いるま・風の善さん

中高年オジンの趣味と遊びの日記です。

いるま・ぶらり散歩、旧狭山飛行場の痕跡をさがして。

2015年02月07日 | 市内行事・案内
(北に圏央道・東に国道16号が通っている狭山飛行場跡地推定場所) 

 入間市の中央部(武蔵野台地北西に位置する金子台一帯)には、かつて「狭山陸軍飛行場」が存在した。(昭和9年~終戦まで)
記録によると狭山飛行場は、当時所沢にあった陸軍飛行学校の分飛行場として、教育目的の飛行場として計画され、陸軍師範学校の分教場として終戦を迎えた。その後地元に払い下げられたとある。

(現在の地図上からの飛行場推定場所)
 善さんの早朝散歩も、数年前からその痕跡を求めて歩きながら写真に収めてみました。

(茶畑の中の直線道路)
 台地上のこの地は、元々山林や畑として利用されていたようで、飛行場解体後の現在は茶畑と工業団地(一部ゴルフ場や大学校舎)として機能している。

(工業団地の造成記念碑・昭和24年)
 善さんがこの地に住まいした昭和50年の前半ごろにはまだ格納庫の跡らしい遺物が散見されたが、現在では開発されその痕跡はほとんど残っていない。

(飛行場南面の外周道路は市立博物館ができている)
分教場校舎跡は当初地元中学校として使用された後、現在は私立女子大学狭山校舎となっています。

(飛行場の西、大妻女子大横の道路)

(当時を伝える写真が掲載されている大妻女子大学のHP)

(飛行場西道路、大学の北にはゴルフ場・狭山ゴルフがあります)

(南道路境界線に残る・陸軍名のある標柱)

(終戦直後の飛行場周辺:昭和21年米軍空中写真・国土地理院より)

(今でも畑の中に真っ直ぐに伸びる道路)

(昭和50年代には残っていた格納庫の基礎部分、今は無い)

(圏央道南に残る飛行訓練塔の土台)

(わずかに残っている試験台?の基礎部分、2台並んであった。奥の林の先がゴルフ場)

(開拓農家の端にあるのも痕跡か?)
16号・入間IC近くの藪の中には、コの字形に土塁で囲んで飛行機を隠した掩体(えんたい)の残骸も残っていた。

(ボーリング場近くの雑木林・雑草地の中には飛行機を隠しておいた、えん体の跡)


(現在、対象地の北側には圏央道が走っています)

 外周道路は1周約6km超あり、元気なころの善さんには丁度良いジョギングコースとなっていたが、今は走れないので時々散歩しております。
青空を見上げると、少し南の横田基地から飛び立った米軍の軍用機が北の空に消えていきました。戦後70年、時代は変わっていきます。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
久しぶりの訪問です。 (m,o)
2015-02-13 13:42:55
ご近所に、まだまだ戦争の痕跡が残っているのですね。
散策コースに、恵まれてお互いに良い環境に恵まれていますね。

今も、富士山を見ながら多摩川を、散策して5キロほど歩いてきました。

住宅街の庭には、各種の梅が咲き誇っていました。
春は、すぐそこまで、元気が何より、お互いに 
元気で過ごしましょう!!

  
返信する
m,oさんへ (善さん)
2015-02-13 17:34:23
 立春も過ぎて三寒四温の季節ですね。
一昨日は熱海の観梅に行ってきましたが、すでに桜も咲いていました。
季節は確実に変わってきていますね。
返信する

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