8時半頃に出たまでは覚えているが、その後どうやって新潟まで帰ってきたのか、

詳細は覚えていない。帰巣本能をいかなく発揮した。


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新しく発見した至福の時・・・

2010-03-25 17:08:38 | Weblog
ビール、ほうれん草、柿の種に味噌ラーメン。小生にとっては忘れられない取り合わせだ。大学

生の頃から小生酒は弱くはなかった。それなりに飲めた。だから飲まされた。かなり飲まされ

た。だから飲むといつも苦しんだ。すぐに吐く。それは筆舌に尽くし難くつらかった。飲み会は

嫌でしょうがなかった。

 就職して多少飲み方は変わった。大人の飲み方になった。しかし小生には後遺症があった。や

っぱり飲んでもおいしくない。段々と頭が痛くなって、また吐く。吐く回数は徐々に減ったが、

しばらくその状態が続いた。新潟に来てからも、警察官との懇親会で飲むと常に吐いていた。相

手も悪い。警察官は滅法強い。幹部であっても学生にようなの飲み方をする人が多かった。飲み

のも仕事のうちなので、しかたなく飲んでいたがつらい気持ちには変わりはなかった。

 そんなある日。珍しく何もなく、早く家に帰れる日があった。普段はまっすぐに家に帰ること

はないが、その日に限って上司からも取材相手からも誘いはなかった。ほっとするやら、寂しい

やら仕方なく一人で家路に着いた。なんとなく小腹が空いていた。何か食べたいと思っていると

近くにラーメン屋があるのを思い出した。以前から知ってはいたが入ったことはなかった。日本

全国に当時あった札幌味噌ラーメンのチェーン店だ。店内は小上がりの席とカウンター席があっ

て10人で満席になるような店だ。近くに歯科大があって夜中はそこの学生が入り浸っているよ

うだ。その時も小上がりに学生が陣取り、仲間数人と小宴会をやっていた。楽しそうだった。そ

のラーメン店のおばちゃんは、学生を名前で呼んでいた。息子と同じような年齢なのだろう。ま

るで下宿屋のおばちゃんのようだ。小生があの年齢の時は酒はつらいものだったが、彼らは楽し

そうに飲んでいる。羨ましく感じた。メニューは油で薄汚れている。その中にほうれん草のおひ

たしが目についた。味噌ラーメンをすぐに食べるつもりだったが、ほうれん草の淡白な味に魅力

を感じた。そしてなぜか楽しく飲んでいる学生に引っ張られ、ビールをたのんだ。大瓶だ。もっ

とも一人で飲めなければ残せばいいという気楽さもあった。きょうは無理に注ぐ人もいない。そ

してサービスについてきた柿の種が小生の前に並んだ。ビールは冷えていた。注ぐとすぐにグラ

スは水滴に覆われた。疲れていたこともあってビールがおいしく感じた。生まれて初めてかもし

れない。疲れていたせいもあったのかもしれない。体の中にエネルギーが入った感じだ。ほうれ

ん草の淡白な味もビールのおいしさを引き立てた。スポーツ新聞をじっくり読みながら、ビール

にほうれん草、柿の種、そして濃い味の味噌ラーメン。かけがえのないこの上ない至福の時間に

感じた。ビールを体の中に入れるたびに全身の力が抜けていった。新しい至福の時を見つけた。

そんな気持ちだった。
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三つ子の魂百まで・・・お好み焼き

2010-03-24 16:38:20 | Weblog
一ヶ月に1回は食べたくなるものが小生にはある。それを言うと意外と驚く。年齢のわりにと言

われる。年齢に関係があるのかどうかはわからない。それはお好み焼きだ。そういわれてみると

お好み焼きを好んで食べている中年の人は少ない。小生の家の近くのお好み焼き屋はほとんどが

学生もしくは家族連れだ。小生のような年恰好はいない。あのべたべた、ぐちゃぐちゃ感とソー

スの味がたまらなく好きで、食べたくなる。禁断症状といえば大袈裟だが、無性に食べたくな

る。小生のお好み焼き好きには半世紀近い歴史がある。

 小生の生まれ育った地域にはいたるところにお好み焼きを食べるところがあった。今のような

りっぱなお好み焼き屋ではなく、駄菓子屋の一角に鉄板があり、そこでおばちゃんが焼いてくれ

た。当時は最低価格のお好み焼きが15円だった。キャベツとしょうがしか入っていない。しか

しキャベツのシャキシャキ感とメリケン粉のグチャグチャ感、そこに紅しょうが風味にソースが

加わって、始めて食べた時はこんなおいしいものが世の中にあるのかと思った。今思い起こして

みると、ぺらぺらの薄いお好み焼きだったが、小生のお小遣いではこれしか食べることが出来な

かった。これに糸のイカのようなものが入ると、20円した。糸イカが好きというわけではない

が、20円を出して食べてみたいという憧れがあった。贅沢をしてみたいという本能のようなも

のかもしれない。ところでこの店でもっとも高かったのが卵入りで、50円もした。これはいく

らなんでも手は出ない。50円となると論外で、小生が使える限度額を超えていた。当時の小生

のお小遣いが一週間30円だったと記憶している。毎週赤字だったが。50円のお好み焼きはと

んでもなく高価なものだった。食べに来るのはほとんどが小生のような小学生高学年だ。懐具合

はみんな一緒だ。糸イカ入りを食べる奴はほとんどいない。まして卵入りを食べている奴は見た

ことがなかった。本当にあったのかどうかも疑わしい。だからお好み焼きに卵を入れるとどうな

るのか、食べたいという欲求よりどんな風になるのかを知りたかった。小生たちのお好み焼きは

メリケン粉の白としょうがの赤、それにキャベツのアイボリーの三色だ。これに卵の黄色が加わ

るとどんな風になるのか、そんなことばかりを考えていた。

 今のお好み焼きはいろんなものが入っている。なんでもは入っている。当時のことを思い出し

て、あの頃に食べられなかった腹いせではないが、とにかくたくさんいろんなものが入っている

ものをつい注文してしまう。鰹節、青海苔、ソース、ももうこれでもか言わんばかりにかける。

山盛り一杯にして食べる。最高の幸せを感じる。それはおいしいものを食べるというより、大人

になって思いっきりお金が使える開放感を味わっているような感覚だ。味はいろんな味がしてわ

からない。三つ子の魂百まで。百歳になっても同じことをしそうだ。

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魔物が潜む場所とは・・・

2010-03-23 19:22:23 | Weblog
春の音。それは、アルプススタンドから聞こえてくるブラスバンドの音かもしれない。選抜高校

野球が開幕した。外でのびのびと野球ができる季節にようやくなったという感じだ。長い冬を越

えて、鍛え蓄えてきた力を存分に発揮できる喜びを選手たちの表情からうかがえる。とはいえ、

春はまだ体がこなれていない感じで堅い。夏と違って試合に対する勘や勝負勘も鈍い感じがす

る。

 きのうの第一試合はラジオとタイヤ交換の合間にタイヤ専門店で見ていた。豪腕投手を擁する

島根県代表の開星高校が有利に見えた。しかし試合展開は意外な方向へと進んだ。甲子園ではよ

くあることだ。力がある開星高校なだけにどんな逆転ドラマを見せてくれるのかが後半の楽しみ

でもあった。開星は9回に追い上げ、1点差まで詰め寄る。しかし結果は大方の予想に反して、

惜敗。最後の場面小生はラジオで聞いていた。ゲームセットの瞬間、どんな力を持っていても甲

子園で勝つことがどんなに難しいことなのかをきっと選手監督らは感じていることだろうと思っ

た。こんな時こそ監督の談話が聞きたい。思わぬことが自分に起きた時にどんな言葉をその人は

持つのか、小生ならばこんな時にどんなことを言うのか。まだ夏がある。この場をどんな経験の

場にしようとしているのか。勝った和歌山県代表の向陽高校よりも興味がわいた。向陽高校の監

督談話の後、さて何をいうのかと楽しみにしていたが「いまだなにも言葉を発してません」。小

生唖然とした。あのお立ち台で何も言わないという状態は想像できない。機会は少ないが小生も

あの場で取材した経験を持つ。グランドとはかけ離れた雰囲気があの場にはある。記者たちもな

にを言うのか固唾を呑んでいたに違いない。そこで何も言わずに黙り込む監督の姿は想像出来な

い。近寄り難い雰囲気があったのかもしれない。

今朝の新聞を見てびっくりした。「21世紀枠に負けて末代までの恥だ。辞めたい。腹を切りた

い。死にたいですね。もう野球はやめたい。こんな恥をかくことは二度としたくない。野球の話

はもうしたくない」などと開星高校の監督が発言したと各社が報じた。その後に監督再度記者会

見し発言を撤回。「高野連と21世紀枠、向陽高校を侮辱する気はなかった。心からお詫びした

い。抽選後は地元から楽勝と言われ、中国大会王者として負けたら恥ずかしいと正直思った。試

合後は悔しく、情けない気持ちでいっぱいだった。相手の守備力、気迫に敬意を表している」と

涙で謝罪した。誤解を生むような発言をしてしまったことは非難されても仕方がない。しかし魔

物が潜むという甲子園で楽勝だろうという言葉で監督にプレッシャーを掛けるのは乱暴だ。甲子

園に当たり前は存在しない。魔物が潜むのは甲子園ばかりではない。自分の中にも潜んでいる。


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わがままな舌を満足させるものとは・・・

2010-03-21 08:49:41 | Weblog
20日・21日と二ヶ月ぶりに軽井沢に出かけた。この時期天候が不安定になるため着るも

のが難しい。特に軽井沢のように標高の高い地域は気温が乱高下する。天気予報を見ると、

20日は最高気温が18度。春の陽気だ。21日は最高気温が8度。冬に近い。12度もち

がう。二つの季節を考えた格好を鞄につめた。ぱんぱんになっている。

 着いてみると予想以上に暖かい。上着を脱いで半そで姿の人もいた。春を通り越して初夏

の陽気だ。

 軽井沢に来る楽しみの一つが食事だ。洋食屋さんばかりが目立つ街だが、日本食屋さんも

探せばある。今回はその中の一軒に入った。実は前回にも来たのだが、小生洋食という舌の

感じではないので入ってみることにした。看板は豆腐の専門店だが、丁寧な味付けがうれし

い。頼んだのは日替わりランチだ。4品ある。ふき味噌から始まった。甘からずちょうどい

い感じだ。車をすでにホテルに置いてきたので、ビールがお供についている。次が自慢の豆

腐だ。塩がお勧めらしい。手でぱらぱらとさそっくふりかける。口の中に入ったとたんに豆

腐の香りと甘さが広がる。豆腐の甘さを演出してくれたのがあの塩だったようだ。さらに運

ばれてきたのがしめ鯖。佐渡産らしい。経験済みのおいしさだろうが、添えられてきたわさ

びが絶品だった。しょうゆに溶かすのがもったいなく、しめ鯖の上にほんのちょっと乗せ

た。口の中では、まずしょうゆの味が先行する。その後にしめ鯖の甘酸っぱさがしょうゆ味

を押しのける。そこに割って入るのが、わさびだ。すっと鼻腔を抜けて最後を締めくくる。

この味の三重奏は表現が不能だ。わさびだけでもビールが飲める。

 ここまでやらなけばいけないのか。この街を訪れるわがままな舌を満足させるにはたいへ

んなのだ。またひとつ軽井沢の魅力を見つけた気持ちになった。

※http://turukiti.exblog.jp/  つる吉
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犬の鼻の如し・・・

