風に吹かれて~撮りある記

身近な自然の撮影
詩・雑文・ペット・簡単料理レシピ等

異国情緒

2014-01-23 13:41:46 | 花撮り
こんにちは

朝は寒いですが、日中は暖かいとのこと。

いいですね。縁側でひなたぼっこができますね。

おとといでしたかね、夜中に雨が降ったのは。

朝には止んでたので、平気で歩いていたら、滑りました。

あれ、凍ってる。

坂道で慎重になりました。

大股で歩いていた男性が後ろで滑ってましたね。

自転車もふらついてます。危ないな。

ハウルは知らん顔です。平気なんですね。

さて、私はまたひとつ年を取りましたね。

この21日が私とママの誕生日です。

もう年は取りたくないんですが、勝手にやってきますね。

未来がおめでとと言ってくれました。

お祝いは後にすることにしました。

でもやっぱりちょっとしました。

ステーキを焼いて赤ワインでね。

平均寿命が80歳としてあと10数年か。

20年サイクルで考えると、起承転結の結ですね。

最後の20年を生きていますね。

誕生日の花はラン科の「オンシビウム」花言葉は「可憐」

だそうです。花言葉がちょっとね。

取り立てての変化はありませんね。

何とか生きる糧を探さねば。

視力も体力も衰えてきた今の私にできること。

なんでしょうね。

難しい問題ですね。まあ焦らずに。

ところで昨年の暮れに次女が

パリとロンドンに行ってきました。

その時の写真を取り込みました。

娘が使っていいよというのでね。

ドレが何なのかはよくわからないのですが、

異国情緒だけでも味わってください。

明日も暖かいようです。

ろうばいでも見に行こうかな。

ではまた、


  

    

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  
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成人式

2014-01-16 13:01:27 | 花撮り
こんにちは

寒さが厳しいですね。

指がかじかみます。

さすがにまつ毛は凍りませんが。

田舎にいたころはそうでしたね。

それにくらべるとこっちはいいですよ。

でもねこっちに慣れてしまって、寒さがこたえるんですよ。

未来が雪の降るのを楽しみにしています。

雪だるまを作りたいのだそうです。

そこまで積もったら雪かきが大変です。

遠慮したいですね。

先日成人の日がありましたね。

我が家の次女も行ったんです。

やっと二十歳ですね。

赤い素敵な着物を着て、出かけました。

バイト先の8人ほどの仲間と食事をし、バイト先にあいさつに行き、

飲み会でした。

もちろん写真は撮りましたよ。

すぐ一人前の大人というわけではありませんが、

自覚と責任をもって生きていってほしいものです。

おめでとうでした。

引っ込み思案な娘でした。

2階に行くのもお母さんと一緒。

一緒じゃないと何もできませんでした。

それが今はとても行動的です。

一人でランチに行ったり、洋服を買いに行ったりしてます。

あのころはとても心配しましたが、

杞憂に終わりました。

今は専門学校の2年生。

課題が多くて大変そうです。

毎日午前3時ころまでやってます。

さすがに疲れてきたとみえて、

先日お母さんにやめたいと漏らしたそうです。

一昨日夕食時にその話がでました。

いいよ。やめても。自分で思うようにしなさい。

方法は一つじゃあないし、道はたくさんあるよ。

黙って聞いていましたが、

あとでお母さんにああ言われて少しは気が楽になったといってたそうです。

がんばれがんばれというのもいいのでしょうが、

疲れたら休んでもいいと思います。

彼女の人生はまだまだたくさんの時間があります。

出会いや発見もあります。

今思ってる生き方とまるで違う生き方を選ぶかもしれません。

でもそれもありです。

その時その時を生きていけば。

生きて幸せになってください。

親の願いです。

私の成人式は雪の中でした。

新調してもらった背広を着て、足は長くつでした。

何も目標のなかった頃でした。

何をするって言われても答えられませんでした。

とりあえず大学を卒業して・・・

ほとんどそうでしたね。仲間も。

あれから40年以上たちました。

今の環境は想像できませんでしたね。

娘の成人式で、私も昔を思い出しました。

みんなどうしてるかな。

あのころに戻ってみたいものですね。

そんな感傷に浸ってました。

未来とかみさんは成人式を見ていました。

未来が人気だったようです。

穏やかで和やかな式だったようです。

それがいいですね。

このつぎは未来です。

20歳になるまで元気にいなくては。

ボケないようにこけないようにですね。

さてぶらっと散歩でもしてきますか。

ではまた。








  

  

  

  

  

  

