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ソフトパワーに戦争排除の論理力を! 安倍「抑止論」の究極のインチキ 

2015-10-23 01:54:55 | 日記

パソコンのネットが不通になってしまい、私もいろいろな知見を出力ばかりではなく、入力する必要があることから暫く休ませていただいたが、久しぶりにニュースを読んで発見したことがある。それは、つづめて言うなら日本共産党の政策の的確さだ。正しさと言うより、時宜を得ていることへの評価だと言ってもいい。それは「安保法制阻止のための国民連合政府提案」だけではない。
●何気ない「しんぶん赤旗」の記事「 『抑止力』を考える/恐るべき軍拡の道」 
何気ない記事だが2015年10月20日付けの「しんぶん赤旗」に「 『抑止力』を考える/恐るべき軍拡の道 危険極まる概念■「米軍との一体性」言うが…」と題した記事が載った。ソソフトパワーの重要性を訴えたもので、安倍内閣支持率が低落しない一つの根拠を成していると思われる「抑止論」についてだ。内容を要約すると、以下の内容だ。少し長いが重要なので掲載する。小泉大介記者による。  
 「安倍首相はじめ政府は戦争法強行の目的として、「抑止力」の向上を前面に掲げてきました。しかし、NHKが13日に発表した世論調査結果によると、国民の多数はその説明に反発しています。改めてこの問題について考えてみました。(小泉大介)
 NHK世論調査では、「安全保障関連法の成立によって抑止力が高まり、日本が攻撃を受けるリスクが下がる」という政府の説明に納得できるかとの問いに対し、「大いに納得できる」は6%、「ある程度納得できる」は28%にとどまりました。一方、「あまり納得できない」が34%、「まったく納得できない」は25%に達しました。(筆者は「納得できる」合計が34%に達するのは大きな支持だと思える)
 安倍政権が昨年7月に集団的自衛権行使を容認する「閣議決定」を行って以来、呪文のように唱えてきた「抑止力」。その一般的な意味を辞書で調べると、“活動をやめさせる力”“思いとどまらせる力”などとなっています。しかし、軍事的にはそんな生易しいものではありません。
 「抑止というのはあからさまな暴力の話。敵が1発でも撃てばこちらは100発で撃ち返すというのが本質」「抑止を多少なりとも効かせようと思えば、恐ろしく軍備を増強しなければならない」
 ある軍事研究者がこう解説するように、「抑止力」とは危険極まりない概念です。これを本気で強化するということは、まさに日本という国の生きざまを根本から変えてしまうことを意味します。
 さらに、「抑止力」を発揮するために軍拡をすれば、「敵対国」にそれ以上の軍拡で対抗する口実を与え、軍事対軍事のエスカレーションも生み出してしまいます。これは学問的には「安全保障のディレンマ」と呼ばれ、常識ともいえる理解となっています。
 にもかかわらず安倍首相は、「抑止力」について“バラ色”の説明をするだけで、その本質や危険性について国民に何一つ語っていません。沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設も、「抑止力」の理屈で推し通そうとしており、その罪はあまりにも深く重い。
中国「脅威」論を振りまいた政府
 安倍首相が「抑止力」の柱に位置付けているのが、「米軍との一体性」です。ところが―。
 かつて自衛隊のイラク派兵を仕切った柳沢協二・元内閣官房副長官補は15日に都内で開催した会合で報告し、『(戦争法で)日米が一体であることが示されるから抑止力が高まるというが、これは何なんだ』と根本的な疑問を表明しました。
 同氏は、安倍首相訪米を控えた2013年2月、米軍準機関紙「星条旗」が尖閣諸島をめぐり、「無人の岩のために俺たちを巻き込まないでくれ」という論評記事を掲載したことを紹介しました。
 政府は戦争法強行成立のため、中国「脅威」論も振りまいてきました。しかし実際には、『(日米の)双方が感じる脅威には隔たりがある』(柳沢氏)というのです。
 なるほど、昨年4月に来日したオバマ米大統領は安倍首相との会談後の会見で、「日本の施政下にある領土は、尖閣も含めて安保条約第5条の適用対象となる」と述べつつも、「安倍首相との議論で私は、この(尖閣領有をめぐる)問題を平和的に解決することの重要性を強調した」「挑発的な行動はとるべきではない」と釘を刺しました。
 米政府は中東地域で「対テロ戦争」を継続・強化する一方、中国については「関与」政策を基本的に維持しているとみられます。日本が中国の「脅威」をもって「抑止力」を強化しても、肝心の米国にはしごを外される可能性があり、この点でも政府の言い分は破綻しています。
 柳沢氏は、戦争防止のためには経済などソフトパワーのさまざまな手段を発掘することが重要だと指摘した上で、こう力説しました。『軍事的抑止に頼らない思想のアセット(資産)をしっかりつくらなければならない』」として、終わっている。
●柳沢協二・元内閣官房副長官補のソフトパワー論の真意はどこにあるか?