2010-03-19 16:39:25 | Weblog
子どもの頃は草木にまったく興味はなかった。花が咲こうが、実がなろうが、われ関せず、興味

は皆無。小生が生まれ育った東京の実には猫に額ほどの庭があった。そこに父は池を作り、自分

で釣ってきた鯉や鮒を放していた。庭の草木より、池の中で泳ぐ鯉や鮒には興味があった。餌は

毎日父があげていた。そんな姿を何気なく見ていた。ある日池を覗いていると、父がやってき

た。餌をやるところだった。父が池に近づくと、なんと鯉や鮒が寄ってくるではないか。小生が

行っても一切寄らないのになぜなんだ。子ども心にあんな魚でも人のことがわかるんだと小生は

不思議な感じがした。庭には数種類の樹木が植えられていた。興味がない中でもその中に毎年、

春になると存在感をアピールする花があった。興味のあるなしに関わらず、小生にとっては季節

を感じさせてくれる花だった。それが沈丁花だ。

 新潟に来て初めての冬は大雪だった。雪が珍しかった小生は大喜びで駆け回った。まるで犬の

ように。しかし3日も続けばいやになった。雪は足が冷たくなり、昼はびちゃびちゃと濡れ歩き

にくく、いいところはまったくなかった。雪消えは、3月中旬頃だったと記憶している。草木か

らは新芽が出始めた。始めて目にする光景だった。これが春かと思った。雪から開放され、太陽

の恵みを受け、草や木がまるで手足を伸ばして、のびをしているように見えた。その時ふと実家

の庭に咲いていた沈丁花を思い出した。風景からの条件反射だったのかも知れない。あの香りを

思い出した。そういえば春になるといつもあの香りがしていたっけと。

 



きょうは朝起きると視界がほとんどないほど霧がかかっていた。天気のいい証拠だ。気温も上

がりそうだ。特にきょうは外に行く用事はなかったが、天気がいいということだけでも気持ちが

ウキウキする。案の定9時過ぎから雲ひとつない、快晴になった。会社の窓からは山形県境の

山々がきれいに見える。まだまだ雪深い。しかし真っ白の塊でしかなかった山が少しずつだが、

雪が上に押し上げられ、下の方は山肌が見え始めて来た。雪解けが進んでいるようだ。陽気誘わ

れ、暇な時間を利用して表に出てみた。するとあの香りがすっと鼻から入ってきた。あれ?目を

凝らした。どこかに沈丁花がある。あった。いつ咲いたのだろう。小生ノーマークだった。きの

うは咲いていなかったはずだ。ということはきょう、この暖かさで咲いたのだ。思わず携帯カメ

ラでその春姿を記憶させた。





 小生沈丁花の香りには犬の鼻の如し。
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偶然を装って逢いたい・・・おつかれさま

2010-03-18 17:01:06 | Weblog
小生親しくしていただいたKさんという警察官がこの3月で定年を迎える。小生との出会いはK

さんが広報課で、小生は記者クラブメンバーという付き合いだった。駆け出しの頃たいへんお世

話になった。警察官らしからぬほどざっくばらんなところがあって、クラブメンバーからは兄貴

のように慕われていた。みんなで飲みに行ったり、カラオケを興じたりと公私ともに親しくして

いただいた。あれから早くも25年が経った。

 Kさんは高校を卒業後すぐに警察官になった。親が放っておくと何をするかわからないという

理由で警察官にさせたらしい。背は大きくないが、馬力は人一倍以上だった。警察学校を卒業後

すぐにその馬力を買われて、県警機動隊に入隊した。当時の機動隊は今以上に大変だった。成田

空港整備があり、まさに戦争状態だったからだ。「泣く子も黙る関東管区第八機動隊」が成田担

当だったと話してくれた。新潟県警からも大勢助っ人に行ったらしい。火炎瓶を投げつけられて

重傷を負い、鉄パイプで殴られ重傷を負う隊員も数多くいたらしい。

機動隊の訓練は厳しかった。上下機動隊の防具をつけ、盾を持って毎日走らされた。炎天下で走

れば、10分と持たずに倒れた。水を掛けられ、また走った。給料をもらって体を鍛えられると

Kさんはむしろ喜んだ。しばらくしてKさんは要人警護の担当になった。県内に入ってくる要人

を警護する。当時の要人といえば、田中角栄だった。演説は何千回も聴いたと言って、小生と飲

むといつもひと目を憚らずに「ま~、その~、なんといいますか~」と大きなダミ声で演説をま

ねた。店のいる人みんなから拍手が来た。まさかこの人が警察官だとは誰も思わないだろうと小

生は心の中で呟いた。小生がクラブを離れてからKさんも広報課を離れた。所轄の暴力団担当刑

事になった。らしいといえばらしい。その所轄で暴力団が逮捕されるというニュースを聞く度に

Kさんやっているなと小生は思っていた。

3年ほど前20数年ぶりの飲む機会があった。黒の皮のコートで表れた。らしさ満点だった。暴

力団担当そのものという身なりだ。広報課を離れてずっと暴力団担当だった。

Kさん、ある山間地の署にいた時だった。その署でも暴力団担当だった。ある日突然、一人の男

が堅気になりたいとKさんを尋ねて来た。その街の組員の男だ。Kさんは喜んだ。更正してくれ

るのは何よりうれしかった。全面的に協力するとKさんは誓った。その後、彼は街の中にスナッ

クを開いた。Kさんのところにも開店祝いの招待状が届いた。さっそく顔を出した。しかし店の

開店祝いの花には暴力団関係者の花輪が並んだ。これでは一般の人は入れない。組の嫌がらせだ

った。堅気にはさせないという陰湿なそんな嫌がらせだった。Kさんは組長を署に呼んだ。手を

出すなと注意した。しかし嫌がらせは治まらなかった。Kさんは、ならばということで、毎晩飲

みに行った。組員が嫌がらせに来た時の用心棒を勝手出た。店内でなにかあれば現行犯逮捕も考

えた。Kさんが行けない時は署の暴力団担当刑事の誰かがそのスナックに入り浸った。恐喝を働

けば、組長にまで迷惑がかかると若手の組員は何もできなかった。Kさんは本気だった。逮捕す

れば事務所にがさ(家宅捜索)を入れると言っていたからだ。根気合戦に組員らは負けた。そし

て彼は数年後に結婚した。披露宴にはKさんも呼ばれた。そして挨拶はお決まりの田中角栄のも

のまねだった。会場は笑いと涙で表情を崩す人が大勢いた。

定年になる前にKさんのところにあいさつに行きたいが、なんだか照れくさい。「OH!何して

いる」と偶然をよそって逢いたい。

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いつも愉快・・・メモ帳が来た

2010-03-17 16:46:59 | Weblog
友人からメモ帳が郵送で届いた。東京丸善で売られているメモ帳だ。「萬年筆物語」。このメモ

帳の名だ。中を開けると縦20字、横10字のマス目が入った原稿用紙になっている。送ってく

れた彼が丸善で見つけ、愛用をしているらしい。先日新潟に来た時に余っていれば送って欲しい

と図々しくリクエストした。昨日帰って郵便ポストを開けたところ、ポスト幅ぎりぎりの大きな

茶封筒が入っていた。中には5冊のメモ帳が紐に束ねられてあった。
 


 彼とは中越地震の時に縁あっておよそ3ヵ月いっしょに仕事をした。被災地の様子が毎日電波

に乗って送られてくる。その映像を見ながら内容を書き留める仕事だ。小生たちはキャプション

と呼んでいる。地味な仕事で大変だが、それがないと何が映っているテープなのか判断できな

い。阪神大震災の時にこうしたキャプションがなく、数千本というVTRが無駄になったと聞い

た。大規模な災害の時は全国からカメラマンや記者が集まる。地理がわからないスタッフばかり