  
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ニョッキ

2014-01-12 14:33:10 | 花撮り
lこんにちは

寒い日が続きますね。

8日でしたかね。左目がごろごろするし、

目やにもでてうっとうしくなったので、医者に行こうとしたのですがお休み。

次の日に行きました。

目にばい菌が入って炎症を起こしてるんだそうです。

充血してて、瞼の裏も赤くはれてました。

10日ほど点眼薬をつければ治るとのこと。

まずは一安心。ですがまだ調子は悪いです。

そんな中先輩に誘われて、上野の松坂屋に行ってきました。

ギフト商品の解体セールです。10日でした。

11時に待ち合わせていきました。

驚きましたね。もう長蛇の列です。

こんなに並んでるの。いやだな、やめようよ。

いやあもう買うものが決まってるんだよ。買っていく。

ここまで来て、やめるのもなんだかなと思い直して

並びましたよ。1時間位かなという店員の言葉を信じて。

年配の人が多いですね。

周りの人たちはいつも来てるようです。

品物がいいのと安さが魅力なんだそうです。

結局1時間半並んで、入場しました。

区切って入れてるんですね。

何せ初めてなので、先輩について回りました。

数の子うにの瓶詰、しめさば、道場六三郎のレトルトカレー、

辛子明太子などを買いました。

ゆっくりしてるとお金がもちそうにないので切り上げました。

たくさん買い込んでる人たちもいましたね。

ワインなどもたくさんありましたが、

もって帰ることを考えると買えません。

いいものを安く買えるのはいいのですが、

あんなに並ぶのは、もう嫌ですね。

疲れましたよ。お店の中だからまだいいのでしょうが。

もういいですね。

3時過ぎに帰ってきました。

その日はかみさんの誕生日パーティでした。

11月なんですが日延べしました、いろいろあったので。

駅の近くのイタリアンレストランがおいしと次女がいうので、

みんなで行きました。

サラダやパスタ、パンなどを頼みました。

私は赤ワインとおつまみ。

合鴨のスモーク、モッツエラチーズのニョッキ、

小牛のソテーなどです。

合鴨のスモーークは2回頼みました。

あっという間になくなりましたから。

ニョッキはなんなのか知らずに頼んだんです。

これが美味しかった。

カシスオレンジを飲んでたママガ気にいりました。

もう一皿頂戴。

未来はパンにつけて食べてました。

材料を聞いてびっくり。

じゃがいもと小麦粉だそうです。

調べてみましたよ。ウイキペディア



名称そのものは「塊」を意味し、

(木の)節目を意味するゲルマン語派のロンゴバルド語の

「ノッカ」(knokka)から派生した、

(指の)節目を意味する「ノッカ」(nocca)から来ている。

理由はその形からと推測される。イタリアでは滋養のあるものや

重い食べ物を木曜日に食べる習慣がある。

ニョッキは結構腹に溜まる料理なので木曜日に食べることが多くなり、

「木曜のニョッキ」(gnocchi Giovedì)と呼ばれるようになった。

歴史

元々は現在のようにジャガイモやカボチャで作るものではなく、小麦粉を練って作っていた。

ジャガイモのニョッキが作られるようになったのは、1800年代になりアメリカ大陸から伝来した

ジャガイモがイタリアで栽培されるようになってからである。

イタリアで作られているニョッキはジャガイモを利用したものが主流だが、

ローマでは硬質小麦のひき割り粉で作る。

他にもジャガイモの代わりにカボチャやパンを使ったもの、

ホウレンソウとリコッタチーズを使ったものなど多数のバリエーションが存在する。

作り方の例

ニョッキの作り方は非常に簡単である。以下にレシピの一例を挙げる。

材料(4人分)

ジャガイモを2つ。
1.5カップ前後の小麦粉(出来れば強力粉)。

手順

ジャガイモを茹でてマッシュポテト状に潰す。

これに小麦粉を混ぜ、耳たぶ程度の硬さにこねる。

ジャガイモの大きさにより小麦粉の量は適宜加減をすること。

生地を太さ3cm程度の棒状に細長く伸ばし、1cm程度の長さに切る。

生地をフォークの背に乗せて親指でこすり付けるようにのばす。

生地の表面にフォークの痕がギザギザにつき、

裏面は指の形にくぼみが出来るのでソースと絡まりやすくなる。

沸騰した湯に入れ、浮かんで来たら茹であがり。

茹であがりを冷水にさらして、

ソースなどの用意ができたらもう一度軽く茹で、皿に取り分け、

パスタソースと混ぜて食べる。

トマトソースやペスト・ジェノヴェーゼと良く合う。

娘たちが頼んだパスタも美味しかったようです。

こんなお店が近くにあるとはね。

又行きましょう。

ワインを吞み過ぎました。

楽しい時間を過ごしました。

未来は又明日も 行こうよとはしゃいでいました。

この次は、私とママのお誕生会です。

誕生日が一緒なので、合同ですね。

どこにしましょうかね。

楽しみが続きます。

さて写真は暮れに用水側の公園にいったときのものです。

猫が寄ってきたんです。

しばらく遊んでいきました。

寒さにきをつけてください。

ではまた。



  

  

  

  

    

     

    

 
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Gパン

2014-01-05 20:38:03 | 花撮り
こんばんは。

いかがお過ごしですか?

