いるま・風の善さん

中高年オジンの趣味と遊びの日記です。

いるま・ぶらり歴史散歩(宮寺編その2)

2015年01月23日 | 市内行事・案内
(宮寺にある延喜式内神社:出雲祝神社) 
 ご近所歴史散歩、前回(2014.4.1)の続き宮寺編2です。(投稿がもれていたので、本日追記)

 地元の村社で寄木様として親しまれてきた神社・出雲祝神社があります。
神社の由緒によると、「御祭神は天穂日命で人皇第十二代景行天皇の御代創建、大宝二年(702)九月再建す」とあるから、相当古い神社である。

(参道にある牟佐志むさし国造神社の碑)

(出雲祝神社入口)

(祝神社入口のつばきの落花)

(出雲祝神社拝殿と扁額)

(この神社は数年前のアニメ・ほったらけの島 のモデルになりました。)

(アニメの写真は入間市HPより)


(神社近くのしだれ桜)


(西久保観音堂への道)
 西久保のカヤの木:イチイ科の常緑喬木で樹齢千年を超えるともいわれ市内最古。伝説では神亀5年(728)行基が全国行脚の途上、出雲祝神社の神木をもって聖観音像を作り堂を開いた。その後宝亀年間に沙弥延鎮が観音山清水寺と名づけて庭前にカヤの木を植えたと伝えられている。(入間市教育委員会の解説版)

(カヤの木:根回り4.5m、高さ23m、枝まわり23m南北に伸びている)

(西久保観音堂)

(観音堂のすぐ下には数基の地下壙・地下式古墳が確認されています)
力石(ちからいし)
:主に江戸時代に寺院や神社に奉納され、お祭りの時などに若者たちが持ち上げて力くらべをしたもの。長めの自然石で「奉納 ○○貫 年月日 奉納者」などが刻まれている。


(西久保観音堂境内の力石・約50貫190kg)

(神社の裏手にあるハタヤの稲荷:拝むと無くし物が出てくるそうです)
神社と観音堂は狭山丘陵の北端の丘の上に隣り合わせに鎮座していて、古くより数基の地下墳墓跡も確認されている。

 神社と観音堂の間に「重開茶場碑かさねてひらくちゃばひ」があり、この辺一帯が狭山茶の中心地であったことがわかる。
 鎌倉時代栄西によってもたらされた茶は各地に広まり、この地域にも川越茶がつくられた。その後戦国の乱をへて衰微したが、江戸時代後期に狭山茶復興の機運が起こり、地元の努力で再興された。
この碑は天保三年(1832)の撰文銘をもつ碑で狭山茶の由来が記されている。撰文・書筆・刻字に一流の人物が携わっているということでも貴重な歴史史跡となっている。

(重開茶場碑)


(神社北西から奥武蔵野山並み)

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