こんにちは
寒いですね。
もう来週は師走です。
早いものですね。一年は。
先日新宿の花園神社に行ってきました。
仲間がお参りと買い物がしたいというので、付き合ったんです。
こんま都会の真ん中にあるとはね。
どういう神社なのか調べてみました。
以下ウイキペディアより。
花園神社(はなぞのじんじゃ)は、東京都新宿区にある神社である。
旧社格は郷社。倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)の3柱の神を祀る。現在の宮司は片山文彦。
概要
新宿の街の中心にあり、新宿総鎮守として江戸時代に内藤新宿が開かれて以来の、街の守り神として祀られている。
また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。
朱塗りの鮮やかな社殿は、参拝客の他、休憩場所や待ち合わせ場所として使われ、当社に人影が途絶える事がない。
由緒
創建の由緒は不明であるが、徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和国吉野山よりの勧請と伝えられている[1]。
その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになった。
元は現在地よりも約250メートル南にあったが、寛政年間、その地を朝倉筑後守が拝領しその下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなった。
氏子がその旨を幕府に訴えて、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地を拝領し、そこに遷座した。
そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられる。
また、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから「三光院稲荷」とも、地名から「四谷追分稲荷」とも呼ばれた[1]。
明治に入ると村社に列格したが、その際、名称は単に「稲荷神社」となった。
一説には届出の際に「花園」を書き忘れたという[1]。1916年(大正5年)1月25日に東京府知事に対し改名願を出し、
同年2月26日に許可され「花園稲荷神社」に改称した[1]。1928年(昭和3年)、
現新宿4丁目にあった雷電稲荷神社(雷電神社/祭神:受持神)を合祀、郷社に昇格した1965年(昭和40年)、
現在のコンクリート製の本殿に建て替えられ、その際に末社・大鳥神社(祭神:日本武尊)を本殿に合祀し、社名を「花園神社」に改めた[1]。
境内社
芸能浅間神社(祭神:木花之佐久夜毘売)
威徳稲荷神社
末社
三社稲荷神社(新宿2丁目16番2号。2005年(平成17年)3月、雷電稲荷神社(下記)に合祀され現存せず)
雷電稲荷神社(祭神:菅原道真公。新宿4丁目4番23号。1928年(昭和3年)に合祀された雷電稲荷神社の跡地に
その後鳥居と祠が再建・維持され「雷電稲荷神社」として存続。境内には富士塚も祀られている)
文化財
花園神社の拝殿
唐獅子像 一対 - 新宿区指定有形文化財(彫刻)
事件
2012年12月11日午前4時半頃、境内でハンマーによる殴打殺人があり、頭から血を流して死亡している被害者(26)が発見された。
被害者の遺体はイチョウの落ち葉で隠されていた。犯人は同日逮捕された[2]。
祭事
1月1日 - 初詣
1月8日 - 湯の花神事
2月3日 - 節分祭
2月11日 - 建国祭・もちつき大会
2月15日 - 二の午祭(にのうまさい)
4月 - 花祭り
5月 - 例大祭
6月 - 夏越の大祓
7月 - 山開き祭
8月 - 盆踊り
11月 - 七五三詣
11月の酉の日 - 酉の市
12月31日 - 大祓
なるほどね。名前は聞いたことがあるけど初めてでした。
参拝の後友達は「山椒切り餅」を買ってました。
柚餅子のようなものです。
小雨が降ってたので、人出はいまいちでした。
ビルの谷間の神社です。
アルタの前でもう一人の友達を待ちましたが、
遅いのと私の体調が悪かったので帰りました。
新宿は人が多くて疲れますね。
人ごみにもまれるのは嫌ですね。
もう朝のラッシュからは逃れてますが、
混雑は嫌ですね。
そういえばその時宝くじを買ったんですよ。
3人で出し合って。
おととい仲間から電話があって、一緒に確認しに行こうよ。
あたってるといいね。
と勇んで出かけたんですが、残念。
見事に外れましたね。
今度は当たりくじを買おうよね。
そうだね、そうしよう。
なかなか当たりませんね。
周りであたったという話も聞きません。
あたってる人はいるんでしょうがね。
年末ジャンボも買わなくちゃ。
クリスマス、お正月とにぎやかになりますね。
大掃除もしなくては。
あわただしいですね。いろいろと。
風邪などひかずに元気で12月過ごしましょう。
ではまた。

