お正月ももう5日ですね。

早いですね。

もちろん寝正月です。

それでも2日には近くのショッピングモールに行きましたね。

未来の靴を買うためと、私とママのGパンを買うためです。

私のは破れてしまったんです。ママは着替え用です。

2年もちましたかね。

仕事に行かなくなったので、着る機会が増えたんです。

昔から好きですね。Gパンは。

高校生のころかな、はやりましたね。

そのころは高くて買ってもらえませんでした。

自分でバイトして買いました。大学のころです。

リーバイスの高いやつを買ったような気がします。

おふくろには安売りしてたからと言ってごまかしました。

はいたままお風呂に入って形を整えるとか、

石でこすって着古したような感じにするのがいいとか、

いろいろでした。

ほんとにしてた友達もいました。

ストレートが多いですね。それ以外は好みません。

就職してからもリーバイスをはいてましたね。

いつも1着でした。2着は買えなかったんです。

50代になってからは2着にしました。

長持ちするからです。

はきなれるまでのあの生地の硬さがいいもんだと思ってましたね。

そのこだわりを自分らしさと思ってました。

不景気になってからは、国産のものに変えました。

安いですからね。それにはければいいんです。

機能重視にしました。

そして今は「ユニクロ」でよく服を買うので、Gパンもユニクロで

買うことにしました。

今まではいていたのははきやすかったんですが、生地が薄いんです。

膝上が擦り切れました。

濃紺のものと明るいブルーのものと2種類かいました。

4000円と3000円でした。

品質の良さはあまりわかりませんが、

はきやすいです。

尻ポケットに刺繍はありません。

革製のタグ(右腰のところについている)もありません。

なんかさみしい気持ちがしますね。

でもいいでしょう。はきやすいから。

今は国産品もいいものがたくさんあるようですし、

オーダーメイドもしてくれるようです。

Gパン 調べましたよ。ウイキペヂィアより


かつて日本では、Gパンという呼び名が一般的であった。

これはG.I.(アメリカ軍軍人の俗称)が履いていたパンツでGパンとなったという説、

ジーンズを日本に紹介した人物が、ジーン (jean) のパンツの意味で「Jパン」と名づけようとしたが、

元の発音に近い「Gパン」を代用したという説、「ジーン生地のパンツ」を略して「ジーパン」となり、

「ジー」に「G」を当てて「Gパン」となった説等がある。

デニム生地製の上着はデニム・ジャケットあるいはジーン・ジャケット(jean jacket)であるが、

日本ではジーン・ジャケットと言う呼称は一般的ではない、

1950年代から1970年代半ばまでのデニム・ジャケット又はデニム・ジャンパーを経て、

1980年代に入ると完全にジージャン(ジーンズ・ジャンパーの略)の呼称が定着した。

歴史

1870年ゴールドラッシュに湧くアメリカで、仕立て屋のヤコブ・デービス(Jacob Davis)は、

既に設立されていたリーバイス社のリーバイ・ストラウスから仕入れたキャンバス生地を元に

銅リベットでポケットの両端を補強したワークパンツを発売、鉱夫達に好評を博した。

類似品が出回ることを危惧したヤコブは、このリベット補強済みパンツの特許を

取得しようとしたが必要な資金が無く、

権利を折半するという条件でリーバイ・ストラウス社に特許申請を依頼する。

特許申請は1873年5月20日に受理され、このリベット補強済みパンツは

リーバイ・ストラウス社製の製品として製造販売される。

このパンツがジーンズの原型である。

その後、素材はキャンバス生地からインディゴ染めのデニム生地へと変遷し、

縫製技術の進化等により1940年代には現在のジーンズとほぼ同様のデザインとなった。

1953年のマーロン・ブランド主演の映画『乱暴者』でLevi's 501XXを、

1955年の映画『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンが

Lee RIDERS 101を着用する。これを機にジーンズはファッションとして普及していったが、

当時アメリカでは反抗的な若者の象徴と見なされたため、

ジーンズの着用を禁止する学校が多かった。

今Gパンは誰もがはいてますね。

すっかり定着してますね。

うれしい気持ちで新しいGパンをはいて散歩に行きました。

新しいものを身に着けると気持ちが明るくなりますね。

元荒川まで行ってみました。

久伊豆神社(ひさいず)がありました。

お参りしてきました。初詣の変わりです。

元荒川の桜並木も撮ってみました。

桜の木の下はお花見会場になります。

待ち遠しいですね。

明日は仕事始めですね。

連休の後ですのできついですね。

がんばってください。

ではまた。


  