だ。映像は原稿と一体でなければニュースとして成り立たない。長岡の原稿に柏崎の映像は使え

ない。ならばどのテープが柏崎なのかがわからないと大変だ。だからテープの箱書きに「被災

地」「焼けた家」など地名のないようなキャプションでは使い物にならない。住所がわからなけ

ればその土地の象徴的な建物、もしくは住所がわかるような例えば住所表示とかを撮影するよう

にお願いをしている。

その仕事は彼にとっては専門外だった。戸惑うことばかりの毎日だったようだ。小生の罵声が

数分おきに飛ぶ。時間との勝負になる。事細かく説明をしている暇はない。ポイントをきちんと

掴み、短い文章でもわかるような表現方法を指示する。重要かどうかの判断も時には必要にな

る。機転が勝負の別れ目になる。混乱した時に一番大事なことは、わかっているのか否かの意思

表示だ。わかっていれば、次に進める。わかっていなければわかるまで説明する、もしくは仕事

を中断する。他の人間に頼む。短時間にその判断を迫れる。そこで意思表示が遅れると、混乱が

混乱を呼び、最悪は間違った判断で誤った仕事をしてしまうことになる。言い方は悪いが、そこ

は怒鳴りあいのような状態になる。慣れていないとつい口をつぐんでしまう。そうなると流れが

止まる。どんな時でもはっきりと声に出して、意思を表現することだ。メモの書き方や文章の書

き方は覚えるには時間はある程度必要だが、声を出すことはすぐに出来る。小生もすぐに求め

た。初対面で怒鳴られて困惑するばかりだったようだが、限られた時間内で仕上げるのは仕方の

ないことだった。そんなことをやっているうちに気心が通じ合う。時間が出来れば、話は仕事の

領域を跳び越し、様々な域に入る。地震の仕事がひと段落した後でも付き合いが続いた。今でも

その付き合いは続いている。彼は小生に会うまで、文章にも興味はあまりなかったらしいし、メ

モ帳をわざわざ見つけて買うような人ではなかったらしい。小生が火を点けたのは間違いない

が、元々持っていたものであればいつか火が点いただろう。と小生は思っている。人との出会い

はいつも愉快だ。
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外に出ればわかること・・・

2010-03-16 14:55:28 | Weblog
きのうはウキウキするほど暖かく、散歩に出たくなるような日だったが、きょうは一転新潟らし

い曇り空だ。午前中雨が降っていたが、午後になって雨はどうやら止んだようだ。会社の窓から

外を眺めると、体を細めながら歩いている人がいる。暖かくなったり、寒くなったりを繰り返し

ている。歩みは遅いが季節は少しずつ動いている。そんな実感はたしかにある。新聞にあるスキ

ー情報を見ても新潟から1時間以内でいけるような市民対象のところは閉鎖し始めている。スキ

ー場で働く人たちのほとんどが農家の人たちで、スキー場の仕事が終わると今度は本業の田植え

準備に入るというのが毎年のサイクルだ。

 天気がよくても悪くても、小生は窓を背にして仕事をしているので、気分転換も含め外を眺め

ることが多い。27年前新潟に始めて来た時と今とでは、街の風景が全く違うことに気がつく。

新潟で生まれ、しばらく新潟を離れていた人からみれば驚くべき変化だろう。橋は2本新しく架

かった。千歳大橋と柳都大橋だ。県庁は今の市役所のところにあった。市役所は今のNEXT2

1のところにあった。当時の県庁周辺は大袈裟に言えば、赤道のように工場がたくさんあったよ

うだ。県庁があるから今は頻繁に行くが、あの当時は滅多に行くような場所ではなかった。信濃

川沿いのマンション群もなかった。あったのは野村コープくらいだけだったかもしれない。

 20年以上前「ウォーターフロント」という言葉が流行った。「水辺の整備」と行政は呼んで

いた。新潟を横浜や神戸のように港を中心とした水の都にしようと建設が始まった。当時県の行

政担当記者だった小生は記者会見の度に「ウォーターフロント」を聞いていたが、半信半疑だっ

た。

 先日静岡に転勤した知人が、友人の結婚式のため新潟に来たついでに小生を訪ねて来てくれ

た。静岡は暖かく羨ましいと話を向けると困っていることがある言葉を返してきた。彼はマラソ

ンやトライアスロンを趣味にしていて、新潟にいた頃は毎日のように走っていた。走る場所は信

濃川沿いに整備されているやすらぎ堤だ。夜になれば街頭があり、トイレも完備されている。土

日に関わらず、歩く人、ジョギングをする人、マラソンをする人など大勢の人たちの憩いの場所

になっている。夏になれば花火大会もある、中にはホテル代を節約して野宿するバックパッカー

もいる。当時小生が完成予想図を見ながら書いたその通りになっている。静岡の彼の悩みは、新

潟のような夜でも走れるような場所はないという。静岡は大都会でもっといい場所がありそうな

ものだが、そうではないらしい。天気はともかく、新潟はいいところらしい。外に出るとわかる