柳沢氏の「軍事に頼らない『抑止論』」はさらに、考究する必要があり、ジョセフ・ナイの「『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』2004/9/14 山岡 洋一訳」と「『スマート・パワー―21世紀を支配する新しい力』2011/7/21 山岡 洋一訳」を鎌倉中央図書館で見つけた。読んでみるつもりだが、ジョセフ・ナイもソフトパワーの必要性を語っているようだ。語っているのか騙っているのかーー読んでみるつもりだが、私はソフトパワーの必要性は益々高まり、戦争回避策の主柱にさえなりうる21世紀の思想だと考えている。20世紀以前はこの考えが大勢を成し得なかった。反戦論者ですら信条や宗教の範疇でしかこの考えを社会で影響力をあるものと無し得なかった。反帝国主義と反戦の旗を掲げた、ソ連の指導者レーニンや、コミンテルンですらソフトパワーとは真逆に位置していた。情勢論の中で便宜的に採用するのではなく(クエーカー教徒の徴兵忌避の思想が米では認められているそうだが)宗教的にしか反戦は思想として形成されなかった。それが信条や宗教ではなく平和擁護勢力が政治的、経済的、社会的に戦争反対のソフトパワーの時代をもたらしている。
●「夏のソフトクリームとしての『反戦』」か? 新たな時代としての『反戦』か?
中曽根康弘が鳩山由紀夫の「友愛」を「夏のソフトクリームようにすぐ溶けてしまう」と評したそうだが、信条ではなく、便宜的発想でもない。時代に入りつつあるのかもしれない。民主主義が当然の時代になり、誰もが自身のためでもなく家族のためでもない戦場で戦死することを拒絶する勢力を、政治指導者を選択できる時代になった。戦争できる土壌が全く一変してしまっているのだ。もちろん米国ですらそのような政治土壌に変化している。それはベトナム戦争での体験からか?
●便宜的発想の「抑止論」や「便宜的『反戦』」に抗して時代を耕す思想を位置付ける
便宜的発想ならば安倍の「抑止論」と同水準になってしまう。
安倍の日常的な単純な喧嘩を戦争と同列に扱った水準の「抑止論」は分かり易いが、戦争の本質とは全く別物だ。戦争は政治の一形態で総力戦だと思うからだ。ここに安倍の頭の単純さが現れている。悪知恵が現れていると言った方が良いか…。柳沢の『軍事的抑止に頼らない思想のアセット(資産)をしっかりつくらなければならない』を熟読してみようと思うのは、安倍のインチキ論理に騙されてはならないから、しっかりした論理をソフトパワーの領域で構築しなければならないと思うからだ。「しんぶん赤旗」の記者がそこに気づいているのは慧眼だと思う。この分野が根強く安倍の支持率に影響しているーーと思うからだ。「しんぶん赤旗」の編集局長も一目置く必要があるだろう。同様の視点から見て、沖縄の基地反対闘争の意味は自覚されているのかーー?そんな視点から沖縄も考えてみたい。東アジアの戦争と平和も。