  

  

  

  

  

  

  

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こだわり

2014-01-02 00:50:47 | 花撮り
あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

こんばんは。

平成26年が開けましたね。

いいお正月ですか。

今日は暖かくていい日でしたね。

ご無沙汰しております。

暮れは何かと忙しくてね。

クリスマスにはみんなでチキンを食べました。

パリとロンドンに行ってた次女が25日に帰ってきました。

研修旅行です。楽しかったらしいです。

行きは大宮までかみさんが送っていきました。

成田までの高速バスに乗るためです。

5時20分初に乗っていきました。

準備がぎりぎりだったので行くまでとても心配しました。

未来はさよならができなかったといって泣いてました。

毎日、どうしたかなと言ってましたね。

チョコレートとミニチュアのウイスキーをもらいました。

9日間でした。

パリの空の下で何を感じてきたんでしょうね。

いい経験になったと思います。

クリスマスの飾りつけは未来とママがやりましたね。

豆電球をつけて歌を歌って。

そうそうサンタさんはきましたね。

おねだりの掃除機のおもちゃをもって大喜びです。

片付けの後は大掃除でした。

障子張にも活躍しました。

昨年はできたての障子の上をハウルが歩いて穴だらけ。

直したら今度は未来が手をついて破いた。

という大騒ぎでした。

今年は完璧です。

といってもやったのは1/3ですけどね。

床のワックスがけはママが一人でやってくれました。

きれいにできました。

日頃の仕事の成果です。

神棚の掃除と電球の取り換え、換気扇などもやりました。

窓ふきもありましたね。

車庫の掃除もね。

大みそかは天ぷらを揚げました。

私の仕事です。

もう5~6年になりますかね。

じゃがいも、さつまいも、かぼちゃ、ニンジン、玉ねぎ、

納豆です。

それと今年は「くわい」の素揚げもしました。

おつまみにちょうどいいです。

お蕎麦はかみさんの親父さんの実家で打ったものです。

玄人はだしです。お姉さんが作ってくれるのですが、

うちにもおすそわけがきます。

香りがよくておいしいです。

もちろん天ぷらは実家にもおすそわけします。

飲みながら、食べながら、紅白を見ました。

未来は「AKB48」が好きなんです。

アイウヲンチュー、アイニードユーと歌っています。

今年は違う歌だよと言ったらなんだよと

しょげてました。

それでも起きてみてたんです。

そしたら歌ったんです、もう大はしゃぎでした。

紅白が終わるころには寝てましたね。

私は古いお札をもって近くの神社に行きました。

遠くで除夜の鐘が聞こえました。

かがり火が焚かれていてお札の置き場所がありました。

もうたくさん並んでます。

あきらめて帰りました。

近くにもう一つ不動尊があるので行ってみました。

こちらも満杯ですし、ご近所だらけのようなので、

入りづらくてやめてきました。

元旦に「一年の計」を考えたのですが、

いいのが思いつきません。

ふっと思いついたのが「こだわりを捨てよう。」という言葉。

小難しいことはさておき、ひょうひょうといきていこうかなと。

おこることすべてを素直に受け止めようとね。

神棚にお神酒をあげて、位牌にお参りをして、

お雑煮を食べました。

焼いたお餅でないのは不満ですが、

いかんいかんこだわらないんだった。

かまぼこや、伊達巻。数の子などを食べて一杯でした。

お年玉をみんなにあげてね。

ママは仕事でした。

夕方も仕事だったんです。

午後6時に実家で食事でした。

おばあちゃんが作った黒豆やなます、湯葉の煮物、

治部煮、お刺身などごちそうが並びました。

未来はそこでもお年玉とプレゼントをもらい、

大喜びです。

ママはちょっと風邪気味です。

それでもまあみんな元気なp正月です。

今年はどんな年になるのでしょうか。

いい年にしましょうね。

写真はお正月の花と寒椿、蕾が膨らんできたろうばい、

パンジーなどです。

ではまた。良いお正月を。



  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  
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