其の参十弐の続き
■一足跳びに、唯識思想が人間の心の奥底を分析して見つけ出した「阿頼耶識」に話を進めてしまいましょう。凝然さんは、アサンガ(無著)、ヴァスバンドゥ(世親)から真っ直ぐにダルマパーラ(護法)に唯識の正統が伝えられたように書いていますが、実際は、無著と世親が唯識を唱えて100年ほど後に、「識」についての見解が分かれてしまうのです。5世紀に始まるナーランダー僧院では、有名なディグナーガ(陳那)の認識論・論理学の理論を基盤として自我意識を捕捉して分析し、その奥底に「休憩所」の意味のアーラヤ(阿頼耶)識を想定します。つまり、『般若心経』でお馴染みの「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六識は無智と煩悩によって諸法(一切の存在)が不滅なのではないか?と思わせるので、これらを制御して感覚や意識が作り出す幻に惑わされない学習と修行が必要だとされるのですが、五識(感覚器官」と思考で構成される認識を受け取っているのは「私」でなければなりませんし、幻惑されないように注意するのも戒律を守って修行に励むのも「私」のはずです。
■しかし、その「私」の肉体は無常なる有為ですから、頼りになりません。そこで外部を知る感覚や判断する思考能力の中に、悟りに至る修行を支える何かが潜んでいるのではないか?と考えて見ますと、どうやら認識情報の入れ物のようなものが有りそうです。記憶や意識が維持されている場所を探って行くと、内容物と容器の関係となるような物が有ると考えた方が便利です。その最底辺部に有る意識の容器を「阿頼耶識」と名付け、内容物を「種子」と名付けたのが唯識思想の基本です。それで万事解決かと思われたのですが、お坊さん達が目標としている「涅槃」に入ったら、種子と阿頼耶識の関係はどうなるのだろう?という疑問が出て来ました。六識を制御して間違った情報を批判する教えに従って修行するのならば、次々と入って来る種子(煩悩)を全て滅ぼして「一切知」と呼ばれる釈尊と同じ智慧を得られるはずです。では、種子が無くなったら阿頼耶識はどうなるのだろう?
■ナーランダー僧院のダルマパーラ(護法)さんは、煩悩が滅し尽くされた後にも阿頼耶識は残るだろうと考えました。悟りを開いた後でも、意識や思考は残るはずなので、悟る前とは違う種子も残るだろう、と考えたのでした。この考え方を「成唯識論」と呼びます。そして、この教えが護法さんの弟子のシーラバドラ(戒賢)先生に伝えられて玄奘さんが学ぶことになるのです。この伝統は「有相唯識説」とも呼ばれますが、人間は悟ってからも考え続けるものである、という事だと思います。
■ところが、ダルマパーラ(護法)さんの考え方に反対する唯識学者がいました。同じナーランダー僧院で学んでいたグナマティというお坊さんです。彼は、インド西方のグジャラート州、カティアヴァール半島のヴァラビーという場所に唯識を学ぶ僧院を設立して、煩悩を滅ぼし尽くして悟りを開いた後には、種子も阿頼耶識も消えて認識も思考も消滅する、という説を確立して弟子達を教えました。ナーランダー学派に対してヴァラビー学派と呼んでも良いでしょう。凡人にとってはどちらでも良いような難しい問題ですが、思考や認識作用が無くなってしまう事を目標にするのか、どこまでも考え続けるべきなのかは、重大な問題を沢山含んでいます。
■この唯識学説の分裂は5世紀の出来事ですが、後にチベットに仏教が伝わって「サムイェーの討論」という頓悟か漸悟かの大問題が長々と議論される事件が起こります。唐からやって来た禅僧が「無念無想」が理想の境地だと主張すると、インドからやって来た学僧が「それでは失神状態と同じではないか?」と攻撃したのです。結局、果てし無い学問修行を覚悟してインド伝来の仏教を取り入れることになるのですが、似たような議論は玄奘さんが帰国した後の唐でも、その玄奘さんから指導を受けた日本の留学僧が帰国した後にも起こります。そして、それは永久に解決の着かない問題なのかも知れないのです。
其の三十四に続く
■一足跳びに、唯識思想が人間の心の奥底を分析して見つけ出した「阿頼耶識」に話を進めてしまいましょう。凝然さんは、アサンガ(無著)、ヴァスバンドゥ(世親)から真っ直ぐにダルマパーラ(護法)に唯識の正統が伝えられたように書いていますが、実際は、無著と世親が唯識を唱えて100年ほど後に、「識」についての見解が分かれてしまうのです。5世紀に始まるナーランダー僧院では、有名なディグナーガ(陳那)の認識論・論理学の理論を基盤として自我意識を捕捉して分析し、その奥底に「休憩所」の意味のアーラヤ(阿頼耶)識を想定します。つまり、『般若心経』でお馴染みの「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六識は無智と煩悩によって諸法(一切の存在)が不滅なのではないか?と思わせるので、これらを制御して感覚や意識が作り出す幻に惑わされない学習と修行が必要だとされるのですが、五識(感覚器官」と思考で構成される認識を受け取っているのは「私」でなければなりませんし、幻惑されないように注意するのも戒律を守って修行に励むのも「私」のはずです。
■しかし、その「私」の肉体は無常なる有為ですから、頼りになりません。そこで外部を知る感覚や判断する思考能力の中に、悟りに至る修行を支える何かが潜んでいるのではないか?と考えて見ますと、どうやら認識情報の入れ物のようなものが有りそうです。記憶や意識が維持されている場所を探って行くと、内容物と容器の関係となるような物が有ると考えた方が便利です。その最底辺部に有る意識の容器を「阿頼耶識」と名付け、内容物を「種子」と名付けたのが唯識思想の基本です。それで万事解決かと思われたのですが、お坊さん達が目標としている「涅槃」に入ったら、種子と阿頼耶識の関係はどうなるのだろう?という疑問が出て来ました。六識を制御して間違った情報を批判する教えに従って修行するのならば、次々と入って来る種子(煩悩)を全て滅ぼして「一切知」と呼ばれる釈尊と同じ智慧を得られるはずです。では、種子が無くなったら阿頼耶識はどうなるのだろう?
■ナーランダー僧院のダルマパーラ(護法)さんは、煩悩が滅し尽くされた後にも阿頼耶識は残るだろうと考えました。悟りを開いた後でも、意識や思考は残るはずなので、悟る前とは違う種子も残るだろう、と考えたのでした。この考え方を「成唯識論」と呼びます。そして、この教えが護法さんの弟子のシーラバドラ(戒賢)先生に伝えられて玄奘さんが学ぶことになるのです。この伝統は「有相唯識説」とも呼ばれますが、人間は悟ってからも考え続けるものである、という事だと思います。
■ところが、ダルマパーラ(護法)さんの考え方に反対する唯識学者がいました。同じナーランダー僧院で学んでいたグナマティというお坊さんです。彼は、インド西方のグジャラート州、カティアヴァール半島のヴァラビーという場所に唯識を学ぶ僧院を設立して、煩悩を滅ぼし尽くして悟りを開いた後には、種子も阿頼耶識も消えて認識も思考も消滅する、という説を確立して弟子達を教えました。ナーランダー学派に対してヴァラビー学派と呼んでも良いでしょう。凡人にとってはどちらでも良いような難しい問題ですが、思考や認識作用が無くなってしまう事を目標にするのか、どこまでも考え続けるべきなのかは、重大な問題を沢山含んでいます。
■この唯識学説の分裂は5世紀の出来事ですが、後にチベットに仏教が伝わって「サムイェーの討論」という頓悟か漸悟かの大問題が長々と議論される事件が起こります。唐からやって来た禅僧が「無念無想」が理想の境地だと主張すると、インドからやって来た学僧が「それでは失神状態と同じではないか?」と攻撃したのです。結局、果てし無い学問修行を覚悟してインド伝来の仏教を取り入れることになるのですが、似たような議論は玄奘さんが帰国した後の唐でも、その玄奘さんから指導を受けた日本の留学僧が帰国した後にも起こります。そして、それは永久に解決の着かない問題なのかも知れないのです。
其の三十四に続く
地震の体験から始まるシルクロード展の詳細なお話はとてもおもしろく、こんどは歴史地図を見ながらもう一度拝読するともっと理解できるかなと模索中です。
今は、龍樹に関連するクシャン朝あたりに、とても興味があります。壮大な歴史のダイナミズムを体感できて、ちょっとじ~んと感じ入っております。。
また、「玄奘さんの御仕事」も、情報満載で、宝の山にぶち当たったような気持ちで読ませて頂きました。拝読するのに忙しくて、お礼を申し上げるのがすっかり遅れて申しわけありません。
これからも楽しみにしております。