碧田直の いいじゃないか。

演劇ユニット、ミルクディッパー主宰の碧田直が、日々を過ごして、あれこれ思ったことを、自由気ままに綴ります。

無題そのよんひゃくろく

2017-05-29 20:45:15 | 日々
今日は政治について。といっても、政治そのものについては語らない。大した知識もないし、ただただ、楽しく平和に暮らせればそれでいいと思っているクチなので、眉間に皺を寄せ、口角泡を飛ばし議論するのが、あまり好きではないのである。
だから、語るのは芝居のことだ。つまり、芝居に携わる人間が、政治についてどういうスタンスであるべきか。少なくとも、自分はどういうスタンスでありたいか、を考えたいと思う。

以前観劇した芝居で、昭和史を彩った女性の半生を描いたものを観たことがある。なかなか味わい深いというか、まだまだ世情厳しい中で、仕事に恋に、自分を貫いた一人の女性を、瑞々しく演じていたので、感心しながら観ていたのだ。
だが、その芝居のクライマックスに、主人公は、当時国会で審議され、話題となっていた、いわゆる安保法案についての主張を、やや不自然な形でセリフに盛りこんだ。その瞬間、俺は気持ちが冷めてしまった。

個人に政治的主張があるのはいい。芝居のテーマとして盛り込むのもいいだろう。実際、過去に反戦をテーマにした芝居を観たこともあるし、逆に右寄りの芝居を観たこともある。しかし、このときに感じた違和感や、気持ちの冷めはまるで感じなかった。

結局のところ、無理矢理に入れた政治的主張が、自分には、主宰者の厭らしさとしか映らなかったということだ。芝居として昇華できていないのに、それを強引に入れるというのは、芝居より主張が上位のものだと思っているから、そうするのだろう。そうとしか思えない。

その時代時代で、情勢が変わる政治よりも、素晴らしい芝居で表現される情愛や、憎悪や、悲哀や、その他すべての物事のほうが、絶対に上位だ。言い替えれば、表現されるすべての物事に、政治も含まれる。だからこそ、反戦ものも、右寄りのものも、芝居は表現できるのだ。なのに、なぜ芝居を信じなかったのだ。あのとき俺が抱いた感情は、きっとそういうものだった。

だから俺は政治を語らず、芝居を信じたい。世界がどうであれ、表現を信じるからこそ、表現者の端くれの端くれでいられるのだと、勝手に自分は信じている。
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