と知人は話す。
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やっぱりここにたどり着く・・・

2010-03-15 17:22:46 | Weblog
 小生プレッシャーのかかる仕事を乗り切る一番の方法は自己暗示だ。自分は出来る。と思い続け、成功

体験を必死で思い出す。過去に出来たから今回もできるという気持ちを持つことでしかない。また、もし

失敗してもこの経験が必ず将来に役に立つはずだという、積極的にぶつかる前向きな気持ちをもつこと

だ。経験は財産という慰めみたいなものかもしれない。だから失敗は成功の基。成功よりも大切だ。うま

い失敗という表現もある。賢い人ほど失敗がうまい。野村前監督が言う言葉に「不思議な勝ちあり、不思

議な負けなし」がある。勝ち負けの言葉を成功、失敗に置き換えれば同じことだ。不思議な成功あり、不

思議な失敗なしと言うわけだ。必ず失敗には原因がある。失敗は成功より財産だ。

 ゴルフはまさに失敗のスポーツだ。失敗をどうやって次の成功につなげていくのかが大きな鍵になる。

失敗に種類がある。忘れなければいけない失敗と忘れてはいけない失敗がある。この見極めは上級者と初

心者とでは違う。初心者は言葉で言えば「くよくよする」。「またか」。上級者にそれはない。淡々とし

ている。「忘れることに集中する」納得しない時は短く爆発させて、後に引きずらない。影響を最低限に

とどめる。これが極意だ。言うのは簡単だが、手などの残った失敗の感触を瞬時の払拭させるのはたやす

いことではない。

 そこで思うのはいい経験をしているという開き直りだ。成功をし続けられるのは不可能だ。ならばここ

でも失敗はマイナスではないという前向きな気持ちだ。感触は感触でどうしようもないが、成功しなけれ

ばいけない、やらなければいけない、取り戻そうとする気持ちが更なる大きな失敗を招くことになる。書

いてみると当たり前の事だ。なんだかがっかりする。いろんなことを考え、考え、熟考してみるが、やっ

ぱりここにいつもたどり着く。
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この人って・・・

2010-03-14 08:49:53 | Weblog
この人は今までどんな人生を歩んできたのか、雑誌や新聞の載っている経歴を見ながら想像

する。出身地、最終学歴、職歴など読みながら、いろんな場面を想定する。

順風満帆な人はいない。どこかで挫折し、どこかで転落し、しかしどこかで復活して起き上

がり、そして認められる。様々なことが繰り返されながら今に至る。その七転び八起きに想

像力を働かせる。直接会う人にももちろん興味を示す。根掘り葉掘り聞く。どうして、なぜ

とまるで子どものように聞く。仕舞いに相手が嫌になってくる。単なる好奇心なのか、単な

る人好きなのか、なぜかわからないが興味がわく。自分のヒントにしようとしているのか。

挫折した時、壁にぶち当たった時、どうしたらいいのかなど、先人の知恵を拝借したいとい

う気持ちが本能的にあるのか。自分でもわからない。

 朝日新聞の「惜別」というコーナーがある。亡くなった人を偲ぶ欄だ。よく読む。経歴だ

けでなく、人生観も書かれている。今日(14日)は大阪ミナミのクラブのママが載ってい

た。どんな人なのだろう。この欄に登場する職業としては異質だ。ちょっと紙面に書かれて

いる内容を紹介する。

岡崎貴子さん。出身地は鹿児島市、離婚したあと大阪で会社勤めをし、縁あって20歳の時

にホステスのアルバイトを始めた。7年後には小さな店を持つ。客が座った場所、飲み物や

話題の好みを一回で覚え、誕生日には花を贈った。15年後には60人のホステスを抱える

「大阪一」と評された。

ここまで読んで、小生の想像域が広がる。20歳からホステス。27歳で店を持つ。いろん

なことと戦ったのだろう。辞めたことは1回や2回じゃないだろう。じゃどうやって切り抜

けてきたのか。お客さまへの気配り、花を贈る気持ちがこの人の人生を切り開いてきたの

か。紙面にはある大阪の建材メーカーの社長さんの談話が載っている。「負けたらあかんっ

て思わせてくれたおかげで、今の私がある。従業員への教育や人の縁を大切にする姿勢、情

の深さ、経営者として学ぶことも多かったと話している。人としての魅力そのものが店へと

人を向かわせたようだと想像できる。小生がこの店に行ける縁はなにもないが、一度逢って

見たかった。大阪のクラブのママという肩書きではなく、人としての魅力でここに登場した

と読み終わって感じた。

このコーナーは署名記事で記者の名前が載っているが、小生がちょっと目を引いたのは女性

が書いているということだ。そこにもこの人の人柄が偲ばれる。

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