日光脇往還道である二本木宿(入間市~瑞穂町)にある忘れ去られた「丸石信仰」の風習を、日光街道二本木宿研究会の方々(地元歴史家野崎先生)が発掘され、今回はその現地案内会をしていただいたので参加しました。(11/9)
(地元、二本木公民館の歴史講座です)
(いるまケーブルテレビの取材もありました)
屋敷稲荷社のキツネの脇で長い年月忘れ去られ、来歴もわからないまま置かれてきた「丸石」。「粗末にしてはいけない」「祟りがあるから」としてある御影石の丸い石は、確認できた場所だけでも10数か所にものぼるそうです。(8/10開催講座の続きです)
(野崎先生の案内により出発)
(まず二本木神社から)
(二本木・金刀比羅神社の社殿にある丸石)
各民家の「お稲荷さん」を巡りました。
(神社下の栗原家の丸石)
(ハケにある友野家の社と内部の丸石)
(関谷家の稲荷社)
(大野家の稲荷社)
(大野家の稲荷社)
もうとにかく稲荷社の前や中に 丸石がごろごろ転がっていました。
(栗原家本家の稲荷社)
戦国時代の天正18年1590・6月24日付八王子城落城時の栗原家文書 も見せてくれました
(本家での庭先で見せてくれた栗原家文書)
’(約3時間の行程後、老茶園・おいさきえんの縁側でお茶を振舞ってもらえました・ごちそうさまでした)
この「丸石信仰」、講師の野崎先生(奈良大通信学部OB)は、山梨の道祖伸・丸石信仰からきているのではないかと、解説されていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます