碧田直の いいじゃないか。

演劇ユニット、ミルクディッパー主宰の碧田直が、日々を過ごして、あれこれ思ったことを、自由気ままに綴ります。

無題そのごひゃくきゅうじゅういち

2017-11-30 20:52:57 | 日々
今日は曇り。雨も降るには降ったが、小雨というにもささやかすぎるほどの小雨だった。

日馬富士が引退した。記者会見をニュースで見たが、もと旭富士の伊勢ケ浜親方ともども、問題の本質が何も分かっていないという印象を受けた。理由がどうあれ、暴行をして相手に大怪我を負わせた、という事自体が大問題なのであって、それを礼節を教えるためだとか、本人同士で和解したとか、そういうことではない。まして、日馬富士は横綱で、かつ貴ノ岩より先輩でもあるのだから、いわば実に分かりやすいパワハラの構図でもあるわけで、より猛省しなければならないところなのに、あの会見である。残念だとしか言いようがない。
相撲に限らず、高校野球でも、どの学校の部活動にも、体罰だとか指導だとかいう名の暴力が存在する。少なくとも、俺が学生の頃は確実に存在していた。理不尽だと思いながら、下級生のうちは、甘んじて受けなければいけない雰囲気があって、それが嫌で部活を辞めたいのに、一度入部したら辞められない、みたいな嘘がまことしやかに流布されていて、辞めようにも辞められないで右往左往していたやつがいたのを、ハッキリと覚えている。
日馬富士の一件と、学生時代の部活動の件を比較するのは、いささか乱暴にすぎるかもしれないが、強権的な力を行使して、自分たちの意見を押し付けようとするやり方としては、同じようなものだ。
思うに、今回の騒動は、相撲界固有の問題というよりは、特に体育会系の競技における指導というものが抱ええる闇を、あからさまにしたのではないかと思う。脚本などを書いたり、芝居の演出をしていると、言葉の限界を感じる瞬間がないでもないが、きっとそれは、相手の心に届くボキャブラリーを、俺がまだ有してない、もっと言うなら、俺自身がまだ未熟なのだということにつながるのだろう。では、今回の日馬富士はどうだったか。未熟ではなかったか。
こういう形での引退は、誠に残念だ。しかし、もっと残念なのは、日馬富士および親方の態度だった。暴力に訴えた、自らの未熟を真摯に反省し、頭を下げてほしかった。横綱が崇高な存在でいられるのは、相撲道を追い求め、ふさわしい品格を備えているからこそなのだ。現実はどうあれ、理想はそうであるはず。理想の体現者を目指さないで、何が横綱か。悲しい会見だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする